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「掛けた時間を糧に」(桑原美里)

2019.11.16

桑原副将の八田から「天然マネージャー」という紹介を預かりました、法学部法律学科4年の桑原美里です。自分のことを天然とは認めたくないですが、幼稚園生の時に、母が「見てごらん」と指差した景色ではなくその母の指をガン見していた経験談からして、元から備わっているものはあるのかもしれません。認めたくないのですけどね。
そして野村くんはそろそろ自重してください!

このブログを公開する本日、ソッカー部の関東リーグ1部昇格が決定致しました。
日頃よりご支援いただいているOBの皆様、保護者の皆様、ご尽力いただいた全ての方に、この場をお借りして御礼申し上げます。

思えば、この4年間はソッカー部としても激動の年でした。
2年前、降格が決まった最終節のあの日。暗雲に覆われ冷たい小雨の中で迎えた降格の瞬間、私はカメラ担当でピッチにいました。たった1人でその瞬間を迎えていました。応援席もベンチにいるチームの人も、とても遠くに感じたのを覚えています。

でも、2年後の今日、快晴の空の下、私はチーム付きとしてピッチで選手と共に昇格の喜びを分かち合うことが出来ました。何よりも迎えたかった瞬間を、最高の仲間と迎えられて私は幸せ者です。

さて、長い前置きとなりましたが、私のブログを書かせていただきたいと思います。
私はとても主観的な人間です。主観8割・客観2割で生きていると、主観的に思っています。そんな私が率直に思うことをつらつら書きました。少々のお時間お付き合いいただけますと幸いです。

学生の時間は、無限にあるようでやっぱり有限でした。
中学も高校も3年間であるのに対し、1年多い4年間という大学生活を与えられたのは、まるで私に、「これで学生生活は本当に最後なのだから、思う存分悔いのない時間を過ごしなさい。目一杯自分の好きな事に時間を使いなさい。」と言われているようでした。
そんなアディショナルタイムのような4年間。世間的にモラトリアムと言われ、子供にも大人にも片足ずつ突っ込んでいる私は、大学生活4年間の大半をソッカー部に充てようと決めました。理由は至ってシンプルで、組織の一員として歓喜の瞬間を選手と一緒に味わいたかったのです。学生最後に本気で向き合って、本気で喜ぶ経験がしたかった。
そしてどんな理由であれ、そういう決意をした人間が集まっているのがソッカー部という組織なのではないでしょうか。学生に平等に振り分けられた4年間という時間を、ここで過ごすと決めたのは当時の私達です。

3200時間。

私がマネ部屋で過ごしたであろう下限時間です。1日4時間のシフトを週5日。それを4年間だから単純計算でざっとこれくらいです。
もちろん、これは私が帰宅部よろしく定時きっかりに帰宅すればの話。実際はもう少し長くマネ部屋にいただろうし、早慶戦直前の、ブラック企業も真っ青の残業時間も合わせたら4000時間いくのではないでしょうか。いかないかな。

グラウンドの傍に建つ合宿所の一室で、これだけの長い時間を過ごしました。
やらなければいけない事務仕事を黙々とこなす時も、広報用の画像作成や動画制作等やりたいこと(最近、同期の角に「お遊び」といじられていますが、れっきとした仕事ですよ)を夢中でこなす時も、同じように時は流れていきました。

時というのは、残酷な程に容赦なく平等に過ぎ去っていきます。

私は、何事にもこだわってしまう人間なので、どうしても時間が必要になります。
好きで続けている活動だからこそ、捨て切れないこだわりが私を圧迫しました。
時には、仕事に忙殺され、時間が足りなすぎてパンクしたりもします。オーバーヒートした機械を冷ます冷却水のように涙が止まらない時がありました。自分の意思をまるっきり無視して。

「こだわりは、掛けた時間に比例する」

これは私の持論ですが、この大学4年間をソッカー部に費やし、存分に時間を掛けたからこそ実感出来ているものです。
ただ、時にこう思ってしまうことがあるんじゃないでしょうか。自分がこれだけこだわって取り組んでも、意味を成さないんじゃないか。これは本当に意味のあることなんだろうかと。
でもだからこそ私は言いたい。

「掛けた時間は自分の糧となる」と。

費やした時間が決して成果に結び付く訳じゃない。そんな甘っちょろい世界でないことは分かっています。でも、成果に結び付かなくても、やってきたという事実を、掛けてきた時間を、自分で否定する必要はないと思う。頑張ってきたことを自分が一番分かっているのだから。

