オフィシャルブログ

「感謝」(松岡瑠夢)

2020.12.30

平素より大変お世話になっております。
総合政策学部4年の松岡瑠夢です。

この度、2021年シーズンより栃木SCへの入団が内定致しました。

プロサッカー選手になるという目標を栃木SCという魅力的なサッカーをするクラブで達成出来たことを大変誇りに思います。

これまで僕に関わってきてくださった多くの方々にこの場をお借りして感謝申し上げます。

ソッカー部での4年間で培われた心・技・体をベースに更にトレーニングを重ね勝利に貢献できる選手になれる様に日々精進して参りますので、どうぞ宜しくお願い致します。

松岡瑠夢

「1460日の修行」(松岡瑠夢)

2020.12.18

平素は大変お世話になっております。みんなが繋いできてくれた4年ブログのバトンを受け取りました。アンカーを務めます、今シーズン主将の松岡瑠夢です。まず、この様な厳しい状況の中、関東大学サッカーリーグ開催にご尽力いただいた皆様、お陰様で、1年間真剣勝負をすることが出来ました。誠にありがとうございました。
ソッカー部に入部して自身が感じた成長と主将をやらせていただいて感じたこと、学んだことを書いていきたいと思います。

私がこの体育会ソッカー部に入部を決めた理由は、2つあります。1つ目は、逞しさを身に付ける為です。今までJリーグの下部組織でしかサッカーをしたことがなかった僕からすると、高体連の選手や部活でのサッカーはルールが厳しくきつい練習を乗り越えた逞しい選手達と言うイメージがありました。
そういった高体連のチームとの試合は大体苦戦したのを覚えています。普段から厳しい練習を乗り越え、気合が半端ではない高体連のチームには大体相性があまり良くないイメージがあります。(ここまでは僕の勝手な個人的見解なので当てはまらないこともあります。)
サッカーを始めた頃からプロのサッカー選手になることを目標にしてきた僕は、高校を卒業する時に、しっかり自分の現状を把握し、分析し、プロになる力はまだないと感じていました。何が足りないか考えた時に色々足りないことだらけでしたが、僕なりに出た答えは、高体連の選手達が身に付ける一選手として、一人の人間としての大きさ、逞しさが僕には足りないと感じました。4年間しっかりと自分と向き合って過ごすことで、それを身に付けられると思ったことが入部を決めた1つ目の理由です。

2つ目の理由は、幼稚舎出身ながら、黄色のユニホームに袖を通しプレーしたことが一度もなかったことから黄色のユニホームへの憧れがありました。人生で1回は慶應のユニホームを着て活動したいと言う強い思いです。この2つの理由で、覚悟を決めて初めての部活。慶應義塾体育会ソッカー部に入部しました。

そんな思いを持って入部したこの部活での生活もあと少しで終わります。4年間充実していたと思うし、この部に入部を決めた1つ目の理由である一選手として、一人の人間として大きく、逞しくなることはある程度出来たと思っています。卒業を控えている今、この組織はピッチ内外に於いて自分次第でとことん成長出来るチャンスが転がっている素晴らしい組織であると感じています。

ここからは自身が感じた成長、主将をやらせていただいて感じたこと、学んだことを書いていきたいと思います。
4年生になり自分は以前より人間的に大きくなれたと感じています。
日頃から自分変わったなと感じる場面は多くなっています。
それを代表する様なことがありました。
今年に入り幸運なことに複数のJクラブのチームの練習に参加させていただきました。
11月。あるチームの練習試合に参加させていただいた際、ピッチ内でのプレー、ピッチ外での言動、行動を観て下さっていた監督の方が「君を見れば慶應が何を大事にしているのか、何を言われているのか、何を大切にしているのかが分かるし見えた」と仰っていただきました。僕はこの時、ソッカー部に入って良かったと。自分が選択した道は正解だったと。自分はちゃんと入部の時の目標である一選手として、一人の人間として大きく、逞しくなれている。成長出来ているのかも知れないと感じ、少し誇らしくなりました。同時にこれは主将としての役割も少し果たせたかなと感じました。

