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「明日からDチーム」(渡辺穣)

2020.11.15

平素よりお世話になっております。
三浦より紹介に預かりました商学部4年の渡辺穣と申します。彼女とは昨年の縦割り班が同じで、瀬戸班長(R1年卒)と共に多くを語り合った仲です。にも関わらず、先日の紹介文は酷すぎではありませんか。私のことをまるで分かっていません。全部員からなめられているのではありません。敢えてなめさせてるのです。(これは瀬戸班長とも実証済みです。)

冗談はさておき、早速本題に入ります。
私がソッカー部に於いて感じたこと、学んだことを素直に書きたいと思います。
文章を書くことは得意ではないので、物語形式となっております。私が伝えたいことを想像しながら読んでいただけると幸いです。

「志木高から関東へ。」
そんな想いを持ち入部したソッカー部。強豪校出身でもなく、仮入部期間の1年生練習で突出したアピールをした訳でもなかった私は1番下のC2チームに入った。当時のC2チームは約50人、その中でアピールしC1に上がることを当分の目標とし、日々の練習に取り組んだ。C2の練習環境は十分でなく、朝練時はアップもほとんどせずに半ゲ(半面ゲーム)を開始し、30分後にはグラウンドをC1に明け渡し、グラウンドの外周を走ることも多かったが、意外にも充実した日々を送っていた。そして1年目のIリーグ開幕戦、日々のアピールが募り、スタメンとして名を連ねることが出来た。それからも継続的に出場機会を得ることが出来、1年目は順調な出だしだった。けれども、C1に上がるとこれまでとは違うプレースピード、強度についていけず大きな壁を感じた。さらに、周りの強豪校出身の選手や自己主張が強い選手に勝手に萎縮し、自分らしさを忘れ安易なプレーを繰り返した。そうこうしているうちに気付いたらC2に戻っていた。何も自信を掴むことも出来ないまま私の初めてのC1へのチャンスは終わった。思えばここから私の苦いソッカー部生活が始まった。2年目のシーズンインこそ、Cチームにいたが、遠征で怪我をし、そのままDチームへ降格。(体制が変わり、C1→C、C2→D)
正直、怪我をしていなくても落ちていたのではないかとも思う。それだけ自分のプレーに自信がなかった。怪我だから仕方がない。周りにはそう言いDチームで再出発。しかし1年目とは状況が変わり、活きの良い1年生も加わっており、昨季程出場機会を得ることも出来ず、活躍も出来なかった。シーズン中にCに上がることも出来ず2年目を終えた。迎えた3年目、引退した4年生の穴を埋めるように私はCチームにいた。これが最後のチャンスだ。絶対に落ちてはいけない。毎日、死んでも食らい付け。そう決意して臨む。
べきだった。春の大阪遠征までは好調だった。得点に多く絡むことが出来、最終日に私の名前はボード上の1番上にいた。しかし、シーズンが始まり気付けば、ポジション内の序列は1番下。怪我人などのチーム状況もあり、人が足りていないポジションをやらされた。屈辱的だった。
そしてある日、1〜2週間後にDチームへの降格があるかも知れないとチーム内全員に告げられた。ハッとさせられた。このままでは自分が落ちる。そう思った。そこからは、目の色を変えて毎日の練習に取り組んだ。一つひとつのプレーでアピールする。ゴールを決める。アシストをする。相手からボールを奪う。自分の中の闘志をむき出しにした。今まで、勝手に周りの選手に萎縮して遠慮することが多かった私だが、エゴを全開で出した。エゴを出しながらも、味方にパスも出した。全ては自分が評価される為に。
そういう想いで臨んだ2週間は納得のいくプレーが多かった。これなら落ちない。自分はもっと出来る。そう思った。
けれどもある日の夜、全体ラインで私のDチーム降格が告げられた。気付くのが遅すぎた。もっと毎日、死に物狂いでやっていればと後悔した。翌日、Dチームの練習に行くと、1年目とは全く違う景色に厳しい現実を突き付けられた。C2時代には約30人程いた同期がたったの6人。沢山の同期がカテゴリーを上げ、中にはトップチームで活躍してる選手もいた。入部当時から自分だけ成長していない。そんな感覚に苛まれ、自分が情けなくなった。
この3年間の間に自分とトップチームで活躍してる同期との間にはどんな差があったのだろうか。才能や環境のせいにするのは簡単だろう。しかし、少なくともトップチームで活躍してる選手は、毎日の練習に手を抜かず最後の一歩にこだわっていたのだろう。自分の短所を改善する為、ジムやトレーニングに通っていたのだろう。自分の立てた目標に執着し、揺るがない意志を持っていたのだろう。弊部フットサル部門四戸監督も練習前によく仰っている。「毎練習後に、自分の胸に手を当てて考えて欲しい。練習前より、どこが上手くなっただろうか、成長しただろうか。」そんな少年の時にはよく考えていた当たり前のことが自分には出来ていなかったのだろうか。そう考えさせられた苦い3年間だった。

