オフィシャルブログ

「後悔先に立たず」(村上哲)

2021.09.18

平素よりお世話になっております。佐久サーム裕也からバトンを受けました、経済学部4年の村上哲です。彼とは家の方向が同じこともあり、よく一緒に帰っています。しかし最近は僕がシャワーを浴びている間に先に帰ったり、行きの電車もわざと一本ずらして僕と遭遇しないようにしたりと、何かと避けられているような気がします。。。寂しいです。。。そんな彼も気が付けばチームに必要不可欠な存在となっており、ガッツあるプレーでチームを支えてくれています。残りの試合で関東リーグ初ゴール出来ることを期待しています。

さて、早いものでもう4年生になり最後の部員ブログを担当することになりました。ついこの間まで下級生として先輩方のブログを読んでいたような気がします。時の流れの早さに驚いています。今回何を書くか非常に悩みましたが、今までのサッカー人生で自分が感じたことを赤裸々に綴りたいと思います。拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

後悔。これがこの4年間を振り返ってみると一番強く感じた感情です。
元々プロを目指してサッカーをしてきた自分にとって、大学でサッカーを続けることは半ば当たり前のような感覚で入部しました。その思いとは反対に、入部当初は浪人生活の影響でサッカーをプレーすることすらままならないような体型でした。ですが、不思議とその状況に悲観することはなく、むしろこれから4年間もサッカーが出来るというワクワクとした気持ちが大きかったです。また、高校時代の経験から自分のプレーは大学でもきっと通用するとどこか自信がありました。
そして、その思いは思ったより早く届きました。1年生の秋頃、カテゴリー戦と新人戦でのプレーを、当時Bチームを指揮していた淺海監督に評価してもらい、Bチームに昇格することが出来ました。入部からおよそ半年、入部時の状況から考えればあり得ないようなスピードで成長していることに自分でも驚きました。
そんな中迎えたBチームでの初めてのIリーグ、中央大学との試合で後半40分頃に相手キーパーとの接触で左ひざの内側側副靭帯損傷。全治3か月の大怪我を負いました。でもまだあと3年もある、3か月経ったら復帰してまたすぐに上へ這い上がれると思っていました。しかし、この怪我がきっかけで大怪我の負のスパイラルに陥りました。
2年春、この怪我が治って復帰戦の日本体育大学との練習試合で右ひざ内側側副靭帯損傷、全治3か月。
2年秋、Iリーグ明治学院大学戦で左ハムストリングス肉離れ、全治5か月。
3年秋、疲労による左足リスフラン靭帯損傷、全治3か月。
4年春、練習時に右足首を捻って重度の捻挫、全治4か月。
最初の怪我さえなければ、もしかしたらずっと大きな怪我をせずに済んだのかなと今でも考えます。そして、怪我をする度に、もしもあの時にこうしてたらなと考えます。もちろん全ての怪我が事前の準備でどうにかなったものではないことは分かっています。ただ、少なからず一つや二つは普段からの行動や心の持ち方で防げた怪我だったのではないかと思います。そう考えると、あの時ああしとけば良かったという後悔の念が湧いてきます。しかも、自分に関して言えば5回も怪我をしているので、その数だけ行動を変えるチャンスがあった訳です。でも結局同じような過ちを繰り返し、気付いたら4年間を怪我で無駄にしてしまいました。僕は大学生活4年間を振り返って、もう一度1からやり直したいと思っています。でも戻ることは出来ません。これからあと4年サッカーが出来るぞというワクワクはもう味わえません。

つまるところ、この文章を読んでくれている方々に伝えたいのは、サッカーを終える時に後悔しないような活動が出来ていますかということです。日々の行動や考え方、その全てが将来サッカーを終えた時にどんな結果になろうとも後悔しない選択ですか。僕は、長いサッカー人生を終えようとしている今、その問いに「はい」と答えることは出来ません。後悔しか残っていないです。そしてこの後悔は永遠に残ります。だからこそ、後輩には残りのソッカー部人生を悔いの残らないものにしてほしいです。思っている以上にあっという間です。今という時間が残りの人生の中で一番若い瞬間です。改めて考え直して大切に過ごしてほしいと思います。

と、全てが終わったかのように色々と述べてしまいましたが、有り難いことに僕にもまだ少しの時間、学生としてサッカーをする時間が残されています。仲間とひたむきに上を目指すことが出来ます。あと少し、これからも宜しく。

