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「自分なりの答え」(齊藤滉)

2022.10.31

平素より大変お世話になっております。商学部4年の齊藤滉と申します。

ドロ紹介ありがとう。いや、稜大ありがとう。彼とは学部、部活、ゼミ、バイトとほとんど一緒に居ますが、バイト先では「ドロ」のあだ名で呼ぶ事を禁止させ、稜大と呼ばせる事だけは不快です。彼は常に女の子からの人気が一定数あり羨ましい限りです。彼女が欲しい後輩たち、彼は女の子を落とすLINE、DM構文を熟知しているので是非聞いてみてください!

4年前の2月、町田という都内随一の中心地で育った私が「塾高」のネームTを身にまとったイキった集団(当時の率直な思いです。今はみんな大好きだよ。)に圧倒されながらクーパー走を走った日を今でも鮮明に覚えています。同期が誰かも分からず紘平に敬語で挨拶していたのも、塾高組が仕事集をサボっている愚痴を紘平にこぼしていたのが全部みんなに筒抜けだったのも、クーパー走のタイムに入れず入部できていない真聖に部室を案内してもらった事も、SFCの姉が「弟ソッカー部入るから宜しく!」と声を掛けたという理由だけで荻がペア確になって一緒に取り返しをした事も今となっては良い思い出です。
思い出話はこの辺で、そろそろ本題に入りたいと思います。毎年、先輩方のブログを読んで就活でESを書きまくったから、纏まりのある文章が書けるのかと感嘆していました。しかし、決してそんなことはなく稚拙な文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただけると幸いです。自分自身の想いを綴れる最後の場なのでこれまでのサッカー人生で思うこと、素直な想いを述べたいと思います。

振り返ってみると、私は中学生までは「プロサッカー選手になりたい」と強く思った事はなかった。チームメイトが当たり前のようにサッカー選手を目指す流れに飲まれ、意思のない私も周りに合わせるかのように口にしていた程度だった。夢なんて関係なくただ相手に負けたくない、仲間に負けたくない、この思いだけでサッカーを続けてきた。最初のサッカーへの熱量はこの程度だった。
高校時代、その心境は変化する。街クラブだった私は運良くFC町田ゼルビアユースへと入団する。誰もがプロを目指している環境で毎日の練習を死ぬ気で取り組んでいる先輩たちの姿を見て、プロってそんなに凄いところなのか、人生を懸けて挑戦する事なのかと疑問に思いながらも気付けば周りに感化されるように、プロというものを意識するようになった。また、下部組織という事もあって定期的にTOPチームの応援に行く事も増えた。小学生まで1観客だった私は、ユースではあるがゼルビアの中の人間としてスタジアムを見た時、自分にとって夢ができた。「野津田でプレーがしたい、ゼルビアでプロになりたい。」初めてサッカー選手になりたいと強く思った。そこからは毎日が死に物狂いだった。実力で劣っていた私は誰よりも自主練習をした。学校が終わればできる限り早くグランドに行き、練習後もジュニアユースの練習が終わるまで自主練習に取り組んだ。町田市内の進学校に通っていた私はどこか手を抜けば隙ができてしまうと思い、勉強にも手を抜かなかった。今思うとあんなハードスケジュールをこなせるとは思わないが全く苦じゃなかった。夢のためならいくらでも頑張れた。しかし、そんなに現実は甘くなく、ユースからTOPチームに昇格する事はできなかった。この時私はあれだけ努力しても上には上がいるというプロへの道の険しさを知り、自分には無理だと思った。これまで頑張ってきた糸が切れたような気がした。ユースを引退し、慶應への指定校を決めていた私のサッカーへの熱量は消え去り、入学後はサークルでも入ろうかななんて漠然と考えていた。

しかし、私はまだサッカーを続けている。

「限界を知りたい。」

熱量が消えていた私がソッカー部の門を叩いた理由だ。これまでのサッカー人生が決して順風満帆だったわけではない。なんなら常に厳しい道のりばかりで幾度となくサッカーを辞めたいと思った事もある。それでも、小中高それぞれの所属したチームで結果的にはレギュラーになり、側から見たら成功している側の人間だった。だからユースでプロサッカー選手になれなかったとしても、自分自身にほんの僅かな可能性を抱いていたし、成長できるのではないかと思い、大学でもサッカーを続ける決意をした。試合に出れなくたって良い、自分が納得できるまで限界に挑戦しサッカーをやり切りたい、その一心だった。入部してからは毎日が必死だった。常に結果を求め続け多分Dチーム、Cチームで誰よりもぎらついていた自信がある。いつチャンスが来るか分からない、狙った獲物を逃さないハンターのようにチャンスを逃すまいと努力を続けた。月曜日のオフもグランドに来て当時TOPチームだったエースの拓海くん(R2卒)とシュート練習をして盗めるものはとことん盗もうと行動した。結果として2年生になるタイミングでTOPチームに昇格する事ができた。あれから2年が経つが、今もなお、あの時の目のぎらつきでサッカーができているだろうか。幸いにも昨年までFW、SDWだった私はSHという新しい挑戦をしている。あり得ないくらい下手でクロスが全然上がらないとFW陣から文句を言われ続けているが、毎日テソンさんと練習をして今日より明日、明日より明後日上手くなりたいと、残り2週間を切っても思い続ける事ができている。限界を知りたい。正直プロサッカー選手という夢を叶えられる可能性は本当にほぼないけど、引退する最後まで限界に向かって挑戦し続けたい。

「責任逃れ」

4年目の今季、常に私の頭の中にあった言葉だ。慶應は新チーム始動と共に来年のチームをどういう方向性にするのかを4年生中心に話し合い、決めていく。学生スポーツである以上、上下関係というのは少なからず存在し、経験のある4年生が下級生に対してピッチ内外に関わらず助けてあげなければならない。私自身も下級生の頃この4年生という存在に何度も助けられてきた。また、その4年の中でも役職持ちの人間が存在する。この組織において役職に就くという事は、多くをこの組織に犠牲にし、行動で示し続けなればならないという相当な覚悟が必要である。昨シーズン途中までではあるがチームの主力として試合に出場していた私は、もしかしたら何かしらの役職につくのではないか、そんな風に思っていた。主将、副将決めをする中で候補者の中で私の名前も上がる。私としても勝手ながら副将になる覚悟を決め、毎週の学年ミーティングに臨んだりもしていた。しかし、最終的には私がそういった役職に就く事はなかった。もしかしたらあの最後の局面で私が副将をやりたいといえばできていたのかもしれない。でもその言葉を口にする事はできなかった。私にはまだ覚悟というものができていなかった。選ばれなかった私は祐二朗や太壱がこのチームのためにこれまで以上に頑張る姿を見て頼もしいと思う一方、何もチームの力になれていない私に毎日辟易していた。この組織のために多くの時間を割いてくれる仲間を横目に、持て余した時間を無駄に過ごしたりもしていた。私はあの役職決めの時からこの組織に対して4年生としての責任から逃げてしまっていたと思う。どうしたら4年生としてこの組織に価値を残せるか、いくら考えても答えが出なかった。祐二朗のように技術でチームを引っ張れるわけでもなく、太壱のように冷静に試合をコントロールする戦術眼もない。他にも多くの同期がそれぞれに全力を注ぐ中で自分は何ができるのか、あまり物事を深く考えない私には非常に難題であり空虚の日々が過ぎ去っていくだけだった。気付けばピッチ内でも全く上手くいかず、左SHを任されながらもチームに対しても何の貢献もできず、悪循環から抜け出す事ができなかった。そんな悩みをふざけながらも口にしていたところ、三浦からふとこんな言葉を掛けられた。「ポジションなんて関係ないよ。SHでもFWでもSDWでもない、ポジション『滉』だから。それを全うする事に価値があるんだ。」三浦からしたらなんて事ない会話だったかもしれない。でもあの時の俺には思いっきりブッ刺さった。三浦ありがとう。俺には俺の残せる価値がある。このチームに対して「齊藤滉」という人間が手を抜かず目の前の相手に向かっていく事が自分にできる最大の存在価値なんだと。それからの自分は何か吹っ切れ、どんな時でも走れるような気がした。どんなにきつくても仲間がきつそうなら足を動かした。私がこの部活に残せる場所はピッチ内での振る舞いだから。何かを残そうとはしない、今を全力で戦う姿が後輩の誰かの記憶に残ってくれれば良いなと。

