オフィシャルブログ

「tomorrow」(木南諒)

2020.12.04

平素は大変お世話になっております。
今回の部員ブログを担当します、経済学部4年木南諒です。
何を書こうかと迷いましたが、私は他の部員とはまた少し違った経験をしたので、その経験について綴らせていただこうと思います。
長く纏まりのない文章になりますが、読んでいただけると幸いです。2016年1月11日、國學院久我山サッカー部は、全国高校サッカー選手権の決勝に駒を進めていました。

私は、埼玉スタジアムに0-5と映し出される電光掲示板を、応援席から眺めていました。
一度もTOPに絡むことなく終えた高校サッカー。
そんな、悔しさを胸に抱えて始まった大学サッカーでした。
詳しくは、私の過去のブログを参照ください。

一般受験にて入部した私は、インターネット上に公開された2016年度慶應義塾体育会ソッカー部入部予定者リストを見て、少しビビりながら最初の練習に行きました。
受験明けの私の身体は、大学サッカーの強度に付いて行けず、最初の1週間がとにかく辛くて、俺にはやっぱ無理じゃんって一瞬だけ本気で退部を考えました。
でも、ここで勝負しなきゃ一生後悔すると思って、覚悟を決めました。

1年次の所属カテゴリーは、C2チーム。
入部後最初の練習試合、1年生は自分含め数人出場機会がありませんでした。
試合後、君達は4年間サッカー部にいても、このままだったらずっと上には行けないから、辞めた方がいいよ。何でここでサッカーをやるのかもう一回考えた方が良いよと言われる始末。
それでも、絶対に這い上がりたかった。
だから、毎週月曜オフはグラウンドで自主練、火曜、水曜、木曜、金曜は、練習だけどグラウンドを満足に使えず、毎日走っていたから、授業後夕方グラウンドに戻ってボールを蹴っていた。
そんなサッカー漬けの日々を送っていると、次第に結果も付いてきて、1年生の間に、C1、Bを経験出来、4年生が抜けた後には、TOPチームの練習にも呼んでもらえました。

2年次は、シーズンインからBチーム。
約半年間、人生最大のスランプに陥り、自分に向かって来るパスに対して、何故私はこのサッカーボールをトラップするのだろうと本気で考える所まで悩みました。
ある程度上手くいっていた1年目に比べると、大きな壁にぶち当たっていた2年目ですが、少しずつ手応えを掴んでいて、来シーズンは、絶対に結果を残すと強い意気込みを持っていました。

そして、良くも悪くも、私の大学サッカーは、この時期から、大きく狂い出します。

2017年11月末日
なんだか少し足が痛いな、、、と感じながらも
12月には新人戦の全国大会もあり、2017シーズンは終わったけれど、もう来年に向けての競争は始まっていた。
大丈夫だ、これ位なら全然やれる。
サッカーに対するコンプレックスに塗れた自分は、何が何でも大学4年間で、目に見える結果を残して、一花咲かせたかった。
そうじゃなきゃ、サッカーを諦めることが出来なかった。

3年次、勝負の年と位置付けて迎えた2018シーズン
Bチームからのスタートだったものの、関東リーグ開幕後、TOPチームが本調子でなかったこともあり、TOPチームに昇格し、3年目にして、4月末に関東リーグで試合に出ることが出来た。
サッカーが漸く自分の思い描いた様に進み始めた一方で、足の痛みは悪化していき、5月末には、これ以上プレーしていてもパフォーマンスが落ちるだけだと判断し、離脱。
勿論、痛みを感じ始めてからは、ずっと病院に通っていましたが、手術するしか痛みを取る方法はないということで、痛みが限界を迎えるまで、プレーを辞める決断は出来ませんでした。
怪我を治す為、手術を受ける決意をした自分は、6月に手術を受けました。
全治は、4〜5ヶ月。
よし、後期の最後には間に合うぞ、そう思っていました。
手術後1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と時だけが経過し、足の痛みは、なくならない。
心は焦る中、時だけが過ぎていき、気が付いたら、夏は終わり、季節は秋になっていました。
そして病院では、痛みの原因が分からないと言われ、一言で言えば、全治不明です。
目の前が真っ暗になりました。
全治〇〇ヶ月で、治ると分かってさえいれば幾らでも頑張れます。
ですが、終わりの見えない怪我との闘い程辛いものはありませんでした。
再びサッカーをする為に、とにかく前に進みたいのに、現実は、色々な病院に行って、身体を診てもらう日々。
何も出来ない自分に絶望する1日、周りと自分を比べ辛さに心が折れる1日、時間の経過がとても遅く感じ、考え込んでしまう1日がありました。