最後に、こんなに多くの怪我をしてもこうしてソッカー部の一員として活動出来ているのは、間違いなく周りの人の支えがあったからだと思います。
特に同期にはお世話になりました。ロケットの話で一緒に盛り上がる中江(4年・International School of Paris/Athletic Club de Boulogne-Billancourt)、目が合うだけでニヤニヤしてくる新里(4年・慶應義塾高)、そして夢の中で真実を告げてくれた荻(4年・小山台高)。彼らの挑戦する姿を見て自分も頑張ろうと思えました。他の皆も辛い時、楽しい時、色んな時間を共有出来て良かったです。ありがとう。
そして両親。本当にびっくりするくらい大怪我の連続で、特にこの4年間は今までで一番迷惑を掛けてしまったと思います。それでも何も言わずに病院に連れて行ってくれたり、色んなサポートをしてくれて本当に感謝しています。

長くまとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今後共、ソッカー部へのご支援、ご声援の程よろしくお願いします。

次回のブログの担当は谷本竜一です。普段から行動が遅い彼は、一度部室の椅子に座ると20分は座りっぱなしという習性を持っています。そんなときは「不適合グー!」と声を掛けると立ち上がってくれる時があります。最後のブログでは熱い想いを語ってくれること間違いなし!期待です。

《NEXT GAME》
9月19日(日)関東リーグ戦 第16節vs順天堂大学
@味の素フィールド西ヶ丘  14:00キックオフ

「いざ百難に試みむ」(新津裕也)

2021.09.17

平素より大変お世話になっております。4年間の内、多くの時間を共に過ごした中江瞭介からバトンを受け取りました、文学部4年の新津裕也です。入学時は真面目でインテリキャラだった彼ですが、今では皆に「ぴょんすけ」と可愛いあだ名で呼ばれる程愛されるようになっています。親友として非常に嬉しいです。そして、最後に彼と関東に出る事が1つの目標です。

さて、個人的に部員ブログは今回が3回目になります。1回目は浪人時代について、2回目はTOP昇格について書きました。正直もうネタがなく困っていますが、今回は私がソッカー部の4年間で感じたことを素直に書きたいと思います。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

突然ですが、現役部員達に質問です。
「皆はどんな目的を持って慶應に入学し、ソッカー部に入部しましたか?」
そこにはそれぞれ様々な理由があるかと思います。
私が慶應に入学しソッカー部に入部した理由、それは
「プロサッカー選手になりたかったから」
ただそれだけです。小学校1年生の時にサッカーを始めて以来、プロになることが夢で、ずっとそれを追いかけてきました。その為、これまでの進路は全てプロになる事だけを考えて決めてきました。そして、中学時代に私のビジョンは明確に決まりました。
「文武両道の高校に行って、関東大学リーグ所属の大学に進学し、プロになる」
そう決めてからは、ひたすらサッカーと勉強に打ち込み、最終的に関東リーグ所属の慶應に入学しました。浪人という遅れはありましたが、中学の時に描いたビジョン通りに進み、「ここで試合に出て活躍し、プロになる」と、ワクワクしながらソッカー部の練習に参加しました。

しかし、そこである事に大きな衝撃を受けます。それは、「プロを目指している選手が多くない」という事です。正直、大学でサッカーをやるのはプロになる手段でしかないと思っていましたし、関東リーグ所属の選手は皆プロを目指していると聞いていたので、かなり衝撃を受けました。ましてや、実力はあっても「プロに行かない」という選択をする部員がいるなんて、想像もしていなかったです。

プロ志望以外には、「高校で結果を残せなかったから」・「早慶戦に出たいから」・「人として成長したいから」などの理由で入部を決めた人が多いと思います。最初の2つは分かります。しかし、サッカーをやっているだけでどうして人として成長できるのか、当時の私には全く分かりませんでした。

ですが、今年就職活動を始め、多くのOBの方のお話を聞く中で、その理由が分かりました。
ソッカー部では、140人以上の部員がしのぎを削っていますが、試合に出ることが出来るのはたった20人程度です。そこで活躍する為に各々が試行錯誤し、サッカー選手として必死に個人成長を図ると同時に、試合に出られずともチームが勝つ為に何が出来るのか部員全員が考え行動することがソッカー部の義務です。これは、「個人として成長しつつ、企業の利益に貢献する」ビジネスの世界でも同じだと思います。そしてそんな4年間をソッカー部で過ごした先輩方は、ビジネスの世界でも活躍されていることを知りました。率直に、その姿は幼い頃から憧れたプロサッカー選手と同じくらい格好良く感じました。他の部員は当たり前に感じているかもしれませんが、長野県の田舎町で育った私にとって、そんな方達とは今まで殆ど出会ったことがなかったのです。そこで、私のプロサッカー選手への未練は完全になくなりました。ソッカー部での経験は、サッカー以外でも必ず活きると確信したからです。