私が主将と言う役職を経験させてもらって本当に多くの気付きがあり、学ばせていただいたと思っています。
主将になるに当たって同期のみんなは色々心配してくれたし話してくれました。その中でも心配の理由で1番多かった意見が、僕の独特なプレーは主将という重責を背負うことにより崩れてしまうのではないかということ。やってみなきゃ誰にも分からないこの問題も僕は強くなる為に乗り越えなければならないと自分に言い聞かせ主将を務めることに決めました。シーズン当初はあまり主将を気にせず良い感覚でプレー出来ていました。でも、上手くいかない時期は少なからず来ます。関東リーグが始まりあまり納得いくプレーが出来ませんでした。みんなが心配してくれていた、主将を務めることで自分のプレーが出来なくなることは残念だから止めてくれという言葉を気にしていた僕は、主将という立場を気にしないで今まで通りと自分に言い聞かせてプレーすることにしていました。でも、練習前の円陣をするのも、練習後のスピーチをするのも、試合中全員を巻き込んで判断するのも主将の役割。その役割をやっているのに主将を気にしないと割り切ることはどうしても出来ていませんでした。
ただ、プレーが中々上手くいっていない時も同期のみんなは温かかったです。色々気に掛けてくれたし、めちゃくちゃ熱いラインをくれるたくさんの仲間の存在に感動しました。この内容は本当に感動したので携帯のメモに送ってくれた同期の名前を記録しています。
みんな同期からプロが出て欲しいと言ってくれて背中を押してくれたのでみんなの想いも背負ってサッカー出来たことは一生の思い出です。
後期リーグも決して満足のいく結果は出すことが出来ていないし納得はいっていないけど調子はかなり良いです。みんなに後期リーグは変わった、凄いねと言ってもらえてます。何より僕のプレーを見て「心を動かされた」、「よくあんな走れるな」、「どんだけゴール目指すねん」だったりとソッカー部が大事にしている、人の心を動かす様なプレーが少しは出来てきていると実感しています。これは選手として大きく逞しくなっていると言えるかも知れません。

後期リーグ、自分が主将らしい責任のあるプレーが以前より出来ているのは先程述べた様に前期リーグ、上手くいかない時もいつも声を掛けてくれた同期の存在が大きいです。
ただ、1番の要因は監督のお陰だと思っています。一切の妥協を許さない監督の元、主将をやらせていただいてまだまだではありますが本当に人としても選手としても強く大きく逞しくなれたと思います。
特に、今年はコロナの影響でプロ志望の選手にとっては思う様にJリーグチームへの練習参加が出来ない時期もあり、一般企業への就活生にとっても今年の4年生は、イレギュラーでとても大変な年だったと思います。そんな年でも同期のみんなは次々就職先に内定していて凄いなと思っていました。ただ、それこそコロナの影響を諸に受けて、上手くいっていない仲間もいました。でも、上手くいかなかった仲間も、妥協するのではなく、来年就職しないでもう1年自分が入りたい会社に行く為に就浪する選択をした仲間もいました。仕事への覚悟がかっこいいと純粋に思いました。そんなみんなが僕の原動力になりました。
自分も思う様に進路の方が進まない時期がありました。監督からは常日頃色々なアドバイスをしていただきましたが1番上手くいってない時期にこんなアドバイスをいただきました。「先の事を考えすぎないで訳分からない位走ってみたら?」と。
主将として前線の選手の僕がどういうプレーをすれば正解なのか悩んでいる時にこの言葉はとても響きましたし、答えが見えた気がしました。
答えを見つけてから自分でも新たなプレースタイルが出来たと思っていますし次のステージを掴むことも出来ました。本当に感謝しています。

最後に、4年間を振り返ってこれっぽっちも後悔はありません。それは自信を持ってサッカーに自分の4年間を捧げることが出来たと言えるからです。上手くいかないこともありましたがそれは実力不足なので後悔はありません。
自分が望んだ1460日の修行はもうすぐ終わります。最終節の結果が4年間の集大成です。1460日の修行の成果が出る試合になります。修行の成果を見せます。

