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今この瞬間が楽しくてしょうがない。(藤川裕章)

2016.11.06

藤川裕2こんにちは、4年の藤川裕章です。ブログリレーも終盤に差し掛かり、話のネタが他と被るんじゃないかと少し不安ではありましたが、案の定少し被ってしまうかもしれません。ただ、書くことは実は去年ぐらいから決まっていて、僕の大好きなサッカー、同期について書こうと思います。

いきなり同期の話に入るのも少し恥ずかしいので、その前に少し自分とサッカーの話をさせてください。
僕はサッカーを4歳の時から始めました。兄がサッカーをしている姿を横目に球を蹴り始めたのがきっかけでした。そこからサッカーは僕に何もかも教えてきてくれました。友達の作り方、仲間の大切さ、コミュニケーションの取り方、言語の壁の破り方さえも。ちなみに初めて悔し泣きしたのもサッカーで、初めて嬉し泣きしたのもサッカーでした。多分藤川裕章という人間のどこをとっても、サッカーがこびりついてくるでしょう。

最早愛してやまないそんなサッカーを、本当に嫌になったことが3回あります。それは高校の時に1度と、大学の時に2度です。全て怪我が原因です。高校2年生の夏に膝の前十字靭帯を断裂してから身体がおかしくなったのか、それまで全く怪我してこなかったにも関わらず、再断裂を繰り返してきました。この怪我はそれはそれは悪夢のようなもので、足が千切れたような激痛と共に、毎回車椅子から始まる1年間のリハビリがおまけに付いてきます。怪我の話を長々とは書きたくはないので、とりあえず死ぬほど辛かったとだけここに書いておきます。そんな怪我を大学1年の秋に(2回目)、そして復帰1週間前の大学2年の夏に受傷したわけです。さすがに2度目の受傷時には、さすがに3回目はサッカーをやめようと心に決めました。しかし、いざ3回目の膝の怪我をしてもこの部活に戻っていました。他でサッカーを続けることを何度も考えましたが、それでは全然自分を納得させられなかったのです。どうしても同期と大好きなサッカーがしたかったのです。同じように怪我に苦しむ選手、1日のほとんどをサッカーに充てる選手、同じ学校から同じ志で入部した選手、野心をひたすら燃やす選手、1年生の頃から憧れの舞台でチームの為に戦い続ける選手、己の信念をいかなる時でも貫く選手、向上心を持ってひたすら筋トレをする選手、ひたすら優しい選手、自分の大切なサッカーをやめてまで自分達の為に頑張ってくれる選手。僕の代には頼もしくて、強くて、いいやつらが沢山いたのです。そんなチームメイトから「頑張ろう」、「またサッカーやろう」、「待ってるぞ」なんて言葉をかけられ心底嬉しかったです。もしかしたら何気ない一言だったかもしれませんが、自分にとってそれらの言葉は積もり積もってもう一度頑張る原動力となりました。

正直なところサッカーを続ける大きな決断をしたのはいいものの、約1年間のリハビリは長く、3回目とあって余計に長く感じていました。しかし、グランドで切磋琢磨し合う同期の姿、関東リーグで戦う同期の姿を見る度に、負けてられないという悔しさを覚えながら、何度も勇気をもらいました。皆に支えられて、引っ張ってもらってようやく大学3年の夏に復帰を果たし、今日まで怪我で離脱することなくサッカーができています。

今も彼らに支えられていることには変わりません。というのも、僕は怪我してから毎日サッカーするのが怖いのです。サッカーが好きで好きでたまらないのですが、怪我したら一気に1年間もっていかれる爆弾のような膝を抱えながらプレーをするのが怖くて仕方がないです。今日が最後かもしれない、そんな風に思うのもいつものことです。雨が降ってピッチが濡れていたり、膝の調子が悪かったり、救急車の音が聞こえるだけでも実は今日怪我してしまうのではないかと怖がる自分がいます。しかし、グラウンドに行きトップチームの練習を見、同じチームの4年生が頑張る姿を見るといつの間にかそんな不安はどこかにいってしまいます。

最後の膝の怪我以降、1年以上続けてサッカーができているのは6年振りくらいでしょうか。今年はCチームのキャプテンを任され、Iリーグデビューを果たすことができ、更にはほとんどの試合に出ることが出来ました。結果として、チームとして目指していたチャンピオンシップには行けなかったものの、Cチーム初となる1部昇格を達成しました。僕にとってこの1年は4年間を締めくくる最高のものとなりました。これも全て今まで支えてくれた同期、ついてきてくれた後輩、そして治療を施してくださった社会人トレーナーの三浦さんのおかげだと思っています。