結局何が言いたいかというと、入部目的はそれぞれ違えど、全部員の義務である「TOPを目指すこと、チーム貢献」の為に全力を尽くす4年間は、サッカー以上に「人間性の成長」を得られるものだという事です。ここで得られる成長は、この先どんな世界でも活きると思います。そんな4年間を過ごしたい高校生には、大学サッカー(特にソッカー部)をお勧めします。

ここまで偉そうに言っておきながら、私自身、2年生の途中まではチーム貢献など一切考えていませんでした。同期のあべしん(4年・多摩大学目黒高)が、選手を辞めて学生コーチになる決断をしてくれた学年ミーティングをきっかけに、少し変わることが出来ました。フィジカル部門に入り、アップを作るところから真剣にチームの事を考えるようになり、そこからやっと下のチームから抜け出すことが出来たのです。前述の通り、ソッカー部ではトップを目指すだけでなく、チーム貢献も部員の義務です。ただサッカーをやっているだけでは試合には出られません。自分のことしか考えていない選手が、試合でチームの為に走れる訳がない、あと一歩出せる訳がない。何よりも信頼が重要なスポーツがサッカーであり、そんな組織がソッカー部だからです。そこに気付かせてくれたあべしん、フィジカル部門に誘ってくれた清水(4年・Sockers FC Chicago Academy/William Fremd High School)、本当にありがとう。

話は変わりますが、そんな私の今のサッカーでの目標は、「地元長野県から大学サッカーに進む選手の目標になる」ことです。現在、サッカー後進県の長野県から関東リーグでプレーする選手は数える程しかいません。受験などの原因もあるかもしれませんが、一番の理由は「長野県からでは通用しない」と、もはや大学サッカーに挑戦する選手が少ないことだと思います。残り数か月、長野県出身で浪人も経験した私が関東リーグで活躍することで、少しでも大学サッカー(出来ればソッカー部)を志す選手が増えてくれたらと思います。そして、そんな選手の為にも、関東1部の舞台を残すべく、残りの試合は死ぬ気で戦います。今までは自分がプロになることしか考えてこなかった私が、他人の為に頑張れるようになったこともソッカー部での大きな成長だと思います。

ブログのタイトルですが、母校である上田高校の校訓で、簡単に言うと「いくつもの困難から逃げずに立ち向かえ」という意味です。多くの困難に立ち向かい、日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と呼ばれた真田幸村の精神を受け継いでいます。ソッカー部生活は、これまでの人生で最も困難が多かったです。これ以上苦しいことはこの先ないだろうと思います。しかし、サッカーも、人間性も間違いなく最も成長した4年間です。この4年間でやっとこの校訓の意味が分かったような気がします。だからこそ、これからもこの精神を忘れず、迷った時にあえて困難な選択ができる人間になりたいと思います。

最後に、この場を借りて感謝を伝えさせて下さい。
・同期へ
色々と書いてきたけど、4年間を共に過ごした同期の皆と、ゴールや勝利で喜びを分かち合うことが一番の原動力です。正直、練習も試合もきつくて、「もう走れない」って何度も思うけど、最後は同期の為に、倒れても走ります。あべしんや酒井(4年・慶應義塾高)をはじめ、俺達が選んだ学生スタッフの為にも、最後まで頑張ろう。

・来年からプロになるはしけん(4年・横浜FCユース/希望ヶ丘高)をはじめ、卒業後もサッカーを続ける同期へ
僕はプロという夢がなかったら間違いなくここにはいなかった。夢が人生を創ってくれた。子供達が憧れるような、素晴らしい選手になってほしい。応援しています。東京で試合がある時はトロピカーナを差し入れで持っていきます。また、山田大敬くん(4年・京都サンガF.C.U-18/立命館宇治高)が旅立つ時は、空港まで見送りに行きます。行き先が楽しみです。

・後輩へ
自分に敬語を使う後輩は全然いないし、最近は1年生にもいじられるようになってしまったけど、実は一緒に飯に行った後輩は殆どいないです。色々と落ち着いたら、是非誘って下さい。

・関わっていただいた方々へ
私は本当に運が良くてここまで来ることが出来ました。兄の頃はサッカーが出来る環境がなかった町に、小1の時にサッカークラブを創っていただいたお陰でサッカーを始める事が出来ました。中学では、大学サッカーを目指すきっかけをいただき、最初はチームで一番下手だった私を3年間で強豪校から声が掛かるレベルまで育ててくれました。高校では、大きな出会いがありました。サッカーでは最高の仲間と監督に出会い、最後の選手権ではアルウィンでゴールをとる事が出来ました。そして大学では、いとぺいさん、戸田さん、テソンさん、テジュンさん、髙橋さん、淺海監督といった、素晴らしい指導者の方々に恵まれ、大学最高峰の舞台でプレー出来ています。皆さん本当にありがとうございました。残り数ヶ月で少しでも恩返し出来るように頑張ります。

