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「こんな日でも神様は見ている」(廣田尚)

2022.11.06

いつも応援ありがとうございます。今回のブログを担当させていただきます。環境情報学部4年の廣田尚です。

 三浦、紹介ありがとう。彼はスタッフ部屋のコーギーです。練習前はギリギリまで練習準備に勤しみ、練習中は選手たちに熱い指導を施し、練習後は祈りを捧げるかのように眠っていました。オンラインミーティングで自室の蔵書量を見せつけてしまうこと、ガクチカが僕と森であることくらいしか欠点が見つかりません。総じて、愛すべき漢です。同期で居てくれてありがとう。※ガクチカは一緒に再考しましょう。

 さて、いよいよ卒業ブログを書くタイミングが来てしまいました。嬉しいような、寂しいような、不思議な心持ちでパソコンに向かっています。今回のブログを通して、この4年間で感じたことをありのままに記しておきたいと思います。拙い文章ですが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

このブログを読んでくださる方々の中には、僕のことを知らない方も居ると思うので、挨拶代わりに、自分の4年間を年表形式で振り返りたいと思います。少し長くなってしまっているので、読み飛ばしていただいても構いません。

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【1年生】
・暁星→SFCの先人である大史くん(R1卒)と会食。本気の文武両道を目の当たりにしソッカー部加入を決意。
・4月中旬にクーパー走をクリア(リミット4秒前)し、同期内最遅でソッカー部に加入。1年を通してDチームに所属する。
・早慶戦では道案内を担当。武蔵小杉駅近辺でパイプ椅子に座り続ける。通行人に温かいお茶を貰う(夏)。
・憧れの美里さん(R2卒)の熱い勧誘により広報部門に加入。以来、弊部公式SNSの運用に(ほんの少しだけ)関わるようになる。
・フットサル部門に加入。デビュー戦で5度ファールを犯し、1人で第2PKを与える。フットサル部門初の快挙であった。
・初年度のIリーグ出場時間は計62分。ベンチ外が主たるポジション。「どうせ出ないから」と試合前日であっても筋トレに励む。
・ザンビア遠征に参加。芳醇な香りを纏う中町さん(H22卒)に憧れ、ナガサくん(R2卒)と共にアディスアビべ空港で香水を購入。

【2年生】
・Sチーム(Cチーム)に滑り込みで所属。フットサル部門にも継続して所属する。
・リサーチ部門に加入。中江さん(R4卒)の下で関東リーグ相手校の分析を行い、サッカーに対する理解が深まる。
・Sチームにおいて、トモキくん(R4卒)にはチーム戦術を、拓海くん(R2卒)には個人戦術を、テソンさんには漢を学ぶ。(誰かを忘れている気がする)
・早慶戦では速報作業を担当。メインスタンド下の運営本部で配信映像を観る。綜一郎くん(R4卒)のオーバーヘッドを見逃す。
・健翔と2人でクリスマスを過ごす。ディズニーランド→川崎の工場→みなとみらい、と完全無欠のドライブデートを実現。
・フットサル都リーグにてキャプテンマークを巻く。その後、全国優勝の懸かった神戸遠征に帯同するも、出場時間は0秒。

【3年生】
・同期からの推薦で学生幹事&学生スタッフに就任。Bチームでシーズンをスタートする。
・増量に成功し「重戦車FW」としてのプレースタイルを会得。Iリーグ開幕戦スタメンを勝ち取る。
・学生幹事として関東リーグの試合運営に携わる。TOPチームの全試合を会場にて観戦。関東リーグへの想いが芽生える。
・アミノバイタルカップの追加登録に選出されたもののポジションの関係で大逆転取り消し。学生幹事として帯同する。
・通算13度の昇降格を繰り返した末、念願の関東追加登録を果たす。『自分で自分を追加登録する』という夢が叶う。
・更なる増量に成功し「115キロのチェンジアップ」「中継ぎ」としてのプレースタイルを会得。関東リーグデビュー。三浦のガクチカになる。
・早慶戦では当日9時過ぎにメンバー落選を知る。運営メンバーの皆の配慮により競技補助としてピッチレベルで早慶戦に携わる。

