オフィシャルブログ

「最高のライバル野村京平」(沼崎和弥)

2019.10.23

沼崎平素より大変お世話になっております。商学部4年の沼崎和弥と申します。本題に入る前に、野村君、誤解を招く紹介の仕方は止めて下さい。いじっている場所とは、腹筋が全く割れていないのに何故か横に3本線が入っている彼のお腹のことです。日頃の反撃を文面で喰らわされた所で本題に入りたいと思います。
今回、ブログリレーの順番が決まる前からここに書く内容は決めていたのですが、まさかのその登場人物からバトンを渡されるとは思いませんでした。彼とは本当に色んな苦難を乗り越えてきました。そんな彼と僕との物語を今回は綴らせていただきます。

 

S__32923683

 

 

 

 

 

上記の写真は國學院大學久我山戦の時の写真。厳しい練習を共に乗り越えた最高の仲間です。

高3の冬。選手権予選で負けた自分は本戦をテレビで見ていた。自分達が負けた國學院大學久我山が快進撃を見せ、全国準優勝という素晴らしい結果を残した。そのチームの守備の中心にいた野村京平という選手のことは一方的に知っていた。何故なら対戦した時に彼のセットプレーのマークを担当していたからだ(ちなみに試合を通してマークしていたのは多嶋田君ですが、ここでは触れずに続けます)。そして彼が来年から慶應に入学することはテレビを通して後から知った。この時から彼には大学では絶対に負けないと勝手にライバル視していたのかも知れない。

1年の冬。内部生、AO、指定校推薦で進学した人達は新チームの始動と同じ2月から練習に参加していた。入部してすぐに1年同士の紅白戦があり、彼とCBを組むことになった。彼は初めまして顔だった。2回戦、しかも予選で勝った相手の顔なんか覚えている訳ないか。当然なのに無性に悔しかった。次の日、その試合を基にカテゴリー分けがされ、彼はBチームから、自分はC2(現Dチーム)からスタートすることとなった。

1年の春。悔しい想いを胸に練習に励み続けた。徐々にピッチ脇での練習が増え、C2にいる同期は次々と辞めていった。自主練の練習相手も減っていき、中々精神的にきつかったが、絶対に這い上がってやるという気持ちだけは持ち続けた。すると、チャンスは突然訪れた。C1の練習試合でCBが足りないと言われ自分が急遽出場することになった。初めて顔を合わせる先輩達に大きな声で指示を出し続けた。先輩達からしたら上がってきた知らない奴がめちゃめちゃ指示出してくるやん、と驚かれたかも知れないが、なり振り構っていられる状況ではなかった。ようやく来たチャンスをみすみす見逃す訳にはいかなかった。その姿勢が評価されたのか、次の日からC1に上がり、Bの練習試合にも呼ばれるようになり、B在籍期間5日間でトップチームに上がることが出来た。周りから見ればトントン拍子に見えるかも知れないが、自分からしたらチャンスを死に物狂いで掴み取った結果だった。

1年の夏。そんな自分は彼よりも先に関東リーグをデビューすることとなった。後半20分、1対3の状況からCBとして試合に出場し、地に足が着かないまま試合は何故か4対3の逆転勝利。運だけは前からあるなと自分でも驚く。しかし、彼よりも能力が劣っているのに試合に出ているのは自分が1番分かっていた。
間も無くして彼がトップチームに上がり、トップサブでコンビを組む機会が増えた。組めば更に彼と自分の能力の差を痛感させられた。彼に負けない様に、置いていかれぬ様付いて行くのに必死だった。その年に出ているCBが2人とも4年生ということもあり、来年は2人で慶應のゴールを守ることになる。この時はそう思っていた。

しかし、のむとCBを組んで関東リーグの試合に出ることは4年になるまでなかった。決して2人が試合に出ていなかった訳ではない。1年から3年までの関東リーグ出場試合数はのむが23試合、自分は17試合。しかし一度も組むことはなかった。1年の夏からトップサブで組んでいた為、互いの長所、短所を最も知り合う仲なのにである。
そんな2人はそれぞれ多くの挫折をしてきた。のむは2度のBチーム降格、自分は2年の後期事実上構想外、3年はCBとして認められず、FWとしてのプレー。お互い相当苦しんだ。しかし、どちらかが試合で苦しんでいたら話を聞いてアドバイスをし合ったし、よく帰りの電車で愚痴り合い、早く2人で試合に出たいなと話していた。互いを認め合っているからこそのむが試合に出れば心の底から応援出来、心の底から悔しい気持ちになれた。根っからの負けず嫌いな自分がこんな感情になれる日が来るとは思わなかった。そんなのむは、自分が部活を辞めようか本気で悩んでいる時、必死に止めてくれた。
「このまま終わったら悔しいやん。2人でCB組んで勝とうぜ。絶対、絶対辞めないでよ。」
どん底に落ちていた気持ちを何とかその言葉で持ち直すことが出来たのを覚えている。