・両親へ
本当に自由に育ててもらいました。中学の時、無理を言ってクラブチームに行かせてくれてありがとう。片道2時間以上かかる高校に、新幹線で通わせてくれてありがとう。浪人という選択を受け入れてくれてありがとう。大学で上手くいかなかった時も、応援してくれてありがとう。プロサッカー選手という形で恩返しは出来なかったけど、まずは残りの関東リーグ、そして早慶戦で成長した姿を見せられるように頑張ります。そして、これからは社会人として、少しずつ恩返しをしていきます。

長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今後共、ソッカー部へのご支援、ご声援の程、宜しくお願い致します。

さて、明日のブログは村上哲が担当します。生粋のいじめっ子です。目が合うと必ずヘッドロックをしてきます。正直かなり嫌です。やめてほしいです。そんな彼とは、毎日のように一緒に電車で帰っているので、実はすごく仲良しです。いつもゲームばかりしてふざけている彼が、最後にどんな想いを伝えてくれるのか、楽しみです。

《NEXT GAME》
9月19日(日)関東リーグ戦 第16節vs順天堂大学
@味の素フィールド西ヶ丘  14:00キックオフ

 

「どんな結末が待っていようと」(中江瞭介)

2021.09.16

平素より大変お世話になっております。入学時から誰よりも人間的成長を成し遂げ、就活バディでもあった依田興汰郎からバトンを受け取りました、総合政策学部4年の中江瞭介です。1年次、講義中は横で気持ち良さそうな寝顔を披露し、起きたと思えば「課題ある?」と聞いてきていた彼が、今では社会人に向けお金の節約術とゴルフに励む姿はどこか逞しいです。

毎年、4年生のブログリレーで時の早さを感じていましたが、自分が書く時が来てしまいました。同時に、あと数か月で引退し、約19年間のサッカー人生にお別れを告げることに正直実感が湧いておりません。最後のブログは、帰国子女である一見変わった背景を持つ自分がどのような想いを持ち、ソッカー部でサッカーと向き合ってきたのかを綴らせていただきたいと思います。拙い文章ではありますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

「1、2、3、4、5…、ああー、もう1回」

毎週末、親父に連れられて近所の公園でサッカー、最後に恒例のリフティングパス10回。これを成功するまではどんなに暗くなっても家に帰らなかった。これが3歳から始まった自分のサッカー人生で一番古い記憶である。何が楽しかったのか、正直分からない。ただただ夢中だった。

そこからクラブチームに入り、中学ではアメリカ、高校ではフランスでサッカーを続けてきた。いつしかその「リフティングパス10回」という目標は大きく膨らみ、一時期は「プロ選手になり、日本代表入り」も本気で目指していた。今書いていて、過去形になっているのが少し複雑な気持ちで悲しい。その後、浪人生活を経て慶應義塾大学に入学した。あらゆる選択肢があった中で、体育会でサッカーを続けることに対して何の迷いもなかった。一旦途絶えた僕のサッカー人生を再開することが楽しみで仕方がなかったからだ。ここでは、「関東リーグに出場して、一軍で活躍する。」という当時4軍の自分にとってはなかなか想像しにくい抽象的な目標を背負ってソッカー部人生が始まった。

実際に入部するとサッカーを楽しむ余裕は正直なかった。思い通りに動かない身体、毎日のランメニューは本当にサッカー部なのかと思わされる程だった。自分の走る後ろに浪人仲間の村上哲(4年・駒澤大学高)と宮崎(4年・学習院高等科)がいたのは、絶対的な安心感があったのを今でも思い出す。また、ピッチ外でも、粗相制度という失敗が許されない中で毎日仕事に励むという環境に嫌気がさしていた時期もあった。本当に、自分が想像していた大学サッカー人生とはかけ離れていた。逆に留学やインターンなど様々な熱い経験をしていく友人達の話は魅力的なものだった。しかし、自分は辞めなかった。というよりも正しくは辞められなかった。自分のサッカー人生の締めくくりとして選んだ舞台で悔いのないように思いっきりプレーするまで、目標達成するまで絶対に諦められないと自分の中で強い想いがあったからだ。今も変わらない。

幼少期の親父との「リフティングパス10回」。

今思えば、きっとその10回という目標を達成した時の喜び。それを味わうために続けていたのだろう。そして、幼い頃から本質的な自分は決して変わっていないと改めて思う。目標達成に貪欲で、諦めの悪い頑固な奴なのだと思う。ただ、粘り強く自分を信じ続け、こういった目標達成の連続で日々成長出来たことも間違いない。