これまで長々と私のソッカー部での出来事について書いてきたが、決して人に誇れるような4年間ではなかった。ただ、中身のない空っぽな4年間だったとは思わない。ソッカー部を通じて自分の弱さを知り、自分と向き合い続けた4年間は価値のあるものだと思う。
特に2年時のグラマネ選出ミーティングでは、同期の中からサッカーを辞めコーチに転向する人を出す為、サッカー面や人間面を考慮し、深く議論した。その中で私も多くの弱みを指摘された。今までただ生活するだけでは気付くことが出来なかった弱みと向き合うことが出来た。本気で変わりたいと思えた。自分の内面的な部分がサッカーで上手くいかない理由にも繋がっていると思った。だからこそ、ピッチ内に於いて闘志を出すこと、ピッチ外から自信を持つ為ウォームアップリーダーとしてチームを引っ張ったこと、自分の意見を持つこと、部室でのコミュニケーション、くだらないと思うかも知れないが、これら全てサッカーで成功する為、自分の成長の為にやった。当初描いていた大学サッカー生活とはかけ離れているが、自分の弱みに気付き、向き合ったこの大学4年間には心から価値があったと思う。実際に入部当初の私と比べて、今の自分には大きく自信を持っている。足りない所も含めて自分を認めることが出来てる。これからの人生でもっと自分らしく生きていこう。そう思っています。

ここまで、長々と私のブログに付き合っていただき、ありがとうございます。

少し、フットサルについても書かせてください。
C2時代の内山コーチに推薦され、入部したフットサル部門。サッカーと比べピッチも狭く人数も少ない為、よりゴールに近い局面が多いのがフットサルの楽しさでした。フットサル部に所属する自分よりもカテゴリーの上の選手が沢山いる中で、自分がドリブルで1人外す、ゴールを決め、周りを驚かせた時、自分の中で自信が生まれていく感覚がありました。そして何よりも自分のプレー1つでチームを勝たせることが出来る、私達が少年の頃に魅了されたサッカーの原点をフットサルは思い出させてくれました。サッカーで上手くいかない時もフットサルでサッカーの初心を思い出し、調子を上向きにする、そんなモチベーション的役割が実はありました。本当に感謝しています。フットサル部門の皆、フットサル関東リーグで四戸さんを胴上げ出来る様に頑張ろう。

話は変わり、現在、慶應のトップチームは関東一部リーグ、私が所属するSチームはIリーグを戦っています。私のサッカー人生はまだ終わっていません。残された期間、全身全霊で取り組みます。私の最後のテーマは「起点と終点」です。FWとして、攻撃の起点を作り、ゴールを奪います。ご声援の程宜しくお願いします。

長くなりましたが最後に、これまで17年間のサッカー人生を通じて出会えた全ての人達に感謝して、このブログを締めたいと思います。
フェリーチェ、みなとSC、スポーカル六本木、青山SC、志木高で出会えた皆、本当にありがとう。また会いましょう。
そして、両親。22年間、何不自由なく自分のことを支えてくれてありがとう。少しずつ恩返ししていきます。

《NEXT GAME》
11月21日(土) 関東リーグ戦 第18節 筑波大学
11:00キックオフ @流通経済大学龍ケ崎フィールド

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