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「最幸のサッカー人生」(田村祐二朗)

2022.11.11

平素より大変お世話になっております。

今年度、主将を務めさせていただきました、環境情報学部4年、田村祐二朗です。

 

秀太、紹介ありがとう。

サッカーを辞め、コーチに転身し、組織に尽くし続けてくれたこと、改めて、本当にありがとう。いつだって、秀太の存在が自分自身の原動力だった。

右膝の大怪我を患い、やっとのことでピッチに返り咲き、ステップやスプリントの度にハイタッチをしてくれたこと、正直めちゃくちゃ嬉しかった。またピッチで、秀太のために戦える。それだけで充分に、死ぬ気で走る理由になった。

本当に多忙で、気を抜く時もなかったと思う。お疲れ様、また今度、お酒でも飲みながら、怒涛のソッカー部生活を笑い話として語らおう。

 

卒業ブログのアンカー、重役。

毎年、偉大な4年生の生き様が、言葉として残るこの企画は最高に楽しみでした。先輩方の言葉に幾度となく救われ、苦境から這い上がる原動力としてきました。

仲間の繋いできたバトンを受け継ぎ、来年に引き継げるよう、本気でサッカーと組織に向き合い、もがき、苦しんできた、そのありのままの感情と想いを綴ります。

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ソッカー部人生も遂に、終焉の時——————。

文字として書き起こすには圧倒的に物足りない程、素晴らしい経験をさせていただいた。

最高の人々に囲まれ、最高の時間を過ごし、最幸の財産を手に入れた。

改めて思う。幸せな4年間だった。

振り返ると、まさに、あっという間。

それでも、当時の感情や葛藤を思い返せば、あまりにも濃密で、充実したソッカー部人生が蘇ってくる。

特に、主将として戦った今シーズンはやはり、特別だった。

様々な状況に直面し、悩み、考え抜いた一年間。

思えば、あの日から、激動のラストシーズンが幕を開けた。

 

2021年 10月30日 

関東一部残留に向け、絶対に勝たなければいけない、拓殖大学戦。

チームは早慶戦の逆転勝利から勝ち星を重ね、奇跡の大逆転残留へ、最高の雰囲気で最終節を迎えた。

何が何でも勝ちたかった試合、人生で最も勝ちたいゲームだったと言っても過言ではなかった。

しかし、結果は1-2での敗戦。試合終了のホイッスルと同時に、関東二部への降格が決定した。

大好きで仕方なかった4年生、一年間を通し、彼らには最後に笑う資格があったように思う。その力になれなかったこと、自分の無力さに涙が止まらなかった。

試合後の4年生の表情、雰囲気、監督の言動、全てが脳裏に焼き付いている。

降格という屈辱を受け止め、4年生から引き継いだ、ソッカー部の魂。

来年は必ず、自分がチームを最前線で引っ張り、関東一部の舞台へと帰ってこよう。そう心に強く誓った。

どんなに苦しくても、辛くても、あの感情だけは味わいたくない。

その一心で、どんな苦境に立たされようと、あの情景を思い返し、力強いリバウンドメンタリティの根源としてきた。

 

改めて、関東一部という舞台を経験できたこと、その過程に携わっていただいた全ての先輩方に、心から感謝しています。

 

新チーム始動。

徐々に学年内で始まった主将決め。

自分がやらなければいけない、それは分かっていた。降格という瞬間を、ピッチ上で迎え、痛感した、途轍もない悔しさを、あの場にいることができなかった大半の部員に伝え、組織を先導していかねばならない責任があった。

いざ、投票日。同期の全部員が自分に票を入れてくれた。

それだけでも、主将として、ソッカー部のために“全てを捧げる”、そう意気込むには、充分すぎる理由になった。

怪我だけはせず、一年間を通してピッチに立ち続け、絶対的な存在になる。

苦境こそ輝ける、そんな選手への変貌をし、伝統ある組織の将軍として、最前線を直走る覚悟を決めた。

 

監督からは、重責と期待が存分に詰まった、慶應の背番号「14」を託された。

昨年のエースが3年間背負った、重すぎる背番号。

それでも、こいつに「14」を託して良かった、はしけん(R4卒)には、そう思ってほしかった。だからこそ、ピッチ上で自身の価値を証明する。ただ、それだけだった。

 

