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「終わらないロスタイム」(渡邉舜)

2019.10.29

渡邉舜平素は大変お世話になっております。
今回ブログを担当させていただきます、法学部法律学科4年学連幹事兼KSS学生コーチの渡邉舜です。
いつも車で部活に来ては俺のことを家の目の前まで送りたがる富澤嘉紀からバトンを引き継ぎました。ちなみに全身赤コーデはテスト期間に心神耗弱していたことから及んでしまった犯行であり、刑法39条2項からも限定責任能力者として刑は減刑されるべきと主張します。
そんな彼は非常に一途で誠実な男です。入部当初、「部活忙しいし彼女とかいらない」と部活に心血を注いでいた彼から、「俺、この子なら一生大事に出来るって思ったんだよね」と初めて報告を受けた時は本当に嬉しく、涙が出る程でした。もうこのセリフを何回聞いたのか分かりません。
さて、自由なテーマでの部員ブログは最初で最後ということで、何を書いたら読者にウケるのか分からないので自分の言葉で素直な想いを綴ります。非常に長い文章となってしまいましたが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。部員は強制でお願いします。
2015年11月1日、全国高校サッカー選手権大会茨城県予選準々決勝敗退。幼い頃からずっとずっと夢見ていた全国の舞台は僅か90分でその道を閉ざされ、最高の仲間と3年間の青春、それと少しの後悔を胸に、もう二度とピッチの白線を跨ぐことはないと心に固く決めていた。はずだった。
当時、FIT入試を経て慶應義塾大学への進学が決まっていた私は、暇を持て余していた。受験勉強が佳境に向かうクラスメイトを横目に、課外の空白の時間を埋めようとB級映画を観漁ったり、3日でポケモン殿堂入りしたり、ひたすらイオンに行ったり色々やった。でも、何か違うな感が果てしなく、結局1週間も経たない間に朝5時半に起床してグラウンドに向かってる自分がいた。そうしたら同じくグラウンドに同期と後輩が何人かいて、めちゃくちゃ楽しいミニゲームをした。やっぱサッカーって楽しいと心から感じた。単純だけど、大学でもサッカーしようと思ったのは間違いなくこの出来事がきっかけです。4年前だから誰がいたか不鮮明だけど、きっかけを作ってくれた皆、ありがとう。あの日グラウンドに皆が居なかったら大学でサッカーしてなかったかも知れない。
と、こんな過程があって高校で終わるはずだった俺のサッカーは長い長いロスタイムに突入する。

