オフィシャルブログ

「結果と過程」(渡辺亘祐)

2019.10.31

渡辺亘平素より大変お世話になっております。渡邉啓太郎より紹介されました、法学部政治学科4年、渡辺亘祐です。啓太郎、誤解を生む様な素敵な紹介ありがとう。彼が4年前に塾高の練習に一度参加した時は彼の技術に衝撃を受けましたが、今では彼のピッチ外での躍動感に衝撃を受けています。

さて、ソッカー部最後のブログということで何を書くか迷いましたが、私が考える”結果”と”過程”について大学4年間を振り返りながら書きたいと思います。ここでは個人としての結果について振り返って綴りました。
最後までお付き合いいただければ幸いです。

まずはソッカー部での4年間を簡単に振り返りたいと思います。
入部して1ヶ月程でCチームからBチームに昇格、全国の強豪校出身の同期や先輩に死に物狂いで食らいついた1年目。その後、新チーム始動からAチームに昇格、Aチームの練習に必死で食らいつき、1試合だけ関東リーグに出場。更に、2年生の新人戦では、関東予選のほぼ全ての試合に出場し、全国大会進出に貢献。ここまでは努力が結果に結び付き、小さな目標が達成出来ていた。しかし夏前にはBチームとなり、新人戦の全国大会決勝戦では試合に出場しないままベンチで敗戦を迎えた。3年生の初めにAチームに昇格するも膝の靭帯損傷でBチームに戻り、夏には足の骨折で手術をする等3年生では満足にサッカーが出来なかった。4年生になり、新チームが始動してから2か月後にAチームに合流したものの関東リーグでは前期に1試合しか出られていない。

この様にBチームとAチームを行ったり来たりのソッカー部生活で、4年間で関東リーグ2試合、約20分間のみの出場でした。チームの中心選手になって関東リーグで活躍する、という入部時の目標は全く達成出来ず、早慶戦にも1度も出場出来ませんでした。
翌日の関東リーグや早慶戦で自分がメンバー外だと聞いた瞬間、新人戦全国決勝での敗戦をベンチで迎えた瞬間、これらの瞬間を一生忘れられないと思います。
18年間のサッカー人生の集大成である大学4年間で個人として全く結果を残すことが出来ず、非常に悔しいです。

高校時代にはインハイ予選や選手権予選で初戦で敗退する等主将として何も出来ず、全く結果を残せなかったからこそ、大学では絶対に結果を残したい、この様な想いから立てた目標が難しいのは分かっていましたが、何が何でも達成したかったというのが正直な気持ちです。

ただ”結果”は悔しいものですが、その”過程”を考えると後悔は殆どありません。入部してから死に物狂いで練習に食らいつき、可能な限りの時間を自主練習に費やしました。上手くなったことを実感したり、結果に表れたり、監督やコーチに褒められた時は本当に嬉しかったです。非常に悔しい結果となりましたが、充実した大学4年間でした。
又、高校までは多くの試合に出場していたのとは対照的に、大学ではあまり試合に出場出来ないという経験をしたことによって、人として成長する事が出来たと感じています。後悔のない”過程”があるからこそ、”試合に出場し続けるサッカー人生”ではなくて逆に良かったのかも知れません。大学4年間ではここで書き切れない程の多くの学びがありました。”結果”を追求したからこそ、その”過程”が自分の中で財産となっています。
結果よりも過程の方が大事…ではなく結果を真に追求することでその過程が素晴らしいものになるのではないでしょうか。

試合や練習に死に物狂いで取り組み、悔しい気持ちを原動力として、結果を追求してきました。やれる限りのことをやってきたという自負があるので後悔は殆どありませんが、試合に出場出来なかった = 努力が足りなかったのかも知れません。今あまり試合に出場出来ていない後輩達には日々の悔しさを原動力にして、後悔がない様に結果を追求して頑張って欲しいです。

私自身も残り4試合となった関東2部リーグ、フットサル関東リーグでの優勝に貢献出来る様に結果を追求したいと思います。

拙い文章でしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

次回のブログ担当は佐々木龍です。彼と仲が悪い人など聞いたことがなく、正にThe八方美人です。いつも周囲を明るくしてくれる彼はどんな面白いブログで私達を笑わせてくれるのでしょうか。楽しみです。

《NEXT GAME》
11月3日(日・祝) 関東リーグ戦 第19節 vs立教大学
@国士舘大学グラウンド 14:00キックオフ

「ソッカー部員失格」(渡邉啓太郎)

2019.10.30

渡邉啓平素よりお世話になっております。渡邉舜より紹介に預かりました、経済学部4年、渡邉啓太郎です。彼と会話すると基本的に「ボコボコにする」とか「ぶっ飛ばす」とか「腹減った」しか言って来ないので「それな」以外の返しが出来ないだけです。他人に興味がないっていうのは全くの誤解です。
彼とは入部当初から仲が良いのですが、面白くて仕事が出来てイケメンでデブで優しくて本当に完璧な男だと思います。
肝心のブログですが、僕自身の4年間を振り返ってみると後悔ばかりが残るので、もし読んでくれる後輩がいたら反面教師にでもなればと思います。少し長くなってしまいましたが、お付き合いいただけると幸いです。