リーグ開幕前には、大学入学時の目標であった、デンソーカップに関東選抜Bとして出場した。

ピッチ脇には、タッチラインを埋め尽くす程のスカウト陣。

プロサッカー選手という舞台が近づいた、その実感を強く持ったことを覚えている。失うものなどなく、限界への挑戦、まさに心躍る舞台だった。

だが、衝撃的だった。歯が立たなかった。

チームは優勝するも、圧倒的な劣等感と悔しさを抱いた。

しかし、この経験こそ、自分のプレーを劇的に変える原点となった。

相手にとって怖い選手を追求し、攻撃の選手として、徹底的にゴールへ向かう姿勢を磨いた。ボールを持てば、前へ、前へ。とことん仕掛ける。次第に自信も芽生え、目に見える結果でチームを救う選手になれつつあった。

これぞ主将、これぞ、慶應の「14」である。

このパフォーマンスが続けば、プロという夢が叶うかもしれない、そう信じて、一日一日を徹底的に拘り抜いた。

チームもリーグ開幕後、首位を快走し、雰囲気も最高だった。

そんな順風満帆の日々、コンディションは最高潮に達していた時だった—————。

 

2022年 6月5日 

物凄い衝撃と甲高いポストを弾く音。

手を添えた右膝は、原型を留めておらず、指がのめり込む感覚があった。一瞬で涙と叫び声が止まらなくなった。痛みなのか、動揺なのか、今でもよく思い出せない。ただ、鮮明に覚えているのは、自身の膝に何かが起きたことを悟り、引退の二文字が頭を過ったこと。

こんなにも、呆気なく、一瞬で終わるものなのか。

 

救急車に乗せられ、車の中から試合終了のホイッスルを聞いた。

直後、監督や仲間が真っ先に救急車に駆け寄ってきてくれた。あの時、なんて言ったら良いか、どんな顔をしたら良いか、正直、何も考えられなかった。皆には自分の姿がどう映ったのだろうか。

 

沈黙の救急車。

一番近くで支え続けてくれた母親や泣きながら側に寄り添ってくれた同期、仲間の姿が脳裏に浮かんだ。それでも、涙は出なかった。ただただ、情けなかった。ピッチに立てないことは、主将としての責務を全うできないことを意味し、主将失格だと考えていた。まさに、自分自身への失望だった。

 

病院に到着し、暫くして、右膝膝蓋骨の骨折を告げられた。

直後、監督との電話。涙は堪えられなかった。存分に期待され、チームを任された今シーズン。その期待を思いっきり裏切ってしまった。2019年に間近で見た、監督の胴上げを、自分の力で手繰り寄せられない。その事実が本当に辛かった。

 

手術成功後。

さらに重くのしかかる、膝蓋腱の部分断裂を言い渡された。

骨折だけでなく、腱の断裂は完全復活に半年以上を要する。紛れもなく、引退を意味するものであった。

 

この瞬間から、奇跡を起こすための長く、辛いリハビリが始まった。

曲がらない膝、日に日に細くなる太腿。光が見えなかった。もう一度、プレーしている姿は一向にイメージできなかった。

不意に溢れ出てくる涙を必死に隠しながら、電車に揺られたこともあった。

現実逃避して、全てを投げ出したくなる瞬間も多々あった。

本当に戻れるのか?もう、間に合わないかも。

受傷日から毎日のように書いている怪我レポートには、弱音が並んだ。

 

何度も立ち止まりかけた、何度も諦めかけた。

それでも、奇跡の復活を信じ、前に進むしかなかった。何があっても絶対に、諦める訳にはいかなかった。

 

自分には、絶対にピッチに戻らねばならない理由が二つあったから。

一つ目が、「プロサッカー選手」という幼少期から追い続けてきた夢に、半ば強制的でも、区切りをつけたかったから。

いつからだろうか。

プロサッカー選手になることを考えることから逃げるようになったのは。

度重なる怪我で、苦しみ続けた高校3年の時か。

慶應のソッカー部に入部した瞬間か。

幼少期から抱き続けてきた夢だったはずなのに、いつしかこの夢は、自分自身の中で野望ではなくなっていた。

ソッカー部に入部したことで、ある意味、将来の選択肢は無限大に広がったからこそ、追い続けていたものが見えなくなってしまっていた。

 

実際に就活をしている時には、プロは諦めたつもりだった。いや、無意識に考えないようにしていたのだと思う。

“そのレベルでやっていて、プロは考えないの?” 