そんな事を考えながらプレーしているが、現在チーム状況は決して良くはない。残り2試合を残して12チーム中8位。1、2年生が多く試合に出ている中で4年としてチームを引っ張っていけてなくて、本当に申し訳ないと感じている。4年生として10番として目に見える結果を残せていない私に責任がある。でもまだ2試合ある。この2試合に自分のサッカー人生全てを懸けるつもりだ。だからみんな力を貸してほしい。ピッチに立つ選手も、メンバーに入れない部員も、私たちの事をサポートしてくれるスタッフ・マネージャー・学連も、全員で想いを1つに戦い抜きたい。最後、笑顔で終われるように戦い抜こう。

最後にこの場をお借りしてこれまでお世話になった方々に対して感謝を伝えさせてください。

これまで指導してくださった方々
皆さんの指導のおかげでここまで本気でサッカーを続ける事ができました。町田小川FC、コンフィアール町田、FC町田ゼルビアユース、それぞれで学んだ事が全て今の自分に生きていると自信を持って周りに言えます。本当にありがとうございました。

ゼルビアユースの同期
みんなの活躍がやる気、勇気を与え続けてくれました。みんなに負けたくない、同期として自慢できる存在になりたいと思い努力し続けてきました。ありがとう。

社会人スタッフの方々
ドロに続きこんなにも下手な選手を起用してくださりありがとうございました。特に昨シーズンはチームに大きな迷惑を掛けた中でも学生の私に真摯に向き合ってくださった事、本当に感謝しています。「罪を憎んで人を憎まず」私の実体験をもって肝に銘じます。ラスト2試合、ソッカー部の誇りを胸に戦い抜きます。

先輩たち
こんなにも生意気な後輩を可愛がってくださりありがとうございました。海徳くん(R2卒)のようなリーダーシップも、関俊(R3卒)のような場を盛り上げる力も、はしけん(R4卒)のような圧倒的な結果と姿勢で示す事もできませんでした。それでも自分なりの自分にしかできない姿も少しは後輩に伝えられたのではないかと思います。引退したらご飯に沢山連れてってください。

後輩たち
基本的にみんな舐めすぎです。未だに礼儀正しいのは浦山くらいだと思います。それも含めてみんな可愛いです。みんなに1つだけ伝えたいと思います。「チャンスは平等に与えられる。それを掴めるかどうかは自分次第だ」という事です。ソッカー部を1年経験したら分かると思うけど、この部活は沢山のチャンスが転がっています。活かすも殺すも自分次第です。4年後自分が後悔しないソッカー部生活を送るためにも今を全力で目の前のチャンスに挑戦し続けてください。特に真之介、1番期待してるよ。ドリブルしながらピッチの外に出ないようにだけ気をつけてな。

同期
入部した時、こんなにみんなの事が好きになるなんて思ってもいませんでした。よくくるちなんかから偽善者と言われるけど、俺は本当に全員の事が好きです。どんなに唇いじりをされても、蕁麻疹いじりをされてもみんなとの会話で沢山救われました。最後、ピッチに立つ者として4年の意地を見せてきます。一緒に戦い抜こう。常に問題を抱えている学年だったけど、それが解決できなかったとしてもいつか何年後、何十年後にはみんなと酒飲みながら笑える日が来ると願ってます。みんなありがとう。

最後に家族のみんな
両親には本当にお世話になりました。お母さんは毎日朝早く起きておにぎりを作ってくれてありがとう。高校1年生の時辞めたいと言ったあの時にお母さんに掛けられた言葉のお陰で今もサッカーを続けられてます、ありがとう。去年の事もあって俺以上にチーム状況を心配してくれた姿勢に感謝してます。お父さんはサッカーをやった事は1度もなくてルールを理解してるかどうか分からないけど、家に帰ったらテレビで関東リーグを振り返っててあのシーンどうだったの?なんて声掛けてくれてありがとう。「やかましいわ」ってずっと思ってたけどそれもなくなると思うと少し寂しさも感じます。何より2人の支援があってここまでサッカーを続けさせてくれてありがとう。どんなに遠くてもどんなに寒くても暑くても応援に来てくれてありがとう。姉、兄。2人はサッカーしかしていない私とは対照的に色んな事に挑戦したり色んな失敗をしていて凄く刺激をもらえてました。なんだかんだで気に掛けてくれて色んな相談に乗ってくれてありがとう。仲の良い3兄弟で居続けようね。

最後に感謝の文を入れてしまうと、あげればキリがないくらい色んな方々に支えられていた事を実感しました。もっと色んな人に対して書きたいけど、読んでる人たちは飽きてくる頃なのでこの辺で締めたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

次のブログは横幕悠(4年・慶應義塾高)です。
彼は普通部コーチをやりながら大学のコーチにも携わってくれるスーパーマンです。オフではゆるーい彼ですが、コーチになると誰よりも熱く選手にスピーチする姿はかっこいいの一言です。私はそのギャップに対し4年間違和感を覚えながら終わってしまいましたが、、そんな彼とは部活外でも多くの経験を共にし、特に2年生の時の思い出は沢山あります。この紹介文のせいでよこまの後輩たちから思われる真面目な印象を壊したくないので気になる後輩は是非聞きにきてください。そんな彼の最後の素直な想いをどんな文章に乗せるのか、乞うご期待!

《NEXT GAME》
11月6日(日)関東リーグ戦 第21節 vs 東海大学 @非公開 14:00キックオフ

「夢と覚悟」(宮本稜大)

2022.10.29

平素より大変お世話になっております。商学部4年の宮本稜大です。

倉橋紹介ありがとう。彼女とは高校からの知り合いで、周りの同期はみんな「マナ」と呼んでいましたが急に変えるのも気恥ずかしく、結局4年間「倉橋」と呼び続けていました。高校時代の追っかけ(某W大学R.T君)兼専属カメラマンからソッカー部のマネージャーとして4年間チームのために働き、高校時代から素晴らしい写真を何枚も提供してくれたことにはとてもとても感謝しています。あと食べ物をくれたことも。マネ部屋で会うといつも何かしらのいじりを加えてきますが、私は大人なのでしっかり対応してあげています。これからもそんな温かい目でいじってくる彼女を見守りたいと思います。

倉橋の紹介はこの辺にしておいてそろそろ本題に移ります。
私もこれまでのみんなと同様に毎年先輩たちのブログを楽しみに、少し寂しくなりながら読んでいましたが、いざ書く側になってみると非常に感慨深いものがあります。牧野のブログが更新されてから何を書こうか毎日考えていました。普段私のことをかなり舐めている後輩たち(塩貝、入江などなど)をぎゃふんと言わせるようなかっこいいブログを書きたかったのですが、そんなかっこいいことが全く思い浮かばなかったので、最後は自分が抱えていた夢を軸に自分の気持ちを等身大で書いていきたいと思います。長く纏まりのない文章になってしまうかもしれませんが最後までお付き合いいただけると幸いです。

私はサッカーをするのが大好きだ。
普段あまりサッカーを観る方ではないかもしれないが、サッカーをすることにおいては部の中でもだいぶ上位で好きな自信がある。
サッカーを辞めたいって思ったことは一度もないし、サッカーから離れたいって思ったことは、中学時代の恩師に「おかま」と叱られていた時や、高校時代に相手のタックルを受け着地で肩を脱臼した時に肩を外してベンチに戻ったら「お前のタッチがでかいせいだ!」とブチギレられた時や、大学時代に西が丘の観衆の前で途中出場して7分で代えられた時ぐらいだ。これを考えればもう少しあるかもしれない。
それはともかく、3歳の頃、当時のおかあさんといっしょの歌のお兄さんがサッカーをやっているからというだけで始めたサッカーはいつしか自分の人生の一部となり、夢は「歌のお兄さん」から「プロサッカー選手」に変わっていた。そしてそれはサッカーを続ける以上は絶対に自分の中では変わらない、変えられない夢であり目標であり続けるはずだった。