恥の多い4年間を送ってきました。
特に目的意識もなく、高校までの流れで入部してC1チームに振り分けられてから1週間、14時練に寝坊。原因はスペイン旅行から帰国した次の日で、スペイン時間の朝6時に起床。日本では14時でした。そのままC1チーム(現Cチーム)からC2チーム(現Dチーム)に落とされ、もうその時点で半分腐りかけていました。正直実力はそれなりに認められていたこともあり、すぐにC1チームに復帰し、スタメンを奪取。Iリーグは基本的にスタメンで出場し続けていた記憶があります。個人として少しずつ調子も上がっていき、C1チームとして結果も出てきていた矢先、二度目の寝坊。夏の遠征前でした。原因は携帯のアラームを掛け忘れていたとか何とか。こんな風に自虐を続ければキリがない程だらしなかった僕ですが、2年時の夏に転機が訪れます。
いわゆる動員事件。朝30分程度のミニゲーム練習を終え、熱中症で動けないと嘘をついて、午後の動員に参加せず、遊びに行っていたのです。体育会云々の前に、人として腐り切っており、ゴミ同然だったと思います。ゴミならば嘘はつかないので、ゴミ以下と記述した方が正確でしょうか。
当時所属していたBチームで全く出場機会を得ていなかったこともあり、事件直前まで退部することを考えていた僕ですが、不思議なものでいざ退部を宣告されると、20年近く続けてきたサッカーへの未練からか、サッカー以外これと言って取り柄のない自分からサッカーを取り上げられることへの恐怖心からか、死んでも残ることを決意しました。
1ヶ月間真夏炎天下の中、丸坊主でグランド周りの草を刈り続け、全練習に雑用として参加し、選手のボトルを常に冷たい状態に保つ為に10キロ近い氷のタンクを運んだ回数は数え切れない程です。同期、先輩方と十数回に渡る壮絶なミーティングの末、「3人を残すことで俺達の代での優勝に繋がる」と同期全員が草刈りを手伝ってくれるようになり、何とか、かろうじて、部に残してもらうことになりました。同期の皆、本当にありがとう。
当時のミーティングで「必ず試合に出てチームに貢献する」と誓ったそれからの約2年間、何とか4年目にしてトップチームに昇格させてはもらえたものの、出場機会を得ることが出来た公式戦はアミノバイタルカップの数十分間のみ。早慶戦はぎりぎりベンチには入れてもらえたものの、1点ビハインド、残り1枠を残して使ってもらえず。攻撃の選手として信頼を培って来れなかった情けなさだけが残っています。関東リーグに関しては、トップチームに在籍する4年生でただ一人ベンチ入りすら果たすことが出来ていません。
こうして4年間を振り返ってみると本当に酷い。完全にソッカー部員失格です。

少し振り返りが長くなってしまいましたが、ここからが僕自身このブログに込めるメッセージ。
非常にシンプル且つ当たり前のことですが、「継続は力なり」ということ。
1年時に僕と共にC1チームのIリーグで試合に出場していた選手で、関東リーグに主力として出場していないのは僕だけです。まさし、八田、ピーダー、もっちゃん(福本)、りんちゃん(田嶋)。皆今期の絶好調のチームの主力を張って大活躍しています。入部当初同じスタートラインに立っていた僕と彼らの違い、トップトップとトップサブの間にある差、それは継続して努力し続けてきた積み重ねが生んだ大きな大きな差であると感じています。僕が粗相を繰り返し、どんどん腐っていく間、彼らはただひたすら直向きにサッカーと真摯に向き合い、成長し続けていました。今年のチームの哲学となっている「走って走って走る」、「一歩、一秒」の所を支えているのは、紛れもなく彼らが4年間を掛けて積み重ねてきたものが土台となっていると思います。
そして何より、彼ら、試合に出ている4年生の凄い所、本当に尊敬に値する所は、チームの為にそれぞれが犠牲を払うのを惜しまないことです。早慶戦を終え、4年生全員が涙を流す中、僕だけが一滴の涙も湧いてこなかった時に感じました。彼らはこのチームの早慶戦勝利の為に捧げてきたからこそ悔しくて泣くのだろうと。
そう考えると主将の佐藤海徳は本当に今年のチームを体現している存在だと改めて感じる出来事を思い出します。上述した動員事件の際の話ですが、僕達3人と海徳で話をしたことがあります。それまで断固として僕らは退部すべきという意見を変えなかった彼ですが、他の同期の、「残すべきだ」という意見を聞いて揺れていたそうです。唐突に泣き出しました。「俺は絶対にプロになりたい。でもチームのことも考えなきゃいけない。だからお前らみたいな意識の低い奴が残って考えなきゃいけないことが増えるのは、本当は邪魔でしょうがない」と。それまで冷徹で過激な発言が多く「なんて嫌な奴なんだ」位に思っていましたが、それはチームの為に同期に嫌われることさえも受け入れたが故であり、その鉄面皮の裏側には強烈に熱い想いがあったことを知り、心底申し訳なく感じました。彼とはとても仲が良いというわけではなく、常にコミュニケーションを取り合うという間柄ではないかも知れません。ただ彼のことはそれ以来本当に尊敬しています。凄い奴です。
このブログをもし見てくれている後輩がいるならば、特にCチーム、Dチームで腐りかけているような部員がいるならば、今すぐにチームの為に何か出来ることはないか探して行動を始めた方が良い。それからサッカーを本当に頑張った方が良い。じゃなきゃ辞めた方が良い。
さて、僕はと言うと、「必ず試合に出て貢献する」という同期への誓いもろくに果たせず残り1ヶ月となってしまいました。しかし、そんな僕にもまだ出来ることが2つあります。残り4試合どうにかして試合に出場して勝利に、優勝に貢献すること、そしてフットサルで後輩の為に、四戸さんに恩返しする為に必ずリーグ優勝することです。残り時間は僅かになってしまいましたが、まだやれると信じています。