幾度となく投げかけられるこの質問に、“区切りを付けました”と、当たり前のように定型文で返す。これは絶対に、本心ではなかった。

その歯痒さ、違和感を感じながらも、社会人になるという現実が身近に感じられなかったからか、当時の自分を正当化するのに必死だった。

 

しかし、内定式にて、内定承諾書の記入の際、不意に涙が溢れ、自分でも驚く程ペンが進まなかった。

あの時から、本当にこれで良いのか、後悔しないのか、何度も自問自答した。サッカー選手ではなくて、ビジネスマンになる覚悟を固めていたはずなのに、いざ、その現実に直面した時、逃げていた本心と対峙せざるを得なかった。

サッカーが好きな気持ちは童心のままで、どんなに辛く、苦しい経験を経てもなお、その心境は18年間、一ミリたりとも揺らぐことはなかった。

まだまだサッカーがしたい、自分の限界に、可能性に挑戦したい、やっぱりその気持ちからは逃げたくなかった。

 

それでも、右膝に人工物が入り、前の感覚に戻ることが難しく、怪我と隣り合わせの毎日を過ごす中で、本気のプレーができない自分に出会った。

あぁ、もう戻れないだろうな。一歩が出てこない、止まれない、跳べない。

好調時のプレーを何度も見返しては、自分のはずなのに、まるで別人に見えた。

どう足掻いても、もがいても、自分の動きに嫌気が刺した。

そう、サッカー選手としての正真正銘の限界を感じたのだ。

 

呆気なく、儚すぎた。

唐突な大怪我だったからこそ、引退の実感なんて、湧くはずもなかった。やり残したことだらけで、ピッチ上には後悔が残っていた。

こんな状況では、プロサッカー選手としての夢を引きずることになってしまう。

 

だからこそ、もう一度、もう一度だけで良いから、ピッチに戻りたかった。

引退という瞬間まで、存分にサッカーを楽しみ、仲間と最高の瞬間を共有したかった。

たとえ身体が動かずとも、最後まで足掻く姿勢が、夢の引き際と考えるには残酷な程、相応しいものであり、第一線から退くべき瞬間だと考えた。

 

二つ目が、自分自身が苦しい状況の中、応援し、支え続けてくれた人々へ、もう一度、黄色のユニフォームを身に纏い、戦う姿を見せる、チームを勝たせることが、一番の恩返しであり、最大限の感謝の表しだと信じていたから。

 

手術直後、必死で痛みに耐えながら観戦した前期の中央大学戦、日本体育大学戦、立正大学戦。

どんなに痛くても、あの時間は至福の時間で、皆のサッカーが、立ち上がる勇気をくれた。真っ暗だった日常に、一筋の光を照らしてくれた。

 

夏は本当に苦しくて仕方なかった。

全く試合に勝てず、地面に突っ伏し、ピッチ上で涙を流す同期。

どれだけサポートしても、その努力が結果として報われないコーチ陣。

そんな仲間の姿を側で見ていながら、チームを救えない自分の無力さに苛まれる日々。

 

主将がピッチに居ないからこそ、太壱、滉、晋作には色んな重圧を背負わせてしまった。本当にごめん。俺が居たら、自由にプレーできるだろうな、何度そう思ったことか。苦しい時、同じピッチで、同じユニフォームを着て、共に苦しめなかった。今すぐ彼らの負担を減らしてあげたかった。どんな境遇だろうと、逃げずに、最前線で引っ張ってくれた、その背中には本当に感謝しているよ。

 

シーズン目標を“一部昇格”から“二部残留”へと下方修正。

正直、これだけはしたくなかった。一刻も早く、ピッチに帰り、チームを再び勝たせないといけない、より一層、その想いが強くなった瞬間だった。

 