4年の春。遂にこの時が来た。関東リーグ初戦、ようやくのむとCBを組むことが出来た。長かった。滅茶苦茶長かった。お互いの特徴を知り尽くし、4年間切磋琢磨し、何よりも俺らが組めばやられないという信頼関係に裏付けられた圧倒的な自信がある。のむがいなかったらここまで自分は成長出来ていなかったし、サッカーを続けることも出来なかった。面と向かって言った時の彼の得意げな顔を見るのは腹が立つので、文面で言わせてもらいます。
本当に君が同期で良かった。ありがとう。感謝してもしきれません。

やはりのむは最強のライバルであり、最高のパートナーである。

そんなのむと関東リーグで初めてCBを組めた時からルーティンになっていることがある。円陣後、皆とのハイタッチを終えると、一呼吸置き、ハイタッチをしたまま胸と胸を突き合わせる。これをすると身が引き締まり、俺らでゴールを守るんだというスイッチが入る。この特別なルーティンに最近加入した選手がいる。2年の酒井綜一郎だ。試合中にも関わらず、「沼君、足が攣りました。ヘディングお願いしても良いですか!!」と全力で言ってくる曲者。相手にバレちゃうからそんな全力で言わなくて良いからね。そんな曲者の加入により更に絆が深まった3CBを中心に年間目標である「リーグ最少失点優勝」を成し遂げ、のむと共に有終の美を飾りたいと思います。

S__32923685

試合前のルーティン

 

 

 

 

 

 

 

そして最後に、トップサブ、B、C、Dにいる後輩達へ。現状に納得してないのも、何故評価されないのか分からない時も、努力を諦めてしまいそうになる時も分かります。でも絶対にトップに上がって試合に出てやる、活躍してやるんだという強い気持ちを持ち続けて、自分を信じて戦って下さい。君の行動を必ず見てくれている人がいます。その君の行動に感化される人がいます。そしてチャンスは必ず来ます。必ずです。そのチャンスを掴み取れるかどうかです。チャンスが来たら死に物狂いで掴み取って下さい。強豪校出身でもない自分はとにかく必死でした。CKの時、元貴君(3個上の主将:宮地元貴)とトップ着が破れるくらい掴み合いになりながらマークし合っていたし、ジャンボさん(2個上のスタメンのCF:池田豊史貴)とはファールの概念が分からなくなる位やり合いました。ほぼほぼ喧嘩です。これを肯定するつもりはありませんが、何が言いたいかというとその位毎日必死でした。だから皆、チャンスを掴み取る為の心と体の準備だけは止めないで下さい。闘志を燃やし続けて下さい。そして、僕の様に互いを認め合える最高のライバルを見つけ、切磋琢磨して下さい。

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今週、10月27日(日)は下田で開催されるホームゲームがあります。優勝争い終盤、相手は前期負けた東京国際大学、4年にとってラストホームゲーム、集中応援と見所満載の試合です。お時間のある方は是非お越し下さい。

次回のブログはBチームキャプテン兼リサーチの佐藤嵩也です。相手のFWの特徴、癖を聞くと複数のプレー動画を付けて返信してくれるリサーチの鏡。彼らが作るリサーチ資料はリーグNo.1であり、自分は試合前に確認し、再度相手の情報を頭に入れて試合に臨んでいます。ピッチ内外でチームに貢献する嵩也のブログに乞うご期待!

《NEXT GAME》
10月27日(日) 関東リーグ戦 第18節 vs東京国際大学
@慶應義塾大学グラウンド 14:00キックオフ

「苦しみを乗り越えて」(野村京平)

2019.10.22

野村S__610181123平素より大変お世話になっております。小学校からの付き合いで、周りから見ると気持ち悪いと思われる程、常に一緒にいる多嶋田からバトンを受け取りました、総合政策学部4年の笑い飯・哲夫です。すみません、間違えました。野村京平です。雅司とは沢山の思い出がありますが、一つだけ紹介します。ある日の朝、起床確認で彼が起きていないことが分かり、電話を掛けたのですが、自分のいびきで気が付かなかったのでしょう。何度電話をしても起きなかったので彼の母親に電話をして起こしてもらったことがありました。それも今となっては懐かしい思い出です。電話したことで彼のお母様のアカウントがラインの”友達かも”に入っているのでブロックしようか悩み中です。

最後のブログということで、大学4年間を振り返ろうと思います。
長く拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

大学までのサッカー人生を振り返ると、小学生の時は全国大会3位・得点ランキング3位(1位は現・名古屋グランパス所属の杉森考起、2位は現・ヴァンフォーレ甲府所属の森晃太でした)という成績を残し(当時のポジションはFW)、中学生の時も全国大会に出場し、高校生でも選手権準優勝と、私にとっては輝かしい成績を残すことが出来ました。しかし、あと一歩の所で日本一を掴み取ることは出来ませんでした。「この悔しさを大学で成し遂げる為、また高校時代に観戦して憧れを持った早慶戦に出場したい」という想いでソッカー部に入部しました。