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回のブログ担当は渡辺亘祐です。
彼は普段本当に優しくて話し易いのですが、稀に場が凍り付くとんでもない発言をするという一面を併せ持っています。
どっちの彼が本当の彼なのか、是非読んで確かめてみて下さい。
ちなみに得意プレーは股抜きですが、その躍動感はピッチ内に限ります。

《NEXT GAME》
11月3日(日・祝) 関東リーグ戦 第19節 vs立教大学
@国士舘大学グラウンド 14:00キックオフ

「終わらないロスタイム」(渡邉舜)

2019.10.29

渡邉舜平素は大変お世話になっております。
今回ブログを担当させていただきます、法学部法律学科4年学連幹事兼KSS学生コーチの渡邉舜です。
いつも車で部活に来ては俺のことを家の目の前まで送りたがる富澤嘉紀からバトンを引き継ぎました。ちなみに全身赤コーデはテスト期間に心神耗弱していたことから及んでしまった犯行であり、刑法39条2項からも限定責任能力者として刑は減刑されるべきと主張します。
そんな彼は非常に一途で誠実な男です。入部当初、「部活忙しいし彼女とかいらない」と部活に心血を注いでいた彼から、「俺、この子なら一生大事に出来るって思ったんだよね」と初めて報告を受けた時は本当に嬉しく、涙が出る程でした。もうこのセリフを何回聞いたのか分かりません。
さて、自由なテーマでの部員ブログは最初で最後ということで、何を書いたら読者にウケるのか分からないので自分の言葉で素直な想いを綴ります。非常に長い文章となってしまいましたが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。部員は強制でお願いします。
2015年11月1日、全国高校サッカー選手権大会茨城県予選準々決勝敗退。幼い頃からずっとずっと夢見ていた全国の舞台は僅か90分でその道を閉ざされ、最高の仲間と3年間の青春、それと少しの後悔を胸に、もう二度とピッチの白線を跨ぐことはないと心に固く決めていた。はずだった。
当時、FIT入試を経て慶應義塾大学への進学が決まっていた私は、暇を持て余していた。受験勉強が佳境に向かうクラスメイトを横目に、課外の空白の時間を埋めようとB級映画を観漁ったり、3日でポケモン殿堂入りしたり、ひたすらイオンに行ったり色々やった。でも、何か違うな感が果てしなく、結局1週間も経たない間に朝5時半に起床してグラウンドに向かってる自分がいた。そうしたら同じくグラウンドに同期と後輩が何人かいて、めちゃくちゃ楽しいミニゲームをした。やっぱサッカーって楽しいと心から感じた。単純だけど、大学でもサッカーしようと思ったのは間違いなくこの出来事がきっかけです。4年前だから誰がいたか不鮮明だけど、きっかけを作ってくれた皆、ありがとう。あの日グラウンドに皆が居なかったら大学でサッカーしてなかったかも知れない。
と、こんな過程があって高校で終わるはずだった俺のサッカーは長い長いロスタイムに突入する。