【4年生】
・TOPチームでシーズンをスタート。最高学年となり、選手・学生幹事・学生スタッフとして真価が試される1年に。
・新型コロナウイルス第6波の影響で活動停止に。リモートビルドアップ練・お手玉リフティング練などの施策を行う。
・第2節にて関東リーグ初ゴールを記録。開始直後かつ変なゴールだったためか、誰も駆け寄っては来なかった。
・アミノバイタルカップ1回戦にてキャプテンマークを巻く(7分間)。自宅でキャプテンマークを洗濯する。
・山中合宿にて、自身の走力の無さに絶望する。心身ともにボロボロになりながらも、みんなの背中を見て何とか乗り切る。
・念願の早慶戦出場という目標を達成するも、早稲田大学に完敗。1年次から掲げていた早慶戦MVPという夢は叶わず。
・ソッカー部告知ポスターにてセンターポジションを獲得。後輩マネージャーたちの忖度に深謝する。母が部屋に飾る。
・(あと7日で何かしら追加されることを期待)
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このように、大変幅のあるソッカー部人生を過ごしてきました。色々なことに顔を突っ込み、苦しんで、楽しんできました。この『幅』という観点であれば、現在副務を務めている健翔と共に、ソッカー部史上屈指のレベルなのではないかと自負しています。
そろそろ、友人たちから「なげーよ」と野次が飛んでくる頃だと思うので、本題に入りたいと思います。今回のブログでは、選手兼任のスタッフの苦悩、意義について記していきます。不幸自慢、栄光自慢にならないように気を付けます。念のため、優しい気持ちで読んでください。宜しくお願いします。

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2021年1月17日、八木総監督と淺海監督、小山主務(R4卒)と石川の5人でミーティングが行われた。自分の想いをしっかりと伝えるために、最大限の準備をして臨んだ。自分の想いが伝わったのか、運良く一度で就任を認めていただくことができた。晴れて、学生幹事(通称:学連)と学生スタッフに就任した。今日まで続く、ジェットコースターのような日々の始まりだった。

塾ソッカー部には、学生スタッフ制度が存在する。主務副務や学連、トレーナーのように選手兼任で行う役職や、ソッカー部のグラウンドマネージャー(通称:グラマネ)のように、選手を辞めてスタッフに就任する役職もある。これらの役職は、同期内でのミーティングによって選出される。一般に、学生スタッフになることは選手としてマイナスなことであると考えられている。様々なことに気を取られて、サッカーに集中できなくなるからだ。「学生スタッフなんてやるもんじゃない」というのは、ソッカー部員内、ひいては大学サッカー界において通説なのではないかとすら思う。

そのため、競技力の低い真面目な奴が学生スタッフになることが多い。自分はサッカーでは貢献できないのではと不安を抱えている、周りからは責任感があると思われている奴が学生スタッフになることがほとんどなのではないかと思う。紛れもなく、僕もそうであったと思う。当時を振り返ってみると、Sチーム(Cチーム)で足踏みを続けていて焦っていて、何か存在意義を示さなければという漠然とした不安感があったように思う。また、リサーチや広報などの仕事を嬉々として引き受けていたことから、廣田は仕事ができる=責任感がある、と周りから考えられていたのだと思う。

 先のミーティングにて、自分は総監督と監督に「学連として外からソッカー部を見ることで、ソッカー部をより深く知りたいです。そして、組織をより良くするために尽力したいです。」と伝えた。嘘とは言わないまでも、自分の真の想いではなかったかもしれないと、振り返ってみて感じる。本当は「サッカーでは貢献できないと感じたので学連になりたいです。同期から推されて断りきれなかったし、学生スタッフになることにします。」だったのではないかと思う。お二方と小山主務を欺いてしまったようで本当に申し訳ないが(もしかしたら承知の上で認めていただいたのかもしれない)、こんな情けないモチベーションで選手兼スタッフ生活が始まることとなった。

 マネジメントの世界に足を踏み入れた僕は、スタッフたちの異常なまでの献身性に驚いた。膨大な業務量を淡々と捌き続けるマネージャー、アップメニュー考案や怪我人のサポートを行うトレーナー、連盟主催大会の全てを一から作り上げる学連、担当カテゴリーの全責任を背負うグラマネと学生コーチ、部員やOB・OGの方々から徴収したお金を厳重に管理する副務、ソッカー部の全てを統括し司る主務。この全員が無償で部に尽くしている。むしろ、他の部員と同じように部費を支払っている。そして、誰もが苦しんでいるはずなのに、苦しそうな顔をしていない。「とんでもない選択をしてしまったかもしれない」と少し後悔すると同時に、「自分も頑張らなければならない」と決意したことを覚えている。部のために使う時間は日に日に長くなり、携帯やPCの通知が止まらなくなった。日々の生活が、ソッカー部色に染まっていった。