小・中学生の頃は、ただ漠然とスタジアムやテレビで見るあのかっこいい選手たちにいつかはなりたいなぁと思っていた。小学校の卒業式でも中学校の卒業間近にもみんなの前でサッカー選手になると話をした気がする。そこに、明確なビジョンがあったわけでもないし確かな自信があったわけではないけど、その他に自分の目指す夢なんて存在しなかった。
高校に入ってからは少しプロの世界が身近になった。先輩がプロになったり、毎年対戦相手の選手が何人かはプロになっていった。もちろん、高卒からプロになる選手は別格に上手かったし、自分のレベルがその基準に達していないことは分かっていたが、そんな選手たちとサッカーをすることで自信が得られたのも事実で、高校を卒業する頃にはサッカー選手になることが夢からはっきりとした目標に変わっていた。

少し長くなりましたがここからは大学時代について書いていこうと思います。

プロになるためだけだったら他の大学に行ったほうが良かったかもしれない。ただ、私は「プロになる」という大きな目標を掲げると同時に、ずっと大事にしてきた文武両道を達成するため、そして憧れの早慶戦の大舞台で活躍する姿を両親に見せるために慶應義塾体育会ソッカー部の門を叩いた。
2月頃に初めて練習参加をさせていただいたCチームではついていくのがやっとで、それまでのサッカー人生でありがたいことに常に試合に絡んできていた私にとって、TOPチームがはるか遠く感じたことに衝撃を受けたことを今でもよく覚えている。高校までに積み上げてきた自信はあっという間に崩れてしまったけれど、プロになりたい気持ちは絶やすことはなかったのでなんとか大学サッカーに食らいつこうと頑張った。その甲斐あってか、4月にはBチームに、夏休み前にはTOPチームに運良く昇格することができた。TOPチームに上がってからは、さらに強度も上がり、自分の力不足を痛感させられる毎日ではあったが、そんな環境に身を置いたことが今の自分の糧になっていると今更ながら感じている。デビュー戦のファーストプレーで1対1を外したり、当時交代枠が3枠の中で出戻りしたりと上手くいかないことも多く、2部優勝の力にはなれていなかったけれど、大学1年目にしては非常に濃い時間を過ごすことができた。

2年目は、1年時の悔しさを晴らすため、そしてプロを目指すにあたって1部の舞台で自分のプレーがどれだけ通用するか非常に楽しみだった。1部でこの1年間活躍できたら本当にプロになれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていたが現実は全く甘くなかった。出場機会は1年時に比べたら格段に増えたが、レベルの高いDFに何度も潰される日々。多少スピードが通用したとしても決定的なチャンスに絡めない、そもそもシュートさえ打たせてもらえない。FWとして試合に出させてもらっているのに何1つ結果を残せず試合終了のホイッスルを聞く虚無感を何度味わっただろうか。結局リーグ戦を通して多くの試合に出場したが、ゴールを決めたのは味方のシュートに足を延ばして触った1点だけだった。幸いにもチーム全体としては、何とか踏ん張り1部残留を成し遂げることができ、来年も同じ舞台に挑戦するチャンスを先輩方が残してくれた。ただ、シーズンを通した自分のプレーを振り返ると、目標と現実に大きなギャップを感じ、これまで変わることなくまっすぐプロを目指してきていた自分の思いに何か深いモヤがかかってしまったように感じた。今までの自分であれば「来年こそは絶対活躍してプロになる」と決意できていたかもしれない。でも自分の変わるはずのない目標に違和感を覚えてしまった私は、「来年も通用しなかったらプロになるのは諦めよう」とまるで諦める道を探すかのように考えてしまっていた。

そんな気持ちで臨んでしまった3年目のシーズン序盤は全くと言っていい程上手くいかなかった。練習では自分のプレーができず、スタメンはもちろんベンチに入れない時もあった。冒頭で話した7分で交代したのもこの時期だった。今年通用しなかったらプロを諦めようと思っていたが、もう諦めた方がいいかもしれない。自分のネガティブな気持ちはどんどん大きくなっていった。それでも、不甲斐ないプレーを続けてしまっていた私をチームは信じて起用してくれており、その思いだけは踏みにじってはいけないと全力でプレーした。そんな中で私はシーズン初ゴールを決めた。観客の入ったスタジアムでチップキックでループシュートという練習でも打ったことのないような自分でも訳の分からないゴールだった。一瞬時が止まったように感じたが、ゴールが入った瞬間の歓声が聞こえた時、小・中学生の時に漠然と夢を見ていた瞬間と重なりサッカー人生1番の興奮を感じた。またそれと同時に、こんな瞬間をこれからももっと味わいたいと思えた。自分の中にまだその気持ちが残っていることに気付けてからは、ネガティブな気持ちは消え去りもう一度純粋にサッカーで上を目指せるようになった。それからの毎日はチームとして厳しい残留争いの真っただ中ではあったが、リーグの試合がある度に格上の相手と試合ができることにワクワクしていた。もちろん何もできず非常に悔しい試合もあったが、特に3年の後期は日を追うごとに自分の成長を少しずつではあるが感じることができていた。それでも、リーグにインパクトを残すまでの活躍はすることができず4ゴールでシーズンを終え、チームとしても終盤の怒涛の追い上げで最終節まで残留の可能性を残していたが、あと一歩のところで残留することができなかった。最終節の自分の決定機2回、それだけでなくあの試合であのシュートを決めておけばという後悔がいくつも頭に流れ込み、最終節の直後に涙する先輩たちの前では申し訳なさ過ぎて涙すら出てこなかった。あの光景は今でも鮮明に思い出すことができるし、多分これからの人生でも一生忘れられない出来事だろう。こうしてプロを諦める理由を探すようにして始めたシーズンが終わった。サッカー人生で1番感情の起伏が大きい1年を過ごし、改めてサッカーの酸いも甘いも知ってしまったことで結局この1年では結論が出ず、将来について悩む日々を送ることになった。