2月シーズンイン当初、高ぶる気持ちとは裏腹に周囲の上手さに圧倒され、早速心が折れかけた。茨城県ベスト8の無名プレイヤーが「あ、こいつゲキサカで見たことある」って奴とボール蹴ると自分の下手さを痛感する。この時期はまだ仮入部期間で、昨日までいた同期が今日からいないなんてこともザラだったので「何か違った」とか「他にやりたいことがある」とかそれっぽい言い訳で武装して逃げ出すことも出来たけど、下手なりにもサッカー選手として死にたくない自分は戦う覚悟を決めた。
1年次の所属カテゴリはC2チーム。今でいうDチームで、上から4番目の最下層のチーム。月曜はオフ。火曜、木曜は朝6時半から練習だけど他のカテゴリがグラウンドを使う関係で他カテのアップ中にほぼノーアップでコロシアム(ピッチ中央に35m×60m四方位のコートを作って行う10vs10位、多いときは12vs12位のゲーム。勝利したチームは30分走が5分短くなる為、泡吹いて失神する選手が出た位、皆必死。)を20分程行い、その後30分走をして残りの時間はゴール裏でボール回しをして終わり。水曜は平日で唯一半面でゲームの出来る日で、金曜は語学の授業のせいで練習に出れない。でも週末はほぼ毎週のように内山さん(当時のC2チームのグラウンドマネージャー)が練習試合を組んで下さっていたお陰で試合が出来た。振り返るとあんまサッカー部っぽくなかったなと思いつつ、この時に同じC2チームで苦楽を共にした同期とは4年となった今でも当時の話で盛り上がり、非常に強い絆で結ばれていると感じる。
そんな苦難を乗り越え1年目のシーズンが終わり、最上級生が引退すると自分は何故かトップチームにいた。別に急激に成長した訳ではないけれど、運良く当時の監督に気に入ってもらえた。初めてトップ着に袖を通した時は感慨深いものがあり、「結構似合ってね?」と思ったが、周囲からは1兆回くらい「全然似合ってねえ」といじられた。そんないじりに愛を感じたのはここだけの話。別にMではないです。しかし、トップチームに昇格してからはいかんせん周りの人が上手過ぎるので、スタメンを取る、とかよりも日々の練習に食らい付くのに必死で、結局2年の5月頃にはBチームに降格していた。圧倒的実力不足によるもので、言い訳は皆無だった。自分の不甲斐なさとスタメンから程遠い立ち位置を実感した時、何でこんなに苦しんで大学サッカーやってんだと思って退部を考えた。戦いから逃げてる自分がいた。
そして、忘れもしない7月9日、大粗相をやらかす。まあ退部が妥当だし他の部員、特に同期に迷惑掛かるからスパッと辞めて、ダサい最後だけどサッカー人生に終止符を打とうと思った。でも、一緒にやらかした奴とこれからどうするか話していた時に、そいつは「どうやって反省の色を示してもう1回チャンスを貰うか」しか考えていなかった。こいつ自分がしたこと分かってんのか?と、正直度肝を抜かれたが、彼曰く「ミスしてそのままサッカーから逃げ出すのが一番ダサい。それなら死んだ方がマシだ」とのことだった。それ以外にも色々やり取りはあったが、結局この言葉が自分に一番刺さった。カッコ良く生きれなくても、絶対にダサい生き方はしないと心に決めた瞬間だった。それからはひたすら雑用の日々で、当事者だけでなく同期の皆も雑用することになってしまったのが本当に申し訳なかった。真夏に練習だけでも疲労が溜まるのに、それに加えて雑用や草刈り。「ごめん」と「ありがとう」の言葉しか出なかった俺らに「気にすんなよ」とか「一緒に頑張ろうぜ」と言ってくれたことは心の支えになると共に、何としても部に残りたい理由になった。同期の皆、あの時は本当にありがとう。
その後、1か月近い雑用を経て、C1チームでまたサッカーをさせてもらえることになった。温かく受け入れてくれた当時のC1チームのメンバーと福士さん(当時のC1チームの監督)、鹿島さん(当時のC1チームのグラウンドマネージャー)にプレーで恩返し出来るよう全力でサッカーに取り組んだ。その結果、前期勝ち点3で8チーム中ぶっちぎりのビリだったIリーグ1部は、後期に快進撃を続けて奇跡的に残留を果たすことが出来た。勿論、自分の力は微々たるものではあったが、それでもチーム一丸となって成し遂げた残留は最高の想い出だ。特に残留が掛かった試合で、あの温厚な福士さんを怒らせる程の失態をかました自分を救ってくれたウッシーは永遠に自分の中のMVPだ。