その努力は必ず次に進む糧となる。
捨てなかったこだわりは自分の芯となる。

そして何より、時間を掛けて取り組んだからこそ味わえる感情があると思っています。

歯を食いしばる程の悔しさも、心を震わす達成感も、味わうことが出来るのは時間を掛けた者だけだ。こだわったからこそ感じることの出来る特権なんだ。と。
その瞬間をも糧として、また次のステップへ進んでいけば良い。

これは私へ向けた言葉でもあります。
自分で自分を責めて、目から冷却処理水ばかり流れてどうにもこうにも前へ進めなくなった時、私はこの考えで自身を守り、突き進んできました。

そうして突き進んだ先で、自分だけが見える景色を見たい、と私は思います。
この大学4年間で、私の見る景色は変わりました。かつてワールドカップ放送を熱心に見ている父の横で携帯をいじっていた私が、関東リーグの1試合1試合を、セットプレーの瞬間を息を止めて見守るようになりました。時間を掛けてこの組織の一員となり、選手の人となりを知り、陰の努力を知り、切に勝利を願えるようになった。選手たちが私の好きな世界を変えてくれました。

あと8日。実働32時間。3200時間を掛けた中のたった32時間しか、ソッカー部のマネージャーとして過ごせる時間は残されていません。どんなに願っても、時間は平等に過ぎて行きます。だったら、最後の最後まで与えられているこの時間を大切に、取りこぼさないように精一杯丁寧に駆け抜けていきます。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。次のブログは、グラウンドマネージャーの角晋太郎です。角は本当に肝が据わっていて、大抵のことはどうにかなると思っています。むしろ窮地に立たされている時こそ、顔をニヤつかせて余裕の表情でどう乗り越えてやろうか思考を巡らせているくらいです。
そんな肝据わり人間・角も、グラマネになってからの2年間は本当にチームの為に時間を惜しまず活動していました。抱えきれない苦労も沢山あったことでしょう。最後に角が想うことをどう文章にするのか、私も楽しみです。

《NEXT GAME》
11月23日(土・祝) 関東リーグ戦 最終節 vs日本大学
@中央大学グラウンド 11:30キックオフ

「ソッカー部に残すもの」(八田和己)

2019.11.15

八田平素より大変お世話になっております。グラウンドマネージャーの隅谷雅治からバトンを受け取りました、総合政策学部4年の八田和己です。スミは僕がグラマネ部屋に行くと、いつも試合映像を振り返る等、ヘッドフォンを付けてパソコンに向かっています。声を掛けた時によく無視されたことはここで伝えておきます(笑)。紹介にもありましたが、今年から僕はリフォーム部門の班長も務めています。リフォーム出来た時の喜びや達成感は入部してみないと分からないものです。今からでも入部受け付けているので、入りたい方はぜひご連絡を。

前置きが少し長くなりましたが、本題に入りたいと思います。
これまで毎年この時期の4年生のブログを読んでは感動していましたが、とうとう自分が書く時が来てしまいました。同期のブログも読みながら、何を書こうか非常に迷いましたが、最後のブログは、僕が今年どんな気持ちを持ってソッカー部と向き合ってきたのかを綴らせていただきたいと思います。拙い文章ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

僕は今年から副将としてチームをまとめる立場になり、日々「自分がこのチームに残せることは何か」自問自答する様になりました。
就任してから間もなくは、組織として改善するべき点が沢山あると感じており、一人ひとりの意見がもっと尊重される仕組みを作るべきではないか、とか、コミュニケーションを活性化する機会をもっと作るべきではないか、とか、そんなことばかり考えていました。副将になったからには、チーム全体を見渡し、チームを一つにしなければ、という思いが強過ぎて頭でっかちになっていたかも知れません。

ある時「もし“1年生の自分”が“4年生の自分”を見たら、どんな人であって欲しいんだろう」ということを考えてみました。僕が1年生の時の4年生(宮地元貴君の代)はとにかく大きく見えて、憧れの存在であり、目指すべき存在でした。練習ではバチバチと削り合い、練習後には欠かさず自主練習をし、試合は”本気”で慶應魂を前面に出して闘う。そんな4年生の姿を見て、当時Cチームにいた僕は「この人達がこれだけ練習しているんだったら、自分はもっと練習しないと追い付けないんだな」と素直に思いました。当時の4年生を見て、自分なりに大学でサッカーを続ける意味とか、慶應で闘う意味を見出せた様な気がします。

このことを思い出した時、これまで考えていた、組織のあり方がどうとか、戦術がどうとかよりも、自分が残せるものは他にもっとあるのではないかと思いました。
心の底から「上手くなりたい」「強くなりたい」という気持ちを持つこと。
慶應魂を背負った泥臭いプレーで、最後まで絶対に諦めずに闘うこと。
これこそ、”1年生の自分”が今一番見たい”4年生の自分“だと思いました。