残りのサッカー人生でどんな結末が待っているのか、分からない。そして、その結末に自分が何を思うのか想像もつかない。ただ、サッカー人生における最後の目標「関東リーグ出場」。これまでの目標達成した時の喜びを知っている自分にとって諦める選択肢などない。ソッカー部では、裏方役であるリサーチ部門での活動や、3年次のSチームでのIリーグ優勝・チャンピオンシップ1回戦敗退など書き切れない程沢山の経験をし、本当に多くの学びがあった。ただ、改めて思う。最終的に残るのは結果だ。残り数か月、その結果から逃げずに最後の最後まで向き合い、挑戦し続ける。

最後に、

ソッカー部という環境でサッカーを続けられたことに自分は本当に感謝している。皆それぞれの立場からチームの目標達成と自己実現に向け、日々取り組む姿勢には刺激を受けた。生意気な後輩ばかりだったけど、どんな時でも変わらず絡んできてくれてありがとう。来年からも日吉にいるから気軽にご飯行こう。リサーチの皆、不甲斐ない部門長だったかもしれないけど、日々成長していく姿には驚いた。リサーチ会は絶対に開催するから安心して。同期とは本当に色んな経験を共にした。自分が悔しく辛い時期を乗り越えられたのは、間違いなく鼓舞し続けてくれた皆のお陰です。ありがとう。まずは、絶対に1部残留しよう。将来、積もる思い出話を肴にして呑みに行ける日を楽しみにしている。

また、部活動と並行して学業面においても本当に実りのある4年間だった。各分野の最高峰の教授達の講義を受けられる毎日。時にはこれが自分のモチベーションにもなった。初めてサッカー以外の世界に没頭出来た。純粋に大学の講義は楽しいし、自分がこれまで見ていた世界が本当にちっぽけだったことを知れた。そして、何よりサッカー選手以外の手段で世の中をより良くするための卒業後のビジョンも定まった。履修、進路などで困っている後輩がいたらいつでも頼ってくれ。

そして、両親。本当にいつもありがとうございます。この環境に辿り着くまでに、だいぶ遠回りして色々と迷惑をお掛けしました。まずは残りのサッカー人生で全ての力を出し切ります。また、次のステージでは何かしらの形で少しずつ恩を返せるように活躍します。

長く纏まりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今後共、ソッカー部へのご支援、ご声援の程宜しくお願い致します。

さて、明日のブログは新津裕也が担当します。彼とは同じ浪人仲間として1年生から多くの時間を共にした親友と呼べる同期の一人です。そんな彼とは、補助学に入った関東リーグのハーフタイムに公式球で対面パスをし、学連、上級生から怒られたのが1番の思い出です。そんな彼が最後に何を書き残すのか期待しています。

《NEXT GAME》

9月19日(日)関東リーグ戦 第16節vs順天堂大学

@味の素フィールド西ヶ丘  14:00キックオフ

「俺は問題児」(依田興汰郎)

2021.09.15

平素より大変お世話になっております。本日のブログを担当します、総合政策学部4年の依田興汰郎です。毎年4年の卒業ブログを読むと、シーズンの終わりを感じている私がいました。何を卒業ブログで書こうか直前まで迷いましたが、最後くらいは今まで包み隠していた自分の心境を本音で綴らせていただければなと思います。長く拙い文章ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。

「俺は問題児」

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はじめに

いつからだろうか。チームの勝利よりも個人の活躍を優先しようと考え始めたのは。
ガムシャラにボールを追いかけ、多くのゴールを決める。サッカーを始めた当初は、ボールに触れているだけで楽しかった。しかし、いつの間にかサッカーをやっているのが当たり前になり、サッカーが楽しいと思う瞬間と苦しいと思う瞬間が交互に現れ、心境の変化も激しくなっていった。波の振れ幅が大きいサッカー人生ではあるが、少しでも誰かの心に響くものがあればいいなと思う。