ここまでが大学2年までの話。ちょっと長くなってしまったのでペースを上げます。

3年目からは学連幹事という役職が加わり、ピッチ内外でチームの為にファイトすることが増えた。他の部員がSNSで楽しそうな投稿をする一方、自分はパソコンと睨み合っていたりJFAハウスに仕事しに向かったり。また、関東リーグの運営の日には練習に出られなかったりで自分の時間が予想以上に削り取られていた。前日に仕事があり、日付が変わる直前に帰宅したかと思えば翌日4時半に起床して朝練に向かうこともあり、普段より体が重く感じることも多々あった。自分で覚悟を決めて背負った役職ではあるが、学連と選手の両立は予想以上に難しかった。「俺のやってる仕事ってチームの為になってんのかな」と自問自答する日々。そんなに多くの同期が自身の夢を追って部を去って行き、夢を応援する気持ちとは裏腹に、俺が時間を削って貢献しようとしているチームに価値がないと言われている様で悔しかった。でも、自分の働きを見てくれている人って必ずいるもんで、その働きが肯定された瞬間は学連やって良かったなって素直に思える瞬間だった。特に同じく裏方仕事が多くて仲が良かった塩木やまさるからはしょっちゅう励ましてもらってました。ありがとう。このことがあったから、今まで以上に裏方で働いてくれる人達に対して尊敬の念を持つことが出来た。3年目はその仕事に対する労いと、上下関係があるようでほぼない先輩、後輩、それと俺が学連の仕事がある時を狙って築地に行く最高の同期や、太ってないのに僕をデブいじりし、体重が増えてパフォーマンスが低下しないよう警鐘を鳴らし続けてくれる友峰さんと共に戦えるBチームにいたから頑張れました。
そしてラスト4年目。最高に熱いシーズンが待っていた。まずシーズンイン、余裕のBチームスタート。だが腐ることも落ち込むこともなかった。ラスト1年、そんな時間は残されていないと知っていたからだ。そして何としても最後の早慶戦に出る、関東リーグに出る。その為にまずはBチームで結果を残そうと固く心に誓い臨んだIリーグ、開幕2連敗。チームの雰囲気、最悪。「まあでもリーグ戦だから連敗することもあるし、次は絶対勝とう、その為に最高の準備をしよう」と毎練習後に皆で練習内容の振り返りや戦術の話し合い等めちゃくちゃ頑張った結果、引き分け。3節終わって勝ち点1。「あ、これ残留争いするシーズンか。」と思った。けど、全然違った。そこからまさかの6連勝。チームの雰囲気は最高に良くなって、最終的には2年前に降格しそうになったIリーグ1部リーグでグループリーグ優勝。全国大会出場が掛かったチャンピオンシップへの挑戦権を獲得した。ここまでは、本当に嬉しかった。自分は夏休みからトップチームに昇格していたので、後期はあまり一緒に戦えなかったけれど、行ける時は必ず応援行ったし、学連の仕事で行けない時とかはtwitterの試合速報かじり付いていました。Iリーグ開幕時や練習、試合での苦しい時間を本気で苦しみ抜いたからこそ、喜ぶ時は本気で喜び合える、そんなチームの一員でいれることを誇りに思う。だからこそ、この前のチャンピオンシップに出場したにも関わらず、何も出来ないまま全国への道が途絶えてしまったことには後悔しかない。あそこで1対1で止めていれば、セットプレーでもっと魂込めて飛び込んでいれば、結果は変わっていたかも知れない。しかし、結果は結果で「たられば」は通用しない。起きてしまった過去は絶対に変わらない。ならば、後悔しない未来を全力で掴み取るしかない。Bチーム、残りの順位決定戦2試合絶対勝とう。チームとして最善の未来を目指そう。シーズンが終わるまで、全力でサッカーしよう。

ソッカー部の皆。慶應ソッカー部チーム2019として戦える関東リーグは泣いても笑ってもあと4試合。それなら俺は笑っていたい。ピッチで戦う選手も、ベンチで戦う人も、スタンドから応援する人も、グラマネも、主務も副務も学連もトレーナーもリサーチも、それからマネージャーも、あとドンヒも。色々な立場があると思うけど、それぞれの立場で出来ることに全力を尽くして、残り4試合チーム一丸となって絶対に2部優勝しよう。最高に熱いシーズンにしよう。

そして俺も、最後まで全力でプレイヤーとして戦います。最後の早慶戦には出られなかったけど、関東リーグはまだ終わってないし、自分の中でもまだ終わらせたつもりはない。だから、ここでは最高の同期ありがとうとか、Bチームの皆ありがとうとか、ソッカー部の皆ありがとうとか、支えてくれた両親に感謝とかはまだ言わないでおきます。シーズン最後までやり切って、最高の結果、後悔のない結果を出した上で伝えたいから、それまでは全力で戦い続けます。以上。

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回のブログ担当は渡邉啓太郎です。
基本的に何を話しても7割位に顔をほころばせながら「それな」しか言ってきません。
どんなにつまらない話でもそれをやるので、実は他人に興味ないんじゃないかと噂になっています。そして、周りに興味なさ過ぎてしばしばアゴに米粒が付いたまま歩いている所が目撃されています。そんな彼はブログにも無関心なのか、是非読んで確かめてみて下さい。

《NEXT GAME》
11月3日(日・祝) 関東リーグ戦 第19節 vs立教大学
@国士舘大学グラウンド 14:00キックオフ

「価値」(富澤嘉紀)

2019.10.28

富澤2平素より大変お世話になっております。
今回ブログを担当させていただく法学部4年の富澤嘉紀です。
人からの飯や飲みの誘いを無効化するスペシャリスト佐藤嵩也からバトンを引き継ぎました。
他人に関心を示さず自分の世界観を持っている彼が来年より会社でどんな活躍を見せるのか、期待で胸が一杯です。

ブログを書き終えて、FWからCBに転身する程激しい変化のあった大学時代をまとめる文才がないことに絶望しています。非常に長く稚拙な文章になってしまいましたが、最後までどうぞお付き合い下さい。