そんな覚悟とは裏腹に、右膝は容赦なく悲鳴をあげる。

焦れば焦る程、復帰は遠のき、逆戻り。

前に進まない状況は焦りをさらに募らせ、気がつけば、10月の連戦が始まった。残された時間も少ない、もう、やるしかないと思った。

 

全治半年以上、完全復帰は4ヶ月半…怖さはあった。

翌日の筋肉痛に怯える日々。毎日が試練だった。それでも、とにかく毎練習が楽しくて、“普通”に練習している。それだけでも嬉しかった。いつ、もう一度腱が切れても、絶対に後悔しないような準備をした。このサッカー人生を締め括る3週間、この先の何十年の人生に変えてでも、本気で走り、慶應のために戦い抜きたかった。それくらいの覚悟と決意を持って、毎日を送っていた。

 

しかし、神様は残酷だった。

10月末、中央大学戦前、復帰戦となる紅白戦で再度負傷。

週末のメンバー入りを監督から示唆され、やっと、やっと皆の下に帰れると思っていた。

毎日が試練、覚悟していたはずなのに、いざ、事実に直面すると、耐えられなかった、悔しくて堪らなかった、所に帰って、馬鹿みたいに泣いた。

それでも、紅白戦前、監督をはじめとしたメンバーとグータッチをしたこと、試合前の円陣ができたこと、全てが新鮮で、鮮明に記憶に残っている。当たり前じゃなかった。全てが幸せな瞬間で、忘れることのない景色だと思う。

些細なことだったけど、こんなにも嬉しいものなのだと痛感した。

もう一度、そんな幸せな瞬間を味わい、チームを救いたい。

なんとか踏ん張った、ここまで来たのだ、諦める選択肢など、どこにもなかった。

 

2022年 11月6日

待ち侘びた舞台が訪れたのは、絶対に勝たなければいけない、東海大学戦。

ここぞ、という正念場で、帰って来られた。

ある意味、ストーリー性はあって、用意されているようなシナリオのような気さえした。

先制点を許し、迎えた85分、一点ビハインド。

残る交代枠は一枚、廣田と自分の名前が呼ばれた。

不思議な感情だった。

待ちに待った舞台で、嬉しくてたまらない気持ちと、何としても点を取らねばならない焦り。

それでも、ひっくり返す自信があった。

俺がいれば勝てる、点が取れる、雰囲気を一発で激変させられる。

 

名前が呼ばれ、スタッフやベンチメンバーが力強く送り出してくれた。

監督の言葉、自分を信じること。

その強い想いを胸に、ピッチへと足を踏み入れた。

 

平常心を装って、必死に涙を堪えていたけど、実は涙が止まらなくなりそうだった。

待ち侘びた舞台、また戻って来られた、それだけで感無量だった。

それでも、泣く訳にはいかなかった。

記念出場ではなく、主将として、チームを勝たせる役割を与えられていたから。

そんな痺れる戦況でも、自分を心から信じ、ピッチに送り出していただいた監督、グラマネ、学生コーチに恩返しがしたかった、自分の価値を証明したかった。

 

出場から僅か一分。揺れるスタンド、割れるような歓声。

これぞ、下田。これぞ、慶應。

 

サッカー人生で一番嬉しい瞬間だった。

この一瞬のためにサッカーをやっていた、最後にこんな最高の瞬間に出会えたこと、本当に幸せ者だった。

 

今年のチーム作りは上手くいっていたようで、上手くいっていなかった。

それでも、一体感は目を見張るものがあり、あの同点ゴールの瞬間の皆の喜び様を見た時、年間を通してのチーム作りが少しは肯定されたように感じた。

この一点にどんな意味があるか、全ての部員が、その“一”に大きな意味を感じていたように思う。

シーズンスローガン、For Oneとは、一瞬の歓喜のために、全てを捧げることで、全部員がその体現者となったような瞬間だった。

 

試合後に涙ぐんだ監督、蓮のアツイ涙を見た時、やってきたことは間違ってなかった、這い上がって来られたことを実感した。

そして何より、もう一試合、何としても、死ぬ気で。この仲間と本気で勝ちたい、そう強く決意した。

 

