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「安易なプレーなんか出来るわけがない」(酒井綜一郎)

2021.10.30

平素よりお世話になっております。皆からバトンを引き継ぎました、法学部政治学科4年、主将の酒井綜一郎です。伝えたいことが山のようにあるので、前置きは省略させていただきます。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

○第一幕:決意
「何故あなたはソッカー部を選択したのか」という問いに対してブログを綴っていた同期も多いと思うが、改めて私も皆に同じことを問いたい。

あなたは何故、ソッカー部を選択したのですか。

私の場合、高校の時に成し遂げられなかった責務を果たすためである。高校3年時、慶應義塾高等学校ソッカー部の主将を務めたものの、神奈川県1部リーグ降格という結果で幕を閉じた。田嶋(4年・三菱養和SCユース/暁星高)のブログにもあった通り、結果が全ての世界である。高校でサッカー人生を終えた多くの同期に、降格という結果で引退させてしまったからこそ、非常に申し訳ない気持ちで一杯だった。私は、主将として果たすべき責務を、全うすべき役割を担わなければならないと思った。だからこそ、彼らの分まで背負って大学でプレーをする決意をした。
大学ソッカー部に入部したての頃は3軍であったものの、順調に昇格していき、1年の秋頃には1軍のスタメンとしてピッチに立つことが出来ていた。2年、3年はほとんどの試合に出場させていただき、徐々に自覚、責任感が芽生えていった。そして、2021年1月、学生による主将決めが始まった。どういう代にしたいか、何を成し遂げたいか、それに相応しい主将は誰なのか。ミーティングにミーティングを重ねた結果、最終的に立候補した私が務めることとなった。

仲間に高校の時のような思いは絶対にさせない。

そう決意した。監督からも、高校で降格させてしまった経験があるからこそ、それを活かさなければならないとお話をいただいた。もう一度、高校時の仲間も私の船に乗せて、勝利の喜びを味わわせてあげたい。そのために結果に拘り続ける1年にしようと心に決めた。

○第二幕:現実
しかしながら、現実はかなり厳しいものであった。どんなに頑張っていたとしても、見てくれた方に「良い試合をしていたね」と言われたとしても、1つの判断ミス、1つの技術的ミスが結果を狂わし、なかなか勝ち点を積み重ねることが出来なかった。監督はよく練習に身が入っていないと感じると、次のようなことを言う。「早慶戦前日と同様のモチベーションで今日の練習に臨めているのか。」全くその通りだ。心のどこかでまだ大丈夫、次勝てば問題ない、なんとかなる、俺達は頑張っている、そう思って負けた次の週を迎えたことがあった。だからこそ、このような危機的現状に陥ってしまった。
全くもって私は3流の主将である。自分のことだけで精一杯になり、組織に危機感を芽生えさせることすら出来なかった。そんな中、一時キャプテンマークを巻けなくなった何試合かの間で、冷静になってチームを客観視した時に気が付いたことがあった。

○第三幕:想い
私は決して1人ではない。最も近くには、副将の田嶋と篠原がいる。主務の彬、トレーナーのたかき。グラマネには、あべしん、ともきがいて、瑶達マネージャーがいる。元から全てのことを私が担っていたわけではないが、当たり前であるこの事実を再認識した時に自然と気持ちが軽くなった。人それぞれ役割があって、それを全うしている。今までも認知はしていたものの、それをしっかり理解し、見ようとはしていなかった。だから、誰が何をしてくれているのか、その全てを知りたくなった。日々の練習を作るのには実際どれほどの時間が掛かっており、検温未記入者の選手にリマインドするにはどれほどの手間が掛かるのか。合宿所には毎日誰が泊まってくれていて、リサーチ班がどれほどの時間を費やして相手分析を行なってくれているのか(他にも沢山ありますが、割愛します)。各々には果たすべき役割があり、担うべき責任がある。ただ、同じ組織に所属している以上、誰が何をしてくれているのか、理解しておく必要がある。私自身もまだまだ知らないことがあるのかもしれない。ただ、多くのことを知ったからこそ、私は思う。

安易なプレーなんか出来るわけがない。安易な行動なんか出来るわけがない。

試合において、ヘディング1つ、クリア1つ、対人1つ、決して負けるわけにはいかない。試合だけではない。日々の練習から手を抜くことなど許されるはずがない。私達は毎年プロになる選手が1人いるかいないかのチーム。だから何だ。それが他大学に負けていいという理由に繋がるはずがない。良い試合をしても負けては意味がない。
ピッチ外も同じ。これら全てのことを理解した上で、安易な行動が出来るわけがない。軽率な行動が出来るわけがない。この大学生活の4年間をサッカーに捧げると決めた以上はサッカーを最優先すべきだと私は思う。彼女とのデートでミーティングに参加出来ない?バイト?就活?知りません。サッカーに全てを費やしてくれている仲間がいる以上、その期待に応えなくてはならない、その努力が報われるような努力をしなければならない、し続けなければならない。サッカーが全てであってくれ。

皆の役割を理解した時、必然的に私の役割も理解した。私の役割、それはピッチで誰よりも戦うことだ。今日の試合、私は誰よりも戦う。途中どんな状況になったとしても誰よりも戦う。足がもげても、呼吸が出来なくなっても、私は戦う。

後輩へ
まずはこの1年間、サッカーの喜びを沢山伝えることが出来ず申し訳ない。これからも沢山きついことがあるだろう。もしかしたらグラウンドに行きたくないと思う日が来るかもしれない。私も1軍(A)に上がりたての頃は、毎日練習に行きたくなかった。練習においてミスをしたくないし、自分のミスで練習の雰囲気が悪くなるのが嫌だったからだ。だが、サッカーが嫌いになったことはない。辞めたいと思ったこともない。それは単純にサッカーが好きだから。勝利した時の喜び、皆のしわくちゃな笑顔、その瞬間を味わうのが何よりも好きだから。
皆、以下の3つのことを約束してくれ。
どんな時も組織を愛せ。ソッカー部がいかに恵まれているのか、自分という人間がいかに恵まれているのかを知ろうとしてくれ。全てを知った時に重圧を感じるかもしれないが、自然と力がみなぎってくるはず。それはこれまでとは比べ物にならないだろう。愛があるから、どんな状況でも折れることはない。愛があるから、叱れる。愛があるから、涙が出る。愛があるから、力が溢れ出す。愛があるから、目の前に強いシュートが飛んで来たとしても顔を背けることはない。
勝手に限界を作るな。この世に天才など存在しない。確かに、橋本(4年・横浜FCユース/希望ヶ丘高)は周りの選手よりも少しだけ優れており、スタートラインは一緒じゃなかったのかもしれない。だが、今の橋本を作り出した99%は、彼の努力だ。毎日FKの練習をして、シュートの練習をして、ジムに通って、眉毛を整え、マツ育をしている。彼はブログで、「(Aチームの)舞台への距離は遠くない」と綴っていた。それは間違いないだろう。ただ、その舞台で輝けるかどうかは別の話だ。考えてみてほしい。慶應で1番上手い橋本が1年の頃から人の何倍も努力をしていた。そうして今の橋本がある。先ほども言ったが、君達のスタートラインは若干、いやかなり後ろだ。そこから彼を追い越す、もしくは並ぶためには、どれほどの努力をしなければならないだろう。最高の瞬間を味わいたい、最高の景色を最高の場所で見たいなら、人並みの努力じゃだめだ。「もう無理」なんて絶対に口にするな。途中で諦めた選手には諦めたところからしか景色が見られない。最高の瞬間を味わいたいなら、馬鹿にされるくらい努力し続けろ。慶應で出られる選手ではなく、慶應を勝たせる選手に成長しろ。
戦え。皆が分かっている通り、主将の私は決して上手くはない。だが、空中戦と対人には絶対的な自信がある。それは中学からの10年間、磨き続けてきたからだ。自分の武器を見つけろ。そして磨き続けろ。そうすれば、その武器1つで他大学のJ内定者とも渡り合える。私の言葉を信じろ。ただ、それでも厳しい時はある。ミスする時もある。要らないプライドは捨てろ。今までの努力を思い出せ。試合において、ミスを後悔している時間が惜しくなるはずだ。

