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言葉だけの意味と真意の違い(木下征郁)

2018.10.09

木下こんにちは。鈴木夏海よりバトンを受け取りました経済学部4年木下征郁です。

思うようにいかなかった原因は何かというような、マイナスな出来事自体を振り返るところから、逆にこの経験から何を得ることができるのかというような、どんなプラスをこの経験から得ることができるのかと最近考えるようになりました。今回のブログは自分がこの4年間で得た考えの1つについて書こうと思います。

それは「言葉だけの意味を知ることと、その言葉の真意を知ることは違う」ということです。どういうことかと言いますと、自分が知っている、分かっていると思っている言葉でも、実は知っているつもりになっているだけで、本当に意味するところからは遠く離れているということです。「言うが易し行うが難し」などと似ている概念だと思うのですが、ちょっとここで僕が言いたいこととは違います。ここで言いたいことは、理解の深さについてであり、実行するしないは関係ありません。

まず「自分と向き合う」という言葉を例に挙げてみます。4年前から、この言葉の意味は知っているつもりで、またその重要性も理解しているつもりでした。しかし、4年経った今では、4年前とだいぶ違う印象をこの言葉から受けるようになりました。それって考え方が成長したってことじゃんと言われればそれまでなのですが、この4年間で自分と向き合えていないという状態を実際に体験し痛感したからこそ「自分と向き合う」という、言葉だけの意味を知っている状態からその言葉の真意に一歩近づけたと感じています。そして上手くいかなかったからこそ「自分と向き合う」ということを真剣に考え、向き合えていないと気がつくことができたと思っています。つまり、上手くいかないことを悩んだおかげで、言葉の真意に近づけたということです。

上手くいかず、悩み、色々と考えたという体験が、上で例に挙げた言葉のみならず、その他様々な言葉に対しても、その言葉だけの意味を知るという段階から真意に一歩近づこうとする行動の起点となっていたと思います。この「言葉だけの意味と真意の違い」に気づいてから、以前だったら見たり聞いたりしてもあまり深く考えなかったであろう言葉に対して、深く考えるようになり、また以前見たり聞いたりしたことのある言葉に対しても、以前とは違う印象を受け、考え直すきっかけとなっています。言葉に対する感度が上がりました。こういうところにも、同じ練習、同じ時間を過ごしていても成長の度合いに違いが出る理由があるのかなと感じます。

1年後や5年後には違う考え方をしているかもしれないですが、今はこのように感じています。

拙い文章ですが、最後までお読み頂きありがとうございました。

次はムードメーカーあごレオです。

《NEXT GAME》
10月14日(日) 関東リーグ戦 第16節 vs青山学院大学
@日本体育大学グラウンド 11:30キックオフ

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