「一人の人間として、ソッカー部の先輩として、こんなに感動したことはない。」

試合後の監督からのメッセージ。監督とは4年間、本当に色々あった。何度も迷惑を掛けた。それでも何度もぶつかり、自分の人生を変えてくださった。

だからこそ、いつか監督が退任する時、真っ先に、“こんなやつを育てられた”と思われるような部員になりたいと考え、突き進んできた。

そんな、誰よりも組織に尽くす方に、感動を与えられたこと、嬉しくて仕方なかった。

あと一試合、必ず勝って、結果で4年間の恩返しをしてみせる。

 

 4年目にしての、この大怪我は総じて、不幸ではなかった、試練だった。

この怪我をしなければ見られない景色もあれば、体感できない感情も、築けない人間関係もあった。

苦しむことにも、やっぱり意味があった。

尊敬する大先輩の言葉は、決して間違っていなかった。

 

 結果的にプロにはなれなかった。その現実からは絶対に逃げない。

それでも、最後の瞬間まで、決して夢の実現を諦めなかった自分を誇るべきだと思う。18年間のプロを目指す過程は、本当に価値のあるものだった。

きっと、夢を掲げ、サッカーに明け暮れている幼少期の自分にも胸を張って、ビジネスの道へ進むことを報告できる。

もう、後悔は残っていない。サッカーよ、18年間、本当にありがとう。

 

奇しくも、勝てば残留決定は、去年と同様の状況である。

あの日味わった屈辱的な悔しさが、今年のチームの真髄にはある。

昨年の先輩方の想いも背負って、必ず借りを返してみせる。

 

思えば、3年半前、関東二部リーグの開幕戦、日体大グランドで、自分の大学サッカーの物語は幕を開けた。

偶然にも、サッカー人生最後の試合も日体大グランド。

あの地で始まった、激動の物語は、あの地で終わらせる。

 

俺が必ず、慶應を勝たせる。

主将としての生き様を、価値を必ず証明する。

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全部員へ

こんな怪我ばかりで、チームを救えない、情けない主将を信じ、一年間、共に戦ってくれたこと、本当にありがとう。

チームが、慶應が苦しい時こそ、俺が救うと意気込んでスタートしたラストイヤーも気が付けば、自分が皆に幾度となく助けられたシーズンになってしまった。本当にごめん。

仲間の笑顔が心の支えにあり、仲間の苦しみは自分の苦しみでもあった。

だからこそ、仲間の笑顔が見られない、怪我をしてからの数ヶ月は、本当に辛い日々だった。それでも、めげずに、前を向き、挑戦し続けてくれた姿には、本当に多くの勇気を貰ったよ。

今か今かと、自分の復帰を待ち侘び、大歓声の中、下田で迎えてくれたこと、あの瞬間は一生涯、忘れることはないと思う。

皆が自分を待ち続けてくれたように、実は誰よりも、自分が皆の下に帰れる事を楽しみにしていたよ。

皆の存在が、這い上がる活力だった。

欲を言えば、もっと皆とサッカーしたかった。喜びを共有したかった。

昇格という歓喜を、全員で味わいたかった。

皆が何を感じて、どうシーズンを振り返るのか。それは分からないけど、このチームの主将を務め、共に戦えたことは、人生における最大の財産です。

本当にありがとう。

 

愛しき後輩たちへ

3つだけ、伝えたい。

一瞬で、当たり前の日常は、消え去る可能性がある。

歩けることも、走れることも、仲間とサッカーすることも、部室で他愛のない話をすることも…全て。

今を、その一瞬一瞬を大切に、噛み締めて、時を過ごして。

いつ大怪我をしても、もうやりきったかな、と思える日々を送って。

毎日、自由にサッカーを楽しめることに感謝して、思いっきり楽しんで!