2018年11月5日
この日、私は、自分にとって大きな決断をしました。
それは、サッカーをする為に、1年間怪我の治療に専念し、同期が卒業した後に、ラストシーズンを戦うことです。
プロになる訳ではない自分がです。
周りには、その決断凄いなとか、言われたりしましたが、私は、サッカーを諦められなかっただけです。
ただただ、サッカーを諦める勇気がありませんでした。
だから、そこからの時間は、サッカーを諦める為の時間と言っても良いかも知れません。
サッカーを諦める為に、出来ることは全部しました。
次、もし大怪我しても、仕方ないって納得出来る様に。

正直、この決断をするのはとても怖かったです。
(大があの日、背中を押してくれました。あの言葉がなかったら今自分はここにいません。ありがとう)

再び手術を受けて、リハビリをすること約1年、2019年の10月に、待望の復帰。
でも、現実はあまりにも厳しくて、11月10日、フットサルの公式戦で、右膝前十字靭帯損傷、外惻々副靭帯損傷の怪我を負い、またも、長期離脱を余儀なくされました。
ラストシーズンである2020年関東リーグ開幕は絶望、後期開幕すら厳しい、あまりに現実離れした現実を受け入れることが出来ず、自分の過去の選択を疑いました。

あー、サッカーに懸けたこの1年無駄だったのかな、、、そんなことを毎日考えていました。
プロになれないからとソッカー部を辞めていった同期、怪我に苦しみ、サッカーを諦め、新たな道へ進んだ同期、そんな同期の姿を見ていたからこそ、一層、自分の過去の決断は、無駄だったのかも知れないって考えていました。

それでも、再び復帰に向けて頑張ろうと思えたのは、
ライバルの小島くんが、4年早慶戦でキャプテンマーク巻いて、輝いていたから
自分よりも自分の怪我のことを知って落ち込んでいた人がいたから
ずっと憧れていたプロサッカー選手が同じ怪我で同じ病院でリハビリをしていたから
皆の一生懸命な姿に影響を受けて、沢山の人に力を貰いました。
だから、次は、自分がここから復帰して、またサッカー出来たら、誰か苦しい人の力になりたい。
その一心で、復帰まで再び頑張れました。

そして2020年10月24日、最後に関東リーグに出てから約2年半の期間を経て、再び関東リーグのピッチに戻ることが出来ました。
今、この4年間、いや5年間を振り返り、ソッカー部に入部し、1年間同期に遅れながらもサッカーをやり切る選択をしたことに、私は全く後悔していません。

これだけ書いてきて、何だ、そんなことかと思われるかも知れませんが、結局何が言いたいかというと、本気で挑戦しようってことです。

本気で挑戦していたら、誰でも失敗すると思います。
僕等は、弱い生き物なので、失敗を恐れて、何かと理由を付けてやらない理由を探してしまいます。
ですが、本気で挑戦したのならば、そこで経験した失敗には価値があるし、失敗は、その瞬間に歩みを止めて、立ち止まってしまうから失敗なのであって、その失敗を受け入れて、試行錯誤しながら、成功するまで続けてしまえば、その失敗には価値が生まれます。
成功の為に必要だったと。
この大学サッカー生活で、沢山失敗して、挫折しました。
スランプに陥った時も、全治不明って言われた時も、サッカーの為に1年伸ばしたのに、復帰直後に前十字靭帯損傷したり、もはや数え切れません。
思い描いた様な、サッカー人生ではなかったし、怪我をしてからの3年間は、あまりにも苦しくて、側から見たら失敗だったって思われても可笑しくないかも知れないけれど、これらの失敗は、納得してサッカー人生を終わらせる為に、そして幾つかのプライスレスな瞬間の為に間違いなく必要だったと思います。

こんな、ちょっと変わった自分の経験や、考えが今ソッカー部で壁にぶち当たって苦しんでいる人の力に少しでもなれば嬉しいです。

そして最後になりますが、ソッカー部生活を通じて、数え切れない程多くの方に支えていただきました。
心の底から、ありがとうございます。
言葉だけではなく、残りの関東リーグ3試合、自分自身のプレーで感謝を表現したいと思います。

長い文章を最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
今後共ソッカー部へのご支援、ご声援の程、宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
12月5日(土) 関東リーグ戦 第20節 早稲田大学
13:00キックオフ @駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場

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