そしていつも近くで応援、サポートしてくれている家族、全部の遊びを断っても、仲良くしてくれている同期のみんなありがとう。ブログに名前が出て来たら喜びそうな同期の名前を上げときます。
勉強をこれでもかと手伝ってくれた立石(4年・慶應義塾湘南藤沢高等部)、鶴田(4年・桐蔭学園高)、草野(4年・桐蔭学園高)、高津(4年・桐蔭学園高)。(立石4割、鶴田4割、草野1.8割、高津0.1割、その他0.1割)朝早く、少し遠回りしていつも車で拾ってくれた石原(4年・杉並学院高)。毎日練習後の自主練を笑顔で手伝ってくれた16年間ずっと一緒の心の友の関俊太朗。(4年・慶應義塾高)。本当にありがとう。これからもずっと宜しく。

そして、1年時大変お世話になった須田元監督、2年目の怪我の年、大変お世話になった冨田元監督、4年間常日頃色々なアドバイス、熱いご指導していただいた社会人スタッフの皆様、いつも変わらぬご支援ご声援いただいたOBの皆様、4年間本当にありがとうございました。次のステージでも自分らしく慶應義塾体育会ソッカー部で学んだことを軸に大きく逞しくなっていきます。

今後共ソッカー部への変わらぬご支援ご声援の程宜しくお願い致します。
最後までお読みいただきありがとうございました。

《NEXT GAME》
12月19日(土) 関東リーグ戦 最終節 駒澤大学
13:30キックオフ @非公表

「絆創膏」(関俊太朗)

2020.12.17

平素より大変お世話になっております。今回ブログを担当させていただきます、商学部4年グラウンドマネージャーの関俊太朗と申します。
まずこの未曾有の事態の中での関東リーグ開催を始め、ラストイヤーに思い切りサッカーが出来る環境を整えて下さった関係者の皆様に、この場をお借りして御礼を述べさせていただきたいと思います。
“拙い文章ですが”の前置きの後、本当に拙い文章を書く人は中々いません。本当に”拙過ぎる文章ですが”最後まで読んでいただけますと幸いです。
また、一つ前のブログで横田が「この4年間を振り返るようなしみったれたブログを書いている場合ではない」と記してくれているものの、せっかくなので過去最高にしみったれた、しみったれきったブログを書かせていただこうと思います。


過去を振り返ると、私は高校3年時に慶應義塾高等学校サッカー部創部史上初となるインターハイ出場を果たすことが出来た。その頃運良くスタメンだった私は”大学でもスタメンを勝ち取り、慶早戦に出て勝利する”という大き過ぎる夢をぶら下げ、塾ソッカー部の門を叩いた。初めは驚く程トントン拍子で進んでいく。サッカー強豪校の出身でもなく、そもそもサッカーが全く上手くない自分がまさかのBチームスタート。1年の春にしてトップチームのグレージャージに手が届きそうな場所だった。高揚した。その頃は”必ずや内部進学からの大学スタメンを勝ち取ってやる”と鼻息を荒げていたのをよく覚えている。
しかし安物のメッキはすぐに剥がれる。徐々にBチームでの出場機会は減り、Cチームに降格。Bチーム落ちの自分はその立ち位置に胡座をかき、立場に甘んじてしまった。結果Cチームでもメンバー外の盛り上げ役、2年の秋にはDチーム降格を言い渡されてしまった。

私にとってこの経験が人生初めての挫折であり、一旦完全に腐ってしまったと言い切れる。勿論サッカーが大好きだし、毎日・毎練習自分なりの全力をぶつけていた。しかし”ここからのし上がってやる”という情熱は日に日に薄まっていき、今までの自分を繋いでいた”本気のサッカー”という糸がプツッと切れてしまった。
そんな時ぼーっとグラウンドを眺めていると、そこには自分より遥かに高いレベルでサッカーをしている塾高の同期や、既に関東リーグ出場を果たし、チームにとって欠かせない地位を確立している瑠夢がいた。
彼らは自分にとって”良い刺激になる”なんてそんな小綺麗なものではなく、地べたを這いつくばっている私の心臓を生々しく握りつぶしてくるようだった。