分からないことがあったらいつでも頼ってこい。いつでも叱ってやる。いつでも鼓舞してやる。それでも達成出来なかった時は、一緒に泣こう。

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最後に、この場を借りて感謝を伝えます。

監督、社会人スタッフの方々へ
本当に感謝しかありません。サッカーはもちろんのこと、人として大切なことを沢山教えて下さり、ありがとうございました。褒めて下さったことよりも、叱って下さったことが圧倒的に多いですが、沢山叱って下さったからこそ、大切なことに気付けた今の私がいます。これからどんな壁にぶつかったとしても、心が折れることは早々ないと思います。

同期へ
4年間一緒に歩んでくれてありがとう。一緒に戦ってくれてありがとう。最後まで3流の主将で申し訳ない。沢山笑ったし、沢山泣いたし、沢山喧嘩した。名前を挙げたい人が多いが、長くなるのでLINEでそれぞれ送りますね。清水(4年・Sockers FC Chicago Academy/William Fremd High School)、送られてこなくても、あんまり気にしないでね。皆、これからも良きライバルであってくれ。

両親へ
18年間、自由にサッカーをさせてくれてありがとう。お父さん、小さい頃から何かと送迎してくれてありがとう。お母さん、どんなに朝が早くとも毎日おにぎりを作ってくれてありがとう。2人とも、これまでずっと試合会場に足を運んでくれてありがとう。食事を管理してくれたこと、精神的、金銭的にサポートしてくれたこと、決して当たり前ではありません。私を最優先して行動し続けてくれたこと、感謝してもし切れません。本当にありがとう。ゆっくりになるかとは思いますが、必ず恩返ししていきます。

今後共多大なるソッカー部へのご声援、宜しくお願い致します。

○終幕:試合を前に今思うこと
※試合前に力が入ってしまう選手は、試合が終わってから読んで下さい。
皆が知っての通り、10月24日(日)の早慶戦で怪我をした。病院で、宮内先生から3ヶ月の怪我だと診断され、頭が真っ白になった。慶應が関東1部リーグに残留するためには、残りの2戦、必ず2勝しなければならなかったからである。私が社会人でサッカーをすることは絶対にない。そのため、残りの1週間が私のサッカー人生において最後の時間であった。その終点を目前にして、私は大きな怪我を負ってしまった。怪我を言い訳にするつもりはなかった。ただ、絶望した。私よりも重大な怪我をした経験がある選手が同期にも後輩にもいることは分かっている。ただ、怪我とはある程度疎遠であった私にとって、初めての経験であった。病院を出る足取りは重く、怪我をしているからこそ、上手く前に進めない。私の横を、人々が悠々と追い抜いていく。一方、私は階段をもまともに降りることすら出来ず、電車内では席を譲られる始末。全く情けない。多くの同期が怪我に関して綴っていたが、私には正直理解は出来ても実感が湧かなかった。だが、今私自身が怪我に直面したことで皆が書いていた文章の重みに気が付いた。病院からの帰り道、自然と涙が出た。次の日の練習(駒澤戦前日)、痛み止めを飲んで、トレーナーにテーピングで足を完全に固定してもらったものの、アップすらまともに出来なかった。「この状態なら拓殖戦も厳しいかもしれない」とトレーナーから告げられた時、練習中であったものの、皆に隠れて、慶應ボード裏で1人泣いた。アイシングを作りながら、仲間が必死でボールを追いかけている姿を見て、「俺にもまだやれることはある。皆を鼓舞しなければいけない」と分かっていても、仲間の必死な姿を見れば見るほど涙が溢れた。

私も皆とプレーヤーとして戦いたい。必死になって、ボールを追いかけたい。ただそれだけのことなのに、それが出来ない。

そう勝手に諦めていた。だが、今は違う。幸いなことにまだ残留を勝ち取れる状況にいる。大切な同期や後輩達とプレーヤーとして最後の試合を戦い抜きたい。何故なら、それが私の1番全うすべき役割なのだから。駒澤に勝利し、繋いでくれた仲間には感謝しかない。だからこそ、私も最善の準備を今日までしてきた。メンバーに入るかも分からない状況ではあるが、たとえメンバーに入らなくとも全力で皆を支えることを約束する。
最後に、早慶戦の後半、円陣時に言ったことを再度言わせてくれ。
試合展開なんか分からない。先に先制するかもしれないし、先制されるかもしれない。だけどそんなの関係ない。最後に笑うのは俺達だ。俺が折れるまでは、絶対誰も折れるな。勝つぞ。

《NEXT GAME》
未定

「心が動かされる瞬間」(阿部真吾)

2021.10.28

平素より大変お世話になっております。日頃より温かいご支援、ご声援の程ありがとうございます。主務の小山彬よりバトンを受け取りました、環境情報学部4年グラウンドマネージャーの阿部真吾と申します。
彬、紹介ありがとう。彼とは、合宿所の学生スタッフ部屋で共に戦ってきました。彼自身のブログでは、主務であるという存在にいつも悩んでいたと書いていましたが、下田のヒーローとしてチームを誰よりも支えてくれた彼が主務で間違いなかったと、僕は思います。ひょうきんな彼は、下田のスタッフ部屋で後輩にこれでもかという程舐められていますが、舐められているのではなく、舐めさせているのだと思っています。そしてその後輩達が、彼をちゃんと尊敬しているところも知っています。僕がグラマネになることが決まった学年ミーティング後、彼はミーティングルームで様々な想いが溢れ号泣していました。可愛いですね。ちなみにその時、共にリサーチとして戦った宮崎(4年・学習院高等科)もいました。彼も泣いていました。2人が泣きすぎて、僕が泣けなかったのが記憶に残っています。
ここから僕のブログに移りたいと思います。ブログ楽しみにしてるよ、と言ってくれた部員の期待に応えられるように、一語一句大切に記します。僕がソッカー部で何を経験し、その時何を考えたのか、2021年10月28日の記録として残したい。その思いで記していきます。自己満足のブログですが、どうかお付き合い下さい。