それが後悔のない、最高の4年間を作り出すと思うよ。

特に、大怪我を経験し、痛い程、この感情が理解できる天風、春哉。塩や雄大を支えてあげてね。

 

学年で選出する、学生スタッフ、そして学生コーチ陣。

彼らは思ったよりも、組織に尽くし続けています。

自分の時間を削り、ソッカー部や皆のために身を粉にしています。

これだけは忘れないで欲しいのは、彼らにとっての一番の喜びを選手自身が作り出せること。試合に勝つこと、努力してカテゴリーを昇格することなど、各々の努力と奮闘次第で、彼らが報われる。そんなやりがいは中々ないと思う。

誰かのために戦える漢は何倍も、何十倍も強いはずだよ。

 

最後に、納得いかないことも、理不尽なこともあるかもしれない。

ただ、一回受け入れて、自分の中で落とし込んで考えて欲しい。

その姿勢が今後、全ての方との出会いに意味を見出せるきっかけになるから。

自分に強く働きかけてくれる人は貴重な存在であり、色んなことを気付かせてくれる。相手に強く言えるのは、自分が誰よりもやっているから。

その背景が見える人も見えにくい人もいるけど、その背景に目を向けようとすることは凄く大切で、その人の奮闘が知れれば、自ずとそういう人への感謝はもちろん、存在の重要性に気付くと思う。

全ての方にリスペクトを持って接し、どんな立場でも、相手から学ぶ姿勢を忘れないこと、これが大切だと思う。

ソッカー部にはそういう事象が数多く転がっている。

早慶戦や日々の関東リーグやIリーグなど、自分が見えないところで、必死になって働いている人が大勢いる。これを当たり前にせず、彼らの貢献を知りにいこう、目を向けよう。これが、自身の最大のパワーの根源になるはずで、学生主体を掲げるソッカー部において、土台となるような側面だと思う。

俺らで必ず、関東二部は残すから。

来年こそ、今年果たせなかった目標を、俺らの分まで成し遂げてね。

皆のことが大好きだよ。自称可愛い後輩、柳瀬を筆頭に、本当は全員の名前を挙げたいけど、大変なことになるから辞めておくね。レフティー勢には特に期待してる!悪魔の左足、継承よろしく。

 

同期へ

主将決めの時、満場一致で票を入れてもらったこと。

物凄く嬉しかったし、この同期のために尽くし、この同期と共に、ソッカー部を背負おう、そう強く思えた。

頼りない学年のリーダーだったと思う。それでも最後まで共に歩めて、心から幸せだった。これからもずっと、よろしくね。

 

未来の学生スタッフへ

“学生の中のトップダウンが組織のボトムアップを築き上げる”

監督の言葉に、探し求めていたマネジメントの根源が集約されているような気がする。

何も言わないこと、厳しく接しないことは、彼らが主体的に変わる契機を奪うことであり、新しく組織を良い方向に持っていける、そんな可能性を潰すことであると思う。

嫌われてもなんでも良い、そこを拘らない限り、組織は変革していかない。

 

俺はこれが、絶望的にできなかった。

ボトムアップを追求するあまり、組織の緩さに気付けなかった。

嫌われることを恐れ、強くぶつかれなかった。

 

何も言わないで、背中で感じられる人はそう多くない。

引っ張るなら、言動と背中で、双方向から示さないといけない。

そして何より、スタッフが示しをつけること、そこだけは絶対にぶらすな。

ソッカー部の価値は、学生スタッフの価値と言っても過言じゃない。

皆に選ばれ、後押しされた役職。自信を持って、頑張って!

 

マネージャーのみんなへ

練習後には、何度もマネ部屋にお邪魔しました。ごめんね。

今思えば、あの時間が、自分にとっては息抜きになっていて、大切な時間だったように思う。

一見、地味だけど、組織の根幹を支え続ける役割。

やらないと組織が回らない、必要不可欠な存在。

そんな大役を背負い、プレイヤーズファーストを掲げ、サッカーに存分に没頭できる環境を整え続けてくれたこと、本当にありがとう。

胸を張って、楽しんで。ずっと、応援してるよ!