そんな光景を見た時に強く思った。
「このままじゃいけない」

自分は何の為にサッカーをしているのだろう。何故この塾ソッカー部に所属しているのだろう。そう考えた時、入部当初自分の中でこっそりと掲げた大学サッカー人生のテーマを思い出した。

“慶應に恩返しをする”
“関俊太朗という存在を慶應に刻む”

前者は幼稚舎時代からお世話になったこの塾に対して、自分が誇り高き荒鷲エンブレムのユニフォームに袖を通し、チームを勝利に導く。その貢献と勝利を持って塾に恩返しをする、というものだ。
後者は当時18歳の自分が調子に乗って決めたテーマである。関俊太朗という存在をこの部に、この塾に刻み込む。代えの効かない唯一無二な存在になる。今思うと多少キザなテーマだったと思う。
入部して1年半、いや、2年が経とうとしていたあの冬、私はこの2つのテーマを残りの大学サッカー人生で達成すべく、人生最大の決断を下すことになる。

サッカーを辞める。

今想うとあの頃そう決断出来た自分の勢いと空っぽの自信を今でもとても誇らしく思う。私は大学2年の冬にサッカーを辞めた。自らプレイヤーを退く決断をし、この代のグラウンドマネージャーとして残りの大学サッカー人生全てを捧げ、塾に最大の恩返しをする。そして関俊太朗という存在をこの地に刻む事を決意した。
今でも忘れない。同期にこの決意を伝えるミーティングの行き路。冬の寒い日だった。1人で歩く下田への夜道、何故だか涙が止まらなかった。拭いても拭いても涙は溢れてきた。同期のたわいもない笑い声が磨りガラス越しに聞こえる部室前、バレたくなくて既に涙でびしょ濡れのYシャツで目を擦り、作り笑顔で部室に入ったのを鮮明に覚えている。
なぜ涙は溢れてきたのだろうか。自分でサッカーを辞めると決断したのに何故だろうか。覚悟が出来ていないから?サッカーに未練があるから?その問いの答えは今でもわからない。

あれからもう丸2年が経った。
決して早くはなかったし、あっという間でもなかった。辛いことも山程あったし、嬉しくてしょうがない瞬間も沢山あった。

そんな今、私は恩返しが出来ているのだろうか。
私は自分という存在をこの地に刻めているのだろうか。

今胸を張って「自分なりの精一杯は出し切った」と言うことが出来るが、同期や後輩はどう思っているのだろうか。このちっぽけなテーマが少しでも達成出来ていることを願うばかりである。

ここまで回りくどい自分史をつらつらと記させてもらったが、後輩達に一つだけ知ってほしい漢字の意味がある。

“創”

創造、創る等馴染みのある漢字だが、この漢字には ソウ・つくる 以外に別の読み方がある。

“きず”

“創(ソウ・つくる)”は「物事の始まり」という意味であるが、真の創造が為される時、その裏に、その根本には必ず何らかの”創(きず)”がある。逆に人は”創(きず)”を負った時、新たなものを”創造”していく生き物である。
深い深い”創(きず)”を負ってから、悶え苦しみ、足掻き、藻掻いた先に生まれる新たな芽は、平坦な地から生まれた芽よりも根を強く、深く張り巡らせ、遥かに逞しく成長し、大きな花を咲かすだろう。

今このブログを読んでくれている後輩へ
日々1日1日に全力を尽くして生きたとしても必ず全員が壁にぶつかります。
その壁から逃げずに向き合い続け、その試行錯誤すら楽しんで下さい。
負った”創(きず)”を、自らの手で、脚で”創(つくる)”に変えていって下さい。

自分に残された期間はあと4日間という短い時間ですが、自分に託された役割を全力で全うし、最後は潔く散りたいと思います。

あの日の涙を勝って皆んなで喜び合う時の嬉し涙に変える為に。

今後共、ソッカー部へのご支援、ご声援の程、宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
12月19日(土) 関東リーグ戦 最終節 駒澤大学
13:30キックオフ @非公表