<大きな転換点>
これまで1番支えてくれた人に、伝えなければならないことがあった。しかし、実家に帰って顔を合わせても、どう切り出したら良いのか分からなかった。

――選手を辞める――

5歳から始めたサッカー。気付けば当たり前の存在で、特別に意識することもなかった。しかし、いざその存在がなくなろうとするその局面においては、自分の感情が激しく動かされることを知った。いつか自然と、時間という制約によって終わりを告げられると思っていた、僕のサッカー選手としての人生に、自ら終止符を打つことの難しさに気付いた。
久しぶりに実家に帰り、昼食を取っていた時、唐突にその話は始まった。
「そういえば、グラマネ決めはどうなった?」
だいぶドキッとした。自分から話を切り出すタイミングを探し続けていたが、向こうから聞かれる形になった。恐らく、母親もある程度の心の準備をして聞いてくれたのかもしれない。僕は少しの間を置いて、「実は、グラマネになることになったよ。」と返した。その後の会話はあまり覚えていない。
母親にやっとそれを伝えた時、自然と涙が溢れ出した。何故だろう。涙が止まらなかった。自分でも、あの時の感情を明確な言葉で表現出来ない。母親を目の前にして号泣するなど初めてで、だからこそ自分に驚いた。これは一体何の感情なのだろうか。サッカー選手を辞める悲しさか。両親への感謝か。悔しさなのか。後悔か。どれでもない。自分がサッカーをもう選手としてプレーすることがなくなるという事実を前にし、それをこれまで1番近くで見守ってくれていた人に話した時、ただただ涙が溢れた。
22年間の人生の中でサッカーは、僕にとって常に、そして確実にそこにあるものだった。サッカーが僕の学生時代を彩り、僕を成長させてくれた。数えきれない程の出会いをもたらしてくれた。そして僕という人間を形作ってくれた。数あるスポーツの中で、5歳の自分がサッカーを選んでくれて良かったと思う。別にサッカーじゃなくても、同じように情熱を注いだかもしれない。けれど多くの経験をもたらしてくれたこのスポーツに感謝したい。
グラマネ決めのミーティング、最終候補者5人だけで合宿所筋トレルームにて最後に話をしていた時。僕が皆に向けて何を話していたかは正直覚えていないけど、その時塾高が外で紅白戦をしていた。そしてそれを眺めながら、他の4人にその時の思いを伝えていた。その瞬間の目の前の景色だけは覚えている。その景色は、人生で何度も見てきたような当たり障りのない光景だった。だけどその時の自分は、こんなに尊い光景はないなと、そう感じていた。その光景を眺めながら、ここでも涙を堪えた。
大学生程の強度はないものの、皆が本気で試合をしている。横幅7.32m、高さ2.44m。その枠に、ただボールを入れるゲーム。そんな一見単純な遊びに、感情剥き出しで本気になる。それを見る人が熱狂する。心を動かされる。先日の早慶戦もそうだ。両校の意地と意地のぶつかり合い。それを多くの人が見ようと集まってくる。そして1つのゴール、1つのプレーに一喜一憂して見守る。応援に応えようと、選手は奮起する。

選手を辞めたことで、色々なことが見えた。選手を4年間続けていたら、恐らく見えなかったことだ。ソッカー部という組織がどう成り立っているのか。どれだけの人の支えがあり今のこの環境が整えられてきたのか。偉大な先輩方が果たしてきた役割など。立場が変わり、そして学年が上がると更に見え方も変わった。
またグラマネとして、多くの痺れる瞬間に立ち会うことが出来た。昨年、秋葉(4年・慶應義塾高)や荻(4年・小山台高)がIチームからZチームに昇格した時や、Iリーグの國學院大學戦で千代田(2年・慶應義塾高)が劇的ゴールを決めた時は、特に印象深い。昨年のIチームは皆が素直で、そして個性的だった。あの時のIチームから、関東リーグや早慶戦に出る選手が1人でも出てくれたら、最高に嬉しい。
皆が目標とする舞台へ、愚直に着実な一歩を重ね続けて欲しい。明日は、今日の自分を少しだけ超えていこう。少しだけでいい。あまり自分に期待しても、明日の自分が新たに出来るようになっていることなんて、たかが知れている。ほとんどないかもしれない。だけど、小さくてもその着実な一歩を歩み続ければ、いつか届く時が来る。そう信じて疑わない奴が、最後に笑う。

<一つの舞台>
早慶の部員の多くは、早慶戦という舞台に憧れる。僕もその内の1人だった。大学1年で初めてその舞台を目撃した時、心が震えた。あそこに立ちたいと、強烈に思った。これが皆の言う早慶戦ってやつか、と思うと同時に僕にとって最大の目標になった。
2021年10月24日。負ければ、関東1部リーグ残留の道は断たれる大一番にして、伝統の早慶サッカー定期戦。僕が1年の時に目撃し、それ以来目標となった早慶戦。はしけん(4年・横浜FCユース/希望ヶ丘高)の劇的ゴールで、10年ぶりの勝利となった。あの瞬間、皆が飛び跳ねて喜んでいたと思う。10年間多くの人が願った瞬間を西ヶ丘で経験した。あの日あの場所は、皆が笑顔か、もしくは泣いていた。全ての人の願いや想いが叶った最高の瞬間であった。多くの部員が、心震えたと思う。選手としての目標になっていたあの舞台で、結果ピッチに立つことは出来なかった。それでもグラウンドマネージャーとして、あの勝利の瞬間に立ち会えたことを、一生忘れることはない。多くの人の力で作られる1試合。たった1試合のために、物凄い数の人が動く。そしてそのたった1試合が、大きな意味を持つ。チームを勢い付ける。
試合後の集合写真では、酒井(4年・慶應義塾高)から優勝トロフィーを渡され、「真ん中で写真撮れよ」と言われた。酒井は主将として慶應を引っ張ってきた1人のヒーローだ。強烈なプレッシャーを背負い、ピッチ上で誰よりも力強く戦ってきた男。あの日、前半に脚を痛めながら、フルタイムで走り続け、早稲田の攻撃を跳ね返し続けた。彼もトロフィーを掲げたかったはずだが、僕にそれを渡してきた。僕が掲げてしまっていいのかと思ったが、その瞬間は本当に最高だった。酒井、ありがとう。慶應が10年ぶりに勝ち取ったトロフィーは凄く重かった。
勝利の喜びを分かち合う瞬間は、何にも変えがたい。皆が心からの笑顔に満ちている。しかし、勝利して喜んでいるその同じ瞬間に、別の人は悔しさを滲ませる。スタメンの11人が選ばれると同時に、その10倍以上の選手が外される。ゴールに歓喜し涙する人と、絶望し涙する人がいる。その当たり前の事実を知った上で、強くありたい。
はしけんのゴールと、それに湧く観客のあの光景を思い出すと感じる。人の心を動かせるのは、結局人の心であると。彼の本気の本気のガッツポーズの写真を見ると、どれだけの重圧を背負い、どれだけの想いが込められたゴールだったのかを想像出来る。人の心を感じ取った時、僕らの心がまた動く。
はしけん、お前は皆のヒーローだ。プロの世界では、更に多くの人の想いを背負って戦うことになると思う。でもその重圧を楽しみ、跳ね返し、多くの人を笑顔に出来る。最高の瞬間を皆にもたらしてくれてありがとう。