だから僕は今この瞬間が楽しくて仕方がないんです。大好きな仲間と大好きなサッカーを出来ることが。だから、少しでも長くこの仲間とサッカーがしたいというのが今の自分の願いです。あと残り1節、自力でインカレに出場するということは非常に難しくなってしまいましたが、僕は最後まで自チームの練習には手を抜かず、学生トレーナーとして出来る限りのサポートをします。自分が今まで支えてきてもらってきたから、最後まで自分なりに支えたいと思います。来週で終わらないように、そして終わらせないように。

今までの僕がどのように後輩の目に映ってきたかは分かりませんが、後輩に伝えることがあるとすれば、とんでもなく高い壁にぶつかった時は、とりあえず打ちひしがれずに、「なんとかなる」と歯を食いしばって努力を続けてみることです。それでも越えられない壁の時は、一回休んで周りを見渡してみてください。視野が狭くなっているだけで、周りには頑張ってる人が沢山います。その人達に弱音を吐きつつ、少しの勇気をもらいつつもう一度だけ頑張ってみてください。多分なんとかなるはずです。
とりあえずあと残り少し、みんなで頑張ろう。

《NEXT GAME》
11/12(土) 関東リーグ戦 第22節 vs桐蔭横浜大学
場所時間未定

自分の居場所(上田聖人)

2016.11.04

上田聖2

今回ブログを担当させていただきます、法学部政治学科4年、学連幹事の上田聖人です。

今回はソッカー部員として最後のブログになるということで、4年間の大学サッカーを振り返りながら、私が感じたことを素直に書かさせていただきます。

私は慶應義塾高校出身ということもあり、高校ソッカー部の学生コーチを希望して大学ソッカー部に入部しました。早慶定期戦や関東リーグに強い憧れを持ってはいたものの、高校時代に同じグラウンドで練習をしていた大学の練習を見て、自分の実力では絶対に試合に出ることが出来ないと感じたことが大きな理由でした。しかし高校の学生コーチになる為にも大学の練習に参加することが必須でした。そこで初めて大学レベルのサッカーに触れました。テクニック、スピード、フィジカル、何もかもが通用しなかったことを覚えています。その中でも試合に出場できる選手は一握りで、とても自分が活躍出来るような環境ではないと感じました。ただそう思うのと同時に、初めて「強豪」と言われるチームに身を置いてプレーしました。そこで感じたのは、自分はもっと成長出来るのではないか、学生最後の時間でサッカーに本気で取り組みたいということでした。当時自分が所属していたCチームのグラウンドマネージャーに相談をし、学生コーチとしてではなく1人の選手として入部することを決意しました。

しかし自分が考えていたよりも過酷な日々が続きました。サッカーで通用しないことはもちろん、部員としての自分の居場所を見つけられなかったことです。1年の時から関東リーグに絡み、すでに主力として活躍する同期、リサーチとして部のために自分の時間を割き、勝利に貢献する同期、様々な形でチームの力になろうとしている選手が沢山いる中で、私は自分の為にしか行動していませんでした。1年の頃はがむしゃらにサッカーに取り組み、チームを活気付けることが役目であったかもしれませんが、2年になればそうもいかず、何をすればチームの為になれるかを模索しながら、練習をしたり仕事をした日々が続きました。

ただこんな自分が変わることが出来た転機は、副務を選出するミーティングでした。すでにリサーチという役職に就きながら、さらに副務になり、チームの先頭でソッカー部という大所帯を引っ張っていく存在になりたいと宣言した冨田(現主務)がいました。単純に圧倒されました。かっこいいと感じました。同じ時間しかソッカー部員としての時間を経験していないのに、自分と冨田にはなぜ差が生まれてしまったのだろうと悩み、自分がなるべき存在を深く考えました。

辿り着いた結果は、サッカーを頑張りながらも仕事にも尽力し、さらにチームの為に積極的に行動することが出来る模範的な部員になることでした。幸運にも、副務の次に学連幹事を選出するミーティングがあり、私が学連幹事になることが出来ました。