「ラストスパート」(横田亮平)

2020.12.16

平素よりお世話になっております。今シーズン主務を務めます、法学部政治学科4年の横田亮平です。はじめに、この場をお借りして、日頃ご支援ご尽力いただいている関係者の方々に御礼を述べさせていただきます。新型コロナウイルス感染拡大という未曾有の社会情勢に於いても、関東大学サッカーリーグを始め、大切なリーグ戦をお借りする形での早慶サッカー定期戦の実現や、Iリーグという真剣勝負の機会を与えて下さったお陰で、僕らはこの上なく充実したラストイヤーを送ることが出来ています。これらの環境の実現にお力添えいただいている関係者の皆様、厳しい社会情勢の中でも変わらずご支援ご声援いただいている全ての皆様に心より感謝申し上げます。

さて、最後の部員ブログに参りたいと思います。
前回のブログでは、「ボーナスステージ」というタイトルで自分の大学サッカーへの想いを語らせていただきました。あれから約1年半。この4年間を振り返りつつ関わってくれた身近な人達に感謝を述べて…なんてしみったれたブログを書いている場合ではありません。

15年間、文字通り人生を捧げてきたサッカー人生のクライマックスを迎えている今、僕らは関東1部リーグの生き残りを懸けて戦っています。そんな今だからこそ、ソッカー部の仲間達へのメッセージをこのブログに綴らせていただきます。

支えてくれた人への感謝は直接伝えれば良い。主務として取り組んできた事は、全てが終わった後ゆっくりお酒でも飲みながら話します。今の自分に出来る事は、戦う仲間の背中を押す事です。

最後まで自分らしく語らせていただきます。しばしお付き合い下さい。

このブログで皆に伝えたい事は2つ。

まず、1つ目。
サッカー人生の終わりが刻一刻と近付いている4年生は勿論、下級生の皆も。

「今」を本気で生きているかを、自分の胸に問うて欲しい。一切の妥協なくソッカー部に向き合い、自分に向き合い、サッカーに向き合えているだろうか。

僕は、恩師の影響で「夢」という言葉が嫌いだ。
何故なら、「夢」は叶わぬまま終わっても許されるから。「夢」という言葉の持つ儚さに騙されて、憧れていれば良しとされうるものだから。

だからこそ、皆がシーズン当初に描いていた「関東リーグで得点」や「カテゴリ昇格」といったものを「夢」のままで終わらせて欲しくない。「夢」だなんて言葉に逃げず、何がなんでも達成してやるという気概に溢れた「目標」として、燃え尽きるまで追いかけて欲しい。
今年は難しかったよ、怪我をしてしまって…なんて言い訳をするにはまだ早い。今シーズンが終わるまで時間はある。

シーズン終了を間近に控えた今であっても、そうでなくても、僕らに出来ることは「今、ここ」を眩しいくらい真剣に生きるしかない。
過去の経歴に負い目を感じたり、先のことを考えたりする余裕もないくらいに、刹那に集中する事。そして、それを薄く、薄く積み上げていく事。その連鎖が初めて未来に繋がっていくと自分は思っている。

立ち上がりの5分目の色を変えて集中する。
ゴール前の1対1で絶対に勝つ。
選手が勝てる為に本気でサポートする。

「今、ここ」で出来ることに、自分が持つ全てを捧げよう。

ここから2つ目。
ソッカー部には役職や学年、カテゴリなどに応じてそれぞれの大切な役割が与えられている。それを全うするなんて慶應の学生なんだから当たり前。荒鷲のエンブレムを背負って戦う皆には、役割を果たすだけでなく「自分にしか出来ないこと」に誇りを持って欲しい。

かくいう自分は、「自分にしか出来ない事」に自信が持てない1人だった。

「主務」−主にその事務・任務に当たる事。また、その人。

辞書で検索するとこの様に出て来る。偉大な主務の先輩方も皆一様に仕事が出来、その堅実さで部員からの信頼を勝ち取っていた。少なくとも、当時下級生だった自分にはそう見えたし、その姿は眩しかった。