<Be A Hero>
このスローガンに学年ミーティングで共感をもらった時は、素直に嬉しかった。日頃から応援してくれる人や、未来の慶應を背負うだろう学生やちびっ子、支えて下さる地域の方々、歴史を繋いできた沢山のOBの方々、家族や友人にとってのヒーローのような存在でありたいという想いを込めた。そしてヒーローとは、時に犠牲を伴う存在である。犠牲を払ってでも、果たしたい目標や夢、責任、使命がある人が、このスローガンにおけるヒーローだ。そのヒーロー像を、部員一人ひとりが、役職に関わらず追求する。そんなチームは強くなれると、僕は信じた。
時にはこの言葉だけが一丁前な風で、中身が伴わないこともあった。その時は自分が情けなく、スローガンを提案したことが恥ずかしいとも思った。でも、今年1年多くのヒーローを僕は目撃した。Iリーグ最終節にやっと今年初ゴールを決めて勝利に導く4年生、夜遅くまで緊急対応してくれるマネージャー、聞けば何でも即レスかつ確実な情報をくれる学連、相手チームの特徴を徹底して丸裸にしてくれるリサーチ、奮い立つ言葉を横断幕に刻んでくれる応援部門など、それぞれの与えられた役割や選択した道で、皆が皆輝いている瞬間に立ち会えた。皆がヒーローになろうともがくことで、それが誰かの目に映り、誰かの意識や行動が変わる可能性を秘めている。だからこそ、自らの行動には責任が伴う。そしてソッカー部員は、その責任を背負うことになる。ピッチ内外において、少しだけ背筋伸ばして、胸張って、1人のヒーローを演じる。誇りを持って責務を果たす。いつだって僕はそんな姿でありたい。

関東最終節、拓殖戦。持てる全てを懸けて戦う。全員の力で勝つ。試合に出る、出ないは関係ない。全員が力の限りを尽くす。無観客試合で、最後の瞬間を全員同じ場所で共有することは残念ながら叶わない。それでも皆の力が必要になる。ヒリヒリした試合をものにしよう。勝って、最後に笑おう。

ここからは大切な仲間や家族へ向けて、感謝の気持ちをお伝えします。
まずグラマネ部屋の住人達。毎日入れ替わり立ち替わり、合宿所の夜を一緒に守れて楽しかったです。ありがとう。ここの住人との共同生活が僕を支えてくれました。来年新たなメンバーを迎えて、合宿所2階の厳しさを教えてあげて下さい。若杉(1年・桐蔭学園高)が、そろそろあのLINEグループに入りたいそうです。誰か招待してあげて下さい。
そして愛すべき同期。個性豊かな皆と共にソッカー部で過ごしたことは、僕の一生の財産です。尊敬出来る沢山の仲間に出会えました。この代で入部し、この代のグラマネになれて本当に良かったと思っています。ありがとう。
家族。これまでいつどんな時も、支えてくれたこと。小さい頃からの大きすぎた夢を応援してくれたこと。常に1番の理解者として、僕の選択を尊重してくれたこと。本当にありがとう。
最後に、これまで多大なるご支援をいただき僕達の活動を支えて下さった沢山のOBの方々、そして厳しくも温かいご指導をいただきました友峰さんや髙橋さんを始めとする社会人スタッフの皆様、本当にありがとうございました。また、このような状況下において関東リーグや早慶サッカー定期戦の開催にご尽力いただいた多くの関係者の皆様へ深く御礼申し上げます。今後共ソッカー部の活動を宜しくお願い致します。

快から始まったこのブログリレーも、とうとうアンカーにバトンが渡ります。酒井綜一郎という男は、いつでも真っ直ぐな慶應の主将です。男らしいですが、基本的に怖い顔をしています。早慶戦のこどもマネージャーからのインタビューの際は、柔らかく優しい表情をしていたので、いつもその表情でお願いしたいところです。怖い顔は相手に向けて、威嚇に使って下さい。感情表現が豊かなところは凄いです。僕も見習います。彼はこの部で間違いなく誰よりも熱く、自分自身と向き合い、そして組織と向き合っていたと思います。彼が主将だからこそ、今もチームは意地を見せることが出来ています。慶應を背負い、常に最前線で戦ってきた野獣のような彼にバトンを託し、最後の想いを見守ります。
酒井、ラスト頼んだ!

《NEXT GAME》
10月30日(土)関東リーグ戦 最終節 vs 拓殖大学
@非公開  14:00キックオフ

「タラレバ」(小山彬)

2021.10.27

平素より大変お世話になっております。田島凜太郎から卒業ブログのバトンを受け取りました、法学部政治学科4年、主務の小山彬です。

リンタロウ、紹介ありがとう。僕もいつから仲良くなったのかは分かりませんが、きっとTOPチームで共にサッカーをし始めたのがきっかけなのでしょう。サッカーは素晴らしいスポーツです。国籍も年齢も問わず、皆が繋がることが出来ます。4歳年上のリンタロウとも絆を深め、今では同じ学生スタッフとして苦楽を共にすることが出来ています。改めてサッカーに感謝です。
いかなる立場でもチームのために献身的に行動し続ける彼の姿勢にはいつも刺激をもらっています。彼にとっては苦しい時間が長いかもしれませんが、最後は彼と笑顔を分かち合いたいです。そのためにも残された時間を共に全力で過ごしたいと思います。最後まで頼むぞ。

いよいよ自分に卒業ブログのバトンが回ってきました。毎日リリースされる同期の個性豊かなブログを読むことは僕の大きな楽しみです。この文章を書いている直前にもハシケン(4年・横浜FCユース/希望ヶ丘高)のブログを読み、あのゴールは偶然ではなく必然であったのだと確信させられています。まだまだここから、その左足を振りまくって下さい。
さて、自分は何を書きましょう。ここ最近、チームの中心選手達による非常に熱く、重く、ためになるブログが続いているような気がします。自分の後ろに続く人を見ても、アベシン(4年・多摩大学目黒高)とあの酒井(4年・慶應義塾高)です。どんなブログになるのかは誰しもが想像付くでしょう。このタイミングで回ってきた自分のブログに求められる役割は何なのか。きっと息抜きです。書きたいことは沢山ありますが、今回は主務としての生活を中心に、リンタロウに言われたように素直な想いをのんびりと書き記していこうと思います。リラックスして読んでいただけますと幸いです。
無意識に熱く、重いブログになっていたらごめんなさい。それでは、始めます。

「僕がこの代の主務をやって良かったのか」
主務としてのこの1年間、抱き続けた想いです。いや、悩みと言った方が良いかもしれません。

そんなことで悩んでんじゃねーよと三浦から言われそうですが、悩んでもしょうがないことは分かっていても、悩み続けました。主務辞めちまえよと秀太から馬鹿にされそうですが、正直何度も辞めたくなりました。俺が主務やりましょかと景の関西弁が飛んできそうですが、君にはまだ任せられません。横幕と廣田はつまらないので割愛です。来年、このどうしようもない5人と仕事をする蓮が心配です。冒頭をお借りして、生意気な3年スタッフ陣の名前を出してあげることで、とりあえず彼らを喜ばせておこうと思います。僕にとって家族のような存在でした。ありがとう。頑張れ。

すいません。いきなり話が脱線しました。グッと力を込めて戻します。
もしも自分ではなく他の同期が主務を務めていたら、今この部活はどうなっていたのでしょう。少し想像してみます。

