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僕とサッカーと松木(小谷春日)

2018.11.22

小谷24年ブログリレーのバトンを主務の松井から託された小谷春日と申します。最後のブログということでご高覧いただけると幸いです。

僕はたしかにここにいた。
結果や試合記録はずっと残り続けるものです。しかしその瞬間、僕がどんな想いを持っていたのか、またどんなことを感じていたのか。それらは僕の卒業と共になくなり、いつしか自分の中でさえも薄れていってしまう。
だからこそソッカー部での4年間について記しておこうと思います。

「藤枝東小谷主将、慶大へ。4年後の目標はプロ入り。」
華々しくスポーツ新聞の1面を飾り、地元の大きな期待を背に僕は上京しました。ソッカー部では入部して1週間でTOPチームに昇格しすぐに公式戦デビューを果たしましたが、ここで大きな挫折を知ることになります。

それは同期である松木の存在でした。お互いの実力を認め合い、4年後に共にプロ入りを誓い合った存在です。
朝、必ず自主練を行う松木に負けたくなく、
夜、必ず彼よりも長い時間グランドにいました。

しかしポジションが被り、監督のファーストチョイスは松木でした。

人生で初めて試合に出られないという屈辱を味わい、毎日がモノクロの様で当たり前の日常が僕の目には眩しく映りました。ベンチを温めることしかできない自分が大嫌いで、1年間地元どころか実家にも帰りませんでした。1人でボールを蹴っている時だけが、唯一の素直になれる時間だったように思います。

それでもやっぱり僕にはサッカーしかなくて、やり続けるしかなかった。ピッチ上で勝利の瞬間を味わえないと、ピッチに立って自分を証明できないと、心の底から楽しいなんて思える訳がない。
その結果、大2、3では安定して試合に出られるようになり2年連続で全国の舞台も経験することが出来ました。同期の鴻巣、岩崎、中島とは監督に怒られた話だけでこれからも仲良くいれそうです。笑
はるぶろ

 

 

 

 

 

 

 

しかし次の挫折は、2部降格という受け入れ難い現実でした。10年間先輩たちが守り続けてきた1部の舞台を僕たちが壊しました。

その年は松木が大きな怪我をしており、誰よりも必死に声を枯らしていた彼に本当に申し訳なく思ったことを覚えています。同時に僕がプロサッカー選手を諦めるきっかけでもありました。
あの西が丘に乾ききった音で鳴り響いた試合終了のホイッスル、ひどく冷たいと感じた雨は今でも肌感覚として残っており、これからも忘れることができなさそうです。

そして現在、松木はプロ入りを決めチームのエースとして、また僕はビジネスマンとして生きる事を決め残り1節を迎えます。

僕の全てであり何もかもを教えてくれたサッカー、最高のライバルであった松木、愉快な同期たちがいなくなってしまうと僕の人生はこの最終節と共に終わってしまう、そんな気すらしてしまいます。何回考え直してみても未練しかない。

これだけ苦しい思いしかなかった大学生活でしたが、僕には支えてくれる多くの人がいました。
関東まで応援に来てくれる両親をはじめ、
ソッカー部関係者の方々、
生き方を教えてくれたザワさん、
もはや家族だと勝手に思っているちびれお家、
死ぬほど話を聞いてくれた悠人、
ケアをしてくれた三浦さん、さくらの方々、
高校の戦友たち、、、書ききれませんが
みんなの存在が僕の大きなモチベーションだった。本当にありがとう。

感謝の気持ちで締めくくるとしんみりするので、
最後に。

4年間の学生生活、どの瞬間も鮮明に蘇ってきますがやり直したいとは思いません。傷つきまくったけど、それだけサッカー、勉強、恋愛、遊び、全てに一生懸命だった。

たった1度のやり直しがきかない学生生活を胸に、僕はぐんぐん前に進みます。

まっさらな就活ノートに自己分析を始めようとした時、自分でも驚く程の大粒の涙が流れ出してスタバの店員に本気で心配されたこと、きっとあの日に僕の第2の人生がはじまりました。

舞台は違いますがユニフォームをスーツに、スパイクを革靴に変え、ずっと小さい頃からの夢であった「世界で活躍する人間」に僕は必ずなります。

そしてきっと松木も岡山の地で大輪を咲かせ、日の丸をつける男になります。

どんなに歳を重ねても、この底抜けのエネルギーは持ち続けます。

10年後、20年後、30年後、、、
僕はこのブログをどんな想いを持って読み返しているのか、
今からとても楽しみにしています。

何があっても負けるなよ。

まつしゅん、そして最高の同期と後輩たち
ラスト1節、
謙虚に、熱く、フルファイトしようや!

《NEXT GAME》
11月24日(土) 関東リーグ戦 最終節 vs神奈川大学
@柏の葉公園総合競技場 11:30キックオフ

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