----------------------

ブログを書くに当たってまずこの4年間の生活をノートに書き記してみた。ノートが何ページにも渡って思い出と共に書き記されたのを見て、いかに濃密な4年間を過ごして来たのかというのを実感した。1,2年の時の酷い生活を見て自分自身で笑いながら、ノートに様々な経験を書いていく中で、ブログの題材は”4年目について”に決定した。

本題に入る前に私の人となりの紹介も含め、4年目に入るまでのことを少しだけ書かせていただきたい。こんなことを書いても良いものかと思ったが、敢えて恥を捨てて赤裸々に書きたいと思う。
今でこそ言えるが、何故ソッカー部に入るという決断に至ったのかと言うと”何となく“だった。何となくサークルだと生活が怠けそうだから、何となく体育会の方が多く格好良さそうだから、何となくゴルフよりもサッカーの方が楽しそうだから入った。ただそれだけだった。

そんな覚悟で入ってしまった1,2年目の生活は本当に酷かった。有難いことにIリーグでは出場機会を貰えていたものの、練習はこなすだけ、日曜の飲み会をモチベーションにサッカーをしていた。幹事をやりすぎて「オーガナイザー」なんてあだ名も付けられた。(今では本当に反省している。)

そんな生活をダラダラと続けていた中、グラマネミーティングが始まった。Cチーム、Dチームの選手を候補者として投票をした中で、Cチーム、Dチームで唯一私だけが0票だった。更には不真面目四天王という称号まで与えられた。そう、私に対するチームメイトからの信頼は0になっていたのである。組織に於いて私は「無価値」だということを突き付けられた。チームに於いて、居ても居なくても変わらない、むしろ組織運営に於いて害となる存在になってしまっていた。そこで初めて何故この組織に居るのか、はたまた居るべきなのかということを考え、自らの生活を改めなければならないと感じていた。

危機感を感じていたそんな私に価値を見出してくれたのが、“早慶戦”だった。たまたま声を掛けられ、たまたま早慶戦の運営をやることになったのだが、今となっては私の人生を大きく動かす大事なターニングポイントとなっていた。ここでは省略するが、本当に様々な経験をした。サッカーをしているだけでは関わらない様な人々との出会いや価値観の変化は私にとって本当に貴重な財産である。死に物狂いで作業して集めた1万人以上の来場者が応援している姿は非常に感慨深いものだった。ピッチレベルから見たあの景色は一生忘れられない。
早慶戦を通じて組織の為に夢中となって行動していく中で徐々にであるが、私を信頼してくれる人が少し増えてきていた。目標を立て、そこに向けて全てを捧げることは自らの環境を大きく変えさせてくれるのだと初めて感じた。

この様な生活をしていた私も気付くと4年目を迎えていた。
早慶戦の経験を通じて、夢中になって全てを捧げることの素晴らしさを再認識した自分は最後の年、14年間続けてきたサッカーに改めて全てを捧げようと決意した。そんな中、機会あってCチームのキャプテンに就任することが決まった。1,2年の時にあんな生活をしていた自分がまさかカテゴリーキャプテンを務める等思ってもいなかったが、ラストシーズン全てを懸ける覚悟となった。

キャプテンをやるに当たって、自分自身どの様なリーダー像であるべきか考えた。
厳しいキャプテン?いや、自分は人に中々怒れない。盛り上げキャプテン?いや、最強のモチベーターグラマネ関がいるから任せとけば良い。様々なことを思い描く中で「納得感を持って信頼し合えるチームを作るリーダー」になろうと決断した。

グラマネ関、キャプテン富澤、副キャプテン高津というラインアップでCチームは始動した。分かる人には分かると思うが、凄いチームだなと私自身感じていた。練習が緩くなってしまうのではないかと危惧していた。しかしそんな心配は、杞憂に終わった。僕以上に関と高津の2人を中心に全員が厳しさを求め合い、ぶつかり合う程高め合っていた。(ちなみに副キャプテン決めの時、高津がやることに私だけ反対していたが、今となっては高津で良かったとつくづく感じている。本人が調子に乗るのであまり言いたくないが。)自分自身もチームのミーティングを開いたり、皆が抱える不満を関や指導者であるテソンさんに伝える等、言いたいことを言える合える様な環境を作ることを徹底した。そんな努力もあってか、チームは良い方向に進んでいった。

前期を終えて6勝2分。目標としていた1分1敗を超える成績を残し、1部昇格に向けチームは素晴らしい結果を残した。自分自身は最終節を除く全試合メンバー入りこそするものの8試合中2試合出場のみ。全くもって満足のいく結果ではないが、それでもそれなりにキャプテンとしてまとめながらチームに貢献出来ていると思っていた。

しかし突然現実を突き付けられた。7月に行われた学年会で楽しい雰囲気の中、海徳に「Cチーム、Dチームの4年が試合に出てなさすぎる。特にキャプテンが出ないとか有り得ないだろ。」と全員の前で言われたのである。言われた瞬間はムカついた。練習とか見てねえのに何が分かんだよと思っていた。だが冷静に考えるとカチンときた理由は明確だった。図星を突かれたからである。自分自身が試合に出られていないことに目を瞑り、練習を盛り上げたり、環境作りをすることでキャプテンとして貢献出来ているという逃げ道を作り、自己肯定していたのである。