そして今、ソッカー部での4年間を振り返ると、自分を含め、私達の代は楽しいことも勿論ありましたが、苦しかったことや上手く行かなかったことの方が多かったと思います。
入部当初に新入部員の名簿を見た時、様々な強豪校出身の名前が載っていて「これは自分達の代は絶対強くなる」と思いました。案の定、新1年生だけの練習はとてもレベルが高く、各ポジションに上手な選手がいることが嬉しく、ワクワクしていました。そして1年の途中から、私を含め5人程がトップチームに関わることになりました。朝都、祥也、海徳の3人は公式戦にもコンスタントに出場していて、また他のカテゴリーでも同期が主力となってIリーグなどで活躍している姿を見て、嬉しい反面、トップチームには所属していたもののリーグ戦出場には程遠い立ち位置にいた私は、「自分は何をしているのだ」という気持ちになりました。監督には怒られ続け、トップチームの強度に付いて行けず、顔が痩せこけてしまい、盛央などに本当に心配される程だめだめでした。そんな私の唯一の活躍の場と言えば、一発芸でした。監督は私のプレーを見る時は恐ろしい顔をしていましたが、一発芸の時は誰よりも笑顔で見てくれていました。練習の最後に一発芸をしたり、神戸定期戦でも「これ、うちのエース。」と紹介されながら一発芸を任されたりした私は、一発芸要員としてトップチームに属しているのかと思った程でした。そうして何も出来ないまま1年目が終わりました。

1年目に同期の活躍が著しかったことから、2年目は多くの同期がトップチームに関わるようになりました。そしてリーグ戦にも同期が多く関わるようになった所までは良かったのですが、1部の舞台はそう甘くはありませんでした。主力だった4年生が引退したことで、1年目とは違って全く勝てなくなり、もがき苦しんでいました。私も前期開幕前に負った怪我から復帰をし、後期からは試合に出場出来るようになったのですが、やはり勝つことが難しく、常に降格争いをしている状況でした。勝てない事でピッチ内外に於いて負の連鎖が続き、チームの雰囲気も悪くなり、降格というプレッシャーにひたすら耐え続けている日々でした。結果的にそのプレッシャーに打ち勝つことは出来ず、先輩方が築き上げてきた1部の舞台を2部に落としてしまいました。自分も含めてディフェンスラインは海徳、やつ、朝都、ぬま、北城などが出場し、他のポジションにも同期が多く出場している中、1部の相手に勝てなかったのが悔しく、スタメンでありながら2部に落としてしまった責任をとても強く感じました。

そして3年目に入り、何としても1年で1部復帰を成し遂げようとシーズンインからトップチームで尽力したのですが、監督が変わってから私のプレーは全く評価されなくなり、Bチームに落とされてしまいました。この時はとても苦しかったです。落とされた理由も分からず、自分の全てを否定されている様でした。これからずっとトップチームに上がれないと思うと本当にサッカーが嫌いになりそうでした。しかし、その時に同期の仲間達が私に励ましの言葉を掛けてくれました。「必ずお前が必要になる時が来るからその時を待とう」、「気持ちを落とさないでBチームでも頑張って欲しい」、「また同じピッチに立とう」など。この時から、これらの言葉を掛けてくれた心優しい同期の為にも1日でも早くトップチームに上がって慶應の勝利に貢献したいと心の底から思うようになりました。そしてBチームで守備力を磨き続け、その時を待ち続けました。リーグ戦前期は同期も多く出場している中、中々勝つことが出来ず、チームは苦しんでいる状況。試合が終われば笑顔でないピッチ上の同期達の姿をスタンドから見て、何もチームの力になれていない私はもどかしさを感じていました。自分個人としてもチーム全体としても厳しい状況が続き、もがき続ける期間が続きましたが、夏の初めにやっとのことでトップチームに復帰することが出来ました。”失点数が多い”という当時のチームの課題を克服する為に、守備の強化としてメンバーに入ることが出来たのです。そして復帰後、初スタメンを飾った神奈川大学との試合で無失点で勝利を掴み、皆と一緒に喜び合った瞬間は最高に幸せでした。同期の言葉に励まされ、その言葉を信じてきたからこそ、また関東のピッチに戻ることが出来たと思っています。当時落ち込んでいた私に声を掛けてくれた同期の人達、ありがとう。
後期は勝利数も多くなり、同期も沢山活躍をしましたが、結果は7位。1年で1部復帰という目標は果たせませんでした。

そして遂に最後の年。ここまでソッカー部での出来事を綴りましたが、間違いなく苦しんだことの方が多かった代だと思います。しかし、苦しいことも皆で支え合いながらここまで来ました。今年のスローガンである「走って走って走る」を誰よりも体現する海徳とやつを筆頭に、前線からストッパーの様な輝きを見せる同期。チームが苦しい時に点を決めてくれる同期。ゴール前で体を張ってくれる同期。チームの雰囲気を盛り上げる為に絶えず声を出してくれる同期。最高の応援をしてくれる同期。ピッチ外ではバカなことをしながら笑い合える同期。落ち込んでいる時に側にいてくれる同期など、最高の仲間達をこの4年間のソッカー部を通じて得ることが出来ました。4年間苦しみながらも支え合ってきた同期達とは最後ぐらい笑って終わりたいです。結局、早慶戦は4年間で一度も勝てず、日本一を獲れるチャンスも無くなりましたが、関東2部優勝の夢は終わっていません。幸い、現在1位という立ち位置です。これからも厳しい試合は続くと思いますが、これまで沢山の困難を乗り越えて来た私達なら必ず優勝出来ると信じています。そして、皆で友峰さんを胴上げしましょう。私も慶應のユニフォームを着る以上、ゴール前では全力で体を張り、相手のゴール前では驚異の存在になってみせます。今の自分に出来ることを全うしてチームを優勝に導きます。