3年目のシーズンを終え、どんなに悩んでいても着々と日付は進んでいき、自分の中で結論を出せないまま就活をするかしないか決断するタイミングを迎えた。プロになることを目標に入部していたはずなのに、私はここでプロになるという覚悟を決めることができず少しずつ就活に時間を割くようになっていった。サッカーをするのは今も昔も大好きでサッカーに対する情熱がなくなったはずではないのに、プロだけに絞ることでこれからの将来の先行きが見えなくなることにビビっていた。幼少期から追いかけてきた夢は、自分の中ではその程度のものだったのかと就活をしている時は何度も自己嫌悪に陥った。プロになることを諦めたくない自分と安心を求める自分の中で葛藤していたこの時期はとても苦しかった。2月の終わりごろにそんな感情を持ったまま監督との面談が行われた。そこで私は就活を始めていること、それでもプロへの気持ちを捨てきれていないことを伝えた。すると監督は、その決断に対し否定することなく、どう転んでもいいようにサッカーも就活も全力でやれと伝えてくださった。就活を始めてしまったことに後ろめたさを感じてしまっていた私は、この言葉を掛けていただき少し気が楽になった。そこからはサッカーの調子も上がっていき、去年の責任を取るためにも、自分の将来を切り開くためにも、ラストシーズンは絶対に結果でチームに貢献してやると意気込んでいた。しかし、リーグ戦開幕10日前にふとしたプレーで腿裏を肉離れしてしまった。ここからが長いトンネルの始まりだった。なんとか開幕までに試合ができる状態に回復させて開幕3連戦に臨んだが全く思い通りのプレーができず、チームに貢献しプロを目指すどころかチームの足を引っ張っていた。しまいには3戦目で怪我を悪化させてしまいチームを離脱した。開幕前に思い描いていた自分の姿とあまりにもかけ離れすぎていて自分でも心が追い付かなった。そんな気持ちとは裏腹に就活の時期は進んでいき、御社でこんなことをしたい、社会に出たらこんなことをしたいと将来について話す日々が続き、ただでさえ遠いプロの世界がますます遠ざかっていくことを感じていた。それでもトレーナーである徹さんの多大なるサポートもあり、5月にもう一度試合に出られるチャンスをいただいた。ここからがもうプロになるラストチャンスだと考えて試合に挑んだ。しかしその試合で私はまた肉離れを再発させた。痛みを押して試合に出たわけでも違和感が残ったまま試合に出たわけでもなかった。それでも再発した。やはり就活を始めた自分がプロになるチャンスを求めること自体間違っていると突き付けられた気がした。そこで私は絶対に変わることのないと信じていたプロサッカー選手という夢に区切りをつけた。自分の心の中で区切りを付けた日は柄にもなく一人で静かに泣いた。それでもサッカーが嫌いになることは全くなかったし、最後までやり抜くことが今まで自分のサッカー人生でお世話になった全ての方々にできる恩返しだと思った。7月末頃に復帰をし、山中合宿・早慶戦などを経て10月から後期残り9節のラストスパートが始まった。残り9節を残してチームは昇格も目指せるし降格の可能性もある立ち位置にいた。プロという目標はもう無くなってしまったが、去年の借りを返すため、慶應があるべき場所に戻るため全力を尽くすことを心に決めていた。だが再開初戦のアップ中に肉離れが再々発した。なんとか試合に出ようと強行出場したが前半15分程度で交代した。本当に自分が情けなかったし、試合後無理して気丈に振る舞う自分にも嫌気が差した。次復帰してもまた怪我をするのではないか、大きな不安が自分に付き纏った。そんな時に助けになったのは周囲の言葉だった。「また怪我したの?」「老害じゃん!」といじられることも多かったが、「早く復帰して」「ドロのゴールが見たい」と何気なく伝えてくれるみんなの一言が嬉しかった。残り3試合、このブログが上がる時には2試合で自分がその内どのぐらい出場できるかわからないけれど、どんなに自分がチームに貢献できてない時にも同期後輩関係なく、時には強烈ないじりを交えながらも温かく受け止めてくれたこの100人を超える大所帯の組織のためにピッチ上で身を粉にして戦う覚悟はできている。プロという目標には区切りをつけてしまったけれど、今の私のサッカー人生最後の目標は「結果でチームに恩返しをすること」である。

思いのほかとても長く自分の思いを綴ってしまいました。
私の4年間を振り返ると後輩たちに何かを言えるような立場ではありませんが、ここからは少し伝えたいなと思ったことを書いていきます。

私は入部当初に掲げた最大の目標を達成することはできませんでした。単純に実力も足りなかったけれど、そもそもの覚悟が足りなかったなと振り返ると思います。それが3年の始まりに諦める理由を探してしまった時か、就活を始めてしまった時か、5月の時点で区切りをつけてしまった時かは分からないけれど、目標を達成する程の覚悟がきっと私には足りなかったのです。プロになることや、早慶戦や関東リーグに出場することなどみんなにもこの部にいる以上何らかの目標があると思います。自分ができてなかったから偉そうなことは言えないけれど、その目標を達成するための覚悟をずっと持ち続けてほしいなと思います。目標に全力でぶつかっていけたら、それが達成できてもできなくてもその過程に大切な価値があると思います。終わった後にあの時腹くくって違う選択をしていたら…と後々考えるのは少し、いやかなり寂しいです。長いようであっという間の4年間全力で駆け抜けてください。あと少し一緒に頑張ろう!
それとクマ、ササグ、ナナサ、タケル、コーセー、コーダイ、トモキの久我山勢には特に頑張ってほしい。みんなの名前が挙がってくることを楽しみにしています。

最後に感謝の言葉をこの場をお借りして述べさせていただきます。

友峰さんをはじめとする社会人スタッフの方々
こんなにも怪我しがちで体力もなくテクニックもない扱いづらい選手に、戦術、技術共に沢山のことを教えてくださり、多くの試合に出場させていただき本当にありがとうございました。またピッチ内だけでなくピッチ外でもまだまだ未熟な私に様々な声掛けをしてくださったことにも非常に感謝しています。ラストシーズンまだ何もできていないことが心残りですが、どんな形でも必ずチームの勝利に貢献できるように全力を尽くします。最後まで宜しくお願いいたします。

徹さん
この1年間怪我ばかりで本当に沢山ご迷惑をお掛けしてすみません。
最後まで見捨てずにサポートしていただきありがとうございます。
徹さんの治療を受けている間はとてもリラックスできて、沢山お話をすることができて嬉しかったです。残り数日間宜しくお願いいたします。

三浦さん、小池さんにもこれまで慶應のトレーナーとして怪我しがちであった私のために多くの時間を割いて治療をしていただき感謝しています。本当にありがとうございました。

同期
俺はグラウンド、所、部室、試合会場とかで凝りもせず揃いも揃ってほぼ毎日同じようなことを言っていじってくれる同期みんなのことが大好きです。腹が立つことも、はたから見たらやばいこと言われている時もあったけれど、ある意味どんな時もたくさん笑い飛ばしていじってくれる同期の存在に救われていました。だからこそもっと同期のためにできることがあったのではないかと今とても感じています。あと残り数日、俺は部の代表としてまた4年の代表として全力で戦います。それが今自分のできる1番の貢献だと思ってる。ラスト死ぬ気でやり切ろう。

両親へ
まずは大好きなサッカーを最後まで何一つ不自由なく続けさせてくれて本当にありがとう。お陰でサッカーができただけでなく、自分の人生において一生の財産になるような沢山の大切な人と出会うことができました。
母さん、普段から未だに喧嘩はするけど、それでも毎朝自分より早く起きて朝ご飯を作ってくれてありがとう。車も出してくれてありがとう。最初は恥ずかしかったけど今では過保護をネタに自慢げに話しています。
父さん、普段からそんなにサッカーの話をするわけではないけど、中学の頃から大事な試合は大体単身赴任先から帰ってきて見に来てくれるし、地味にiPadのホーム画面が俺のサッカーの写真だったりして嬉しかったです。
2人には長年の夢をかなえる姿を見せて恩返しをしたかったけど、社会人になったら違う形で恩返しをしたいと思うので待っていてください。

自分で読み返すと本当に長くまとまりのない文章になってしまっていましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。

次のブログは、齊藤滉(4年・FC町田ゼルビアユース/都立町田高)です。
彼とは指定校推薦で入学したところから始まり、学部、部活、ゼミ、バイト先が一緒でなんかいつも一緒にいる気がします。彼は屈託のない笑顔と分厚い唇を武器に、どんな環境でも愛されキャラです。ヒカルのことが嫌いな人に出会ったことがありません。初対面の先輩に妖精みたいと言われている時は引きましたが。ただ試合中に相手を削った後「すしざんまい」しながら笑顔で審判に話しかければ許してもらえると思っているところは直してほしいです。そんな彼としゃべる内容は9割以上がしょうもないことなので、激動の4年間を過ごした彼が本音で書くブログがとても楽しみです!