第1章 「本気の本気」

幼少期のお遊びサッカーとは異なり、本格的にサッカーを始めたのは中学校の部活動からだった。今までの純粋に楽しむサッカーとは違い、全国優勝を目標に掲げている組織だったことから、練習も厳しいものだった。週に2回、フィジカルトレーナーによるフィジカルトレーニング。何回吐いたことか。何回逃げ出そうとしたことか。当時の私は3年の最後の大会の1ヶ月前までBチームに所属していたこともあり、もう諦めてこの苦痛から解放されてもいいんじゃないかと思うことも多々あった。しかし、それを3年間耐え抜いた先には、必ず結果が伴ってくることを信じて突っ走った結果、何とか最後の大会前にスタメンを勝ち取ることが出来た。後に挑んだ最後の大会でも、市大会、県大会、関東大会とトントン拍子で勝ち抜くことが出来た。惜しくも目標としていた全国優勝には届かなかったものの、全国3位を成し遂げた。悔しいはずなのに何故か優越感に浸っている自分がいる。それは、個人として最後まで足掻き、諦めずに食らいついた末に勝ち取れた全国3位だったから嬉しかった。また、何より最高の仲間、監督、トレーナー、コーチ陣と出会い、本気でサッカーが出来て楽しかったからだと思う。今になって中学時代の3年間を振り返ると多くのことを学べた。
・自分に自信が付いた
・本気の本気でサッカーをやる楽しさを学べた
・逃げずに最後まで足掻くことで成功体験を味わえた
まだまだ数えきれない程あるが、最も重要だと感じた3点を絞らせてもらった。
現状に満足せず更なる高みを目指すため、中学時代に果たせなかった全国優勝を高校では成し遂げたいと思い、高校でもサッカーを続ける決断をした。

第2章 「挫折」

4年前の高校サッカー選手権大会神奈川県予選を覚えているだろうか。桐蔭学園が決勝戦を勝ち抜き、14年振りに選手権大会への切符を掴んだ年。しかし、そのメンバーに私の名前はなかった。私の所属する桐蔭学園サッカー部はチーム事情により、上級生チームと下級生チームの2チームに内部分裂していた。当時の私は3年生ということもあり、上級生チームに所属していた。内部分裂している状況でどちらのチームが公式戦に挑むかを決める際、学校側から提示された条件がある。その条件とは、「最後の選手権大会を上級生チームで挑みたいのであれば、それまでに行われる二つの大会において神奈川県ベスト8以上の結果を残すこと」である。その条件の下、二つの大会に挑んだが達成することは出来なかった。これにより上級生チームが選手権大会に臨むことは実質不可能となり、下級生チームが出場することになった。
中学時代に果たすことが出来なかった全国優勝を高校では成し遂げること。これが当時の私がサッカーを続けていた一番の理由であり、モチベーション源となっていた。今置かれている環境下において、何をすべきか、何が正しい道かを必死で考えた。その結果、今まで一緒に切磋琢磨してきたメンバーが所属する上級生チームを一人で抜け、下級生チームに移動する選択肢を選んだ。仲間とサッカーすることよりも、掲げた夢を追い続ける選択を取ったのだ。しかし、後にこの選択が仇となり自身の価値観を大きく変えることとなる。
下級生チームに移動してから数週間が経った頃だった。サッカー部のコーチに「最後の選手権大会は上級生チームで挑むことになった」と告げられた。頭が真っ白になった。そんな中、上級生チームが選手権大会神奈川県予選を勝ち抜き、全国大会に駒を進めた。夏の大会まで一緒に闘っていたはずの同期が活躍している姿を見て心底悔しかった。涙が止まらなかった。サッカーを続ける理由、全てにおいてのやる気が損なわれた。すぐに立ち直ることは出来なかったが、新たな目標を立てることによって、サッカーに対するモチベーションを保っていた。それは、大学サッカーで結果を残し、自分の決断が間違っていなかったことを周囲に証明すること。これが大学サッカーを続けようと思った最大の理由であった。この時からだろう、チームの勝利のことよりも個人の活躍を優先し始めたのは。

第3章 「後悔」

何が何でもトップチームに上がり、結果を残す。それだけを目標にソッカー部に入部した。シーズンインした当初は4チームで編成されていたソッカー部の内、Cチームからのスタートとなった。ここから徐々にコンディションを上げ、一刻も早く上のチームに登り詰めようとしたが、甘い世界ではなかった。個人の活躍だけにフォーカスしすぎていた私は、春の遠征が終わりチームの再編成が行われた際、1番下のチームへと落とされた。掲げた目標から遠退いたこと、サッカーをやる原動力を失い、腐った。サッカーを続ける意味がないと思い、部活を辞めることまで考えた。しかし、それを実行に移すまでの勇気はなかった。ここから練習を作業のようにこなす日々が続いた。2年間も。
そして月日が流れ2年の夏、私は「粗相」をおかした。チームメイトからの信頼を失い、窮地に立たされた。無期限の部活動停止。チームに迷惑を掛けた。同期にはもっと迷惑を掛けた。だが何故か、これをきっかけに部活を辞めようとは思わなかった。むしろ、「サッカー」を取り除いた自分には何も残らないという焦りと恐怖に襲われた。多くの人に迷惑を掛けたまま、逃げる訳にはいかなかった。
ここからだった。失った信頼を取り戻すため、迷惑を掛けた同期に恩返しをするため、チームのために貢献しようと考え始めたのは。この出来事を経て、どうすれば「信頼」を取り戻せるのかを必死に考えた。1日30個のボール磨き、homeとawayの審判派遣、横浜FCスクールのアシスタントコーチ等々、行動で示し続けた。3ヶ月振りに部員とボールを蹴れた時の感動は、今でも鮮明に覚えている。この期間は辛かったが、サッカーが好きだという気持ちを再認識することが出来た。今までは作業のようにこなしていたサッカーだったが、早くサッカーがしたい、仲間と歓喜の瞬間を共にしたいと本気で思えるようになっていたのだ。