僕が1年生の時の4年生が引退してから、結果から見ても分かる様に2部リーグに降格して、ソッカー部が弱くなっているのは確かです。しかしこの近年、どこか弱くなった原因を、組織のあり方に向けてみたり、監督のせいにしてみたり、そんな状態になっていることに疑問を感じていました。足りないのは自分達が強くなりたいという気持ちとか、練習に臨む姿勢とか…そういうものではないんだろうか…

その時、自分が残したいものがはっきり見えました。
僕が今年やるべき事は、
「普段の練習に全力で取り組み、試合では応援してくれる人が感動する位走る」
これに尽きると。
今年のリーグ開幕前のブログでも書いたことですが、アップでは全力でマーカーまで走り抜けるとか、走りのメニューでは絶対にフライングをしないとか(今では「フライング取り締まりおじさん」とか言われていますが…笑)、試合ではどんなにきつくても走り続けるとか。
こういった姿勢をプレーで伝え続けていくことが、自分に出来る最大限のことであり、このソッカー部に残すべきものであると思う様になりました。

この気持ちを持つ様になってからは、個人としても非常に成長出来たと思っています。これまでは試合に臨む時、「勝たなきゃいけない」「結果を残さないといけない」と思っていましたが、今は「結果は後から付いてくるものだから、自分は観に来てくれた人が感動する位泥臭く走ろう」と考える様になりました。この気持ちを持てるだけで、自分のするべきことが明確化され、“今“に集中出来る様になりました。これは自分の中では大きな成長と感じており、今後社会に出ても役に立つことを学んだと思っています。また、この気持ちに付随して、技術的な面から精神的な面まで今も尚まだまだ成長出来ている実感さえあり、最後の最後まで、個人としてもチームとしても、成長し続けたいと思っています。

だらだらと書きましたが、僕は今年、こんな想いを持ちながらソッカー部と向き合ってきたつもりです。後輩の皆が、僕から、そして今年の4年生から、「何か」を感じ取ってくれたらと思っています。そして感じたことを自分達なりに解釈し、ピッチで表現して、また後輩に受け継いでいってくれたらとても嬉しいです。

さて、明日は今シーズンで大一番のゲームです。
2018年シーズン関東リーグ閉会式では、表彰されているチームをただただ羨ましそうに眺めることしか出来ませんでした。これがとにかく悔しかったのを今でも鮮明に覚えています。それと同時に来年は必ず優勝して表彰されると決意しました。あの日以来、2019年シーズンの閉会式で慶應が優勝カップを掲げている姿を何度もイメージしてきました。
そして今、僕達は、このイメージを自分達の力で現実に出来る位置にいます。掴み取れるかどうかは本当に一人ひとりが自分の役割を全う出来るかに懸かっていると思います。
明日、試合に出る選手は勿論、ベンチメンバー、応援するメンバー、監督、コーチ、全員で一つになって勝利を掴み取りにいこう。
そして必ず皆でチャンピオーネを歌おう。

長くまとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。次回のブログは、天然なのに、天然と認めない、生粋の天然マネージャー桑原美里です。バレない様にいつも笑顔で誤魔化そうとしていますが、誤魔化し切れていません。そして最近は野村にギリギリのいじりを受けていますが、どんなことがあってもめげないメンタルも持っています。そんな彼女はどんなブログを書くのか。ブログでも天然ぶりを発揮しそうで少し不安ですが…お楽しみに!

《NEXT GAME》
11月16日(土) 関東リーグ戦 第21節 vs拓殖大学
@中台運動公園陸上競技場 14:00キックオフ

「グラマネ日記②」(隅谷雅治)

2019.11.15

隅谷平素より大変お世話になっております。
“はなてん”こと学生トレーナーの花田佑からバトンを受け取りました、経済学部4年グラウンドマネージャーの隅谷雅治です。
彼は部車の中で私のボケやモノマネで笑顔を見せてくれる唯一の同期です。いつも気を遣ってくれてありがとう。笑
彼の紹介にあった様に私は部車の中で永遠に喋っている訳ですが、ただ自己満足で喋っている訳ではございません。
「試合前の緊張感を程良くほぐす」ことが私の部車の中での役割なのです。
内容は様々ですが、最近はSNSのパワーを得た幣部主務の〇〇〇いじりがトレンドです(気になる方は私か三浦トレーナーまでお問い合わせ下さい)。前置きはここまでにして私の最後のブログを始めます。