《NEXT GAME》
11月6日(日)関東リーグ戦 第21節 vs 東海大学 @非公開 14:00キックオフ

「微力でも、それでも」(倉橋真菜)

2022.10.27

平素より大変お世話になっております、環境情報学部4年の倉橋真菜です。

くるみ、紹介ありがとう。あまりにもハードルを上げられてしまったので、これからの広報活動は一旦くるみにチェックしてもらおうかなと思います。散々同期に仲が悪いといじられていますが、合宿所に着いたら「それZARA?」とお互い2シーズンくらい前の服でもバレバレだったりするくらい服の好みは似ています。きっとみんなが読みたがっているくるみとのエピソードは序盤に書くにはヘビーすぎるので後半に回しますね。

マネージャーの真恋、メディカルのくるみと、チームを支えてきた女子部員も3人目となると似たような内容になるよなあと思い、なかなか書き進められませんでした。というのも言い訳で、原因はギリギリにならないとどうしても手が動かない私の余裕のない性格です。それを知り尽くした真恋からの「きっと真菜はギリギリになるだろうから〜」という配慮のおかげもあり、くるみのブログから数日猶予をいただきなんとか必死に書いています。「AO入試の志望理由書の時みたいに俺が添削してあげようか?」と横の方で和樹が言っています。きっとそんな余裕はありません。一応、4年間マネージャーをしてきましたので、マネージャーの後輩達による誤字脱字チェックは通らずにこのブログは公開されます。やっぱり和樹に添削頼もうかなと思い始めました。皆様、小さなミスには目を瞑っていただけますようお願いします。

私のブログが終わるとまた、4年間チームを最前線で引っ張ってきた選手、スタッフ達のブログが続きます。気休め程度に読み流していただけましたら幸いです。

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「どうしてソッカー部のマネージャーになったのか」

これが分からなくなったのが2021シーズンの始まりでした。高校生のときは、どうしても慶應でどうしてもソッカー部に入ると決めていたのに、その理由が分からなくなりました。私はこのシーズンの年間目標に「どうしてソッカー部のマネージャーになったのか忘れずに仕事に向き合う」と記していました。マネージャー定例ミーティングで、アドバイザーの駒野さん(H30年卒)から、「良い目標だね、素敵だと思う」と言っていただいたのを覚えてます。でも、ごめんなさい。その時の私は、忘れずに仕事に向き合うどころか、マネージャーになった理由を忘れていました。途中入部でも何でもいいから入部したかったはずなのに。

1年生の時は、できること、分かることが増えていくだけで毎日楽しくて、成長している実感がありました。1年生ながら、チームの一員として何らかの力になれているような気もしていました。何をするにも当たり前のことですが、ただできるようになることだけでは足りません。いかに早く、正確に、もっと言えば自分にしかできないことをしなければいけないようになっていきます。そんな中でも、基本的にこなさなければいけないタスク量は決して減りません。ボトルに水を組んでいるうちに得点にも失点にも気付けない、一緒に喜ぶことも悔しがることもできません。私の中で、マネージャーの業務に対する違和感がどんどん膨らんでいきました。そのうち、私にとってどうしてもやりたかったマネージャー業は、やらなきゃいけないこと、やりたくないことばかりになっていました。

入部した頃は毎日のように聞かれていた「どうしてマネージャーになったの?」という質問は、次第に自問自答する質問に変わりました。マネージャーになりたいと思ったきっかけは覚えていませんが、大学ではサッカー部でマネージャーをするものだと勝手に決めていました。受験時の志望校も、関東リーグに在籍している体育会サッカー部がある大学ばかりで、視野を広げなさいと担任の先生に言われていたこともありました。出身の國學院大學久我山高校サッカー部が大好きで、3カテゴリー分ほとんどの試合を欠かすことなく観戦していました。今と同じ、4年間もです。誰に頼まれた訳でもないのに何百枚と写真を撮り、Twitterで勝手に試合速報までしていました。練習の予定も把握していたし、練習試合の予定も聞き出しては、観戦に行っていました。久我山サッカー部にマネージャーという枠がなかったから、マネージャーに憧れていたのかもしれません。試合中、何か自分にできることがしたくて撮り始めた写真を楽しみにしてくれているのが嬉しくて、やりがいを感じていたからかもしれません。ただ、どんなに試合に行こうと、写真を撮ろうと、所詮私の応援は微力でしかなく、自己満でしかありませんでした。だから、もっと側で、もっと私にできることで、選手やチームの力になりたかったのだと、今なら思います。

残りの日数が数えられるほどになっても、マネージャーの私にできたことは微力でしかありません。どんなにかっこいいメンバー発表の画像を作っても、告知画像を作っても、言ってしまえば自己満です。強いて言うのであれば、モチベーションビデオは血反吐を吐く思いで作ったのでモチベーションに繋がってくれていたらと思います。私にしかできなかったことと言えば、本当にこのくらいでした。広報部門をこれまで引っ張ってきてくださった、美里さん(R2年卒)、舞さん(R3年卒)、瑶さん(R4年卒)。投稿の一言一句、絵文字のひとつを取っても細部の細部までこだわっていたような先輩方に育てていただきました。繋いできたものを残すことも、革新していくこともあまりにも難しいことばかりでした。4年生になったらもっといろんなことができるようになると思っていましたが、現実はそんなことありません。毎週の関東リーグの投稿のチェックですら、私には一苦労でした。方向性を定めるのも、周りを巻き込むのも部門長の役目です。しかしそういうところはほとんど廣田に任せっきりになってしまいました。直接伝える訳はないので、ここで感謝しておきますね。「いや、伝えてくれよ」と本人がツッコむだろうなあと想像までできてしまうのも悔しいです。

広報以外にもやるべきことは沢山ありますが、残りの日数で私にしかできないことは、みんなの一瞬を一生残せるものにすることくらいだと思っています。だから、練習の写真も撮って欲しいでも、メンバー発表の動画も作って欲しいでも何でも言ってみて下さい。僅かでも、力になるのであれば、やってみせます。私は自己満だと思っていても、「そんなことないよ」と言ってくれる選手が1人でもいることを願って、残りの日数も邁進します。

これまでも、もっとできたでしょ?と言われればぐうの音も出ません。

むしろ、迷惑をかけた思い出の方が鮮明です。

私たち同期3人のマネージャーはしばらくの間、仲が悪いで有名だったような気がします。気のせいではありませんね。私たちは入部時期も性格も部活でやりたいことも全く違いました。おまけに誰も譲りません。特に、くるみとは4年間で1番喧嘩したと思います。20歳を超えてから言うのも恥ずかしいですが、どれもこれも喧嘩だったと思います。挨拶すらしない時期もありました。マネ部屋のみんなにも、同期のみんなにもそれ以上にも気を遣わせ、迷惑をかけました。ただ、どれだけ同期に「くるみのこと嫌いなんでしょ?」と聞かれてもずっと嫌いではありませんでした。どんなに言い合いをしていても嫌いにはなっていませんでした。くるみも言っていたように、意外に価値観は似ていると私も感じています。だからこそ、お互い譲れないことだらけで、しかもそれを我慢できなかったのだと思います。全部ぶつけ合って、引いちゃうくらい大泣きして、ラストシーズンはなんだかんだ3人で良い感じにまとまったと思います。あの頃の仲の悪い3人しか知らない先輩達、びっくりしちゃうと思いますよ。それぞれが全く違って、何を譲れなくて、どんなことをしたかったのか、時間はかかりましたが、やっと理解し合うことができました。今でこそ、業務内容は全く違いますが、お互いの業務を尊敬し合えていると思います。真恋とくるみには沢山のごめんなさいとありがとうを伝えなければいけません。一旦、ありがとうね。

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数日前、1年生の時の私を1番気にかけてくれていた沼崎和弥さん(R2年卒)から「なんやかんや辞めずに頑張ったな笑」とメッセージが送られてきました。沼さん、まだ終わってませんよ。入部して1週間も経たずに帯同した神戸遠征で、「このままじゃこの子辞めちゃうな」と沼さんに思われていた私も、引退まで数えられるほどになりました。引退する時の理想像には、1ミリもかすっていません。もっと立派で、もっと何でもできて、もっと頼り甲斐があるものだと思ってました。思っているだけでは、どうやっても近づけませんね。今更どの口が言うんだという感じですが、もっとできたなと思います。何度も辞めちゃおうかなと思いながらもここまで続けてきました。それにも後悔はありません。私が辞めようと思えばいつでも辞められるくらい、マネ部屋は頼もしいチームです。