自分は、学連幹事になって良かったなと今は思っています。関東リーグの運営を通して1、2年の頃とは違った形でリーグ戦に関わることが出来ました。リーグ戦が開催されている裏で多くの方がサポートしてくださっていること、大学サッカーに関わる人の多さを学び、またピッチで戦う部員に、何度も力を貰いました。正直学連幹事になってからの約2年間で、自分の中でプレーが上手くいかないことを仕事のせいにしたり、何の為に仕事をしているのだろうと感じたこともありました。それでも誰よりも声を出してチームを盛り上げている選手や、1人で自主練をしている選手を見て、選手を辞めコーチとして選手を指導するグラウンドマネージャーを見て、みんなの見えないところでみんなの知らない仕事をしているマネージャーを見て多くの活力を貰い、大学4年間を腐ることなく全力でサッカーに打ち込むことが出来ました。

また4年になりBチームの主将を任せてもらうことも出来ました。Bチームに4年が1人しかいないという寂しく辛い時もありましたが、慕ってくれる後輩や頑張っている後輩を見て元気を貰いました。真剣に今のチームに必要なことや弱点を考え、グラウンドマネージャーと共に働きかけをし、チームが一つになることが出来たと思っています。当初掲げていたIリーグ全国大会出場という目標を達成することは出来ませんでしたが、Bチームでの経験は私の財産となっています。

自分が高校時代に憧れを持っていた理想像とは違いますが、4年間という長い様で短い時間必死に考え行動し、辿り着いた自分の居場所は、選手、学連幹事どちらも全力でやることが出来る部員でした。この答えに後悔はありません。むしろ身に余る大役だと感じています。ただ昨シーズンはリーグ3位、今シーズンはインカレ争いと、チームの力になり切れず無力さを感じています。ただ私はこの土壇場に来て大きなチャンスをいただきました。憧れていたAチームに昇格し、プレーをさせていただいています。今こそ自分の役割を発揮しなければならない時です。インカレ出場を決め、全国の舞台へと進み、日本一を掴む為に全力でプレーに仕事に取り組み、今までにない最高の形で自分のサッカー人生に区切りをつけたいと思っています。

長く拙い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
残り2節、全部員で目標に向かって尽力しますので、ぜひ会場に足をお運びいただき、ご声援の程お願い致します。

《NEXT GAME》
11/5(土) 関東リーグ戦 第21節 vs筑波大学
@フクダ電子アリーナ 14:00キックオフ

慶應の伝統とは何か(川原一哉)

2016.11.03

川原

今回ブログを担当させていただきます総合政策学部4年、グラウンドマネージャーの川原一哉です。まず始めに、日頃より慶應義塾体育会ソッカー部を応援してくださっている全ての関係者の皆様方にこの場をお借りして御礼申し上げます。本当にありがとうございます。そして、皆様方の応援が日々私たち現役生の力と責任感に繋がっております。今後とも、よろしくお願い申し上げます。

さて、ソッカー部は先日の早慶戦を勝利したことによって1部残留が確定となり、より一層全日本大学選手権(インカレ)の出場に向けて全力を尽くすことの出来る環境が整いました。定期戦や天皇杯で早稲田に敗れ悔しい思いをしましたが、今シーズン最後の早慶戦に勝利したことは非常に意義あることだと考えております。そして私は、個人的にこの勝利は慶應ソッカー部の伝統を継承出来た瞬間だったと考えます。今回はこの慶應の伝統について、後輩に伝えたいことを書かせていただきます。

私がソッカー部に入部したシーズンは降格争いをしたシーズンでした。前期からなかなか勝利を掴めず、こんなにも関東リーグで勝つことは難しいのかと痛感しました。そして何よりも記憶に残っているのは、4年生の姿です。後期リーグも終盤にさしかかり、いよいよ残留が危うくなってくると4年生は頭を丸めて練習に参加していました。緊張感が部を包み込み、笑顔など一つない究極に締まった雰囲気が作り出されていました。学生スタッフを中心にそういった雰囲気を作り出し、試合に臨む準備をしていたのです。そうして背水の陣で戦い抜き、なんとか残留を決めました。

それから2年間、私たちソッカー部は他のチームよりも一丸になりひたむきにやらなければ勝てない、そういったチームなのだと考えるようになりました。「勝てないのは気持ちが足りないから」、「もっとチームが一丸にならなきゃいけない」、「仕事のミスを無くす」このような言葉が当たり前になっていました。そして今シーズン、関東リーグ優勝を目標に掲げて臨みましたが、その目標は達成出来ず、変更せざるを得ない結果になりました。仕事をミスしないようにする、チームが一丸となるようにマネジメントする、ひたむきにこうしたことを体現しようとしましたが、関東リーグ優勝は成し遂げられませんでした。