2月シーズンイン当初、高ぶる気持ちとは裏腹に周囲の上手さに圧倒され、早速心が折れかけた。茨城県ベスト8の無名プレイヤーが「あ、こいつゲキサカで見たことある」って奴とボール蹴ると自分の下手さを痛感する。この時期はまだ仮入部期間で、昨日までいた同期が今日からいないなんてこともザラだったので「何か違った」とか「他にやりたいことがある」とかそれっぽい言い訳で武装して逃げ出すことも出来たけど、下手なりにもサッカー選手として死にたくない自分は戦う覚悟を決めた。
1年次の所属カテゴリはC2チーム。今でいうDチームで、上から4番目の最下層のチーム。月曜はオフ。火曜、木曜は朝6時半から練習だけど他のカテゴリがグラウンドを使う関係で他カテのアップ中にほぼノーアップでコロシアム(ピッチ中央に35m×60m四方位のコートを作って行う10vs10位、多いときは12vs12位のゲーム。勝利したチームは30分走が5分短くなる為、泡吹いて失神する選手が出た位、皆必死。)を20分程行い、その後30分走をして残りの時間はゴール裏でボール回しをして終わり。水曜は平日で唯一半面でゲームの出来る日で、金曜は語学の授業のせいで練習に出れない。でも週末はほぼ毎週のように内山さん(当時のC2チームのグラウンドマネージャー)が練習試合を組んで下さっていたお陰で試合が出来た。振り返るとあんまサッカー部っぽくなかったなと思いつつ、この時に同じC2チームで苦楽を共にした同期とは4年となった今でも当時の話で盛り上がり、非常に強い絆で結ばれていると感じる。
そんな苦難を乗り越え1年目のシーズンが終わり、最上級生が引退すると自分は何故かトップチームにいた。別に急激に成長した訳ではないけれど、運良く当時の監督に気に入ってもらえた。初めてトップ着に袖を通した時は感慨深いものがあり、「結構似合ってね?」と思ったが、周囲からは1兆回くらい「全然似合ってねえ」といじられた。そんないじりに愛を感じたのはここだけの話。別にMではないです。しかし、トップチームに昇格してからはいかんせん周りの人が上手過ぎるので、スタメンを取る、とかよりも日々の練習に食らい付くのに必死で、結局2年の5月頃にはBチームに降格していた。圧倒的実力不足によるもので、言い訳は皆無だった。自分の不甲斐なさとスタメンから程遠い立ち位置を実感した時、何でこんなに苦しんで大学サッカーやってんだと思って退部を考えた。戦いから逃げてる自分がいた。
そして、忘れもしない7月9日、大粗相をやらかす。まあ退部が妥当だし他の部員、特に同期に迷惑掛かるからスパッと辞めて、ダサい最後だけどサッカー人生に終止符を打とうと思った。でも、一緒にやらかした奴とこれからどうするか話していた時に、そいつは「どうやって反省の色を示してもう1回チャンスを貰うか」しか考えていなかった。こいつ自分がしたこと分かってんのか?と、正直度肝を抜かれたが、彼曰く「ミスしてそのままサッカーから逃げ出すのが一番ダサい。それなら死んだ方がマシだ」とのことだった。それ以外にも色々やり取りはあったが、結局この言葉が自分に一番刺さった。カッコ良く生きれなくても、絶対にダサい生き方はしないと心に決めた瞬間だった。それからはひたすら雑用の日々で、当事者だけでなく同期の皆も雑用することになってしまったのが本当に申し訳なかった。真夏に練習だけでも疲労が溜まるのに、それに加えて雑用や草刈り。「ごめん」と「ありがとう」の言葉しか出なかった俺らに「気にすんなよ」とか「一緒に頑張ろうぜ」と言ってくれたことは心の支えになると共に、何としても部に残りたい理由になった。同期の皆、あの時は本当にありがとう。
その後、1か月近い雑用を経て、C1チームでまたサッカーをさせてもらえることになった。温かく受け入れてくれた当時のC1チームのメンバーと福士さん(当時のC1チームの監督)、鹿島さん(当時のC1チームのグラウンドマネージャー)にプレーで恩返し出来るよう全力でサッカーに取り組んだ。その結果、前期勝ち点3で8チーム中ぶっちぎりのビリだったIリーグ1部は、後期に快進撃を続けて奇跡的に残留を果たすことが出来た。勿論、自分の力は微々たるものではあったが、それでもチーム一丸となって成し遂げた残留は最高の想い出だ。特に残留が掛かった試合で、あの温厚な福士さんを怒らせる程の失態をかました自分を救ってくれたウッシーは永遠に自分の中のMVPだ。