何年経ってもあまりにも丁寧すぎるLINEを送ってくれる実咲ちゃん、

サッカーのルールを取っ払った私が大好きな実況をしてくれる風間、

いつもキラキラした瞳で話を聞いてくれるりおちゃん、

いつからかさん付けも敬語も使わなくなった勝又、

マスカラの変化まで気づいてくれて恋愛トークも美容トークも1番したソヒョン、

真菜さんのデザインするものが好きですと言ってくれたはなちゃん、

チーム付き最強コンビになれた友香ちゃん、

真菜さんとのシフトが1番楽だわ〜と褒めてるのか失礼なのか分からないけどだいたい失礼なことを言ってくる若杉、

前置きの前置きまで長すぎて本題まで辿り着かない岡﨑、

圧倒的ゴール裏サポーターすぎる彩夏ちゃん、

マネ部屋でいちばん最先端を生きる関りほ、

1年生とは思えないくらい落ち着いたツッコミをしてる咲良ちゃん、

真恋も含め、マネ部屋14人、全員が私の自慢です。いろんなわがままを聞いてくれてありがとう。

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「まな、同期のこと好き?」と森に聞かれました。私の答えは、「好きなんだなって気付いた」でした。「ぐぅ〜〜じゃ〜〜ん」と言いながら彼はどっかに行きましたが、この問いがなければ気づけなかったかもしれません。ありがとうね。当たり前のように一緒にいて、好きかどうかなんて考えたこともありませんでした。どちらかというと選手との絡みは少なかったですが、嫌いだったことはありません。同期のみんながサッカーをしているのを観るのが大好きで、叶わないと分かっていてもこれから先も同期のみんなが活躍する試合を見たいと願います。引退を惜しく思う理由はみんなのサッカーが見れなくなることです。この学年らしいと言ってしまえばそうなのかもしれませんが、最後までいろんなことを抱えている代です。ただ、今まであったいろんなことも笑い話にして、お酒のつまみにして、酔った勢いでもいいから、またみんなでサッカーしようよとか言ってくれたらいいなあと、この代のマネージャーの1人として思います。そんなことがあれば、ポカリでも塩分チャージでも持っていくし、エクセルで0からメンバー表だって作ります。サッカーが好きなみんなが好きだし、みんなのするサッカーが私は大好きです。

最後になりますが、どこを振り返っても、先輩にも後輩にも沢山の方々に甘やかしていただいた4年間でした。本当にありがとうございました。悔いなく終われるかどうかはまだわかりませんが、ソッカー部を選んだこと、マネージャーを選んだことに悔いはありません。ソッカー部、そしてマネ部屋に、今後共変わらぬご支援ご声援の程、宜しくお願い申し上げます。

明日のブログは、宮本稜大(4年・國學院大學久我山高)です。

部内で唯一、私のことを倉橋と苗字で呼んできます。高校時代から変わらない安心感に救われています。私がこの部活に入れたのも実は彼のおかげです。高校生の頃から7年間、何かと助けてもらってばかりですが、面倒も見たし、お願いも聞いてあげたし、お菓子も食べ物もいっぱいあげました。ゴールを決めて喜びすぎてとんでもない顔になっている写真も含めて、私は彼の写真を1番撮っているような気がします。怪我を抱えながらもTOPチームのFW枠は譲らなかった選手です。付き合いは長いですが、どんなことを考えているのかはあまり聞いたことがありません。そんな彼が、4年間何を考え、サッカーと向き合ってきたのか、楽しみです!

《NEXT GAME》
10月29日(土)関東リーグ戦 第20節 vs中央大学 @非公開 14:00キックオフ

脱・「いてもいなくても変わらない存在」(川上くるみ)

2022.10.25

「いてもいなくても変わらない存在」
何気なくグラウンドで耳にしたこの言葉を、いつしかすごく意識するようになった。

昨年の冬、私は3年間務めたマネージャーの役職を辞め、グラウンド業務専任のメディカルというポジションに就いた。恐らく私の役職名をこのブログを通して初めて知る部員も多いのではないかと思う。
役職を変えるということは想像以上に大変だった。3年間業務を行なってきた環境との明らかな変化、0からの仕事の確立、そして新しい人間関係の構築。1年間ではとても達成することが出来ないほど膨大なタスクと責任を抱えていたと同時に、自分で選択した道であったにも拘らず同期の中で自分だけ振り出しに戻ったような気持ちで、役職を変える選択をした自分を少しだけ憎んだこともあった。
大変情けない話ではあるが、グラウンドに出るようになった当初は週6回下田に来てトップチームの練習に参加するという生活リズムを送るだけで精一杯だった。周りの気を配るなど以ての外、練習中何をすればいいのか、どんな流れで練習が進むのか、どんなことを求められているのか。とにかく0から100まで分からないことばかりで、見事に足を引っ張っている自負まであった。
こんな調子で仕事を円滑に進められるわけもなく、ビデオの撮り損じなどといった安易なミスを連発してしまい、申し訳なさと、自分に対する怒りで帰り道に涙が止まらない日々が続いた。

最高学年のはずなのに、ラストイヤーのはずなのに、何もチームに貢献できない。
気づけば、自分は完全に「いてもいなくても変わらない存在」になっていた。

そんな期間が続き、一緒に仕事をさせてもらっている男子スタッフ達からも諦められているのではないかという不安で、必要以上に話しかけることを避けていた頃、1年生の夏以降細々と続けている部活ノートを見返す機会があった。
そこには昨年の冬に行なった学年スタッフミーティングで、とある男子スタッフから言われた言葉がメモとして残されていた。

「周りを見れば、必ず自分より頑張っている人がいる。その人を見ていれば自分ももっと頑張れると思えるはずだし、それが結果的にチームへの貢献に繋がる。」

当時の私にはこの言葉がぶっ刺さったのを覚えている。人を支えたくて体育会にスタッフとして入ることを決めた自分が、いつの間にかその目的を忘れており、自分ばかりにベクトルが向いてしまっていたことに気づいた。いかに自分が無力か、いかに自分の存在価値を見出すか、いかにいてもいなくても変わらない存在か。そんなことばかりを考えていて、周りを見る余裕など全くなくなっていた。
この言葉を再び目にして以降、「自分が何をできるか」というマインドではなく「自分より頑張っている人たちがそれぞれの立場で何をしているか、自分が何をすれば彼らにとってプラスになるか」ということを考えるようにし、常に一緒に働く仲間達をよく見るようにした。
すると、まさにこの組織には自分より頑張っている人ばかりであるということを再認識させられた。自分よりはるかに多くのタスクをこなし、かつ莫大な時間を部活に捧げ、常にチームのことを考え続けるグラマネ、コーチ陣。選手としての活動を時には犠牲にし、チームの先頭を走り続ける存在として130名の大集団を牽引する主務、副務。けして華やかな立場ではなくとも、資料作成から試合帯同まで多岐に渡るマネジメント業務を文句ひとつ言わず全うするマネージャー陣。責任という最大の重圧に負けることなく着実に毎公式戦の舞台を準備してくれる学連。そして誰よりも選手のコンディション状況に目を配り、自分のメディカルの仕事確立にあたっても常に親身になり相談に乗ってくれたトレーナー。

私の周りは、自分よりはるかに頑張っている人たちばかりだ。

だからこそ、メディカルという新しい役職をもらった自分にしか出来ないことをとことん突き詰めることに注力した。毎週のペースで増えていくテーピングの習得や初の試みであるGPSデータの管理、指の指紋が消えるほどの夏場のボトル地獄。いずれもラストイヤーにして初めて経験することばかりであり、地味な作業がほとんどであったが、自分より頑張っている存在が周りにいる限り、不思議とつらいと思うことも逃げたいと思うことも一度もなかった。
これは自分が担当を任されていたTOPのリハビリ管理においても同じことが言える。怪我をした選手がどんな気持ちでリハビリと向き合い、復帰していくのかの一部始終を間近で見るのは今年が初めてだった。「サッカーしてえー」と毎日ぼやきつつも地道に長期間のリハビリを行う選手や、こっそりテーピングを頼んでくる選手、また時には痛みを我慢して踏ん張る選手を間近で見る立場として、自分は自分よりはるかに頑張っている彼らの為に頑張ろうと思えたし、テーピングは必ず最短で出来るようになりたくて、家で猛練習した。そうして選手がリハビリ期間を経てグラウンドに復帰していく姿は、本当に私の原動力であり、メディカルという役職の中で最も嬉しい瞬間でもあった。