次回のブログは、1年生の時から同じポジションで苦楽を共にしてきた相棒の沼崎和弥です。私が落ち込んでいる時もいつも側にいてくれる、私のソッカー部での生活にとって必要不可欠な存在です。しかし、私の”ある場所”(ご想像にお任せします)が大好きで毎日いじってくるのは本当に止めて欲しいです。そんな彼はどんな熱いブログを書いてくれるのでしょうか。楽しみです。

《NEXT GAME》
10月27日(日) 関東リーグ戦 第18節 vs東京国際大学
@慶應義塾大学グラウンド 14:00キックオフ

「今の僕でいれるのは」(多嶋田雅司)

2019.10.19

多嶋田平素より大変お世話になっております。今回ブログを担当させていただく、商学部4年の多嶋田雅司です。
将来必ず優しいパパになるであろう、石井翔からバトンを引き継ぎました。
彼とは手を繋ぎながら一緒に大空を飛んだり、セダンに乗ってドライブをしたり、マンションの屋上で寝転がったり等、沢山の思い出を作ってきました。僕が倒れた時には右手をそっと背中にかざしてくれたり、ダメージを受け体力が少ない時には止血キットをくれたり、僕を狙っていたスナイパーを倒してくれたり、kakepyは本当に頼りになる男です。因みにこの話は全て荒野行動というゲームの中での話です。

序盤で軽くすべった所で本題に入ります。
あと約1ヶ月で、僕の学生サッカーは終わりを迎えます。当たり前の様に毎日サッカーしていたこと、後輩が舐めた態度取ってくること、練習後の部室で他愛のない会話をすることなど、習慣の様に過ごしていた日々が突然なくなると思うと恐ろしく不安になります。
過去を振り返ると色んな事があったなと思うと同時に、僕のサッカー人生はとても幸せなものだったなと感じています。(まだ終わってないですけど。)
長くなりますが、どうぞお付き合い下さい。

ここで少しだけ僕の過去の経歴について。
通っていた幼稚園のチームであったFC明成で4歳から本格的にサッカーを始めました。
小学校に上がる際もそのチームに継続して所属します。皆さんは信じられないと思いますが、細い左腕にキャプテンマークを巻いて、ゲームキャプテンとしてチームを引っ張っていました。なぜ「ゲーム」と付いているのかは察してください。(プチ情報:この頃から野村や「元」部員のピーダーとは接点がありました。)
中学は、幼い頃からスタジアムに通いずっと憧れていたFC東京の下部組織のセレクションに合格し、入団します。都内トップクラスのチームメイトに毎日刺激を貰いながらサッカーをしていました。(プチ情報:りむが後輩にいて、よく一発芸を披露していました。)
高校は國學院大學久我山高校のサッカー部に入部し、在学中は東京三冠。自分達の代では冬の全国大会で準優勝を経験し、歴代最高成績を収めることが出来ました。
そして今、大学では慶應の体育会ソッカー部に所属し、トップチームの選手として関東2部リーグの舞台でプレーをすることが出来ています。
憧れのプロサッカー選手になるという夢は諦めましたが、大体は自分の思い描いていた通りの道を歩み、想像以上に沢山の素晴らしい経験をしたと思っています。多少の悔いは残りますが、間違いなく僕のサッカー人生は幸せなものでした。

では、こんな幸せなサッカー人生を送れたのは、自分の実力のお陰なのか。それとも運や偶然があったからなのか。考え方は人それぞれです。血の滲む努力をして這い上がってきた、という人も勿論いると思います。でも少なくとも僕のサッカー人生は、ほぼ100%運や偶然のお陰だったと感じています。もしあの時、偶然あの人に出会っていなかったら、あの場所にいなかったら、あの人に怒られていなかったら、あの人に励まされていなかったら、今の自分はいません。今頃サッカーを辞めてディズニーのキャストとしてアルバイトをしているかも知れないし、吉本興業の養成所で日々お笑いを追求しているかも知れない。サッカーをやっていたとしてもこんなに楽しめていないかも知れません。