私は、この結果を受け止め考えた時にある問題に気づきました。それはそういったソッカー部の過去に頼っていたという問題です。確かにひたむきに締まった雰囲気で、ミスを無くし一丸になることは大切だと思います。ですが、だからといって試合に勝てません。逆に、これらが徹底できていない時に勝てる時もありました。つまり大切なのは、思考停止しないことだと考えます。ソッカー部は伝統があるチームだからこそ気づかないうちに思考停止に陥ってしまうと思います。「ソッカー部はこうやって乗り越えてきた」「一丸じゃないからソッカー部らしさが出ない」「粗相が出たから負けた」といった言葉を試合に勝てない時によく聞きますが、これらはソッカー部の伝統やソッカー部らしさではありません。その時々で先輩達が考えてきたチームの在り方です。その時のチームではそういったことを大切にしていたのです。しかし、今のチームにそれがぴったり当てはまることはまずありません。一人ひとりが違えば、チームは変わります。目標も変われば、マネジメントの方向性も変わります。ソッカー部の伝統は、考える力にあります。学生達が協力し合って問題を発見し、解決策を考え、それをチームに当てはめていく。その時々で異なる困難や環境に対して対応する。その積み重ねが今のソッカー部です。今回早稲田に勝てたのは、これが出来ていたからだと思います。

後輩に伝えたいことは、先輩達が築き上げてきた伝統というものを正しく解釈し、過去のマネジメントと混同させないでください。伝統は、学生が考えて行動することです。ミーティングやスタッフ決め、代替わり、スカウティング、これらに対してもその時々でやり方は変わります。自らの頭で考え、本当に問題なのは何なのかを見つけ、今のチームでどう解決するのかを考えてください。全国の競合も常に進化しています。大まかな特徴はあれど、変容しています。長い歴史の中で今に繋げてくださった先輩方の経験や意見を参考に、勇気を持って思う存分やりたいことをやってください。これが私が4年間で最も後輩に伝えたいことです。今回、早稲田に勝つことで少しだけ体現できたと思います。しかし、大学選手権に出場し優勝することでさらに後輩たちに残すものがあるのは言うまでもありません。自らの4年間と同期の為、後輩の為、応援してくださる方々の為、まずは必ず大学選手権の出場権を獲得します。応援宜しくお願いします。
PS.同期への感謝は全て終わったら伝えたいです。

《NEXT GAME》
11/5(土) 関東リーグ戦 第21節 vs筑波大学
@フクダ電子アリーナ 14:00キックオフ

サッカー(望月大知)

2016.11.02

望月2

こんにちは。今回ブログを担当させていただくことになりました、環境情報学部4年の望月大知です。
最後のブログということでこの場をお借りし、いまの想いを綴っていこうと思います。

「サッカーが大好きか?」

今の私にとって1番重い質問です。
私は小学3年生の頃、山梨の街クラブでサッカーを始めました。多くの指導者、仲間との出会いを経て、少しずつ成長していくことが出来た私は中学生の時に親元を離れ、静岡に住む祖父母の元で中高一貫校へ進学しました。
そこで私はこれまでの人生で1番辛い経験をします。ただでさえ親元を離れ生活する中、サッカー部の友人との関係で悩み、「サッカーなんか辞めたい」と何度も思いました。そんな私を救ってくれたのは家族はもちろん、1つ先輩の長谷川竜也くん(現・川崎フロンターレ)でした。私のことを気遣い、毎日練習後1対1のトレーニングに付き合ってくれました。何気無い自主練習が当時の私には想像以上に大きいものでした。今の私がサッカーをやる為の武器を手にし、続けてこられたのは「サッカーが大好きな」竜也くんの存在が大きかったと思います。

大学進学後、私はありがたいことに多くの試合に出場させていただきました。しかし先月の試合中、頭部を陥没骨折してしまい長期離脱を強いられ、今後の大学リーグへの出場、プロサッカー選手へのチャレンジも諦めざるを得なくなりました。私はサッカーが出来なくなり改めて、何度も辞めたいと思ったサッカーが私にとって掛け替えのない大切なものだと気付きました。