僕は人に厳しく物を言うことが苦手です。酒井のように人に厳しく要求出来る熱い人が主務だったら、きっと粗相や仕事のミスは減り、チームの雰囲気はより良く、締まったものになっていたでしょう。
僕は細かい作業が苦手です。苦手というより嫌いです。アラタ(4年・FC東京U-18/都立駒場高)のように丁寧かつ迅速に仕事管理ができる人が主務だったら、きっとチームマネジメントや試合運営の質は上がり、より選手がソッカーに集中出来る環境となっていたでしょう。
僕は人見知りです。竜一(4年・FCトリプレッタユース/広尾学園高)のようにコミュニケーションが上手く、人に寄り添える人が主務だったら、誰にも気付かれないところで涙を流して苦しむ人はいなくなり、より一体感のあるチームとなっていたでしょう。

どれも凄まじい「タラレバ」であることに間違いはありませんが、部で何かが起こる度にこんなことを考えていました。今年のソッカー部(毎年かもしれませんが)は、毎日何かが起こります。(決して問題ばかりではありません。楽しいことも沢山起きています。)すなわち、ほぼ毎日のように「僕が主務をやらなかったら」、「他の人が主務だったら」と頭を悩ませています。これを悩んで行きつく答えが、「それでも自分がソッカー部の主務をやるべきだ」であれば、もしかしたら主務として合格なのかもしれません。しかし、僕はそんなポジティブな人間ではありません。大体の場合、答えは「自分は主務をやらない方が良かったのかな」に行きつきます。今この文を読んでいる全ての人が、どのくらいの確率でその答えに行きつくのか気になっているでしょう。そうですね、アラタのスライディングにボールが当たる確率(p.586)ぐらいです。
それでも、僕は主務です。自分が何を思おうとも、部のリーダーとして、部員の決断や選択を正解に導き続ける責任があります。例え、傍から見れば間違った決断を仲間がしたとしても、自分が何とかしてその決断を結果的な正解にしなければなりません。正解に導けなかったとしても、必死に導こうとする姿を見せ続けなければなりません。悩んでいても、悩みを吐き出したり、悩む姿を見せている暇も時間もないのです。
これは、同期が僕に主務を任せるという決断にも当てはまります。何度も言いますが、自分が主務をやるべきであったかどうかは分かりません。もしかしたらこの学年のその決断自体はあまり良くなかったものなのかもしれません。しかし、主務になったから、任せてもらえたからには何としてでも同期の決断を正解にしなければならないと思い、「自分に出来ることは何なのか」、「自分らしさとは何なのか」、自分なりに考えながら泥臭く取り組んできました。

「時間を費やすこと」
これは主務として大切にした2つのことの1つ目です。とにかくどんな時も、どんな場所でも常にソッカー部のことを考え、優先することを意識しました。やることがなくても出来るだけ下田に身を置くようにしました。おかげさまで、今年は100日以上合宿所に宿泊していました。「非効率的だ」、「時間の無駄だ」と思われるかもしれません。それでも先述したように、僕は細かいことが苦手です。不器用です。そんな僕にとって貢献とは、まずは量だと考えています。誰よりもソッカー部に時間を費やすこと、それが僕なりの主務像であり、それしか出来ませんが、同時にそれは自分にしか出来ないことなのではないかとも思っています。一般的には無駄だと思われることを苦にしないこと、これも誇れることだと勝手に思っています。

「相手を信じ続けること」
これが2つ目です。ありきたりな言葉です。でも、何よりも大切なことだと思います。そして、意外と難しいことだとも思います。全てが思い通りにいくとは限らないからです。信頼して仕事を任せても、その人がミスをするかもしれません。とてつもなく信頼していた相手に裏切られたと思うこともあるでしょう。実際に、主務としてそのような経験は沢山してきました。それでも、相手を見捨てずに我慢してでも信頼し続けることを大切にしました。明日は我が身だからです。自分だって沢山ミスはするし、いつ相手を失望させてしまうかも分かりません。でもそんな時、助けてくれる仲間がいること。これ程心強いことはありません。信頼されるための第一歩目は、信頼することだと思っています。

ざっとこんなことを考えながら、僕は主務を務めています。と言っても、なかなか想像はしにくいと思います。まあ主務なんてものはそんなものです。そんなに面白くはありません。サッカーをやっている方が圧倒的に面白いです。「サッカーをやっている方が?」と思った方もいるかもしれないですね。僕は一応現役のサッカー選手です。「走れない主務はいらないよー」と監督に喝を入れられたり、タカキコバヤシに背中を押されたりしながら、TOPチームの練習や活動に毎日必死で食らいついています。だからこそ、先日の早慶サッカー定期戦当日、僕は主務として運営に走り回っていましたが、運営をしなければならない自分が悔しかったです。目の前のピッチで、自分達が作り上げた会場で、自分の目標だった舞台で躍動する仲間の姿は、正直見るのが苦しかったです。「もしも主務をやっていなければ」といつも通り、答えのない問いが頭にちらつきました。でも、あのハシケンのゴールが全てを吹き飛ばしてくれました。ソッカー部に関わる全ての人々が報われる姿を見て、自分もどこか報われた気がしました。また仲間に救われました。
「僕がこの代の主務をやって良かったのか」は今も分かりませんが、あの瞬間、「僕はこの代の主務をやれて良かった」と心から思うことが出来ました。主務をやれて幸せです。こんな僕に任せてくれて、支えて続けてくれてありがとう。

気付けば文字数も増え、少しだけ熱いブログとなってしまった気がします。息抜きとなったでしょうか。ならなかったですよね。でも、ここまで書いてきてしまいました。もう戻れません。ここまで来たら、恥ずかしさなど捨てて、自分なりにとことん熱くしてこのブログを締めたいと思います。

リーグ戦の残り2試合、必ず勝とう。勝って歴史を作ろう。
早慶サッカー定期戦、10年ぶりに勝利出来た。まさに歴史を作れたと思う。歴史を作った時の景色や雰囲気は忘れられないと思う。最高の笑顔を分かち合えたと思う。
今、自分達は崖っぷちにいるのかもしれない。無理だろうと思われているかもしれない。
ならば、無理やりにでも這い上がってやろう。そんな逆境を跳ね返すための鍛錬を積み重ねてきたのだからきっと大丈夫だ。

勝負は常にここからです。とにかく自分達を信じて、最後にまた笑おう。
最後となりますが、この場をお借りして日頃より私達ソッカー部の活動をご支援いただいている全ての皆様に感謝を述べさせていただきます。先の読めない社会情勢の中でも、こうして自分たちは何不自由なく日々の練習や試合に取り組ませていただいているお陰で、非常に充実したソッカー部生活を送ることが出来ております。こうした環境の実現にご尽力いただいている関係者の皆様、どんな時も変わらずご支援ご声援を届けて下さる全ての皆様に心より感謝申し上げます。
誠にありがとうございます。今後とも宜しくお願い致します。