サッカーを始めたのは、兄が楽しそうにボールを蹴る姿を見て育ったから。
サッカーが心から大好きになったのは、深井コーチや濱野監督などの明成のスタッフ、仲間に出会えたから。
ドリブルが武器になったのは、毎週の様に父が公園で特訓してくれたから。
スタミナが付いたのは、チームメイトが毎練習後にドロケイや鬼ごっこに誘ってくれたから。
小学校の都大会で最高のプレーが出来たのは、逆境にいた自分を立ち直らせる母の言葉があったから。
ジュニアユースに入れたのは、たまたま都大会を育成部長の矢野さんが見ていて下さったから。
心の底からサッカーが上手くなりたいと思えたのは、中学で暫く試合に出られない経験をしたから。
久我山に入ることを決断したのは、テレビで見た美しいサッカーに心を奪われたから。
スポーツ推薦に落ちても久我山に入学出来たのは、文武両道の精神を両親に教えてもらえたから。
壊滅的だった基礎技術が少しだけましになったのは、李さんの哲学を教え込まれたから。
人間の動きが出来なかった自分が少しだけ人間に近付けたのは、三栖さんや平野さんに出会ってフットワークを教えてもらえたから。
自分のことばかり考えてサッカーをやっていた自分が変われたのは、最後まで向き合い続けて下さった清水さんに出会えたから。
埼スタの芝を踏むことが出来たのは、準々決勝で峻がいつもは打たない場面で思い切って右足を振り抜いたから。
50,000人以上の観客が入った決勝の舞台にいれたのは、準決勝で野村が魂のヘディングで決めてくれたから。
大学に入ってもう一度本気でサッカーに向き合いたいと思えたのは、その最後の全国大会に殆ど出られなかったから。
慶應のソッカー部に入りたいと思ったのは、高校時代に観に行った早慶戦に魅了されたから。
チームの為に自分を犠牲にして戦おうと思えたのは、勇太君のプレーに心を動かされたから。
自分の体を変えなきゃと思えたのは、大学1年生の時に大怪我をしたから。
チームに必要とされる選手になりたいと強く思えたのは、2週間でBチームに落とされたから。
自分のプレーに幅が出て成長出来たのは、大知君と完さんの熱い指導があったから。
守備で走り回るのが好きになったのは、必要とし褒めてくれる人がいるから。
今人工芝のグラウンドで練習が出来ているのは、OBの方々の支援があったから。
今関東2部リーグで試合が出来ているのは、歴代の先輩達がタスキを繋いでくれたから。
今首位にいられるのは、ソルジャーな仲間達がいるから。

自分が何かの決断をする時、何かを諦めそうな時、何かを得る時、必ず周りの人や環境が自分を導いてくれていたと思います。偶然出会った人、偶然起こった出来事、偶然いた環境、偶然言われた言葉、それらが僕のサッカー人生を変えてくれました。
だからこそ慢心することなく、今周りにいる人達や今ある環境に感謝の気持ちを持つことが本当に大切だと感じます。

今周りにいる人に感謝の気持ちを持てているか。偶然出会った誰かが何気なくくれたアドバイスが、自分を変えてくれるかも知れない。自分には実力があるのだと勘違いして、聞く耳を持たなかったり、余計なお世話だと感じたり、後輩なんかに言われたくないとか変なプライドを持つのは本当に無駄だと思います。日々アンテナを張って、学ぶ姿勢を持ち続けること。とにかくやってみることだって大事だと思います。実際、崇太朗に「とにかく走って!そしたら俺空くから!」って言われてとにかくやってみたら、自分が走ることで味方にスペースを与えるということを学ぶことが出来て、チームを活かすスプリントが出来る様になった。リサーチの選手に「動き直しが出来てない」と指摘されて意識する様にしたら、関東リーグで動き直しから初得点を決めることが出来て、無得点ランナーから1得点ランナーになることが出来た。プライドなんか一切持たずに日々人から学ぶことを意識するだけで、自分のプレーの幅が広がったと自信を持って言えます。

今身の回りにある環境に感謝の気持ちを持てているか。今僕がこのソッカー部でサッカーが出来ていることだって当たり前じゃありません。親が多額のお金を掛けてサッカーに必要な物を揃えてくれているから、下田の人工芝のグランドがあるから、自分達の練習メニューを考えて下さる社会人スタッフやグラマネがいるから、一緒にプレーする仲間がいるから、僕は毎日思い切ってサッカーが出来ています。顔には出ないけど、今心の中ではめちゃくちゃ幸せだなぁと感じながら毎日練習しています。
苦しい時だって同じです。試合に中々出られない時、コーチにきつく怒られた時、プレーが何もかも上手くいかない時。試練をくれてありがとう、気付かせてくれてありがとうって感謝の気持ちを持つだけでその先の自分のプレーはかなり変わってきます。試合に出られない時こそ、何が自分に足りていないか考えるきっかけになったし、きつい走りも手を抜かないことであと一歩、もう一歩が出たと思っています。山中合宿や毎週の走りで、どんなにきつくても皆が声を出してくれて、盛り上げて、ポジティブな気持ちで取り組めたから、試合でも形になって表れています。

プライドを捨てて人の言動から吸収出来るか、身の回りにある環境に感謝出来るか。それらが必ず自分を成長させてくれるはずです。
自分は運が良い。偶然の積み重ねで僕は”今の僕”でいれる。これから先も、偶然出会った人から沢山のことを吸収して見せる。偶然いたどんな環境も必ず未来の糧にします。
そうやってこの先どんなことがあっても、僕はサッカーを通じて学んだことを活かして成長し続けてみせます。