翻って自分はどうだろうか。
控えめに言っても、自分は仕事をバリバリこなせるタイプだと思っていないし、堅実さや正確性で言ったら、自分よりも同期の新居や多治見の方がよっぽど優れていると思う。加えて、選手兼任の主務としてピッチ上で魅せる事も出来るのに、副務ミーティング時点では、一番下のカテゴリーでメンバー外。あるべき「主務像」と自分を取り巻く現状とのギャップに苛まれていた。

副務、主務に就任後も、唯一無二のポジションであるが故、中々悩みを同期に吐露する事も出来なかった。時に孤独に苛まれ、重圧を感じながら戦ってきたが、そんな僕を支えて続けてくれたものがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が副務に就任することが学年内で決まったミーティングの後に撮影した写真である。
半年に及ぶ同期との話し合いの末、新たな挑戦を決めたあの時の想いと同期からの期待を忘れたくなくて、撮ってもらった。あの日から、心に決めた事がある。



「亮平が主務で良かった。」



引退する時に、同期にそう思ってもらう事。

きつい時、辛い時、上手くいかない時、情けない時。最後の一歩踏ん張れたのは、期待してくれた仲間の想いに応えたいその一心だった。実力も実績もない自分に大役を任せてくれたその想いに全力で向き合いたかった。

・正しいことを正しいと言えるから。
・亮平のカテゴリーとか関係なく本気でサッカーに向き合う姿勢を尊敬している。
・最終学年になった時にチームの雰囲気作りをお前に任せたい。
あの時貰った言葉のお陰で「自分にしか出来ない事」に自信が持てた。

1つ上の偉大な塩木前主務は、自分の何倍も走れる人だった。
1つ下の彬は、副務でありながら関東リーグに出場した。
自分は、数々の偉大な主務の先輩方の系譜に名を刻めるような漢ではないかもしれないし、残留争いをした主務なんて記録にも残らないかも知れない。

でも、それで良い。自分の部に対する想い、仲間に対する想いは誰にも負けるつもりはないし、本当にチームの為になる事が出来ているならば、日の目を浴びない仕事だって全く苦じゃない。「自分にしか出来ない事」が明確に分かってからは迷う事はなくなったし、孤独を感じる事もなくなった。

だから、皆にも伝えたい。
必ず、皆にしか出来ない事があるし、オンリーワンとしての自分に誇りを持って欲しい。

圧倒的な技術を持ちながら90分戦う姿勢を見せられるのは瑠夢にしか出来ない。
左サイドをスピードでぶっちぎれるのは本吉にしか出来ない。
試合に出ようが出まいが姿勢で引っ張れるのは理雄にしか出来ない。
ピッチ外で極限まで勝率を高められるのは関にしか出来ない。

150人もいる皆が「自分にしか出来ない事」に自信が持てたら、そのエネルギーは計り知れないことになる。ちょっとやそっとサッカーが上手いチームに負けるはずはない。

だから、皆の力が必要になる。
サッカー人生の最後、どうしても関東1部の舞台を繋いで去る為に。
「今、ここ」で「自分にしか出来ない事」を。

最後、勝って泣いて終わろう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

引き続きソッカー部へのご支援ご声援の程宜しくお願い申し上げます。

《NEXT GAME》
12月19日(土) 関東リーグ戦 最終節 駒澤大学
13:30キックオフ @非公表

「全力であれ」(杉本崇太朗)

2020.12.15

平素よりお世話になっております。
法学部政治学科4年 副将 杉本崇太朗です。

先ずは、関東リーグ開催につきまして、関係者の皆様の多大なるご尽力で、私たち学生にサッカーのできる日常を与えていただきましたこと、部員一同感謝の念に堪えません。
更に、保護者、OB、関係者の皆様のお陰を持ちまして、「第71回早慶サッカー定期戦」が無事開催できましたこと、厚くお礼申し上げます。
今後とも慶應義塾体育会ソッカー部へのご支援、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

