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「苦しみを乗り越えて」(野村京平)

2019.10.22

野村S__610181123平素より大変お世話になっております。小学校からの付き合いで、周りから見ると気持ち悪いと思われる程、常に一緒にいる多嶋田からバトンを受け取りました、総合政策学部4年の笑い飯・哲夫です。すみません、間違えました。野村京平です。雅司とは沢山の思い出がありますが、一つだけ紹介します。ある日の朝、起床確認で彼が起きていないことが分かり、電話を掛けたのですが、自分のいびきで気が付かなかったのでしょう。何度電話をしても起きなかったので彼の母親に電話をして起こしてもらったことがありました。それも今となっては懐かしい思い出です。電話したことで彼のお母様のアカウントがラインの”友達かも”に入っているのでブロックしようか悩み中です。

最後のブログということで、大学4年間を振り返ろうと思います。
長く拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

大学までのサッカー人生を振り返ると、小学生の時は全国大会3位・得点ランキング3位(1位は現・名古屋グランパス所属の杉森考起、2位は現・ヴァンフォーレ甲府所属の森晃太でした)という成績を残し(当時のポジションはFW)、中学生の時も全国大会に出場し、高校生でも選手権準優勝と、私にとっては輝かしい成績を残すことが出来ました。しかし、あと一歩の所で日本一を掴み取ることは出来ませんでした。「この悔しさを大学で成し遂げる為、また高校時代に観戦して憧れを持った早慶戦に出場したい」という想いでソッカー部に入部しました。

そして今、ソッカー部での4年間を振り返ると、自分を含め、私達の代は楽しいことも勿論ありましたが、苦しかったことや上手く行かなかったことの方が多かったと思います。
入部当初に新入部員の名簿を見た時、様々な強豪校出身の名前が載っていて「これは自分達の代は絶対強くなる」と思いました。案の定、新1年生だけの練習はとてもレベルが高く、各ポジションに上手な選手がいることが嬉しく、ワクワクしていました。そして1年の途中から、私を含め5人程がトップチームに関わることになりました。朝都、祥也、海徳の3人は公式戦にもコンスタントに出場していて、また他のカテゴリーでも同期が主力となってIリーグなどで活躍している姿を見て、嬉しい反面、トップチームには所属していたもののリーグ戦出場には程遠い立ち位置にいた私は、「自分は何をしているのだ」という気持ちになりました。監督には怒られ続け、トップチームの強度に付いて行けず、顔が痩せこけてしまい、盛央などに本当に心配される程だめだめでした。そんな私の唯一の活躍の場と言えば、一発芸でした。監督は私のプレーを見る時は恐ろしい顔をしていましたが、一発芸の時は誰よりも笑顔で見てくれていました。練習の最後に一発芸をしたり、神戸定期戦でも「これ、うちのエース。」と紹介されながら一発芸を任されたりした私は、一発芸要員としてトップチームに属しているのかと思った程でした。そうして何も出来ないまま1年目が終わりました。

1年目に同期の活躍が著しかったことから、2年目は多くの同期がトップチームに関わるようになりました。そしてリーグ戦にも同期が多く関わるようになった所までは良かったのですが、1部の舞台はそう甘くはありませんでした。主力だった4年生が引退したことで、1年目とは違って全く勝てなくなり、もがき苦しんでいました。私も前期開幕前に負った怪我から復帰をし、後期からは試合に出場出来るようになったのですが、やはり勝つことが難しく、常に降格争いをしている状況でした。勝てない事でピッチ内外に於いて負の連鎖が続き、チームの雰囲気も悪くなり、降格というプレッシャーにひたすら耐え続けている日々でした。結果的にそのプレッシャーに打ち勝つことは出来ず、先輩方が築き上げてきた1部の舞台を2部に落としてしまいました。自分も含めてディフェンスラインは海徳、やつ、朝都、ぬま、北城などが出場し、他のポジションにも同期が多く出場している中、1部の相手に勝てなかったのが悔しく、スタメンでありながら2部に落としてしまった責任をとても強く感じました。