そこからキャプテンという立場を意識せず、一選手として今まで以上に全力で競争に臨んだ。夏の厳しいトレーニングも誰よりもやり切るつもりで取り組んだ。チームとしても昇格に向け「全勝」という目標を掲げた。

そして後期開幕。同じポジションの永澤の怪我もあり、チャンスを与えられた。突然舞い降りたチャンスを逃さまいという覚悟だった。
しかし結果は2試合連続引き分け。
しかも自分自身のパフォーマンスは最悪だった。2戦目の日本大学戦、前の試合の引き分けを取り返そうとチームは戦っていた。そんな中1点リードの後半35分、相手FWに背負われた私は抜かれる恐怖心から相手を倒してしまい、結果そのFKを直接沈められ、同点ゴールを献上した。

絶望した。全勝を掲げていたにも関わらず、テソンさん、関からチャンスを貰ったのにも関わらず、勝たなければいけない試合だったにも関わらず。自分のファールで、不用意なプレーで、昇格を遠のかせてしまった。直後に交代したがその後の記憶はあまりない。ただただ不甲斐ないプレーをした自分を責め続けた。

しかしそんな絶望の淵に立っていた自分を救ってくれたのが仲間の声だった。
理雄や鶴田を中心に沢山の仲間が声を掛けてくれた。眞木に関しては「あのプレーだけで負けた訳じゃないのに、何キャプテン感出して責任感じてるんすか。柄じゃないっすよ。」とまで言って来た。思わず笑ってしまったが、そんな言葉で少し心が楽になった。信頼し合ってるからこそこの言葉が刺さったのだと思う。

自分自身に幻滅していた中で、これだけの声を掛けてくれた仲間には本当に感謝しかない。
そして同時にチームの本質とは何なのかを再認識させられた。

これを一つ後輩達へのメッセージとしたい。
信頼関係を基に個人の足りない部分を補完し合い一つの組織となるからこそ、個人を凌駕する力を発揮出来る。ただ集まっただけの集団では“チーム”にはなれない。信頼から生まれる結束が集団からチームへ成長させる原動力となり、やがて大きなパワーを生み出すのである。
だからこそ“チーム”になる為の努力を惜しまないで欲しい。個人個人の意見をぶつけることを恐れず、言いたいことを言えるまで、信頼出来るまで議論をして欲しい。
私はチームとはそうであるべきだと信じているし、様々なカテゴリーやサッカー以外の環境を経験したからこそ自信を持って言える。偉そうに言ったが、このことを少しでも頭に入れといてくれると自分としても幸せです。

日大戦から負傷していたが、昨日ようやく復帰した。私は残り1ヶ月一選手として、昇格を信じて誰よりも引っ張っていきたいと思う。それがキャプテンとしての価値の証明になると信じて。

Cチームの皆へ
俺は本当にこのふざけまくれるメンバーが大好きです。最後のシーズンをこれだけ楽しく過ごせているのは幸せです。本当にありがとう。
最後にわがままを言わせて下さい。この前話した様に昇格は叶わぬ夢になりかけている。でも4年にはもう今年の昇格を信じるしか道は残されていない。だからこそ下級生には最後まで付いて来て欲しい。船を前進させる為に力を貸して欲しい。本気で目指すプロセスこそ皆の未来の原動力になるはずだから。
全員で最後まで戦い続けよう。

----------------------

最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
次回のブログ担当は学連幹事の渡邉舜です。
大学時代一番長く共に過ごした彼が最初の私服登校で全身赤のコーディネートと共に日吉に降臨したあの衝撃の出来事が3年前かと思うと、時の流れは早いものだなと感じます。
茨城から上京した彼が果たして4年間の生活を通じて都会に馴染めたのかどうか、次回のブログで判断したいと思います。

《NEXT GAME》
11月3日(日・祝) 関東リーグ戦 第19節 vs立教大学
@国士舘大学グラウンド 14:00キックオフ

「TodaItopeism」(佐藤嵩也)

2019.10.24

佐藤嵩好調のチームを後ろから支える、ぬまから受け継ぎます。商学部4年の佐藤嵩也です。入部初日のミーティングでめちゃめちゃギリギリに息を切らしながら来たぬまが、自己紹介で爆笑をさらったのがつい最近のことの様です。

よく多くの選手が、「自分は身体能力がない分〜」と言いますが、僕からすれば彼らは身体能力大ありです。大学サッカーは、フィジカルのスポーツ。入部当初、トップチームの練習を見て、また当時の主将宮地元貴君の体とその強さを見て強く思いました。