去る時が来た。
慶應義塾体育会ソッカー部を卒業し、永遠に続くと思われたこの居場所を後輩に託す時が来た。
副将として後輩たちに伝えることは何かと考え、2つの事柄について述べる。

2020年12月5日、早慶戦。
早慶戦には先人から受け継いだ歴史と伝統があり、私たちは入部時から早慶戦を常に思考のどこかに置いている。「このために生きている」という憧れであり、「この一戦に勝たなければ」という重責でもある。この4年間、早慶戦を戦う者として相応しい生き方を心掛け、襟を正して過ごしてきた。毎日を学ばせていただいていた。

そんな気持ちで臨んだ2020年。新型コロナウイルスの猛威は、スポーツ界のみならず、世界中の政治や経済を混乱に陥れた。そんな中、私たちにできることは、希望を失わず、必ず勝つという強い意志を持ち、未確定なその時に向けて準備し続けるだけであった。
一時は開催が危ぶまれたが、関係者・スタッフの方々が歴史を繋ごうと力を尽くしてくださった。そのお陰で、私たちは早慶戦の伝統を継承する使命を持つことができたのだ。

私たちは「この一戦」に対し、「9連覇阻止」に挑む弱者ではなく、「この一戦」に勝つ強者でなければならない。サッカー人生で「この一戦」と呼べる試合はそうそうあるものではない。オリンピックで一度負ければ「敗者」となるのがスポーツの残酷さである。私たち慶應ソッカー部員にとって早慶戦は「この一戦」だけで評価される特別なものだ。

両校の学生・OBの誇りとプライドと意地を背負った「この一戦」。
大学の名を背負い、勝つこと以外取り返すことが出来ない試合を経験させていただけることは、身震いする程の幸せであり、我々部員は感謝を肝に銘じ続けなければならない。

後輩たちへ。
「私たち4年生には今年の早慶戦を取り返す機会はもうどこにもない。
今年の1-1の結果は9連覇の阻止はできても、勝利ではなかった。だからこそ言う。「この一戦」に全てを懸けろ。登録人数は限られ、出場チャンスは僅かにしか巡って来ない。出場叶わぬ先輩方を、悔しさに堪え仕事をこなす部員を、数多く見てきた。勿論私も場内警備をしながら遠くで歓声を聞いた年もある。皆、心の中に悔しさを秘めて、それでも「この一戦」に自分なりの方法で正面から挑む。

2020年の早慶戦は終わった。次はまた新しいメンバーが作られ、そのチャンスは誰もが持っている。自分の挑戦権を放棄せず、「この一戦」を手に入れるためにすべてを出し切れ。もしチャンスを掴めなかったとしても、腐らず、自分のやるべきことをやり、それをすべてやり切った先に自身の成長と、慶應の未来がある。早慶戦は全員が同じ方向に向かって、全員が同じ気持ちで遂行できてこそのチーム力が試される。早稲田大学ア式蹴球部への敬意を忘れず、全力で挑め、全力でぶつかれ。」

早慶戦前。部員全員に問われた「俺にとってサッカーとは」。
私は迷わず「世界を広げてくれたもの」と記した。
サッカーの楽しさを知ったのは5歳の時。マレーシア・クアラルンプールでサッカーに出会ったのは運命だったと思う。その証拠に両親は「海外駐在がなければ武道をさせようと思っていた。」と言っていたし、たまたま住んでいたコンドミニアムのテニスコートが近隣の子どもたちの遊び場で、そこに行けば誰かがボールを蹴っているという恵まれた環境だった。年齢も言語も国籍も超えてボールを追うことが楽しく、それは人生のすべてとなった。
しかし、楽しいだけのサッカーは幼少期の数年間のみだったように思う。むしろ私のサッカーは挫折と苦悩続きだった。

大学入学後、関東リーグ出場を果たしたものの、2年次で左膝後十字靭帯損傷、3年次に右膝蓋骨骨折を負う。怪我と故障に苦しみ、4年次は苦悩の連続であった。副将としてチームを引っ張りたいという思いとは裏腹に表舞台に立つことができない。副将の役割とは、自分の存在意義とは、と問う日々が続き、自分の無能さに悩み、怪我続きの運の悪さを呪った。