 正直、「選手としては終わったかもしれない」と感じた。もうジムには通えないし、睡眠時間が確保できない日も多々ある。リーグ戦運営で、試合や練習を休まざるを得ないことだってある。自分より上手い選手が沢山居る中で、どのようにのし上がれば良いのか分からなくなった。そんな情けない僕を奮い立たせてくれたのは、小山主務の姿と渡邉先輩(R2卒)の姿であった。

 小山主務は、選手とスタッフを完全に両立していた。主務として、TOPチームの選手として、部に欠かせない存在になっていた。スタッフとしても、選手としても一線級。必死に食らいついている姿に、勇気をもらった。また、3学年上の学連である渡邉先輩が関東リーグ出場を果たしていたこと、1年次にその姿を目にしていたことが本当に大きかった。渡邉先輩が途中出場して、慶應スタンドが変に沸いて、最終節にして2部優勝を決めた試合を観れていたことが本当に大きかった。この2人のお陰で、選手としての自分を諦めることを諦めることができた。

小山主務改めアキラくん、渡邉先輩改めナベシュンくん、本当にありがとうございます。お2人が居なければ、選手としての自分は死んでいたかもしれません。

先輩たちの背中を追いかけて、選手とスタッフの両立を目指すことに決めた僕は、完全に人が変わった。時間が有限であることを理解した僕は、日々を全力で生きた。同期の何気ない一言や、Iリーグの引き分けで涙が止まらなくなってしまう程に、ソッカー部にのめり込んでいた。「俺がやるしかない」という勝手な使命感で突き動かされていた僕は、一心不乱に努力し続けることができた。

そしてシーズン終盤には、念願のTOPチーム昇格、関東リーグデビューを果たすことができた。日々の努力が形となって表れたことが嬉しかった。部内の仲間や、学連の仲間から祝福と応援のメッセージが貰えたことが嬉しかった。10年ぶりに勝利した早慶戦をピッチ横から見つめていたこと、1部残留を果たせなかったことは本当に悔しかったが、総じて充実した1年間だった。
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2021年12月12日、この日を境に、選手として人生最大のスランプに陥った。ボールを思うように蹴れず、身体は言うことを聞かない。今までは簡単にできていたプレーができなくなった。自分を経由したボールが、全て相手に奪われてしまうようになった。ため息や怒鳴り声が耳に残って眠れなくなった。「怪我してるの?」「どうした?何があった?」「全盛期過ぎた?笑」全ての言葉が胸に突き刺さった。スタッフとしても、全くの役立たずになった。業務連絡への返信は滞り、LINEの通知は山のように溜まった。注意力は散漫になり、防げていたはずのミスを防ぐことができなくなった。

理由は分かっていた。新シーズン開始当初に行われた天皇杯2回戦でメンバー外になり、試合運営にも入ることができなかったからだ。同ポジションの選手たちが首を痛めても、練習に遅刻をしても、まともに走ることができなくても、自分が20人のメンバーに選ばれることはなかった。メンバーに入る前提で運営割り振りを組んでいてもらっていたから、同日に行われる練習試合の人数が足りなかったから、練習試合に行かずに運営に入りたいと主張し続けることができなかった。自分が惨めで、情けなくて、悔しくてたまらなかった。

結局、僕の居る練習試合は惨敗を喫し、僕の居ないTOPチームは試合に勝ち、僕の居ない試合運営は何の滞りもなく行われてしまった。この日、自分の代わりなど幾らでも居るということに気づいた。地に足を着けて振り返ってみると、自分は半人前でしかなかった。選手としては欠点だらけで、関東リーグのレベルには全く達していなかった。学連としては李くん(R4卒)に任せる部分が多く、他校の学生幹事にも沢山助けてもらって何とか仕事をこなしていた。学生スタッフとしては先輩方が矢面に立ってくれていて、チームのために滅私奉公しきれていたとは言えなかった。「俺がやるしかない」という勝手な使命感が、単なる思い上がりでしかないと気付いてしまった僕は、驚く程に脆くて弱かった。

この日から、延々と思い悩んだ。「選手とスタッフを兼任して得られるものは何だろう。二兎を追うことで得られるものは何だろう。」と考え続けた。これまでのソッカー部での日々を振り返り続けた。自分のこと、ソッカー部のこと、連盟のこと、全てを見つめ直した。