今の自分は「脱・いてもいなくても変わらない存在」を達成出来ているのだろうか。
3週間後、もう一度自分に確認しようと思う。

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最後に、
「何かにチャレンジするということは、誰かが代わりに責任を負うということ。」

メディカルという役職に転向し、強く感じたことである。
私は3年間務めたマネージャーの役職を自ら辞め、最終学年という立場であるにも関わらず、外業務という新しい領域に挑戦させてもらった。新しいことにチャレンジしたという事実は表立って見える変化であり、一見その事実だけに目を向けがちだが、新たに何かに取り組むということは元々その人が担っていた責任を誰かがカバーしなければならないということでもある。自分のメディカルという立場を最後まで全うすることができたのは、同期であるまことまなが本来私が行うはずであった仕事や役割を代わりに担ってくれた上、時には感情をこらえながら、最高学年としてマネ部屋をまとめ続けてくれたからである。自分がマネージャー業を半分放棄する形となってしまい本当に申し訳ない気持ちも少なからず残るが、それ以上に最大限の感謝を伝えたく、最後に書くことにした。二人は間違いなく「いなくてはならない存在」であった。4年目にもなると面と向かってお礼を言うのもなんか照れ臭いので、きっとこのブログを読んでくれていると願い、最大限の感謝を伝えたいと思う。2人とも、4年間本当にありがとう。

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最後までお読みいただきありがとうございます。
部員ブログを担当させていただきました、メディカル4年の川上くるみです。まこ、普段からマネ部屋で1日1回は必ずしてくる99年いじり、きっとブログでもやるんだろうな〜なんて思っていたら見事にしてくれていました。このいじりも残り3週間かと思うとなんだか急に寂しいです。まこは、ブログの文章を見て分かるように、本当にまっすぐな心を持ったマネージャーです。やると決めたことは一切の妥協をせず最後まで全力で取り組みます。また、優しすぎる性格ゆえ、思ったことをそのまま相手に伝えるのが苦手なところもありますが、ラスト1年、まこが状況に応じてはっきり物を言うようになった姿には思わず感動することが多々ありました。

ソッカー部人生において最初で最後となるブログでは、最も挑戦が多かったラストイヤーにスポットライトを当てて書きました。私は普段から自分のことを周りに発信するのが少し苦手で、今回のブログもぎりぎりまで書く内容に迷いましたが、先日電車で後輩の山口紘生に「くるみさんって週何回来てるんですか?」なんていう今更すぎる質問を聞かれ(悪意がないのは分かってます!)、そんなにも自分は影が薄かったのかととてもショックを受けたので、最後のブログでは、私にしてはかなり率直な思いをそのまま綴らせていただきました。

本当の最後になりますが、
大学4年間、ソッカー部女子部から男子部への転部にはじまり、最終学年手前では役職の転向を経て、入学当初では想像し得なかったような波乱万丈のソッカー部人生を送らせていただきました。何かと未熟で、挑戦したがりの私を支えてくれた全ての皆様、本当にありがとうございました。名前を挙げたい人は山ほどいるのですが、皆さんへの感謝は残り3週間の部活を最後までやり切ってから個人的に述べたいので、ここでは皆様方への最大の敬意と感謝を申し上げて、最後の部員ブログとさせていただきます。

さて、次のブログリレーのバトンはマネージャー・倉橋真菜(4年・國學院大學久我山高)に渡ります。
まなは、ほぼ同時期に男子部に入部した同期であり、言わずと知れた広報の天才です。私は広報センスがないので広報系には一切携わってこなかった人間なのですが、そんな私からするとまなが撮る写真や、手掛ける広報作品はどうしてあんなにも毎回すごいものに仕上がるのか、1年生の頃から不思議でたまりません。
まなとは4年間、たくさん本音でぶつかり、時には喧嘩もし、時にはくだらない話で盛り上がったりもした貴重な存在です。意外と価値観が似ている部分も多く、まなの話を聞くと度々「わかるー」という言葉を連発してしまいます。
常に第三者的目線で周りを冷静に見ていた彼女、最後にどんな思いを綴るのか乞うご期待!

《NEXT GAME》
10月29日(土)関東リーグ戦 第20節 vs中央大学 @非公開 14:00キックオフ

「当たり前の毎日のために」(大嶽真恋)

2022.10.24

平素より温かいご支援ご声援いただき誠にありがとうございます。
環境情報学部4年マネージャーの大嶽真恋と申します。

海人くん紹介ありがとう。詐欺と言われてしまっているのは心外なので弁解させてもらうと、海人が遊ぼうと唐突な電話をかけてくる時は大抵次の日3:30起きの朝シフトです。詐欺じゃなくて本当に時間がちょっと合わなかっただけなんです、これからたくさん遊ぼうね!目が合うとウィンクしてくるかわいい海人だけど、昨日のIリーグは4年生の意地さえも見えちゃって本当にかっこよかったです。ひとまずおつかれさま!

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「お父さんがサッカー選手だったからね〜。」

“いわゆるマネージャー”向きの性格ではないし、スポーツはやる方が好きというタイプの私は「なんでサッカー部のマネージャーやっているの?」という質問に悩み続けました。家に帰ればDAZNがついていて、新年の親族の集まりは高校選手権と大学サッカー界の話。元Jリーガーの父と叔父を持つ大嶽家では当たり前のように生活の中心にはいつもサッカーがありました。だから決まった選択肢のように大学合格と同時に体育会ソッカー部に入部していました。とは言いつつも…よく考えてみると“大学サッカー部の同期が人生の仲間”のように誇りを持ち生きる父たちの関係は憧れで、いつか同じような環境で過ごしてみたかった。少しでも大嶽家の一員らしくサッカー界の景色を見て、サッカーに関わって恩返しをしたいという思いは心のどこかにあったような気がします。
入部早々応援用ユニの背番号を決められず祖母に相談した際、嬉しそうに父の学生時代や現役時代のユニフォームの写真を送ってくれたLINEは今でもよく覚えています。数えるほどしか着ていない黄ユニだけど29番にしたのは思い出のひとつです。

ここまで書いただけでもなんだか恥ずかしいです。太壱と滉は私のブログがちゃんと読めるものになっているか心配してくれていると思います。私も不安ですが、せっかくいただいた機会ですので私らしく文章を綴ろうと思います。

振り返ってみると私の4年間は地道にマネ部屋でMacBookに向き合い続けた生活でした。
だからなのか「真恋っていつもなにしてんの?」と言われることが多かったです。確かに日常業務に加えて湧いて出たようなタスクやピンクノート案件のメール対応だったりとマネージャーが毎シフト4時間もマネ部屋で何をしているのか説明することはとても難しいのですが、OB会のデータや年会費の管理、試合の資料作成などをしていました。ちょっと真面目に書きすぎと勝又から指摘が入りそうなので、、、試合準備の楽しみといえば今や恒例イベントとなった相手校選手の漢字フルネームで1番かっこいいのは誰かチェックすることでしたね。若杉はこの不毛すぎる会話が大好きらしいので残りの4試合でもしっかりこのイベントを開催してあげようと思います。

“組織を支えるための業務をやりたい。けど表で輝く人をふと羨ましく思ったり、裏の支える仕事だけでは頑張りは見えないからこそ周りからの評価が気になったりするかもしれない”

これは後輩からの相談だったのですが、人間らしく素直な気持ちであって私にもこの気持ちのもどかしさは痛い程わかりました。何千文字ものWordと睨めっこし,の中から.を探すことに何時間も格闘する自分に対して「何やってるんだろう」とふと虚しく思うこともありました。目標が立てにくく、定性的で成果がはっきりと見えないマネージャーの仕事に終わりはないのです。でもこの終わりのない仕事こそがマネージャーのみんなの力の見せ所で、成長できる可能性で、マネジメント業務への自信と誇りになると私は思っています。小さくて見えないような仕事のひとつひとつが“ソッカー部の当たり前の毎日を支えている”という責任感とその中で見出した業務のやりがいを楽しむことが大切だと考えて4年目の今、私は残り僅かなマネージャー業務を楽しんでいます。