長い文章に移る前に、同期の皆にまずメッセージを送りたいと思います。
同期の皆、自分をグラマネに選んでくれてありがとう。お陰で自分が選手をしていたら到底見れなかったであろう景色を何度も見ることが出来ました。残りの10日間、本当に悔いのないように全力で駆け抜けよう。
綺麗事に聞こえるかも知れませんが本当にそう思えています。勿論グラマネになった当初はこんな風に思えていた訳ではありませんが今となっては本気で思えています。

早いもので残されたソッカー部生活も残り10日になり、自分のサッカー人生が終わりに近付いていることをひしひしと感じています。私は入部してから選手、リサーチ、グラウンドマネージャーと様々な役割、役職を経験し今に至っています。
私の下級生時代を知らない後輩も多いと思うのでここで私がグラマネになるまでを振り返りたいと思います。
1年目はC2(現在のD)チームに所属していました。周りのレベルが自分より高く、何をやっても上手くいかず、週末の練習試合でさえもピッチの外から見ている時間の方が長い、そんな選手でした。「どうして自分はここにいるのだろう?自分はこの部活にいるべきなのか?存在価値はあるのか?」等と自問自答を繰り返す日々を送る中でシーズン終盤、リサーチ決めの時期に突入しました。Topチームに関わり選手として関東リーグを戦う所まで遥かに距離が遠かった自分は裏方としてでも関わりたいと立候補をしました。同期の承認を得た時は選手として努力をしながら、自分にもTopチームの結果に何かしらコミット出来る可能性が出来たことにワクワクしたのを覚えています。

2年目もカテゴリーは変わらずC2チームでした。この年からIリーグに参入することが決まり公式戦の舞台に立てるチャンスが出来ました。その年の自分の目標はIリーグ出場でしたが蓋を開けてみるとメンバー入り0試合と酷い結果に終わりました。同期の多くが試合に出場しており自分はピッチの横で応援歌を歌うという何とも情けない状況に毎週末、複雑な心境だったのを覚えています。またリサーチとしては分析結果を共有する中で、Topチームの緊張感であったり関東リーグの難しさを知ることが出来た一方で、降格を食い止める程の働きをすることが出来ませんでした。
そうこうしている内に学年のスタッフ決めが進み、グラマネを決めるミーティングの時期になりました。勿論、候補者の一人となりサッカーを辞める可能性が出てきました。候補者同士での話し合い、候補者以外の選手との対話は自分にとって何ともむごい時間でした。「信頼しているから、隅になら任せられる」等の言葉が全く信じられない時もありましたし、サッカーがここまで上手くいっていない自分に務まるものではないと感じたのを覚えています。しかしながらソッカー部での残り2年間を選手としてパッとせずに終わるのなら、新たな挑戦をすることの方が自分の成長やチームの勝利への貢献に繋がるとマインドセットを変えグラマネになることを決意しました。
この様な経緯で私は選手からグラウンドマネージャーへと役割を移してきました。

そうして昨年2月から始まったグラマネとしての生活は毎日が刺激的且つ緊張感に溢れています。練習メニューの策定、メンバー選考、カテゴリー移動等、チームの結果もさることながら選手個人のサッカー人生も左右しかねない責任重大な役割を任せてもらっていると認識しています。1日1日の練習が勝負で大事な週の練習前日は考え過ぎて中々寝付けなかったり、新しいメニューをやる日には緊張でどうにかなりそうだったりします。
実施したトレーニングが上手くいけばグラマネ部屋で後輩グラマネの関にダル絡みをし、上手くいかなければ30分でも1時間でも一人で萎えるという生活を送ってきました。
こうした中でトライアンドエラーを繰り返し、チームが結果を出せた時には何にも変え難い喜びがありました。
前期Iリーグで国士舘に競り勝った瞬間、筑波に競り勝った瞬間、チャンピオンシップ出場権を獲得した瞬間は体の底から嬉しかった。グラマネをやってて良かったという感覚を心の底から覚えました。勿論選手と努力があったからなのですが、、今シーズン残す所Bチームは順位決定戦、Topチームは関東リーグは2試合です。
私はこの感覚を何としても味わいたい。
今年のチーム目標である関東2部リーグ優勝して昇格を達成し皆で喜びを分かち合いたい。

全部員が自分の置かれた状況で出来ることをやって最高の10日間にしよう。

何ともまとまりのない内容でしたが今思うことを書かせていただきました。
次回は副将の八田和己です。
彼はその美しいお顔からは想像出来ない程に試合中に泥臭くピッチを走り回り慶應に勝利をもたらして来ました。
ピッチ外では施工屋さん顔負けの技術で合宿所をリノベートするという意外な一面も。将来はDIYパパになること間違いなし。そんな彼のブログに乞うご期待!