最後になってしまいますが、私はこれまで運に恵まれ、沢山の素晴らしい方々に出会い、本当にお世話になりました。この場を借りて、感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。
少しずつにはなってしまうと思いますが、何かしらの形で恩返しをしていきたいです。
まず自分に出来る恩返しは、これまでのサッカー人生の集大成をピッチで表現すること、この慶應ソッカー部を関東1部に昇格させることだと思っています。
誰よりも走って、走って、走る。そして最後に笑って終わる。
皆と優勝カップを掲げる日が来ると信じて、ラスト1ヶ月戦い抜きます。

長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました。

次回のブログは、小学生の頃から切磋琢磨し、僕が人生で出会った友の中で一番尊敬する野村京平です。彼の動きと表情を使った多彩なボケ、絶妙な間で繰り出されるツッコミに毎日惚れ惚れしています。実はキョン・ゴクウという名のサイヤ人なのではないかという噂が出回っており、我らが界王様の指示により慶大の試合前ロッカールームで元気玉を炸裂させているとかいないとか…。あくまでも噂です。
そんな野村の書くブログに期待しています。

《NEXT GAME》
10月20日(日) 関東リーグ戦 第17節 vs青山学院大学
@日本体育大学グラウンド 14:00キックオフ

「ソッカー部物語 石井翔編」(石井翔)

2019.10.17

石井平素より大変お世話になっております。経済学部の石井翔です。

時間とは早いものでつい4日前、13日に誕生日を迎え22歳となりました。当日に言ってくれた人、言いそびれたけど今ブログを見て心の中でおめでとうと思ってくれたそこの貴方、どうもありがとう。プレゼントにいいねやリツイート、お願いしますね。勿論、ジュースなんかも大歓迎です。

根は真面目なチャラ男こと、斎木健将からバトンを引き継ぎました。そんな彼からは、大人な一面を紹介してくれなかったので、この場を借りて一つ。2年前に書いたソッカー部で初となるブログ。当時、“拙い”が読めずコピペしていましたが、今ではきちんと“つたない”と読めるようになりました。意味も理解しています。今日もまた一つ、大人の階段を登ります。

それでは、最後のブログを始めます。
今回のブログでは、自分の想いをぶつけました。少し長めなので時間を頂くかも知れません。自信を持って書いたESでさえ、OBの方に添削して貰えばボロクソに訂正される程“拙い”文章力ですが、頑張って書きました。最後まで諦めないで下さい。

2016年3月22日。
この日、僕は受験勉強を経てソッカー部の門を叩いた。
大きな夢とワクワクする気持ちを持って僕のソッカー部での物語が始まった。
夢は、トップチーム昇格。早慶戦出場。プロになること。





2019年10月17日。
引退まで残り2ヶ月を切った。
Bチーム所属。
夢は叶えられていない。

これが、あれから約3年半が経った今の僕の現状です。
『ソッカー部物語 石井翔編』という僕だけの物語の1ページ目と終盤。

僕が過ごした4年間が詰まった物語。部員一人ひとりが持っています。
それでは、ここで僕の4年間を簡単に紹介します。

1,2年。
寝坊や仕事のミスなどの粗相だけは絶対に、絶対にしてはいけない、とビクビクしていました。そして、朝練→授業→自主練→筋トレ、体幹の日々。下手くそな自分が上に行くには、上の選手と同じ練習量じゃ足りないと思っていた僕は疲労なんて考えずに、他の人が練習しない様な雨が降る日にこそ練習をしていました。
3年。
相手を見て常に考えながらサッカーをする、そんな当たり前なことすら出来ていなかった僕は、戸田さんから多くのことを学びます。
戸田さんからサッカーを教わったことは、最高の幸運であり、僕の一生の宝物です。ゾノさんと一緒に練習したことも含めて、将来、子供に自慢するつもりです。リアリティーを求めて練習すること、休むこと、オーガナイズやポジショニング、守備の仕方まで、この1年はとても濃く大変な1年だったけれど、その分、一番成長出来ました。何度言われても同じことを繰り返してしまう僕に、根気強く指導して下さった戸田さんには感謝しかありません。
毎年開催されるIリーグ。
僕が所属するチームは残留争いばかり。勝てない試合が続き、3年ではとうとうIリーグ2部降格を経験します。個人的にも、残留決定戦でのプレーは最悪。残留しなきゃいけない、という責任と緊張で全く力を出し切れず敗戦。本当に情けなかったです。

特に面白くも何ともないですね、僕もそう思います。
ただ、今思えば、この3年間は最後の最後に待っている最高のフィナーレへの伏線だったのかも知れません。勝手にそう思うことにします。少なくとも、この3年間がなければ今の僕はいませんでした。

そして迎えた、最終学年。
3年間の成果を発揮する様にチームは勝ち星を重ねました。難しい試合が何度もありましたが、チーム一丸となって戦いBチームは大躍進を遂げます。僕もBチームの一員としてほんの少しは貢献出来たのかなと思います。まだまだ足りていないし、もっとやれたので決して満足はしてませんが。
この1年で僕の中で一つ変化が起こりました。これまでいつになっても目標を達成出来ない悔しさと情けなさと嫌悪感で一杯だった僕の心の中で、いつしかBチームに対して誇りを感じる様になりました。
その時位から、叶えることが出来なかった早慶戦出場やプロになるという夢に代わる新たな夢を持ちます。

