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「やるしかないって」(朝辻一平)

2020.12.03

平素より大変お世話になっております。商学部4年の朝辻一平です。

さて、最後の部員ブログ何を書こうか大変迷いました。どうせならあまり言ったことのない話を綴ってみようかなと思います。大輔には話したことがありますが、それ以外には同期にも、親にもしたことのない話です。
小学校の頃から作文が苦手なので拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけましたら幸いです。

『最初で最後の本気でサッカーを辞めようとした話』

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これまでのサッカー人生、多くの怪我をしてきた。前十字靭帯断裂2回、半月板、外側靭帯、肉離れ、腰痛、捻挫。パラ参加(怪我人)と参加を繰り返し、大学4年間で万全にサッカーが出来た期間は合計およそ2年。泰輔の10ヶ月に比べればまだマシだが、中々思う様にサッカーが出来ないソッカー部人生であった。怪我や自分のプレーが悪くて、サッカーが嫌いになったこと、練習に行きたくなくなったことは何度もある。辞める勇気がなかっただけかも知れないが、辞めるタイミングも幾らでもあった。ただ、心の底から本気でサッカーを辞めようと思ったことはなかった。たった一度を除いては。

11月17日、Iリーグ最終節、桐蔭横浜大学戦。試合終了のホイッスルがグランドに鳴り響く。結果は敗戦。勿論悔しさ、不甲斐なさは感じていたが、それと同時に充実感も少し感じていた。関東リーガー擁する桐蔭横浜相手に良い試合が出来、チームとして積み上げてきたものが出せたということもこの充実感に繋がっていた。しかし正確には久しぶりに怪我なく半年間戦い続け、チームの力になれたことの実感による充実感と言った方が正しかった。

来年はラストイヤー。残り1年死ぬ気で頑張ろう。

思い返せば、関東リーグ・早慶戦に出ることを目標としてソッカー部に入部した。久我山勢以外に最初に話した人物は修也。朝6時半のグランドで、目をパチパチさせながら「初めまして。宜しく。」と話しかけてくれた。気付けばもう3年目のシーズンが終わろうとしていた。

入部当初からプロになる気もなかったし、社会人でサッカーを続ける気もなかった。高校3年時に前十字靭帯を断裂し不完全燃焼で終わってしまったのを取り返す為、大学で一花咲かす為、もう一度4年間本気でサッカーをする為に上記の目標を掲げ、もがきながら行動してきた。思い描いた様にはなっていなかったが、目標を一度もブラしたことはなかったし、ラストイヤーやってやるぞと意気込んでいた。

ただ、Iリーグ残り2節から腰が痛かった。Iリーグが終った後、痛みがピークに達していたので一回休むことにした。
何となく不安な気はしていたが、病院に行った。
MRIを撮り、医者が口を開く。
診断結果は

『ヘルニア』

「もしかして」の不安が確信に変わり、絶望に変わった。

「またかよ」と思うと同時に「終わった」の文字が頭を過ぎる。
あまりに身勝手な感情だが何も悪くない医者に「ふざけんなよ」と無性にイライラしてしまった。絶望と焦りだった。
帰り道、心はマイナスの気持ちで一杯。気付けば涙が頬を伝っていた。止まらなかった。

それからの数週間、何もかもがつまらなかった。何もやる気が出なかった。練習に行っては端から心の籠っていない「◯◯行こうぜ」や「ナイスプレー」を投げかけた。心ここに在らずとは正にこのこと。世界がモノクロになっていた。

今後を考え抜いた末に出した答えは
「サッカーを辞める」

サッカーを辞めると言っても、部活を辞める訳ではない。プレーヤーを辞めて専属のトレーナーになろうと思った。12月中旬までに8割型気持ちは固まっていた。

まず、高校からの同期・親友である理雄に話そう。
次に、皆んなの為にプレーヤーというかけがえのないものを1つ削ってグラマネをしてくれている関と多治見に謝ろう。この時期にプレーヤーを辞めるという情けない決断をしてしまったことを。
その後はチームを支えてくれるマネージャーとスタッフに話して、
その後は同期に話そう。
友峰さんや三浦さんに話して
最後に親に話そう。

トレーナーになったら、三浦さんや学生トレーナーと協力して選手のコンディションを管理したり、リハビリの手伝いをしよう。
そうだ、各カテゴリーの怪我人を同時間に集めて一緒にリハビリをする仕組みを作ったら如何だろうか。怪我人のモチベーションが上がるかも知れないな。