第4章 「ラストスパート」

「誰もが後悔をする。だけどその後悔を大きくするか、小さくするかは今後の自分達の行動次第で決まる。」最近の練習で福本コーチに言われた言葉である。この短い人生を振り返ってみても、多くの後悔が残るサッカー生活を送ってしまった。そんな私が、本気でサッカーが出来るのも、長くて数ヶ月。今は最高にサッカーが楽しい。もっと早くこの感情に気が付いていればと後悔している。
最後くらい悔いを残さず、笑ってサッカー人生を終えたい。もう後悔はしたくない。幸運にもそのステージは設けられている。私の所属するBチームはIリーグ1部におり、全勝すれば全国大会出場の可能性があり、引き分けが続けば降格の可能性だってある。福本コーチ、三浦(3年・慶應義塾高)、蓮(3年・慶應義塾湘南藤沢高等部)、あべしん(4年・多摩大学目黒高)の元で、各々が毎回の練習で後悔が残らないように全力で取り組めば絶対勝てる。最後の最後まで足掻き、今シーズンを笑って締め括りたい。それが私のサッカーにおける人生最後の願いだ。

おわりに
長くなりましたが、最後に感謝の気持ちを述べて卒業ブログを締めたいと思います。

家族へ
18年間自由にサッカーをやらせてくれてありがとう。どんなわがままを言ったとしても、なに不自由なくサポートしてくれてありがとう。最高の仲間と最後まで突っ走るので応援していてください。

後輩へ
いつもダル絡みに付き合ってくれてありがとう。私が入部した当初よりも練習の強度は遥かに上がっています。キツイけど、逃げずに最後まで足掻くことで成功体験を味わえるかもしれません。私も今後の人生においても必死に足掻き続けるので、共に頑張ろう。会食OKになったらご飯にでも行きましょう。

同期へ
こんな問題児を最後まで見捨てず、部活に残してくれてありがとう。今度は私が皆に恩返しをしていく番です。ピッチ上で闘志をむき出しにして、先輩方が残してくれたIリーグ1部の舞台を必ず後輩に継承します。
引退してもこの時みたいに皆で集まろう。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

纏まりがなく拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今後共、ソッカー部へのご支援、ご声援の程、宜しくお願い致します。

さて次回のブログの担当は中江瞭介です。
大学受験の時からの親友であり、ピッチ内外で多くの時間を共にしてきました。同じ部活、同じクラス、同じ界隈なのにも関わらず、未だに掴むことの出来ない独特なノリがあります。いつしかそのノリにもついていけるようになりたいです。
サッカーだけに限らず学問に於いても本気で励み、GPA3.5を優に超える彼が、どのようなブログを書いてくれるのか楽しみです!

《NEXT GAME》
9月19日(日)関東リーグ戦 第16節vs順天堂大学
@味の素フィールド西ヶ丘  14:00キックオフ

「正解のない問い」(三田健太郎)

2021.09.14

平素よりお世話になっております。学年を問わず誰からも愛される荻君成からバトンを受けました経済学部4年の三田健太郎です。彼の紹介文の三田犬は初めて聞きました。大学2年時の紅白戦で、荻が昨年の正GKである田原智司(R3卒)が守るゴールに華麗なボレーキックで神様コースへ突き刺した、あの“オウンゴール”は一生忘れません。

さて、残りのソッカー部生活も残り約2か月となりました。チームビブスの洗濯の仕方をジャンケンで負けた秋葉(4年・慶應義塾高)が面倒くさそうに教えてくれたあの日からソッカー部生活が始まり、早くも幕を閉じようとしています。
朝帰りの酔っ払いと同じ電車に乗る6:30練習、青いシートに座り談笑する部室の光景(※コロナ前)、舐めた態度を取ってくる後輩達(主に古川廣太郎(2年・慶應義塾志木高)、道家(2年・鹿島学園高)、千代田(2年・慶應義塾高))など、普段当たり前に感じていたものがなくなってしまうのは寂しく感じます。
この度は卒業ブログという場をお借りして、部活を通じて考えたことを綴らせていただきます。拙い文章で大変恐縮ではありますが、最後まで読んでいただければ幸いです。