《NEXT GAME》
11月16日(土) 関東リーグ戦 第21節 vs拓殖大学
@中台運動公園陸上競技場 14:00キックオフ

「私のサッカーとの向き合い方」(花田佑)

2019.11.13

花田平素より大変お世話になっております。落合祥也からバトンを受け取りました、法学部法律学科4年、選手兼学生トレーナーを務めている花田佑です。本題に入る前に、祥也、確かに波の動画は見ているけど皆のウォーミングアップの動画もしっかり観てるからそこんとこよろしくね。笑

部員ブログを書くのは今回で3回目になります。1回目は1年生ながら生意気に書かせていただいた「チビで何が悪い」(http://keio-soccer.com/official-blog/28593.html)、2回目は学生トレーナーになる決断をした時の気持ちを書いた「だったら努力すればいいんじゃないの?」(http://keio-soccer.com/official-blog/39846.html)、でした。今回はサッカー人生も残り10日ということで「私のサッカーとの向き合い方」について書きたいと思います。ではいきます。
いつからだろう、評価ばかり気にしてサッカーをするようになったのは。サッカーって辛いな、楽しくないな。これは私が大学1年生の初期に思っていたことだった。1年次のシーズンが終わり、2年生としてのシーズンが2月に始まった。幸運にも私はBチームからAチームに昇格していた。しかし同じポジションには先輩を始め良い選手が何人もいて、私のマグネットはボード上で当時Aチームに所属していたボランチ6名の中で最も下に貼られていた。序列はビリ。絶対に這い上がってやろうと毎日が必死だった。グラウンドに行ってはボードをチラ見して自分の序列を確認する。一列上がっただけで喜び、またビリに戻れば落ち込む。そんな日々が続いていた。でも序列は簡単には変わらない。次第に腐りかけていった。その期間は自信を喪失し、練習に行くのが本当に嫌だったのを今でも覚えている(唯一OFFだった月曜日だけは朝起きるとほっとしていた)。序列ばかり気になってミスを恐れる。当時監督だった須田さんに「いやあ、花田もっとやらないと」と言われるのを恐れ、ビクビクしながらプレーしていた。そんな私のパフォーマンスは上がるはずもなく、シーズンインから約1ヶ月後にBチームへの降格を命じられた。

いつからだろう、評価ばかり気にしてサッカーをするようになったのは。考えてみるとこれまでの私のサッカー人生は上手くいき過ぎていたのかも知れない。小学校3年生の時に横浜F・マリノスの下部組織に入団し、ナショナルトレセン選出。中学生の時にもナショナルトレセンやエリートプログラム、Jリーグ選抜に選出。高校生に上がる時にはユースに昇格出来ないという挫折を経験したが、進学した桐蔭学園高校で1年生の時から試合に使ってもらい、神奈川県代表として国民体育大会にも出場。自分のプレーが評価されることは嬉しかった。勿論サッカー選手として人に評価されることは付き物だと思う。でもいつの日からか評価されることにとらわれ過ぎて、評価される為だけにサッカーをするようになっていたのかも知れない。

周りの目ばかりを気にして、サッカーの楽しさも完全に見失いかけていた大学2年の始め、そんな自分のことが本当に嫌いだった。このままではきっともう上には行けないだろうな、そんなことを考えていた私に転機が訪れた。それは桐蔭学園時代の同期とご飯に行った時だ。彼はある大学に進学していたが、体育会の部活ではなくサークルに所属し、私から見れば凄く楽しそうな生活を送っていた。きっと毎日楽しいに違いない、羨ましいな、そう思っていた。しかし彼は私にこう言った。

「いいなー佑は。本気でサッカーしててさ。周りも本気でしょ。サークルも楽しいけどさ、何か違うんだよね。高校時代辛いことも沢山あったけどさ、今となっては高校の時の方が楽しかったって思えるよ笑笑」

彼のさり気ない言葉がきっかけとなり、「私のサッカーとの向き合い方」に徐々に変化が生まれた。

この時までの私は、評価されることにとらわれすぎて、評価される為だけにサッカーをしていたと思う。

でも考えてみれば誰に強制された訳でもなく、本気になれる環境を求め、自分で決断してこのソッカー部への門を叩いたのだった。そして周りには同じ気持ちで入部した約150人の仲間がいる。そんな仲間と自分達で考えた目標に向かって、本気で取り組めること。毎朝5時過ぎに起きて練習に行き、きつい走りとか、部の為の仕事とか辛いことも沢山あるけど、皆でボールを奪って、パスを繋ぎ、そのボールがゴールに入った瞬間の何にも代え難い喜び。決してスポーツ推薦の選手がいる訳ではないけど、一人ひとりが組織を強くする為に思考することを止めず、何時間もミーティングを重ね、決めたことを実行し、スポーツ推薦の選手を多数要する大学に勝利した時の高揚感。そういったことを経験出来る環境にいること自体が決して当たり前のことではなく、幸せのことなのかも知れない。