『マネージャーもチームワークが大切でお互いにいないと成り立たないからこそ連携を取り、ミスがあってもカバーし合うこと』と先日の定例ミーティングの際に業務を振り返ってくれた後輩がいます。とても感動しましたし、頼もしい後輩に育ったなあと一人胸が熱くなりました。まさに私の伝えたいことをうまく言葉にしてくれていたので思わず借りてしまいました。ブログチェックやOB配信の文面作成、試合前の資料作成にマネグ作成。人から見えるようなタスクもそうでない自分にしか頑張りが分からないようタスクも、全部が確実にマネジメント業務の土台でその土台を全員が持っているからマネージャー業は成り立っています。マネージャーもTOPやB1、B2、Cのようにマネ部屋というひとつのチームです。一つだけ違う点があるとするならば他の誰かの仕事と比較し出来を競う必要はないし、パフォーマンスのアピールが重要なのでもないということでしょうか。選手や組織に競技を通して何か貢献できたり、勝利のための直接的な支えなんてものは皆無に近いかもしれません。でも、当たり前にやるべき行動をすることでソッカー部が当たり前にサッカーできる環境にあり続けることに繋がっているはず。

目立つような仕事でなくても自分が納得できるまで頑張ること、やり遂げたと思えるまで向き合うこと。結果の良し悪しや評価でなく、その人なりの頑張りをそっと見ていてくれている人がいるはずです。1年の時の私は先輩にナイス!と言ってもらいたくて頑張っていました。上級生になってからは後輩のためになるような先輩になりたくてたくさん考え、みんなを見守り、背中で示せるように手を動かしました。応援に来てくださるファンの方にソッカー部というチームを好きでいてほしくて、保護者の方々にまた試合会場に来ていただきたくて笑顔で受付をしました。どれも小さなことで”ガクチカ”と言うには圧倒的に弱いものでしょう。それでも私の中でのソッカー部のマネージャー業について考え向き合ってきました。

 

――――― 24時間365日ソッカー部のマネージャーでいること ―――――

 

さすがに大袈裟なので笑ってくださいね。
メールの返信をすること、景と健翔からのタスクに応えること、マネージャーの後輩からの「メール下書き入れました!」を確認し送信すること、選手からの「今週末のスケジュールって?」LINEに対応すること、全カテゴリーの試合資料の確認をすること。あげたらキリがないのですが24時間LINEの通知とniftyの送受信は止まることなく動き続けるし、その通知に置いていかれないよう常に携帯とMacBookを手放さずに当たり前の日常を重ねていったらいつの間にか私の中のマネージャー業とは“24時間365日マネージャーでいること”になったような気がします。でも息抜きも重要でマネ部屋での後輩たちとのドラマの話や不毛すぎる会話、風間のネタ帳で笑える時間はとても愛おしいです。ちなみに世にも奇妙な物語ネタは彼のここ最近で1番の出来なので一回は聞いてみてください。

今だからこそマネージャー業を振り返り文字にできていますが、大学生活の喜怒哀楽のほとんどは部活のことで感情が揺さぶられ苦しくも考え続けた日々でした。私はマネージャー適任タイプではないんだなとずっと思っていたけれど、それでもこの4年間マネージャーという選択をしたことに後悔はありません。最高の同期やかわいい後輩たち、憧れの先輩に出会って広い世界を知り大きく成長できたかけがえのない時間となったからです。私のしてきた事は微力だけど、ソッカー部が常にサッカーができる環境作りに4年間を通して関われたことを誇りに思います。そして苦しい時間もあったけれど、マネージャーを選択して、ソッカー部に入部してよかったと最後の瞬間を最高の笑顔と寂しさの涙で迎えられそうです。

今私はソッカー部のマネージャーでよかった。そう本気で思っています。

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感謝を伝えたい人がたくさんいるのでこの場を借りて伝えさせていただきます。

駒野さん
グラウンド脇で「話を相手に伝える練習をしようか」とおっしゃった日を覚えていますか。至らない点が多く業務内外問わず迷惑ばかりかけてしまいました。それでも誰よりも熱く、厳しくも愛のある指導でマネ部屋を見守ってくださり本当にありがとうございました。今後もマネ部屋を宜しくお願い致します。

先輩方
最初の2ヶ月間くらいは日吉のデイリーあたりから緊張してドキドキしながらマネ部屋に向かっていました。7人のかっこよくて憧れの先輩に囲まれていた時間は大切な宝物です。見守ってくださってありがとうございました。

後輩のみんなへ
至らないことは多いし威厳もないし、決して最上級生らしくはなかったと思います。だからこそみんなに支えてもらっていた1年だったと心から思います、たくさんありがとう。頼もしくて責任感もあって、向上心もある後輩のみんななので来年以降のマネ部屋にも期待しています!一人ひとりにメッセージ書いちゃおうと思ったんだけど、まだ私引退してないじゃん!って思ったのでやめておきますね笑 あと少しよろしくね!

彩花へ
早慶というライバル校でありながら親友として、仲良くしてくれて本当にありがとう。同じ環境で一緒に切磋琢磨することができてよかった、彩花との出会いのおかげで大学生活には彩りが出ました。

真菜・くるみへ
たくさんのことを乗り越えたね。3人で最後を笑顔で迎えることができて本当によかった。タイプも性格も部活でやりたい業務も違う3人だったからバランスを取ってこれたし、本音で話すこともできたと思う。たくさん迷惑もかけたと思うけど、2人のおかげで成長して4年生になれました。本当にありがとう。

同期へ
サッカーが好きで、頑張り続けてるみんなはとってもかっこいいです。それに加えて面白くて個性豊かで人としてもかっこよくて、同期なのに憧れるし尊敬もできるそんな素敵な存在で大好きです。これからは「会おう」ってわざわざ約束しないと顔を合わせることもないのかと思うと本当に寂しいです。引退しても社会人になってもずっとみんなに会いたいです。そしてみんなには本当に感謝しています。この代でソッカー部のマネージャーを4年間やらせてくれて本当にありがとう。
そして横浜支部へ、どんな時も一緒に過ごしてくれて本当に感謝しています。みんなの存在はとっても大きな支えでした。

家族へ
どんな時も支えてくれてありがとうございました。まあちゃんの常にサッカーに関わり充実している生活と楽しそうな姿を見て本当にサッカーが好きなんだなと思っていたし、それが伝染していました。大嶽真人の娘でよかったと思う瞬間がこの4年間にはたくさんありました。お母さん、明日何時?と毎日確認してくれてありがとう。ママ会から楽しそうに帰ってきたり、面白いお土産話聞くのは結構好きでした。

 

最後になりますが、ソッカー部に日頃より多大なるご支援ご声援を寄せてくださる全ての皆様にこの場をお借りして御礼申し上げます。至らない点も多くご迷惑やご心配をお掛けしてしまうことも多々あったと思いますが、温かく見守ってくださりありがとうございました。
今後共変わらぬご支援ご声援の程、宜しくお願い申し上げます。

次は実は1歳年上のお姉ちゃん、川上くるみ(4年・慶應義塾湘南藤沢高等部)です。「2000年生まれだから!(早生まれ)」と強がってきますがちゃんと99の代ですからね!引退後に年上いじりが恋しくなったらいつでも連絡してください。入部から今日まで数々の決断と行動をしてきたくるみ。最後の1年はメディカルという決断をし、新たなポジションで努力し走り続けた彼女。秘めた彼女の想いが読めるのをとても楽しみにしています!

《NEXT GAME》
10月25日(火)関東リーグ戦 第14節(延期分) vs立正大学 @非公開 18:00キックオフ

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