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「当たり前」(鈴木隆弘)

2020.05.16

平素より大変お世話になっております。今回初めてブログを担当させていただくことになりました、法学部法律学科1年の鈴木隆弘です。拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

私達の周りには、「当たり前」と思うことが多々ある。そして、普段私達はそのことを殆ど気にせずに過ごしている。では、この「当たり前」の価値について考えたことはあるだろうか?私は「当たり前」だと感じられることこそが、最もかけがえのないことであり、感謝すべきことだと考えている。「当たり前」の有難さは、普段は中々感じることが出来ない。現在の様に、「当たり前」だと思っていたことの多くが出来ない状況に置かれて、改めて「当たり前」の大切さを、私を含め多くの人が実感しているのではないだろうか。

最近は、全くと言って良い程サッカーが出来ていない。外出は殆どせず、1日の大半を家で過ごしている。家族以外と会うことは殆どなく、1人で勉強やトレーニング、趣味に勤しむ日々を送っている。元々1人でいることは嫌いではないのだが、1ヶ月誰とも会っていないとやはり寂しいものである。オンラインなどで部活の仲間と会話することは可能だが、実際に会いたい、一緒にサッカーをしたい、という気持ちは強まるばかりである。そして、仲間とサッカーをする、という「当たり前」だと思っていたことが、どれ程自分の中で重要だったかに気付いた。これはもっと身近なことに於いても言えるだろう。もし突然、誰も自分の食事を作ってくれなくなったら?家の電気が付かなくなってしまったら?想像するだけで恐ろしい。この様に「当たり前」は、私達にとってとても大切なものなのである。

勿論、「当たり前」は多くの人の支えの上に成り立っていることを忘れてはならない。サッカーという点に於いては、多くの方々が私たちの為に尽力し、環境を整えてくれているからこそ、私達は何不自由なくサッカーが出来ている。サッカーをしている人なら「サッカーが出来ていることに感謝しろ」とはよく言われると思うし、私がそうである様に、多くの人がサッカーの出来る環境には感謝していると思う。

では、身近な部分に於いてはどうだろう。日常生活の中の「当たり前」に感謝出来ているだろうか。先程も述べた様に、私達にとって「当たり前」はとても素晴らしいものであり、尚且つ身の周りに数多くある。それを何気なく享受出来ているということは、とても幸せなことだと私は思う。そして、その「当たり前」を与えてくれる人達には感謝しなければならないはずだ。

ところで、自分もまた「当たり前」を誰かに提供する立場になり得る、ということ忘れてはいけない。もしかしたら、自分では意識していないだけで、既に自分は誰かの支えになっているかも知れない。そうでなくても、人は生きていく中でいつか必ず誰かの「当たり前」を支える立場になる。その時、その誰かの「当たり前」を奪う様なことは絶対にしてはならない。誰にとっても「当たり前」は大切なものであり、それらは常に尊重されなければならない。

〜が足りない、もっと〜が欲しい、と何かが手に入らないことを嘆いて生きていくのはつまらない。だが、「当たり前」の有難さを常に感じることが出来る様になれば、自分の周りにはこんなにも沢山の幸せがある、と思えるだろう。そういう人に私はなりたいし、ならなければならないと思う。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。今後共、ソッカー部へのご支援とご声援の程、宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
未定

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