2年生次。いとぺいさんに教わる機会を得ました。いとぺいさんはボリスタラボに入会している程のサッカー狂です。彼のトレーニングでは、細かい個人戦術、そして味方をフリーにする為に自分が何処にいるべきか、を叩き込まれました。それまで自分がフリーになるには目の前の相手と駆け引きをすれば良いと考えていた自分に、新たな視点を与えてくれました。この時位から、サッカーを局面でしか見ていなかった自分がいたことに気付きました。
そしてもう一つ。いとぺいさんはよくこんなことを仰っていました。「現状維持は衰退だ。」
僕は次の年、まさにそれで痛い目に遭うのです。

3年生次。戸田さんに教わる機会を頂きました。どこにフリーマンを作り出すか、どこからボールを運ぶのか、どのスペースを共有するのか。これらの今まで「何となく」やっていたものをチームとして定め、「何となく」その場のノリで解決していた事象を「意図的に」作り出すことに挑戦した年でした。自分は攻撃時と守備時でポジションが変わる役割になり、試合中とにかく頭を働かせ、相手の配置とプレスの掛け方を見ながら適切なポジションを取り続けること。オーガナイズを理解してどのタイミングでボールを受けるのか考え続けること。フィジカルがない私にとって、これが自分の武器なんだと気付くことが出来ました。頭を使っていない時は全くゲームに入れない。練習からあれだけボールに対して角度を付けて貰いに行けと言われても、相手を背にして貰いに行ってしまうし、味方をフリーにするポジションを取ることが出来ない。いつになったら完璧になるのかと思いますが、これだから練習のやり甲斐があります。

また、戦術は私達にとって今までより複雑なもの(言っていたことは実はシンプルだと徐々に気付きましたが)でしたが、2年次にいとぺいさんや前グラウンドマネージャー内山さんから、ポジショナルプレーの大枠や細かい個人戦術を教わっていたこと、フットボリスタやアオアシを読んでいたこと等が功を奏し、戸田さんが私達に授けてくれた戦い方を、スムーズに理解することが出来たと思っています。ダビド・シルバのプレーを見るようにと言われ、常に良い体の向きを作り続けることに驚いたり、今度はダニ・セバージョスの中盤でのポジショニングの仕方の動画を送って下さり「これだ」と言われ、試合を見る時は中盤の選手だけを見てみたり。サッカーを知ろうとすればする程、訳が分からなくなることも分かりました。帰り道では同期の綾部と彼の愚痴、文句を聞きながら、練習の意図、試合にそれをどう繋げるか、自分のポジションはどう動くべきかを言語化することで、理解を深めることが出来ました。頭の中で何となく分かっていることでも、しっかりと口に出して理解することで理解は大幅に深まります。言語化は大切です。戸田さんの下では、14年間サッカーをやっていてもまだ未知な領域が大量にあることが分かりました。

Iリーグ前期、私はある程度の信頼を実感しており、先発で出ることが出来ていました。しかし後期3節法政戦に敗北後、LINEが届きました。「コウヤ、控えめに言って俺はめちゃめちゃにガッカリしているよ。もし本当にこれしか出来ないんだったら、俺のチームでプレーすることは諦めてくれ。いつまでも誰かの陰に隠れてプレーする様なメンタリティの選手に攻撃の最終局面での決定的な仕事は任せられない。」正しく僕は、気付かない内に、いつの間にか現状維持に入っていた。保守的になっていた。そこから試合に出ることが出来なくなりました。同じポジションにはライバル達が沢山います。スタメン、ベンチ、メンバー外とはっきりと格付けをされるのが、サッカーというスポーツです。追い付かれないように、ではなくもっと差を付ける。追い付けるように、ではなく追い越す。そう考えた上で行動していかなければ、衰退はとても早い。良い状態の時こそ疑う。強く実感しました。

成長の為には、現状を疑う所から始まります。それは組織レベルでも同じだと思います。今が最高だと思った次の日にはもうそれは最高ではなくなっているかも知れない。常に意識的に行動しなければいつの間にか思考停止に陥ってしまう。クーパー走でも1周何分のペースを維持しようとすると、いつの間にか落ちている。ちょっとでもタイムを上回る位で行った方が丁度良かったりします。大学サッカーがフィジカルだけで勝てる時代はすぐに終わるかも知れない。世界のサッカーは物凄いスピード感で進歩しているのですから。現状を疑い続けなければいつの間にか差を付けられている、気付いた時にはもう。私自身痛感しました。学生の内にこの経験を出来たことは大きな学びでしょう。
皆さんは今、無意識に現状を維持しているのかも知れません。

次にブログを書くのは、湘南ベルマーレと同レベルの判断スピードを携え、快足ドリブラーから小柄な身長を活かした技巧派センターバックへ転身した富澤嘉紀です。ピッチ内外に於いてオーガナイズ能力を発揮し続ける彼の真骨頂を垣間見ることは出来るのか、期待です。

《NEXT GAME》
10月27日(日) 関東リーグ戦 第18節 vs東京国際大学
@慶應義塾大学グラウンド 14:00キックオフ

1 / 41234

記事一覧

月別アーカイブ