さて、明日のブログは早慶戦でのカップを掲げる姿の記憶が新しい、グラウンドマネージャーの阿部真吾です。彼のサッカー人生の中で初めての経験だったみたいです。この1年間、アベシンとは最も多くの時間を共にしたと思います。練習や試合はもちろん、関東リーグの準備や移動、スタッフ部屋での生活など常に一緒にいたイメージがあります。何度一緒に怒られたかも分かりません。何度お互いの悩みをぶつけ合い、励まし合ったかも分かりません。主務として悩む姿を見せられる数少ない部員の中の1人です。彼もまた家族みたいな存在ですね。いつもありがとう。
スローガン「Be a hero~誰かのために~」の考案者でもあり、下田2階経理財務部長でもある彼のブログにどんな言葉が書かれているのか、僕も楽しみに待とうと思います。

《NEXT GAME》
10月27日(水)関東リーグ戦 第15節 vs 駒澤大学
@非公開  17:00キックオフ

「結果が全て。」(田嶋凜太郎)

2021.10.26

平素は大変お世話になっております。日頃より温かいご支援、ご声援の程ありがとうございます。橋本健人よりバトンを受け継ぎました、総合政策学部4年の田嶋凜太郎です。

皆さんご存知のように、はしけんはソッカー部のエースです。先日の早慶戦でも、後半ロスタイムに劇的なゴールを決めて、慶應を10年ぶりの勝利へ導く活躍をしました。来年からはプロサッカー選手として、更なる成長をしてくれると思います。将来は、自分も大好きなアーセナルでプレーしていることでしょう。今後の楽しみの1つです。これだけ素晴らしい選手になったのも彼のとてつもない努力の賜物なのかなと、彼と過ごした年月を振り返って感じます。本当に尊敬します、サッカー面では。はしけん、これだけ良い感じに書いたら満足でしょ?

「結果が全て。」

これが大学に入って6年間で感じた想いです。
私は2016年春に大学に入学し、その年の夏にヨーロッパへサッカーをしに渡りました。プロとして契約を勝ち取り、異国の地で活躍を夢見て日々生活していました。しかし、海外で2年間プレーをするものの思うような成績は出ず、ソッカー部に再び戻ってきました。その後今に至るまで、ソッカー部員として毎日練習に励んできました。2年時には関東2部リーグ優勝、1部リーグへの昇格を経験。3年時にはコロナ禍というこれまでにない環境の中でのリーグ戦を経験。そして現在、関東1部リーグ降格という危機に直面しながら、ほとんど試合に絡むことの出来ていない日々を送っています。

今書いたことが、自分の大学入学後の6年間を簡潔に振り返ったものであり、自分が成し遂げた「結果」です。

私は19歳の時に自分の夢を追いかけ、ヨーロッパへ渡り、プロの世界に足を踏み入れました。そこではとにかく「結果」に拘ってプレーをしていました。何故か。無名の日本人である自分がいきなりチームに入ったところで、現地のチームの雰囲気は一切変わらなかったからです。挨拶はしてくれるし、ちょっとした会話もしてくれるけど、ピッチに立てばそこでのプレーが全て。どんなにコミュニケーションを取っても、結局周りが認めるプレーが出来ないと、それはチームにいないも同然でした。自分がいなくてもチームの雰囲気が良くなる訳でもないし、悪くなる訳でもない。そんな状況がとにかく悔しかった。だから、自分はとことん結果に拘って練習に励むようになりました。攻撃的なポジションで起用されていたこともあり、とにかくゴールを奪うことに感覚を研ぎ澄ましてプレーする。ゴール前でパスを出そうか迷ったら、シュートを打つ。味方に文句を言われようが、ひたすらゴールに近づくための選択を練習や試合を通して行いました。時には監督にもその選択は間違いだったよと言われることもありました。それでも単身で海外へ渡り、周りから信頼を勝ち取るために、1人の選手として認めてもらうために、必死に結果だけに拘ってプレーし続けました。

このやり方が正解だったかは未だに分かりません。もっと出来たかなと思うこともあるし、もう少し力を抜いても良かったかなと反省することもあります。ただこの2年間のプロ生活は、現在の自分を形成する上では欠かせない時間だったということは確信を持って言えます。どれだけ上手い選手でも、試合でチームに貢献出来ないと良い選手にはなれません。自分が完璧だと思うプレーが出来ても、監督や周りがそのプレーを評価してくれないと何も残りません。タバコを吸ってても、試合で得点を奪えれば誰も何も文句を言いません。結局日本でも、世界でも一流として生き残っている選手は、それぞれが常に求められる結果を出し続けていると思います。その世界に飛び込み、踠き苦しんだ時間は、今振り返るととても貴重だったのだと感じています。

結果を追求し、それで得られる過程がどれだけ重要か。そんな当たり前のことを、海外生活では強く感じることが出来ました。

ソッカー部に戻ってきて約3年が経ちます。その3年の間で、スタメンで出た試合は数える程で、ほとんどの時間をベンチで過ごしています。凄く辛いです。サッカーの醍醐味である、自分の想いをプレーで表現して、仲間のために走り、全員で喜びを分かち合うことが出来ないのが凄く悔しいです。チームが勝った時、嬉しい気持ちの奥底からいつも出てくる悔しさが物凄くもどかしいです。練習でミスした時に言い訳をしたくなることなんか沢山あるし、自分が試合に出場出来ていないことを周りの環境のせいにしたい時も山程あります。それでも結果が全てです。結果を追い求めないと深みのある過程も生まれないのです。過程には満足出来ていても、結果が伴ってないと、それは何も成し遂げたことになりません。結果を出すために、ひたすら自分とサッカーに向き合うことがこの組織では重要でした。

こう思えるようになったのも、海外での経験があったからです。昔の自分だったら、過程を尊重し過ぎて、結果を受け容れてなかったでしょう。思い通りにいかない時や自分の頑張りを認めてもらえない時は、チームスポーツをしている以上あると思います。悔しいし、孤独感を感じるかもしれないです。1人では受け止め切れない時もあります。結果を求め続けて努力して、それでも結果が出なくて、また努力しないといけないかもしれません。そんな困難を私はソッカー部で多く経験しました。試合に出られなかったり、自分のミスで負けてしまったり、相手を傷つけるようなことをしてしまったり。思い返せば悔しいことがほとんどです。自分が求めていた結果とは程遠いものです。それでも受け容れないといけません。ただそれらの数え切れない程の悔しい思いがあったからこそ、初めて組織のために戦える人間になれたのかなと思います。最初から過程だけに満足するのではなく、結果を追い求め、その代償として素晴らしい過程が生まれる。結果を出すために真剣に取り組むその過程こそが、後になって自分の強い芯となり、自分のためだけでなく周りのために走れる原動力となるのだと6年間を振り返って気付くことが出来ました。

部員の中には現状に満足出来ていない選手が多くいると思います。自分の能力に乏しさを感じる選手。プレーは悪くないのに試合に出れない選手。試合に出ても思うような結果を残せない選手。皆それぞれの立場で苦しんでいると思います。それで良いんです。時にはバカにされるかもしれないし、怒られることもあるかもしれない。逃げ出したくなることもあると思います。それで良いんです。苦しんで、苦しんで初めて人間として成長出来ます。自分のためだけではなく、周りのために頑張れるようになります。だからこのソッカー部での4年間、とにかく踠き続けてください。結果が出なくても常に上を見続けてください。サッカー選手として成長するために日々を大切にしてください。