“家族に全国の舞台でサッカーする姿を見せること”
これが僕の新たな夢です。

そう思う様になった一番のきっかけは母です。僕の母は病気の治療により体調が優れず、見ていてとても辛そうな時がありました。家族皆で乗り越えよう、と僕も坊主にしました。上のプロフィール画像が丁度その時くらいです。
今でも通院を繰り返しながら治療していますが、元気に過ごすことが出来ています。
だけど、優しい人だから心配を掛けまいと元気に振舞っているのでは?ついつい、そんなことを考えてしまい、「試合観に来てね」と中々言い出せませんでした。
だからこそ、最後にIリーグ全国という最高の舞台でサッカーする姿を、母に、いつも応援してくれる家族の皆に見せたい、そう思う様になりました。

幸運なことにBチームはIリーグを首位で終え、全国大会進出を賭けたチャンピオンシップにまで駒を進めることが出来ました。ここからは、負けられない戦いが続きますが何としても全国への切符を勝ち取りにいきます。
それが、これまでサッカーを続けさせてくれた家族への感謝の形だから。
それが、今の僕に出来る最大の親孝行だから。

ここまで僕の決意を綴ってきました。
ここでガラリと話は変わります。少し就活の話をさせて下さい。
先述した様に、ESは書いてはダメだし、書いてはダメだしの繰り返しでした。添削をお願いしてお世話になったOBの方には本当に感謝しています。
お陰様でESは通りました、ESは。しかし、その後の面接では持ち前の口下手を遺憾なく発揮し、お祈りメールの連続。集団面接では、右を向けば、何かしらのサークル副代表、あるいは代表。左を向けば、バイトリーダー。何人副代表いるんだよハハハ、なんて愚痴を溢したりもしました。
5月と6月は特に、不安、不安、不安の連続で毎日がとても辛かったのを覚えています。
自分達の常識や前提が全く通じない相手に、どう伝えれば良いか悩む内に、緊張しっぱなしの面接では笑顔を忘れ、お祈りされるという悪循環でした。個人的には、やればやる分だけ結果に現れる受験勉強の方が楽だと思っていました。

そんな僕を救ってくれたのがソッカー部です。毎朝憂鬱な気持ちで練習に向かっていたはずが、練習が終わる頃には、軽やかな気持ちになってるんです。自分でもびっくりしました。
サッカーが僕の中でどれ程大きなものなのかと。
また、同期の皆にも助けられました。この時期に一緒にプレーをしていたBチーム、Cチームの皆には感謝しています。一杯笑わせてくれてありがとう。
そして、こじ。直接言うのは恥ずかしいし、本人も調子に乗るのでここで感謝の気持ちを伝えておきます。

僕が最終面接を控えた前日のこと。彼は夜、神社へ内定祈願のお参りに行ってくれました。僕の為に。外は雨なのに。正直、バカなのかと思いました。でも、嬉しかったよ、ありがとう。なので、内定の連絡を貰った時はすぐ報告しました。家族の次位に。
こじだけじゃなく、C2チームの時からずっと一緒にサッカーしてきた弱者4年の皆一人ひとりが僕は大好きです。こんなにも一緒に笑い合える、ふざけ合える、そんな皆に出会えてほんとに良かった。
他にも色々思うことはありますが、ここまでにしておきましょう。明日、会うのが恥ずかしくなるので。

ダラダラと綴ってきましたが、結局、何を言いたいのか。
それは、引退する最後の日まで諦めることなく、全力を尽くし続けよう、ということ。
あと僅かとなってしまったソッカー部生活を思いっきり楽しもう、ということ。
笑いの絶えない部室での会話も含めてソッカー部で過ごす全ての時間が僕にとって掛け替えのないものだから。

最後に、Bチームの皆へ。
僕の新たな夢の為、最高の仲間達と少しでも長くサッカーをする為、絶対に勝とう。全国へ行こう。最後に夢の一つ位叶えたい。まだまだ皆とサッカーしたい。4年生のほとんどが最後のサッカー人生になるのだから、サッカー人生最後の1ページは最高の仲間と最高の思い出を紡ぎたい。
だから、後輩の皆には、あと少しだけ力を貸して欲しい。自分達の為に、それにプラスして少しで良いから、こんな頼りない僕たち4年の為にも戦って欲しい。
ソッカー部での最後の僕のわがままです。

そして、僕は最初に書いた物語の続きにこう綴ります。

2019年11月末。
Bチームは史上初となるIリーグ全国大会へ出場。
家族が観戦する中、僕は自身でも初となる全国のピッチで駆け回る。
ソッカー部最高。

次回のブログは多嶋田雅司です。
僕はいつも先にいる雅司の背中を追いかけて来ました。彼がいないと、慶應の守備は成り立たないでしょう。チームの為にピッチ内外で体を張ってくれています。僕は同期でありながら、とても尊敬しています。
そんな雅司にも、雅司なりの苦労があったと思います。
どんなブログを書いてくれるのか、楽しみです。