ある時、失ったものではなく、得られたものばかりが浮かんできた。学生スタッフと兼任したことで、マネジメント陣の頑張りと苦労を知ることができた。Iリーグの1試合に懸ける想いを思い出すことができた。学連と兼任したことで、大学サッカーが当たり前の舞台ではないことを知ることができた。見えない所で頑張る人たちの姿を、垣間見ることができた。これらのような、スタッフと兼任してことで得られたものに気付くことができた。

2ヶ月程掛けて、「みんなのために頑張りたい」と決意を新たにすることができた。

そこから、僕は尻上がりに調子を上げた。身体は見る見るうちに大きくなり、簡単には当たり負けをしなくなった。シュート本数は目に見えて増えた。そして、再び試合のメンバーに入れるようになった。明治学院大学戦では、幸運な形でゴールを記録することができた。日本大学戦では決勝点を挙げることができた。勝手な使命感ではなく、感謝の気持ちで動く僕は強かった。
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2022年9月10日、最後の早慶戦。早慶両校の想いが詰まったこの試合、僕は幸運にもベンチメンバーに入ることができた。その週の練習では、常に控え組でプレーをしていたこともあり、望みは薄かった。去年の早慶戦でメンバーから外れた記憶が蘇り、心が落ち着かなかった。調子が良いとは、お世辞にも言えない状態であった。それでも、メンバーに選んでいただいた。前日練習後、メンバーから外れてしまった同期たちから「頑張れ。任せた。」と言われ、覚悟が決まった。自分の気持ちを押し殺して気丈に振る舞う姿に、勇気を貰った。

試合当日、できるだけ多くの部員とグータッチをした。会場を周り、みんなの姿を目に焼き付けた。下級生が抱くワクワク感、上級生が押し殺す悔しさを肌で感じた。そしてその誰もが、笑顔で「頑張れ」と言ってくれた。自分は幸せ者だと心から思えた。みんな、本当にありがとう。

試合は終始早稲田大学ペース。前半に先制点を挙げられ、後半に追加点を許した。ピッチ上から4年生が消え、ベンチからは次々と下級生が送り出されていく。交代枠は残り1枚。ベンチに残っているのは、2年生GKのタケル、3年生MFのセイヤ、そして4年生の牧野、森、自分だった。ピリピリとした緊張感の中、黙々と身体を動かし出番を待った。

コーチから「セイヤ!」と名前が呼ばれた。セイヤが駆け出して行った。最後の交代枠が使われることとなり、早慶戦出場の夢は断たれた。それでも、簡単には認めたくなかった。身体を動かすことを止められなかった、ベンチ脇でダッシュを繰り返していた。

少しすると、「ヒロタ!」と名前が呼ばれた。この交代選手の変更に、どのような経緯があったのかは分からない。ピッチに入るまでの時間、タケル、牧野、森、セイヤの気持ちを考えていた。そして、4年生の気持ちを考えていた。憧れのピッチを目前にして出場できないこと、そのピッチに4年生が1人もいないことに対して歯痒さと悔しさを抱えているだろうと思った。「みんなのために、俺がやるしかない」との決意を胸にピッチに立った。

結果はそのまま0-2で敗戦。交代直後にビッグチャンスを迎えたが、ゴールを決めることはできなかった。チームに火を付けようと全力で鼓舞したが、勝ちには転がせなかった。早慶戦のピッチに立てた喜びよりも、あっけなく終わってしまったことに対する虚無感、みんなに対する申し訳なさが勝っていた。

それでも、沢山の温かい言葉を貰った。「廣田が出て感動した」「1番チャンス感があった」「盛り上がった、熱かった」全ての言葉が胸に染みた。今までの自分を認めてもらうような、これからの自分の活力になるような言葉を沢山貰った。みんなへの申し訳なさと、感謝の気持ちが止まらなかった。そして、つくづく、自分は幸せ者だと感じることができた。
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 2022年11月5日、卒業ブログを書いている。チームは、残留争いの真っ只中にいる。「2部優勝・1部昇格」だったチーム目標は、「2部残留」に切り替わっている。今日の東海大学戦は、本当に大事な、大切な1戦である。

 引退が迫るにつれ、自分の4年間は正しかったのだろうかと考えることが増えた。選手としてチームを勝たせる選手にはなれていないし、学連として相変わらず助けられてばかりの存在でしかないし、学生スタッフとしては様々な問題を解決しきれなかったように感じている。そして何より、チームは残留争いに巻き込まれている。

