2025.06.16 部員ブログ
「SAITO」(齋藤大斗)
平素より大変お世話になっております。総合政策学部2年の齋藤大斗と申します。
早いもので入部が決まってから1年以上が経ちましたが、最近私へのいじりが何故か加速しているように感じます。真生(2年・横河武蔵野FC U-18/成蹊高)がいることで緩和されてはいるものの年齢が1つ上であること、そして私の容貌に関すること。大下くん(4年・東京ヴェルディユース/慶應義塾高)、presidentはやりすぎです。
先日、突如としてInstagramに現れた成貴さん(3年・浜松開誠館高)の徒然文を見て何か小難しいことを書かなければならないという気持ちにさせられましたが、飾らず自分なりに綴ろうと思います。拙い文章ではありますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。
文武両道──
私がまだ小学生の頃、とあるテレビ番組の特集で武藤嘉紀選手(H27卒)が紹介されていました。サッカー漬けの幼少期を過ごす中で学業にも一切手を抜かず、難関大学在学中に日本代表にまで登り詰めた。そのような栄達を羨望する子供の1人であった私は、ここで初めて慶應義塾大学という大学に興味を持ちました。いつか私も学問においても武道においても擢んでて尊敬の対象となるような存在になりたい。漠然とではありますがそのように考えるようになりました。
偉大な先輩──
目標が抽象から具体的なものに移り変わったのは中学2年時です。中学から高校までお世話になったFC町田ゼルビア・アカデミーでは、以前Jr.ユースからユースの選手までが一堂に会し卒団式が執り行われていました。そこでの卒団生からの講話で突出して印象に残ったのが後にソッカー部で10番を背負うことになる齊藤滉くん(R5卒)のお話です。「多くの皆が遊びにいってる中でも自分は欠かさず勉強した。」ユースのレギュラーとして活躍されていた滉くんからの言葉ということもあり、並大抵の努力、覚悟で成し遂げられる次元の併存ではないことを認識させられました。一方で、大きな障壁である程達成した時の愉悦は計り知れず、そこに対して燃えることのできる気質を持ち合わせていたため、これを機に私は事ある毎に慶應の名前を口にするようになります。
最も謝する人──
そして完全に進路を固めたのは高校2年時です。ユースの監督やコーチと面談をする中で、複数の選択肢がありましたが慶應を受験することに決めました。決め手となったのは1個上の先輩であった齋藤真之介(4年・FC町田ゼルビアユース/都立桜修館中等教育学校)との談論でした。彼はサッカー以外のことを特段考えているようには見えませんが、実際には1番将来設計から逆算して動いている人です。何か行き詰まったことがあれば相談するようにしていましたし、なにより私が成したいことを先に為遂げてくれるため、私は実現可能性など一切考えずただ実践するのみでした。私自身の怠慢によって1年遅れてしまいましたが入学できたのは真之介がいてこそだと思っています。
こうして私は雄偉な2人の先輩からの刺激もあり、現在ソッカー部で闘うことができています。町田ゼルビア・アカデミーでSAITOの名を冠するものは必ず慶應に進学しなければならない、真之介が入試に合格した時から勝手に自分にそう課していましたが、なんとか無事系譜を継ぐことができました。(今後後継者が現れましたら私が承ります。)
しかしながらこの部の一員になり関東リーグ戦に出場させていただいたものの、今の私は何も成し得ていなければ貢献もできていません。
今の自分、チームに足りないことは何か。上進には何が必要か。—不完全を自覚した上でより良くなるために奔走する—自分にしか表現できない価値を見出し、慶應を勝利に導ける存在に必ずなります。
最後までお読みいただきありがとうございます。
今後共、ソッカー部へのご支援とご声援の程、よろしくお願いいたします。
《NEXT GAME》
未定