 

景、秀太、横幕、三浦、蓮、健翔、笹、創太へ

スポットライトを当てるべき存在こそ、このメンバーだと思う。

日の目を見ずとも、ただひたすら、勝利だけを追い求め、行動し続けてくれた。

その勇姿は自分だけでなく、多くの部員にとって、凄まじい力になっていたと思う。ラスト、全てが報われるよう、ピッチに立つ選手は全力を尽くす。

最後まで、力強く後押ししてくれ。必ず、笑って終わろう。

 

テツさん、宮内先生、島先生、内藤さん

全治半年以上の大怪我、その怪我を乗り越え、再びピッチに帰ることができたのは、紛れもなく、4人の方々の存在が側にあったからです。

何度も弱音を吐きました。その度に受け止め、力強く背中を押してくださいました。感謝してもしきれない程、お世話になりました。

最後に本気で戦う姿を見せることができたこと、本当に良かったです。

心から、ありがとうございました。

 

社会人スタッフの方々

本当にお世話になりました。

上手くいかない時、苦しい時、どんな時も支えてくださいました。

期待を上回るような活躍ができず、申し訳なく思っています。

それでも、全ての方々との出会いが、貴重なものであり、自分の財産です。

特に、淺海監督。最後に点を決めて、監督の下へ走っていきたい、一部に昇格して監督を胴上げしたいと思って、復帰を目指してきました。何度も立ち止まりかけ、その度に復帰が危ぶまれる地獄のリハビリも、お前の躍動がもう一度見たい、その言葉を胸に、乗り越えられました。

東海大学戦、監督の涙ぐむ姿を見た時、復帰を諦めないで良かった、監督の記憶に残るような選手になれたのかなと思い、言葉では表せない程、幸せな気持ちになりました。

色んな苦悩を共に乗り越え、人として成長する契機を与え続けていただいたこと。今の自分があるのは、紛れもなく、監督の存在あってこそだと考えています。淺海監督に出会えたこと、その素晴らしい縁に心から感謝します。

4年間、本当にありがとうございました。

 

家族、そして何より、母さん 

ありがとうの言葉では伝えきれない程、お世話になりました。

12歳で親元を離れてから、親の偉大さを痛感し、僅かな時間でも一緒にいられる時間は自分にとって、宝物でした。

大怪我を患い、即座に駆けつけ、看病してくれて、入院時には病院の外から見守り続けてくれて、この期間を一番近くで乗り越えてくれたこと、本当にありがとう。走る姿を見られるだけで充分、そんな風に語る母さんに、最後にもう一度、ピッチに立つ姿を見せたい、それが恩返しになると信じていたから、ここまで踏ん張れました。いつだって、母さんの存在が、自分の一番の原動力です。長いサッカー人生を一番近くで支え、応援し続けてくれて、本当にありがとうございました。母さんが母親で、心から良かった。

これからは、多くの方々に幸せや笑顔を与え続けられる、そんなビジネスマンに成長します。ずっと、見守っていてください。

 

最後に。

体育会ソッカー部、人生を変えてくれた部活、このエンブレム、黄色のユニフォームを纏い、戦えた4年間を誇りに思います。

本気でサッカーと組織に向き合い、心血を注いだこの4年間、サッカー人生の集大成をこの部活で、この仲間と過ごせたこと、最高に幸せでした。

慶應に来て、本当に良かった。

 

華の大学生活ではなかったかもしれない。

それでも、もう一度人生をやり直せるとしたら、私は再び、この組織と心中したい。

組織をこよなく愛し、仲間を切実に想い、サッカーに没頭した4年間。

まさに、18年間のサッカー人生の締め括りに相応しい幕切れだった。

 

ありがとう、慶應義塾体育会ソッカー部。

 

改めて、どんな時も自分は一人じゃなかった。

素晴らしい人々に囲まれた、幸せなサッカー人生でした。

この場を借りて、18年間、自分のサッカー人生に携わっていただいた全ての方々へ、心より敬意を表します。本当にありがとうございました。

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遂に、最終節。

正真正銘の総力戦。

勝つためには、皆の力が必要不可欠だと思う。

各々の立場で役割を全うし、全部員の本気を見せて欲しい。

ピッチに立つ選手は、その一瞬に全てを捧げよう。

この痺れる戦いを、心から楽しもう。

苦しい時は、スタンドを見よう。声を枯らす、愛すべき仲間の姿がある。

今の俺たちなら、絶対に勝てる。

どんな状況になっても、自分たちを信じ続けよう。

慶應の誇りとプライドに懸けて。

 

全員で、感動の景色を見に行こう。

必ず勝つぞ!

《NEXT GAME》

11月12日(土)関東リーグ戦 最終節 vs 日本体育大学 @日本体育大学横浜・健志台キャンパスサッカー場 11:00キックオフ

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