さらに小学校6年生の時の鎖骨骨折に始まり、内転筋の肉離れ、ふくらはぎの肉離れ、腰椎分離症、グロインペイン症候群(復帰まで6ヶ月半)、腿裏の肉離れ(2回)、膝の靭帯損傷など、毎年何かしらの怪我で長期間の離脱を余儀なくされてきた(あまりに怪我が多すぎて身代わり不動尊でお祓いしてもらった)私にとって、好きで始めたサッカーに怪我なく取り組めること、それ自体が決して当たり前のことではなく、幸せのことなのかも知れない。

そう思う様になった。
自分の方が調子良いだろとか、何でサブなんだよとか、またメンバー外かよとか、色々あると思う。勿論評価も大事だけど、評価ばかり気にするのは一旦置いといて、決して当たり前ではない現状に『感謝』し、今自分が出来ることに100%で取り組んでみようと。結果は後から付いてくると信じて。

この様に「サッカーとの向き合い方」を変えた私に、結果が後から付いてきたなと感じた(皆が憧れるピチピチの公式戦ユニを着て公式戦に出場出来た)経験を2つ紹介したいと思う。

一つ目は、2年生の最後の時期に出場した新人戦全国大会での出来事。当時の1.2年生の中から25名ほどが選出された。日程がタイトだったこともあり、慶應はターンオーバーを採用しようとしていた。殆どの選手がスタメンで出場する為に準備をしていた中、私の立ち位置はどちらのメンバーでも構想外。3本目。それでも大学2年初期の私とはマインドが違っていた。評価に一喜一憂している暇はない。現状に『感謝』して、今自分が出来ることに100%で取り組もうと。そういった直向きさはやっぱり神様(この時はグラマネだった完さん)が見てくれているんだと思った。全国大会3戦目にしてスタメンに抜擢される。出場した試合でも2得点。腐らずにやってきて良かったなと心の底から思えた瞬間だった。

二つ目は、ソッカー部への入部を決めた時から目標にしていた関東リーグに4年目にしてデビュー出来た時。リーグ戦は何節か消化していたが、この時だって私は毎節7名のベンチメンバーにギリギリ入れるか入れないかの瀬戸際。メンバー外を何試合も経験していた。練習中に行う実践形式の練習でもスタメン組のチームでプレーできた回数は0。それでもこの本気になれる環境で、本気の仲間とサッカー出来ることに『感謝』し、怪我なくプレー出来ることに『感謝』し、今自分が出来ることに100%で取り組んでいれば、やっぱり神様(この時は現監督の友峰さん)は見てくれているんだと思った。運良くメンバーに選んでもらい、僅か3枠の交代枠の内の一つを自分の為に使ってくれて、遂にデビューを果たせた。両大学の応援の声や太鼓の音が大き過ぎて、心臓がゾクゾクする感じが今でも忘れられない。こんなにもピッチ上は声が通りづらいと初めて知った。

勿論現在関東リーグにスタメンで出場出来ている訳ではないことから、決して満足のいく4年間ではなかった。悔しさも勿論ある。でも腐りかけ、練習に行くのが本当に嫌だったあの時、「サッカーとの向き合い方」について真剣に考えて良かったなと思っている。

ここでこのブログを読んでくれている後輩(特に現状に苦しんでいる選手や、評価ばかり気になって心の底からサッカーを楽しむことが出来ていない選手)に伝えたいメッセージがある。

勿論サッカー選手だから評価は大切だと思う。
でも一度狭まってしまった視野を広げてみて欲しい。
きっと皆がいる環境は当たり前ではない。
怪我なくサッカー出来ていることも当たり前ではない。
だったら決して当たり前ではない現状に『感謝』し、今自分が出来ることに100%で取り組んでみて欲しい。
結果は後から付いて来ると信じて。

もし好きで始めたサッカーや、悩み続けている自分のことが嫌いになりそうだったら、このメッセージを思い出してみて欲しいです。応援しています。

長くなりましたが最後までお付き合いいただきありがとうございました。

次のブログはグラウンドマネージャーの隅谷雅治です。彼は今年Bチームを率い、Iリーグ1部リーグで見事優勝。慶應をチャンピオンシップに進出させたやり手です。チームをマネジメントし、勝利にもっていける所は流石しっかり者だと思いました。ただ彼には面白い一面もあります。よく部車に乗って一緒に関東リーグの会場まで行きますが、隅がいると部車は明るくなります。なぜならずーっと喋っているから(本当にずっとです笑)。特に主務である塩木への◯◯いじり(想像にお任せします)は欠かしません。また総監督の八木さんやアドバイザーの人見さんのモノマネも高頻度で飛び出します。(見たい人は是非リクエストしてみて下さい)。そんなしっかり者と面白さ、二つの顔を持つ隅はどんなブログを書いてくれるでしょうか。お見逃しなく!!