そして3年目に入り、何としても1年で1部復帰を成し遂げようとシーズンインからトップチームで尽力したのですが、監督が変わってから私のプレーは全く評価されなくなり、Bチームに落とされてしまいました。この時はとても苦しかったです。落とされた理由も分からず、自分の全てを否定されている様でした。これからずっとトップチームに上がれないと思うと本当にサッカーが嫌いになりそうでした。しかし、その時に同期の仲間達が私に励ましの言葉を掛けてくれました。「必ずお前が必要になる時が来るからその時を待とう」、「気持ちを落とさないでBチームでも頑張って欲しい」、「また同じピッチに立とう」など。この時から、これらの言葉を掛けてくれた心優しい同期の為にも1日でも早くトップチームに上がって慶應の勝利に貢献したいと心の底から思うようになりました。そしてBチームで守備力を磨き続け、その時を待ち続けました。リーグ戦前期は同期も多く出場している中、中々勝つことが出来ず、チームは苦しんでいる状況。試合が終われば笑顔でないピッチ上の同期達の姿をスタンドから見て、何もチームの力になれていない私はもどかしさを感じていました。自分個人としてもチーム全体としても厳しい状況が続き、もがき続ける期間が続きましたが、夏の初めにやっとのことでトップチームに復帰することが出来ました。”失点数が多い”という当時のチームの課題を克服する為に、守備の強化としてメンバーに入ることが出来たのです。そして復帰後、初スタメンを飾った神奈川大学との試合で無失点で勝利を掴み、皆と一緒に喜び合った瞬間は最高に幸せでした。同期の言葉に励まされ、その言葉を信じてきたからこそ、また関東のピッチに戻ることが出来たと思っています。当時落ち込んでいた私に声を掛けてくれた同期の人達、ありがとう。
後期は勝利数も多くなり、同期も沢山活躍をしましたが、結果は7位。1年で1部復帰という目標は果たせませんでした。

そして遂に最後の年。ここまでソッカー部での出来事を綴りましたが、間違いなく苦しんだことの方が多かった代だと思います。しかし、苦しいことも皆で支え合いながらここまで来ました。今年のスローガンである「走って走って走る」を誰よりも体現する海徳とやつを筆頭に、前線からストッパーの様な輝きを見せる同期。チームが苦しい時に点を決めてくれる同期。ゴール前で体を張ってくれる同期。チームの雰囲気を盛り上げる為に絶えず声を出してくれる同期。最高の応援をしてくれる同期。ピッチ外ではバカなことをしながら笑い合える同期。落ち込んでいる時に側にいてくれる同期など、最高の仲間達をこの4年間のソッカー部を通じて得ることが出来ました。4年間苦しみながらも支え合ってきた同期達とは最後ぐらい笑って終わりたいです。結局、早慶戦は4年間で一度も勝てず、日本一を獲れるチャンスも無くなりましたが、関東2部優勝の夢は終わっていません。幸い、現在1位という立ち位置です。これからも厳しい試合は続くと思いますが、これまで沢山の困難を乗り越えて来た私達なら必ず優勝出来ると信じています。そして、皆で友峰さんを胴上げしましょう。私も慶應のユニフォームを着る以上、ゴール前では全力で体を張り、相手のゴール前では驚異の存在になってみせます。今の自分に出来ることを全うしてチームを優勝に導きます。

次回のブログは、1年生の時から同じポジションで苦楽を共にしてきた相棒の沼崎和弥です。私が落ち込んでいる時もいつも側にいてくれる、私のソッカー部での生活にとって必要不可欠な存在です。しかし、私の”ある場所”(ご想像にお任せします)が大好きで毎日いじってくるのは本当に止めて欲しいです。そんな彼はどんな熱いブログを書いてくれるのでしょうか。楽しみです。

《NEXT GAME》
10月27日(日) 関東リーグ戦 第18節 vs東京国際大学
@慶應義塾大学グラウンド 14:00キックオフ

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