「なぜソッカー部でサッカーするのか」

部員ならば誰もが一度は考えるこの正解のない問い。私自身ミーティングなどを経て幾度となく考えさせられた。中学、高校では考えることがなかった、大学特有の問いである。
「早慶戦に出たいから」「高校サッカーの無念を晴らしたいから」入部当時、下カテゴリーながら自信を持って答えていた理由に、月日が経つにつれて疑問を持ち始める。本当にそうなのか。プロにならない自分にとって、将来それが本当にためになるのだろうか。
なぜ、疑問を持ち始めるのだろうか。

「井の中の蛙大海を知らず」

中学高校とサッカー以外にほぼ触れていなかった生活では、サッカー以外に何かやりたいことや、やるべきこともなかった。まるで井の中の蛙のように。しかし、大学に入り様々な価値観を持つ人に出会う。国際寮で出会った将来に明確なビジョンを持つ留学生、海外育ちでインターナショナルな友達、部活を辞めてインターンに勤しむ元同期。
そんな人達と関わる中、自分自身の価値観が広がると同時に、自分が大学4年間を懸けてサッカーをやる意味や、大学サッカーで得られるものが何なのか分からなくなった時期があった。

しかし、あの諺には続きがある。
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」

これが意味するところは、一つのことを極めたものだけに見えてくる世界があるということ。多くを犠牲にし、ソッカー部という生活に全てを注ぐ。それによってまた見えてくるモノがあるということである。自分がなぜソッカー部でサッカーをするのかという問いに対する考えが変わったのは大学3年のSチームの時である。本気でこのメンバー、このスタッフで優勝をし、昇格を成し遂げたいと思い、日々の練習に取り組んだ。結果、昇格は出来なかった。しかし、リーグ優勝を目指すために日々の練習から試行錯誤するプロセス、同じ目標に向かうことで信頼を築き上げた仲間等多くのものを得ることが出来た。
いつの間にかソッカー部で目指す先に生まれる結果が自分にとってどのような意味があるかばかりに囚われていた。目標に向かって本気で目指す過程で得られるものに意味があるという当たり前のことに気付かされた。

『考え過ぎないこと、でも考えるのをやめないこと、考えながら進むこと』

これはザンビア遠征にて聞いた元JICA隊員の方の言葉である。発展途上国が内包する問題について会話している文脈の中で使われたが、それ以来私の行動指針の内の一つとなり、ソッカー部における問いにも当てはまった。

後輩達へ。
いずれミーティングや就活で「なぜソッカー部でサッカーをやるのか」という正解のない問いに悩むことがあるかもしれません。遠回りをしてもいい、寄り道だってしてもいい。考え過ぎず、ただ考えるのを辞めてはならず、少しずつでもいいから考えながら前に進むことで、次第に自分の軸が定まり、目指すべき目標が見えて来ると思います。

「なぜ」と問われること自体にソッカー部の価値があり、
「なぜ」と問うことで自分自身の軸が出来、
「なぜ」と問うことで成長し、強くなれる。

最後になりますが、
お世話になった人へのお礼で締めさせていただきます。
まずは、同期でグラマネのともき(4年・慶應義塾高)
約2年間多くの時間を費やして指導してくれてありがとう。カテゴリーが落ちてモチベーションが下がっている時、ともきの期待に応えるために頑張れた。ありがとう。残りのIリーグ、全勝して終わろう。

そして、父さん、母さん。
サッカーに関係ないけど、この前車ぶつけてしまいごめんなさい。
何も文句を言わずに、ここまでサッカーを続けさせてくれてありがとう。

最後までお読みいただきありがとうございました。今後共、ソッカー部へのご支援、ご声援の程宜しくお願い致します。

次回のブログ担当は依田興汰郎です。
同期で一番顔が広く、SFCの学生に「ソッカー部で誰知ってる?」って聞いてみると、ほぼ100%「依田」って答えが返って来ます。
後輩達へ。キャンパスで会った女の子との会話に困ったら「俺、依田の友達!」って言ってみてください。もしかしたら会話が続くかもです。
早慶戦事件など波瀾万丈なソッカー部人生を送った彼が、どんなブログを書いてくれるのか、とても楽しみです!

《NEXT GAME》
9月19日(日)関東リーグ戦 第16節vs順天堂大学
@味の素フィールド西ヶ丘  14:00キックオフ

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