《NEXT GAME》
11月16日(土) 関東リーグ戦 第21節 vs拓殖大学
@中台運動公園陸上競技場 14:00キックオフ

「自分のせい」(落合祥也)

2019.11.12

落合平素は大変お世話になっております。
永澤隆彌からバトンを受け取りました。商学部4年落合祥也です。確かに、永澤とのLINEを振り返れば、過去問持ってる?、試合アップロード出来る?ばっかです。まあ、こんなLINEしかしていないけれど、英語が終われば、一緒に帰宅し、何だかんだ仲は良いと思っています。さて、こんなしょうもない話は放っておいて、本題に入りたいと思います。

4年生ラストブログリレーが始まってから、何を書こうか毎日、少しだけ考えていました。ですが、出番が回って来ても、特にこれといったものが中々思い浮かばなかったです。なので、本当は書きたくなく、自分の中だけに留めて置きたかったものを書こうと思います。誰にも自分の本当の気持ちを伝えなかった1年間の中で味わった悔しさを書こうと思います。

私は今年のリーグ戦は全試合、1年次は14試合、2年次は20試合出場しました。しかし、監督が変わった3年生の時は3試合しか出場することが出来ませんでした。更に後期リーグは2回ベンチに入っただけで、後はベンチ外でスタンドから応援をしていました。恐らく、自分のサッカー人生を振り返ってもこの年より一番情けなくて、惨めで、下を向いた年は絶対にないと思っています。

3年生の1年間はずっと試合に出れませんでした。サッカー人生でこんなに長い間試合に出れなかったのはこの年だけです。そして、この1年間が自分のサッカー人生に於いての一番の分岐点だったなと思います。

自分は周りに本音を言うのが苦手であり、人に対して弱さを見せるのは情けないと思っていたのでしませんでした。いつも陰で泣いていました。初めてベンチ外になった日、発表された時は平然としていましたが、帰宅途中、ベンチ外になったことを親にLINEで伝えた時、電車の中で1人で泣きました。ベンチ外なんて、自分の中で絶対にあってはならないものと思っていたので、悔しすぎて、どうしても我慢出来なかったのです。
後期リーグではひたすらベンチ外が続き、自分の中でベンチ外が当たり前なんだって勝手に思う様になりました。紅白戦で良いプレーをしても全くベンチ入りが出来なくて、辛すぎて、何を目指して頑張れば良いのか分からなくなっていました。仲間から「調子悪い俺がベンチ入って、祥也が入らないのは変。」とか言ってもらっていたけれど、自分に気を遣ってのこの言葉も、私は心の中で「そんなこと言うならベンチに入んなよ。俺と変われよ。」と思ってしまう、嫌な奴でした。そう思っている中、BチームとのAB戦があり、自分はサブ組でも先発で出れませんでした。更に、他のベンチの人はハーフタイム位で出場する中、自分だけ、残り10分程しか出場することが出来ませんでした。正直、この時、試合になんて出なくて良いと思っていました。見返す気力もなくピッチに出て、ただサッカーをしていました。その日は何人かの同期から励ましのLINEを貰ったのですが、何も頭に入って来ませんでした。次の日、自分はBチームに落ちるだろうなと思っていたのですが、落ちたのはサブ組で先発を出ていた2人だけであって、自分は落ちませんでした。意味が分かりませんでした。サッカーは好きだったけど、続けるのが本当に辛くなりました。
今だから言いますが、トップチームの同期の中で後期の終盤、学年目標を「全員でメンバー入り」と決定したこの目標も自分にとっては苦でしかなかったです。殆どの他の同期は毎回メンバー入りして、外れていたのは自分だけでした。自分のせいで目標を達成出来ないことへの苛立ち、情けなさと申し訳なさ、メンバーに入れないが故の監督への不満など色々なものが自分の中に積もりに積もって、寝る前はいつも吐き気に襲われ、眠れない日が続きました。同期にケガ人がいた影響もあり、残り3節と2節でメンバー入りをしたのですが、同期の代わりにメンバーに入っているので、学年目標を達成することは出来ませんでした。シーズンが終わって、目標を達成出来なかったことに対して、同期は「目標を達成出来なかったのはケガした俺らのせい」と言っていたのですが、自分からしたら「どう見たって、俺がメンバー入りをしていれば良かった話なだけであって、達成出来なかったのは俺のせいだろ」といつも心の中で思っていました。この話をする時はいつもスーッと何処かに逃げていました。同期に変な気を遣わせている自分がみっともなく、更にそこから逃げ出す自分に対して「カッコ悪」と感じていました。