 それでも、自分はこの4年間に誇りを持っている。身体のあちこちが痛くても、逃げたくなる程しんどくても、不安で一睡もできなくても、「こんな日でも神様は見ている」と思い、踏ん張ってきた。数多くの人たちに支えてもらうことで、どの自分も投げ出さずにいることができた。感謝の気持ちと共に、毎日を過ごすことができるようになった。

 自分の4年間が正しかったのか、それはすぐには分からないと思う。今日の試合で点を決めたとしても、運営担当校の仕事を無事に終えたとしても、2部残留を勝ち取ったとしても、それらは自分の4年間の証明には繋がらないと思う。

 結局、後輩たちに託すしかないのだと思う。先輩方から受け継いだ塾ソッカー部を、より良い形で後輩たちに引き継ぐことが大切なのだと思う。自分の4年間が正しかったのかが分かるのは、次の時代の後輩たちの姿を見ることでしか判断できないのだと思う。

 自分の4年間が、誰かの支えになって、組織の肥やしになることを、心から願っている。

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 最後に、この場を借りて感謝を伝えさせてください。

両親へ
 どんな時も味方で居てくれてありがとう。自分のサッカー人生を通して、沢山迷惑を掛けました。2人が居たから頑張れました。詳しいことは手紙で書きます。待っててね。

社会人スタッフの皆様へ
 社会人としての忙しい生活の合間を縫って、ソッカー部のために尽くしていただき、本当にありがとうございます。時には優しく、時には本気でぶつかってくださり、ありがとうございました。その熱量に感化されて、日々の活動に向き合い続けることができました。皆様のような、“熱さ”を忘れない社会人になれるように精進していきます。

学生スタッフのみんなへ
 1年間を通して、次から次へと問題が起こって大変だったね。やっと一息ついたと思えば何かが起きて、裏切られたと感じたり、意味がないのかもと絶望したり、どん底を何度も経験したよね。それでも投げ出さずに、向き合い続けてきたことだけは誇って良いと思うんだ。俺はともかく、みんなは本当に凄いよ。頭が上がりません。全部終わったら、携帯の電源を切って、みんなで楽しくご飯を食べよう。

学生幹事のみんなへ
 みんなの献身性には本当に驚きました。あり得ない程の責任を背負って、人知れず頑張り続ける姿に、日々感動しています。そして、同じ“学連”として括られてしまうことを申し訳なく思っています。沢山助けてくれてありがとう。他大学の、選手兼任の、3年生から加入した俺を助けてくれてありがとう。お陰で、なんとか学生幹事として存在できています。1/1の元旦決勝まで、ご指導ご鞭撻の程宜しくお願いします。

後輩たちへ
 ソッカー部の強さの根幹は『関係値』にあるのではないかと思っています。他の大学と比較して、サッカーの技術や過去の経歴で劣るソッカー部が関東リーグの舞台に残れているのは、『人間関係の深さ』によるものなのではないかと思っています。「こいつのために勝ちたい」「あいつのためなら身体を張れる」という想いが、一歩一秒を紡ぎ出すことに繋がっているのだと感じています。
今季は、感染症対策の観点から様々な制約を強いてしまいました。社会から許される状況になったら、沢山会食に行ってください。何時間でも対面ミーティングを実施してください。それぞれのチームを全力で声出し応援してください。オフ期間には旅行に行って親睦を深めてください。これらのことが、強い学年を、強い組織を作るのだと思います。ひいては、ソッカー部の勝利に繋がるのだと思います。
そして何より、周りの人たちを大切にして欲しいです。大学生活は、血縁にも金銭にもよらない関係を構築できるラストチャンスでしょう。しっかりとアンテナを張ることができれば、自分のことを支えてくれて、応援してくれて、見守ってくれている人たちに気付けるはずです。その人たちのために、動き続ける4年間にしてください。その行動が誰かのためになるのなら、きっと間違いじゃないはずです。後悔することのないように、感謝の気持ちをしっかりと示すようにしてください。

次のブログを担当するのは森友紀(4年・FCトリプレッタユース/学習院高等科)です。選手兼任のトレーナー、学生スタッフとして、チームのために尽力してくれています。仲間のことを真に思いやることのできる、誰よりも優しい男です。そんな彼とは沢山の時間を過ごしてきました。いつも笑顔で居てくれてありがとう。何度も森の笑顔に救われました。
思慮深く、愛に溢れた森が書くブログがどんなものになるのか、本当に楽しみです。

《NEXT GAME》
11月12日(土)関東リーグ戦 最終節 vs 日本体育大学 @日本体育大学横浜・健志台キャンパスサッカー場 11:00キックオフ

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