ここまでが大学2年までの話。ちょっと長くなってしまったのでペースを上げます。

3年目からは学連幹事という役職が加わり、ピッチ内外でチームの為にファイトすることが増えた。他の部員がSNSで楽しそうな投稿をする一方、自分はパソコンと睨み合っていたりJFAハウスに仕事しに向かったり。また、関東リーグの運営の日には練習に出られなかったりで自分の時間が予想以上に削り取られていた。前日に仕事があり、日付が変わる直前に帰宅したかと思えば翌日4時半に起床して朝練に向かうこともあり、普段より体が重く感じることも多々あった。自分で覚悟を決めて背負った役職ではあるが、学連と選手の両立は予想以上に難しかった。「俺のやってる仕事ってチームの為になってんのかな」と自問自答する日々。そんなに多くの同期が自身の夢を追って部を去って行き、夢を応援する気持ちとは裏腹に、俺が時間を削って貢献しようとしているチームに価値がないと言われている様で悔しかった。でも、自分の働きを見てくれている人って必ずいるもんで、その働きが肯定された瞬間は学連やって良かったなって素直に思える瞬間だった。特に同じく裏方仕事が多くて仲が良かった塩木やまさるからはしょっちゅう励ましてもらってました。ありがとう。このことがあったから、今まで以上に裏方で働いてくれる人達に対して尊敬の念を持つことが出来た。3年目はその仕事に対する労いと、上下関係があるようでほぼない先輩、後輩、それと俺が学連の仕事がある時を狙って築地に行く最高の同期や、太ってないのに僕をデブいじりし、体重が増えてパフォーマンスが低下しないよう警鐘を鳴らし続けてくれる友峰さんと共に戦えるBチームにいたから頑張れました。
そしてラスト4年目。最高に熱いシーズンが待っていた。まずシーズンイン、余裕のBチームスタート。だが腐ることも落ち込むこともなかった。ラスト1年、そんな時間は残されていないと知っていたからだ。そして何としても最後の早慶戦に出る、関東リーグに出る。その為にまずはBチームで結果を残そうと固く心に誓い臨んだIリーグ、開幕2連敗。チームの雰囲気、最悪。「まあでもリーグ戦だから連敗することもあるし、次は絶対勝とう、その為に最高の準備をしよう」と毎練習後に皆で練習内容の振り返りや戦術の話し合い等めちゃくちゃ頑張った結果、引き分け。3節終わって勝ち点1。「あ、これ残留争いするシーズンか。」と思った。けど、全然違った。そこからまさかの6連勝。チームの雰囲気は最高に良くなって、最終的には2年前に降格しそうになったIリーグ1部リーグでグループリーグ優勝。全国大会出場が掛かったチャンピオンシップへの挑戦権を獲得した。ここまでは、本当に嬉しかった。自分は夏休みからトップチームに昇格していたので、後期はあまり一緒に戦えなかったけれど、行ける時は必ず応援行ったし、学連の仕事で行けない時とかはtwitterの試合速報かじり付いていました。Iリーグ開幕時や練習、試合での苦しい時間を本気で苦しみ抜いたからこそ、喜ぶ時は本気で喜び合える、そんなチームの一員でいれることを誇りに思う。だからこそ、この前のチャンピオンシップに出場したにも関わらず、何も出来ないまま全国への道が途絶えてしまったことには後悔しかない。あそこで1対1で止めていれば、セットプレーでもっと魂込めて飛び込んでいれば、結果は変わっていたかも知れない。しかし、結果は結果で「たられば」は通用しない。起きてしまった過去は絶対に変わらない。ならば、後悔しない未来を全力で掴み取るしかない。Bチーム、残りの順位決定戦2試合絶対勝とう。チームとして最善の未来を目指そう。シーズンが終わるまで、全力でサッカーしよう。

ソッカー部の皆。慶應ソッカー部チーム2019として戦える関東リーグは泣いても笑ってもあと4試合。それなら俺は笑っていたい。ピッチで戦う選手も、ベンチで戦う人も、スタンドから応援する人も、グラマネも、主務も副務も学連もトレーナーもリサーチも、それからマネージャーも、あとドンヒも。色々な立場があると思うけど、それぞれの立場で出来ることに全力を尽くして、残り4試合チーム一丸となって絶対に2部優勝しよう。最高に熱いシーズンにしよう。

そして俺も、最後まで全力でプレイヤーとして戦います。最後の早慶戦には出られなかったけど、関東リーグはまだ終わってないし、自分の中でもまだ終わらせたつもりはない。だから、ここでは最高の同期ありがとうとか、Bチームの皆ありがとうとか、ソッカー部の皆ありがとうとか、支えてくれた両親に感謝とかはまだ言わないでおきます。シーズン最後までやり切って、最高の結果、後悔のない結果を出した上で伝えたいから、それまでは全力で戦い続けます。以上。

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回のブログ担当は渡邉啓太郎です。
基本的に何を話しても7割位に顔をほころばせながら「それな」しか言ってきません。
どんなにつまらない話でもそれをやるので、実は他人に興味ないんじゃないかと噂になっています。そして、周りに興味なさ過ぎてしばしばアゴに米粒が付いたまま歩いている所が目撃されています。そんな彼はブログにも無関心なのか、是非読んで確かめてみて下さい。

《NEXT GAME》
11月3日(日・祝) 関東リーグ戦 第19節 vs立教大学
@国士舘大学グラウンド 14:00キックオフ

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