以上のことが悔しかった1年間の中で一番きつかったことです。この1年間で何を学んだの?と聞かれても多分、耐えることしか学べてないと思います。人生の中でこんなに苦しみに耐えたことはないです。きっと、この1年は苦い思い出として、ずっと残り続けます。でも、こういう状況になったのは全部自分のせいです。前期スタメンで選ばれた日体大との試合で結果を残せば、スタメンに定着出来ていたかも知れない。結果を残せなかったのは自分に力がなかったから。チャンスは気付かない所できっと沢山あったと思います。チャンスを取りこぼしたのも、それに相応しい準備をしていなかったからです。現に今思うことは、ユースの時と比べて、サッカーに対する熱量が低かったと思います。勝負に対するこだわり、上手くなりたいという気持ち等、様々な熱量があの時と比べて上がらなかったです。これは大学サッカー生活を通して、ずっと感じていました。こんなものを持っていたから、必然的に試合に出られなくなったのだと思います。ですが、試合に出られない苦しみを知ったからこそ、色々なものを再認識することも出来ました。監督が変わったこともあり、私は運が良いことに今年は全試合に出場することが出来ています。あの1年間があったからこそ、試合に出れる喜びや大変さ、ずっと出ていたいという思いは一層強くなりました。サッカー選手であるならば、大好きなサッカーで試合に出て勝つことよりも楽しくて幸せなことはないと思います。

今は多くの4年生が試合に出ています。後輩達はきっとそれぞれ悔しさを抱えていると思います。悔しさがないなら、選手を辞めた方が良いと思います。試合に出れないのは自分に力がないからです。本当に良い選手なら、誰が監督でも使われます。愚痴や不満を言っても良いけれど、自分に矢印を向けることは忘れないで下さい。言い訳は進歩の敵です。好きでやっているサッカーにとことん向き合って、悔いのない日々を送って下さい。試合に出れない自分を自らの力で是非、見返して下さい。(特に普段は何も言わないけど、O.S君には期待しています。)後輩達へ、偉そうにすみません。

本当はまだまだ色々な気持ちを隠しているのでそれを知りたい人はご飯でも連れて行ってあげます。

最後に、直接では言いづらいので、この場を借りて、きっと陰でこのブログを見ているであろう両親へ感謝の気持ちを綴ります。幼稚園生から始めたサッカーも恐らく残り2試合となりました。始めてからずっと、余計な口出しをしないで自由にサッカーをやらせてもらい、遠征費や食事など、様々なサポートも文句を何一つ言わず、支えてくれて本当にありがとう。週末の自分の公式戦の試合をいつも楽しみにして来て、応援してくれてありがとう。小さい時から毎週末、欠かさずに自分の試合に来てくれていたからこそ、大学3年生の1年間、自分のプレーを見せることが出来なくて、ごめんなさい。親は優しいから、ずっと試合に出れてなくても、温かい目で応援してくれました。普段は観戦に来ないサブ組のJr.リーグを下田の陰で自分に言わずにこっそり見ていた親の姿は今でも忘れません。この時から、自分の為にやっていたサッカーが親の為にも、と思う様になりました。親にもう一度元気にサッカーをやっている姿を見せたいという気持ちがあったからこそ、辛かった3年生の後期をやり切れたと思っています。きっと、就活をやらないでプロを目指したのもこの気持ちがあったからだと思います。残り2試合で親に恩返し出来るとすれば、自分が楽しくサッカーをしている姿を見せることだと思います。残り2試合も頑張ります。

以上、何だかんだ長くなってしまい申し訳ありませんがこれで終わりです。同期の皆、最後優勝して笑顔で終われるように残り2週間、悔いのない日々を積み重ねていこう!

次のブログは学生トレーナーの花田佑です。同期からの信頼も厚く、誰よりも頼れる男です。練習後の行動はまるでAIの様にいつも同じ行動パターンをしています。トレ室でストレッチしながらスマホを見ているのであれば、高確率で波の動画を見ています。そう、彼は生粋のサーファーです。お酒を飲めば、ステップを踏み出す変な人でもあります。そんな彼もきっとこの4年間で様々なことを経験してきたでしょう。どんなラストブログになるか今からとても楽しみです。乞うご期待!

《NEXT GAME》
11月16日(土) 関東リーグ戦 第21節 vs拓殖大学
@中台運動公園陸上競技場 14:00キックオフ

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