正直、昔の私なら今後、試合に出られない。だから悔しい、で話は終わっていたと思います。しかし今の私は違います。まだ一緒に戦いたい仲間がいるからです。怪我をした直後からたくさんの連絡、励ましの声を貰い、そのどれも1つひとつが私の支えとなり前を向く力をくれました。今度は彼らに私が力を与えたいです。

私はソッカー部に入り、4年間戦ったことを誇りに思います。
尊敬できる先輩方、可愛い後輩たちにサッカーを通じて出会えたこと。
信頼できる元貴、大、功治、力、哲平、浅井、聖人、勇太、げん、ヤヌザイ、川ちゃん、しんちゃん、石出、パナ、おび、純矢、ふじ、たいし、ポーちゃん、けいちゃん、こうたろう、かずき、翔馬、とみ、この最高の同期と目標に向かい全力で努力したこと。
最高のライバル、そして最高の友である溝渕雄志と一緒に戦ったこと。
これら全て忘れたくても忘れられない大切な思い出です。

みぞとは初めは正直気が合わないと思いました。規則に縛られるのを嫌い、安易な発言に苛立つこともありました。しかし一緒に戦い、きついトレーニングを一緒に乗り越え、私生活でも関わっていく中で最高の友に出会えたと思います。みぞは怪我の後少し経ってから、俺の分まで本気で戦う、と約束してくれました。みぞが時間を掛け選びに選び抜いた末に私に掛けたこの言葉を私は何があっても信じます。そしてこれからも1番の理解者であり続けたいです。

これまでの私のサッカー人生は多くの方に支えられて出来ています。
ただがむしゃらに突っ走る私を陰ながらに支えてくれた母。
サッカーをやる為に静岡に来た私を優しく迎え入れ育ててくれた祖父母。
自分の時間を割いて私の生活を助けてくれた姉。
私のサッカーを応援してくれる友人。
こんな私を熱心に指導してくださる慶應の社会人スタッフの方々。三浦さんには無茶なお願いを何度も解決してもらいました。
サッカーが出来なくなってやっと、本当の意味で私が普通にサッカーをすることが出来るのは当たり前じゃないと気付けました。本当に感謝しています。

私はプロサッカー選手になることは諦めました。しかし私の夢は終わりません。可愛い後輩たち、そして最高の同期とインカレに出場し、1番高い景色を見たいと思います。

そしてあとひとつ。

私はいつか竜也くんやみぞ、元貴、小学生の頃はうじうじしてたのに「大知くんの分までプロになる」と約束してくれた朋克、今後もサッカーを続ける仲間ともう一度、プロの世界じゃなくとも同じピッチで共に戦いたいと思います。サッカーを続けていればいつかきっと叶うと信じています。

「サッカーが大好きか?」
「私はサッカーが大好きです」

拙い文章で申し訳ありませんが最後までお読みいただきありがとうございました。関東リーグ残り2節まずはインカレ出場に向けて全力で邁進していきたいと思います。ご声援の程、宜しくお願い致します。
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《NEXT GAME》
11/5(土) 関東リーグ戦 第21節 vs筑波大学
@フクダ電子アリーナ 14:00キックオフ

ずっと僕の相棒(溝渕雄志)

2016.11.01

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毎年恒例の4年生ブログリレー。
最高の同期に向けても、可愛い後輩たちに向けても僕から伝えたいことは山ほどありますが、その多くは皆が書き綴ってくれているので、僕はここでは書きません。
私のソッカー部員として書く最後のブログは、大好きな相棒、望月大知について書くことにします。
そして、これは僕の決意でもあります。お時間の許す限りお読みいただければと思います。

 

大知はずっと僕の相棒です。

大知と僕は1年次の第2節、早稲田大学戦で共に関東リーグデビューを果たしました。その年の早慶定期戦にも共にスタメン出場しました。前期開幕4連敗、後期開幕5連敗と苦しい残留争いの中、最後の最後までディフェンスラインで共に闘いました。それからというもの、僕の大学サッカーは常に大知と共にありました。シーズンの終盤に自分たちの未熟さを痛感してからは筋力トレーニングを始め、トレーニングの時間を合わせては一緒に鍛えてきました。2年次にはチームで徹底されたカウンターサッカーを展開する上での一翼を担い、5月には二人揃って全日本大学選抜候補にも選出されました。3年次の前期には僕が酷いスランプに陥りました。中々抜け出せない僕を見て、冷静にアドバイスをくれるのはいつも大知でした。後期にはスランプを脱して伸び伸びとしたプレーが出来、どんどん結果が出るようになりましたが、あれも大知のお陰です。それは4年生となった今シーズンの前期も同様でした。開幕から期待に応えられないプレーを続ける僕を見て、「後ろを気にし過ぎ。後ろはいいからもっと高い位置にいけ」と一言、背中を押してくれたのは大知です。同時期に同じ個人トレーニングに通い始め、共に食事制限に取り組んできました。試合前にはルーティーンと言っては一緒に買い物に行き、オフにはチートとして美味いハンバーガーを探して食べに行きました。試合開始前の円陣の時、最後にハイタッチをするのはいつも大知でした。僕の大学サッカーは大知と共にありました。