私は、「長く、纏まりのない拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。」というフレーズは好きではないので、冒頭に書きませんでした。今自分がここまで書いた文章を振り返って綴ってみました。纏まりもない、拙いものになってしまいました。それでも自分が伝えたいことが少しでも、誰かに響けば良いなと思います。この後は各所に感謝を述べる文章が4年ブログの定番の流れだと思うのですが、皆と同じ感じになるので辞めときます。同期に対するメッセージだけ書いておきます。たかきに書いてくれと頼まれたので仕方なく書きます。

同期じゃないだろ。28歳。おじさん。タンクトップ。#田嶋辞めろ。

多くのガヤがはしけんを中心に聞こえてきます。それでも続けます。

私が初めて同期となったのは海外から戻ってきた2018年の夏でした。海外での挑戦に失敗した屈辱、プロからアマチュアに戻ることに対しての羞恥心、海外で頑張ってこいと背中を押してくれた仲間への申し訳なさなどから、ソッカー部に戻ることに対して後ろ向きな気持ちがありました。あらゆる負の感情を背負い戻ってきた下田のグラウンドで、チームの中で上手くやっていけるか不安もあったと思います。そんな中で同期として自分を受け容れてくれて、最後まで全員で戦えたことは自分にとって感謝しかありません。最初の3日間だけ敬語で話しかけてきたしん、1年生の時から主張強めのそういちろう、普段はおしゃべりなのに出会った当初は目も合わせない程人見知りなやまひろ、俺と同じ二世のかいなど個性的すぎるメンバーに迎えてもらいました。それ以外の仲間とも徐々に距離が近付いていき、いつ仲良くなっていたのかすら覚えていません。同期になって良かったと思える仲間ばかりです。ここに名前が出てこなかったからって拗ねないでね。特に荻とさとし。改めて皆ありがとう。

最後に、
自分自身、何も成し遂げることの出来ていないサッカー人生を送ってしまったなと今振り返って思います。チームとして成績を残すことは出来たけど、個人として結果を残すことは出来ませんでした。悔いがないかと言われたら、後悔することもあります。それでも自分がサッカーを通してあらゆる環境に挑戦して、多くの人々と出会い、悔しい思いをしながらも勝ち取ったほんの一瞬の喜びを経験出来たことは自分の財産です。自分の頑張る姿を見て、感動したと言ってもらえたことが本当に嬉しかったです。自分のためだけでなく、周りのために必死に取り組んで良かったと思います。これから社会に出ても、苦しいことや困難に立ち向かわないといけない時が多くあると思います。逃げたくなる時もあると思います。それでも困難に立ち向かい、苦しみを自分が頑張るための原動力にして進んでいきたいと思います。周りのために走り続け、誰かのHeroになれるように。

次のブログの担当は主務の小山彬です。彼と仲良くなったのもいつか忘れましたが、独特の雰囲気とどんな状況でも受け止めてくれる心の広さは自分にとってオアシスのようです。小学生時代は全日本少年サッカー大会でGKとして活躍、中学時代はクラブユースで優秀選手になるなど素晴らしい実績の持ち主であり、稀に練習で見せるボレーシュートはまさにグランパス仕込みです。
そんな彬ですが、部員が見えないところで誰よりもチームのために働く努力家で、早慶戦などの大きな試合はもちろん、チームの運営が円滑に回っているのは彼のお陰です。自分の頑張りを見せたがらない彬ですが、4年ブログでは是非素直な想いを述べてほしいです!彬、よろしく。

《NEXT GAME》
10月27日(水)関東リーグ戦 第15節 vs 駒澤大学
@非公開  17:00キックオフ

「Be a Hero」(橋本健人)

2021.10.25

平素より大変お世話になっております。篠原新汰からバトンを受け継ぎました、総合政策学部4年、橋本健人です。

1年生の時からTOPチームやSFCで一緒だった新汰の最初の印象は、「全知全能」でした。大学の授業スケジュールは彼に聞けば絶対に答えてくれるし、頭も良くて、TOPチームで1年生ながらCBでスタメンを張っていました。どんなミスが起ころうとも「だいじょーぶ」の一言で大丈夫な気にさせてくれました。ただ、完璧かと思われた彼も10回に2回は間違えたことを言い放つことが判明し、新汰も同じ人間だったことにホッとしています。心優しい素直な彼は、たまに他人が言った誤った情報を鵜呑みにしてしまい、それを僕達に伝えてきます。なので最近は「歩くwikipedia」と呼ばせてもらっています。

膝の怪我で苦しんだ新汰も、4年の春にTOPチームに返り咲き、ピッチ内外から僕達を支える縁の下の力持ちです。最後に一緒にピッチに立ちたいね、頑張ろう。

ソッカー部人生も終幕の時が近付いている。
我が誇りである14番の黄色いユニフォームを脱ぎ、想いを乗せて後輩達に託す。
ブログを書くにあたり、過去のサッカーノートを読み直した。
試合後の振り返りや目標設定など、思ったことをつらつらと書き留めてきたこのノートも大学4年間だけで3冊に上る。
ノートを見返すと、当時の記憶や想いが蘇る。

改めて思う。特別な4年間だった。

高いレベルの文武両道を志し、ソッカー部への入部を決意した。Bチームでの大阪遠征後、TOPチームに上がり、関東リーグ開幕戦からピッチに立った。激しい競争の中メンバーに選ばれることへの責任感と重圧を感じ、そして同期を代表する選手として、ガムシャラに戦った2018年。

翌年、初めて早慶戦に出場した。4年間で1番の転機になった試合だ。1万人の大声援の中プレーした体感、ゴール前の決定機を外した時、応援スタンドに挨拶に行った時の感情、鮮明に覚えている。あまりの悔しさと申し訳なさから人目も憚らず涙し続けた。この時、「慶應を勝たせる選手になる」と心に誓った。その後、素晴らしい瞬間を数多く経験した。佐藤海徳主将(R2卒)、八田和己副将(R2卒)を始めとする4年生に導かれるように2部優勝1部昇格、全日本大学選抜、個人賞など充実すぎる1年を過ごした。

2020年、夢へのスタートラインに立った。この時まだ大学3年生だったが、未熟な僕に可能性を見出し、オファーしてくれたレノファ山口に迷わず入団を決めた。コロナ禍の過密日程もあり、水曜日Jリーグ出場→土日に関東リーグ出場というハードだがとても贅沢な時間を過ごした。上の舞台に立ったことで、選手として何を武器にして、今何をすべきなのかが明確になった。慶應に帰れば、相手選手との違いを見せて勝つことだけを考えた。後期苦しんだが、全員で1部残留を成し遂げた。

そして2021年。
今年の春、大旗に「逃げない、背負う。」と書いた。
自分の役割、責務から逃げずに己と向き合い続ける覚悟を忘れないためだ。
どんな状況になっても逃げない、戦い続ける。理不尽なことがあろうと、上手くいかないことや怪我や不調で万全な状態ではなかったとしても、言い訳しない、常に内省し、自分を変える努力をしよう。舞台を整えてくれる人、応援してくれる人、そして1番は来年以降慶應を背負って戦う後輩のために戦おう。俺が慶應のヒーローになるんだ。
そう決意した。