常々監督から「学生スタッフ・副将はプレーイングマネージャーである。」とご指導いただいていた。「副将である以上、一般の選手ではない。自分を捨ててでもチームが勝つことを優先に考えろ。」と何度も叱責を受けた。
吹っ切れた。「自分のことより、チームのための仕事を全うしよう。」と覚悟を決めた。しかし選手としての自分が邪魔をし、なかなか体現できない。チームが勝てる為のアプローチを続けるものの、幾度となく監督に叱られた。しかし腹はくくっていた。叱られても叱られても、食らいついていこうと決め、本気でチームのためにできることを考えた。

そうした苦悩の日々を救ってくれたのは、同期の存在だ。
大学スポーツは学生主体で組織の運営が行われる。ということは、部員は選手ばかりではない。年次が上がるごとに、主務や副務、学生コーチ、トレーナー、学連などスタッフを務める部員を選出しなければならず、それはサッカーよりも部の運営を優先することを意味する。また、選手であってもチームは細かいカテゴリーに分かれ、自分のカテゴリーに満足できずもがく者もいる。

それぞれがいろいろな立場で様々な思いを抱え、それでも部のために何ができるかを必死に考え努めようとしている。年次が上がるほど自分本位な思考を消し、部全体への貢献を考えなければならない。
そんな同期とのなにげない会話や、気遣いのあるさりげない言葉にどれほど救われたか。どれほど助けられたか。
自分が助けるつもりになっていたが、同期は見守ってくれていた。助けてくれていた。それに気付いた時に変われたように思う。
「本当にありがとう。『チームのために』は最高の同期から学びました。」

後輩たちへ。
「今になって思う。ひとつの目標を失っても、次の目標を見つければ、またそこから始まる。諦めるな。不貞腐れるな。万事順調な人生なんてどこにもなく、サッカーは都合よく目の前にボールは転がってこない。人生は、サッカーは、自分の思い通りにならないのが当たり前で、失敗の連続だ。

しかし、目の前にボールが転がってこなくても、自分を見失うな。「怪我をした」「チームから降格した」「あいつに勝てない」という悩みや苦しみも、自分が自分に負けているだけだ。負けないためには、「今できることを全力でやる」を繰り返し続けるしかない。

全てをやり尽くして後悔のない卒業を迎えるには、今の自己定位ではなく、4年間サッカーとどう向き合ったが大切である。幸いにも君たちには時間はまだ残されている。全員、平等にカウントダウンは始まり、自分のプレーがすべて終わる最後の瞬間まで続いている。慶應ソッカー部としての誇りを持ち、全力で走り続けてほしい。最後のホイッスルまで。」

最後に、応援してくれた家族、名古屋グランパスユースサポーターの皆様、慶應義塾体育会ソッカー部関係者の皆様、そしてマレーシアでサッカーの楽しさを教えてくれたお兄さんたちに感謝を述べたい。
「応援、ありがとうございました。私は、1年生の時に書いたブログ『応援に足る人間に』に少しは近づいているでしょうか。」

そして度重なる怪我の中、小さなお子さんがいるにも関わらず、夜遅くまでトレーニングしてくださった三浦トレーナー。
「三浦さんの献身的な仕事ぶりに、限りなく助けられ、多くを学びました。私の4年間があったのは、三浦さんがいてくれたからです。そして、それを陰で支えてくださったご家族には、どんなに感謝してもとても感謝しきれません。」

 12月19日、リーグ最終戦。部員一同、必ず勝って残留を決め、お世話になった方々への恩返しとする。

「世界を広げてくれた」サッカーは今後も私の世界を広げてくれると思う。辛い怪我も、悔しい敗戦も、勝利の歓喜も、これからの人生を後押ししてくれると信じている。

《NEXT GAME》
12月19日(土) 関東リーグ戦 最終節 駒澤大学
13:30キックオフ @非公表

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