そこまで考えていた。

 
5ヶ月後

紅白戦のピッチに立っていた。
プレーヤーとして

8割も固めていた気持ちはその後0割になっていた。僕をもう一度プレーヤーとして頑張る気にさせたのは紛れもなく仲間だった。

大輔や崇太朗、たけま、信之介が思うようにいかず壁にぶつかりながらも、もがき続けていたこと。
昔一緒に練習していたしゅんす、大暉、本吉、かつがトップで活躍していたこと。
凜ちゃんが次のカテゴリーの練習が終わる位までずっと自主練をしていたこと。
当時自分よりも大怪我をしていた、きな、誉貴がリハビリに励んでいたこと。
高校からの同期である理雄が自分より何歩も先のステージで戦っていたこと。
はしけんが「一平おじちゃん(1歳しか違わない)、腰早く直してよ」と言ってきたこと。
新居がチームの為に声を荒げて味方を鼓舞していたこと。
泰輔が本当に長いリハビリを乗り超えたこと。
中学時チームメイトであるのぶが活躍してたこと。
亮平、彬がチーム付きで疲れているにも関わらず練習に遅れてきて人一倍声を出し、体を張っていたこと。
秀太や滉、しゅんたが「一平が復帰したら飯連れてって」と言ってきたこと。





まだまだありますがキリがないのでこの辺にしておきます。
精神的にキツかったので、全てがドラマチックに見えていた部分もあるかも知れないが、僕が見た景色は8割の気持ちを6割、4割、0割と変えていった。
「あぁ、ちっぽけだな。逃げているな」と強く感じた。4年間全うする気で入ったソッカー部。もう一度復帰してやり切ろう。「やるしかない」。仲間の存在が、一生懸命な姿が、背中を押してくれた。

「やるしかないって」
これは後輩のリンがよく言う言葉だが、かなりのお気に入りだ。この言葉を何度も自分に言い聞かせたし、僕にやる気を与えてくれた。
気付けば本気でリハビリを始め、何か出来ることはないかと模索していた。リサーチも一段と頑張ろうと思った。
「トレーナーになる」という選択をしていたらどうなっていたかは誰にも分からない。人は1つの選択をした時、皮肉なもので、その他の選択肢の結果を知り得ない。でも、この選択は間違っていなかったと確信している。

テジュンさん、たじ、三浦、蓮ら最高のコーチ陣と
個性溢れる素敵な後輩と
4年間苦楽を共にして来た同期と
かけがえのない時間を過ごすことが出来ている。

この経験で、再確認出来たこと・読んでいる人に伝えたいことは2つ。
夢中になることと自分だけの挑戦を大切にすること。
誰かを支えるつもりがなくても、人の為でなくても夢中になって一生懸命に行動する姿はとても鮮やかで誰かの心を動かし、誰かの為になっています。自分が心を動かされた様に。だから「やるしかないって」精神で、目の前のことに夢中に全力で取り組んでみて下さい。
そして、自分だけの挑戦をどんどんすること。今しか出来ない事は沢山あります。だからこそ欲張って全部やってみるのも大切だなと思います。

それを再確認させてくれたのは、同期であり、後輩であり、自分の周りにいる人達でした。
本当にありがとう。

 
最後に

同期
4年間本当にありがとう。同期には何度も助けられたし、救われました。そんな切磋琢磨した大好きな同期と最後の最後まで心を1つにして戦い抜きたいです。Iリーグ全国を達成しよう、そして必ず関東残留させよう。

後輩の皆
沢山絡んでくれてありがとう。先輩として伝えられることはさっき言った通りです。大学4年間、短い様で案外長かったりします。目の前のことをコツコツ積み上げてみて下さい。その先にあるものは、今はまだぼやけて不確実なものかも知れないけれど、光り輝くものがあるはずです。
そしてラスト、4年を信じて付いて来て欲しいです。

リサーチの皆
一緒に苦楽を共にしてくれてありがとう。後輩の皆は付いて来てくれてありがとう。今年は結果が出ず、思う様に行かないことが多かったけど、ラスト力を合わせて「残留」という目標を必ず達成しよう。

両親
長い間サッカーのサポートをしてくれてありがとう。朝練で4時半に出ていく時も「行ってきます」に反応してくれてありがとう。イライラしている時に敢えて話しかけないでくれてありがとう。・・・この恩は次のステージで必ず返します。

そして、スタッフや社会人の方々、色々と鍛えて下さった三浦さん、支えてくれた全ての人にこの場をお借りして感謝を述べさせて下さい。
本当にありがとうございました。

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長い文章を最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
今後ともソッカー部へのご支援、ご声援の程、宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
12月5日(土) 関東リーグ戦 第20節 早稲田大学
13:00キックオフ @駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場

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