「違いを見せてこい」
試合前、ハイタッチの際に友峰さんはよくこの言葉を僕に伝えてくれる。
唯一のプロ内定選手として、僕は1番慶應のソッカーを体現する選手でなければならない。1番ピッチ上で輝き、基準を示し続ける選手でなければならない。
慶應のヒーローになりたくて、ピッチの上で後輩にTOPチームの基準を示したくて、今年も変わらず慶應を勝たせるため、必死に戦ってきたつもりだった。それでも、あと一歩勝利に届かない日々が続いた。全く自分のプレーを表現出来なかった。

「俺はこんなものなのか?何が足りない?なんで勝てない?」
ノートには「?」が増え、自問自答を繰り返した。
チームの現状は自分のせいだと感じ、自信をなくした日もあった。
どうしたら成果を出せるのか。必死に同期と試行錯誤を繰り返した。
「俺はもっと出来る。俺はこんなもんじゃない。」とノートに記し自分を奮い立たせ試合に向かう日もあった。

今も状況は好転していない。僕も全く後輩達に自分のあるべき姿を見せられていない。この状況を作ったのは僕達4年生であることは疑いない事実で、この状況を最後に変えられるのも自分達しかいない。残り1週間、必ず最後まで諦めず戦い抜く。俺は絶対に諦めない、最後に意地を見せ、1部の舞台を後輩に残すため戦う。

これからのソッカー部を背負って立つ後輩達よ。
大舞台に立て。
高い山に登った人にしか見えない景色があるように、大舞台に立った者にしか味わえない瞬間がある。
今TOPチームにいなくとも、君達は決して観客ではない。ソッカー部員である4年間だけは、大舞台に立つ挑戦権がある。君が思っているより舞台への距離は遠くない。自分の可能性を信じ、誰にも負けない武器を磨け。君達のその努力が慶應の未来を創る。

そして黄色のユニフォームを着て舞台に立てたその時は、誰かのために戦える男であれ。誰かのために戦う男は強い。
昨日の早慶戦然り、君が立ったその舞台は、多くの人の努力で成り立っている。君が立つ舞台には、その人達の想いが詰まっている。その人達の想いを背負い、勝利を目指して戦うことは、TOPチームで試合に出る責務だ。立場状況に関係なく、部員全員がTOPチームの勝利を願い、サポートしてくれている。そんな幸せなことは当たり前ではない。例えどこか身体が万全でなかろうと、敗戦濃厚であろうと、舞台に立っているのなら、走れ、戦え。苦境こそ輝ける慶應のヒーローであれ。感謝の想いをピッチで表現し、勝利という結果で応えるのが、TOPチームのあるべき姿だと僕は思う。
時に「想いを背負う」ことは大きな重圧になるかもしれない。しかし、その重圧から逃げずに全力で戦い、全力で楽しみ、全力でサッカーすることが、結果プレーヤーとしての成長に繋がっている。
僕は長くTOPチームで想いを背負ってプレーしてきた自負がある。
1年生の頃、練習から慶應のために必死に取り組む先輩を退け自分がピッチに立った。
2年早慶戦、怪我で出場出来ない主将の代わりに自分がセットプレーのキッカーを務めた。
3年生、毎日慶應の練習に出る選手を差し置いて、僕は平日の練習に参加せずに関東リーグに出場したこともあった。
そして昨日、ソッカー部全員の想いがあのゴールを生んだ。本当にありがとう。
僕の成長は、想いを背負い、大舞台でそれを表現しようとし続けてきた積み重ねにある。

試合のサポートに励んでくれる学生スタッフ。毎試合緻密なデータをくれるリサーチ。声を枯らして応援歌を届けてくれる先輩後輩。いつも勝利を期待して見に来て下さるOBの方々。
想いを背負って大舞台でプレーすることは、とっても特別で、後にも先にもこの4年間だけだ。

この特別な4年間を、君はどう過ごす?
来年以降、1人でも多く、勝利へ導く「慶應のヒーロー」になってくれることを願っている。

最後にこの場をお借りして感謝を述べたいと思います。
この4年間も、多くの人の支えがあってここまでサッカーすることが出来ました。
友峰さんには、感謝の気持ちを忘れずそれを行動に移すことを常々伝えていただきました。髙橋さんには小学生の時から活躍を見守っていただき、何度もシュート練習に付き合っていただきました。大城さんには、同じ左利き、同じポジションということもあって何度もアドバイスいただきました。その他多くの社会人スタッフの皆様にこの4年間サポートいただきました。まだまだ未熟な僕ですが、お陰でサッカー大好きなサッカー少年から、礼儀礼節を重んじ、義理や感謝を忘れずにプレー出来る選手に少しだけなれたと思っています。本当にありがとうございました。

既に引退された先輩方、わがままな僕が気持ちよくプレー出来るよう支えてくれたこと、本当に感謝しています。先輩方のサポートがなければ今自分はここまで成長出来ていません。今でも連絡をくれる先輩が沢山います、いつも応援してくれてありがとう。プロになっても見ていてください。

そして同期。
今となって感じるのは、自分は助けられてばかりでした。
普段一緒にサッカーしてなくても、試合前「頼むよ」と言ってくれる同期。
「俺は絶対に折れない、だからお前らも絶対に折れるな」と熱量を上げてくれる同期。いつもベンチでも悔しい顔を一切見せずに毎日取り組む同期。怪我しても何度でも帰ってくるゾンビ。ピッチ外でわがままに応えてくれる同期。怪我でもう慶應ではプレー出来なくても、声を出して練習を盛り上げてくれる同期。響かない声を全力で出して、選手をサポートしてくれる同期。雪国出身、ツインタワー、老害三銃士、ずっと一緒の2人、変人、すぐ泣く人、暁星魂、主務、二世、ひろや。
そんな同期がいるから、僕は輝けます。ありがとう。
言葉には出さずとも、どんな状況でも自分を信じてくれていることがとても嬉しくて、それが原動力でした。残り2節、最後に笑えるように、勝って引退しよう。

毎試合見に来てはビデオを撮り、後で振り返られるように僕のプレーを抜粋して編集してくれるお父さん。サッカーを教えてくれてありがとう。
僕のためにフードアスリートマイスターを取得し、栄養に気を使ってご飯作ってくれるお母さん。支えてくれてありがとう。
昨日みたいに2人の喜んだ姿を見るのがとても嬉しくて、また頑張ろうと思わせてくれます。これからも2人を笑顔に出来るように輝きます。

僕のサッカー人生はまだまだ続きます。
引退後も、自分を支えてくれる人達、クラブのサポーター、お世話になった人、同期、そしてソッカー部の後輩の「Hero」になるため、もっと上へ、どこまでも突き進んで行きます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
次の担当は、田嶋凜太郎です。今年試合に出場する機会は少なくとも、その悔しさを顔に出さずに、常にチームのために行動する姿は印象的でした。心優しき24歳ボケたら本当につまらないですが、毎日小林誉貴のダル絡みを全部ツッコミで対応する素直な頑張り屋さんです。普段あまり心の内を見せない自称大学6年生タンクトップ男は何を語ってくれるでしょうか。「めちゃくちゃ期待しといて」と本人から言われました。楽しみです。

《NEXT GAME》

10月27日(水)関東リーグ戦 第15節 vs 駒澤大学

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