長いお時間を頂き、ありがとうございました。

《NEXT GAME》
10月20日(日) 関東リーグ戦 第17節 vs青山学院大学
@日本体育大学グラウンド 14:00キックオフ

「社会の縮図」(齊木健将)

2019.10.15

齊木平素より大変お世話になっております。中井より紹介に預かりました、経済学部4年、リサーチを担当しています、齊木健将です。彼の言う通り1.2年の頃、僕らは犬猿の仲でした。映画で例えると、バットマンとジョーカー。勿論、私がバットマンで彼がジョーカーです。あと、会って開口一番に「三・三・七拍子」と呼んでくるのは良い加減止めて下さい。あの時と今の私をいつまでも一緒にしないでね。

さて、皆、素晴らしいブログを書いている中、「拙い文章ですが、」と前置きしますが、私の場合、本当に拙いので読むに耐え兼ねるかも知れませんが、最後まで頑張って読んで下さい。

「社会の縮図」

これは、私が大学2年の頃に「私にとってソッカー部とは」で書いた言葉です。
当時、私はソッカー部を会社に例えていました。企業を正しく理解すると全く違うと思いますが、当時はそんな風に思っていたのです。OBの方達が株主で、彼らの支援で部が成り立っています。この場を借りて感謝申し上げます。そして、監督は社長、選手が社員です。そして、社員の中にもそれぞれ役割があって、部長(主将・主務)がいて、副部長(副将・副務)がいて。他にも管理職(学連、グラマネ等)が多数いて。そう考えると、私は平社員です。会議(粗相ミーティング)では、真剣に考えている風な発言をしたり、吊るし上げられている人を見て明日は我が身だと自分に言い聞かせたり。新しいアイディアや試みも株主の意向が大きく反映されて、中々難しい面もあったり。それでも頑張って奮闘する奴がいて。尊敬出来る上司もいれば、独特な個性を持った者もいたり。

こんな感じで、仮にソッカー部を一つの企業と見なした際、皆さんに一つ問題提起したいと思います。それは「企業の存在意義」です。どんな企業にも必ず存在意義があります。また、企業の存在意義は一つでなく無数に存在しますが、個人によってどれに重きを置くべきか考えは異なります。
株主に利益を還元する為?ここで言う株主はOBで、利益を勝利と捉えましょう。現社長(淺海監督)が言う通り、「大学サッカー界を牽引すると共に、社会を先導する人物を輩出する為」?プロへの夢を実現する場?人間的成長を促す場?
上記のどれも正解だと思います。また、「これが絶対正しい」という答えもないと思います。

その中で私が導き出したソッカー部という企業の存在意義は「自己実現ツール」です。自己実現を哲学的に定義するとややこしくなるので、ここでは簡単に「自分のあるべき姿やしたい事がそのまま社会貢献になる事」とします。つまり、私にとっての自己実現とは、自分が、サッカーが好きでサッカーを続けている内に、それが勝手に周りの人々を幸せにしていることです。ここで言っておきたいのは、決して周りの為にサッカーをしている訳ではないという事です。あくまで、サッカーが好きで、サッカーしていたら自然と周りの為になっている状態の事を言いたいのです。サッカーが好きだから練習して試合に出る、試合に出て「勝つ」ことで観ている人達を幸せにしている。その場がソッカー部だと考えています。よって当然、体育会という勝利を第一に目指す組織に於いても、「自己実現」は成り立ちます。トップにいるかどうか関係なくです。それぞれが置かれた立場で出来る事だと信じています。

ソッカー部では、頻繁に一個人がソッカー部に在籍する意義が問われますが、それだけでは、酷だし、疲れてしまいます。実際、そんな事他人に問われる筋合いもないですし。そうじゃなくて、敢えてソッカー部の存在意義を問うのもアリではないかという事です。ただの部活と言われればそれまでです。でも、ソッカー部の存在意義を問う事が一個人の存在意義に繋がる事もあると思います。私の場合は、自己実現ですが、そうじゃない人も沢山いるでしょう。それが間違っているとか正しいとかはどうでも良い事です。言われた事を盲目的に信じたり、従うのではなく、それぞれがどの様に意義を見出しているのか考えることこそ、意味があると思います。その上で、全員が一つの方向へ向かう事でソッカー部という企業が強くなっていって欲しいです。
これはあくまで私の考えです。ただ、たまにはこんな感じで視点を変えて考えてみることも必要かもよ、と頭の片隅に置いておいてくれれば幸いです。

次回のブログは、石井翔君です。私はこの4年間で彼が怒っているのを見たことがありません。その位、彼は器も大きいですが、彼のやる事、なす事は小学生と遜色ないのが玉に瑕。でも、そんな彼にもやはり大人な一面はあります。それは…えっと…。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

《NEXT GAME》
10月20日(日) 関東リーグ戦 第17節 vs青山学院大学
@日本体育大学グラウンド 14:00キックオフ

記事一覧

月別アーカイブ