サッカー外、ミーティングや仕事面でも大知の影響は大きかったです。入学当初、サッカー漬けの高校生活を過ごしてきた僕にとって、自分以上に努力しない人間にああだこうだ言われる筋合いは無いという態度は自然なものでした。理解し難い規則には反発し、勝手に守らないこともありました。その僕に対して個人的に注意をしてくれたのは大知です。優しくて、いつも僕の考えに頷いてくれる大知だからこそ、自分よりストイックな一面があると僕が認めていた大知だからこそ、大知が言った注意は素直に、時々態度は素直ではない時もありましたが、心で受け入れることが出来ました。大知がいなかったらここまで(今でも少し怪しいかもしれませんが..)ソッカー部の一員として多くを学び、成長出来ていなかったように思います。僕の大学サッカーは大知と共にあったのです。

サッカーにおいても、サッカー以外においても、大知がいたから僕は成長出来ました。

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でも、大知は先日のリーグ戦(国士舘大学戦)で大怪我を負い、今シーズン中に復帰することが絶望的となってしまいました。その悲報を本人から電話で聞いたときには頭が真っ白になり、思わず電話を切ってしまいました。それ程動揺しました。なぜ、大知なのかと。なぜ1年の頃から一緒に頑張ってきた大知なのか。なぜ共に必死にプロを目指していた大知なのか。なぜ人一倍努力していた大知なのか。なぜ大知なのかと。表では怪我をいじっていましたが、それはただ悲しく受け入れ難かったからです。明治戦も法政戦も、大知の5番のユニホームを下に着て出場するなんてことは出来ませんでした。このチームの誰よりも大知がサッカーを出来ないことが悲しかったからです。僕の中で、大知の代わりは誰にも務まりません。

それでも大知は「まだ皆とサッカーしたいからインカレに連れて行ってくれ」と言いました。今、僕は腰の状態が悪く、思うようにプレー出来ていませんが、必ずチームに戻ります。大知が連れて行ってくれと頼んだら、何が何でもインカレに行きます。勿論、この想いは僕だけではないはずです。同期、後輩、皆が大知の想いを背負って闘います。だから、まずは必ずインカレに行きます。インカレに連れていきます。それが僕に課された使命です。

 

そして最後に、決意を書かせて頂きます。

 

僕はサッカー選手である限り、大知の分までピッチで闘い続けます。綺麗事ではありません。本気です。
どんなスランプに陥ろうと、どんな怪我に悩まされようと、残りの大学サッカー、そしてプロの世界に行ってからも、弱音など吐くこと無く走り続けます。怪我の後、大知は自分の辛さを押し殺して、すぐにチームのサポートを始めてくれました。僕が大知の立場ならグランドにも行きたくなかったと思います。そんな大知に、僕が生半可な覚悟でサッカーをやっていては合わせる顔がありません。サッカーを続けられる権利がある以上、誰よりも闘い続ける義務があると、僕は思っています。これを読んで大知はそんなことないと言うかもしれませんが、これは自分で自分に課す義務です。プロ選手になる以上、そこに立ちたくても立てなかった人の分まで闘う使命があります。それが相棒なら尚更です。
そして現役を引退する最後のときに、胸を張って「大知のお陰でここまで闘って来られた」と言えるように。それが僕の決意です。

 

大知はずっと僕の相棒です。

 

本当はもっとスマートでまとまった文章を書くつもりでしたが、酷く感情的になってしまいました。読みにくい点が多々あったと思いますが、最後まで読んでいただいたことに感謝致します。ありがとうございました。

《NEXT GAME》
11/5(土) 関東リーグ戦 第21節 vs筑波大学
@フクダ電子アリーナ 14:00キックオフ

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