オフィシャルブログ

筑波遠征(Aチーム)

2019.07.30

関東リーグ三連戦まで残り僅かとなりました。この三連戦を全勝で終えて、前期を折り返す為にチーム一同日々努力しております。また、更なる向上の為、トップチームは筑波大学と試合をして参りました。

当日は朝下田で練習をしてから、筑波大学に行く形となりました。前日のハードスケジュールの関係もあり、朝の練習では選手全員に疲れも見えました。セットプレーの練習においても、いつもより声が出ていなかったり、シュートを決め切れない場面も多々見られました。その様な状況の中、筑波大学へと各自移動しました。

現地に着いた時は雨も降っておらず、もの凄い太陽に覆われとても蒸し暑いピッチコンディションでありました。

試合前に久保コーチから、前日のアミノバイタルカップ決勝の明治大学対立正大学の試合を観戦して感じたことを話して欲しいと言われました。多くの人が自分達よりも格上のチーム同士の試合に、切り替えの早さや攻撃の形、カウンターの早さ等、学ぶことが多かったと話しました。こういったチームに追い付いて追い越す為には、関東リーグ1部の相手であっても、食らい付いて戦わないといけない。今自分達がやれることを必死でやろうと士気を高めました。

試合は前半、相手にボールを持たれる苦しい展開が続きました。自分達が意識している前からのプレスも上手くはまらず厳しい状況で失点し、前半は0ー1で折り返す形となりました。
後半、選手も代わり、プレスも全員がサボらずやれたことで、ボールを奪う回数も増え、徐々に攻撃にもリズムが生まれてきました。良い状況が続いた流れの中で2得点することが出来ました。その後は相手の猛攻に対して引いて守る守備で何とか食い止め、2ー1で勝利することが出来ました。

厳しい暑さ、前日のハードスケジュール、朝練、言い訳をしようと思えば、いくらでも出来るコンディションの中、関東リーグ1部のチームに対して結果を残せたことで、選手全員が自信を持つことが出来ました。

この貴重な経験を活かして我々は今年、必ず関東リーグ1部昇格を果たしたいと思います。今後共ご声援の程宜しくお願い致します。

文章:馬場啓輔

松本遠征(Aチーム)

2019.07.30

厳しい暑さが続いておりますが、この暑さより「熱い夏」を過ごすべく、トップチームは7月28日、29日と松本遠征に行って参りました。

到着した日の午前練習は、長時間のバス移動と前日のハードなスケジュールの関係もあり、身体起こしをメインとしたトレーニングを行いました。昼食は現地の美味しい蕎麦屋さんで摂り、午後の練習に備えました。その午後の練習では、翌日に控えた松本山雅FCさんとの練習試合で勝利を掴み取る為、全員で共通認識を図る戦術練習を行いました。

夕食後には、前日のアミノバイタルカップ決勝の明治大学対立正大学の試合を観戦して感じたことを一人ひとり発表する機会が設けられました。観戦で感じた事を踏まえて、今のチーム・個人の現在地、更には今後の私達の目標達成の為にどの様に活かしていくかを確認し合いました。

翌日は楽しみで仕方なかった松本山雅FCとの練習試合でした。大学生がプロの方々と試合を出来る機会というのは本当に貴重なので、感謝の気持ちを忘れずにフェアプレー精神を持って試合に臨みました。その中で楽しむ気持ちを持ちながら、これまで準備してきた私達のサッカーを思い切りぶつけました。
立ち上がり早々に3得点を奪取し、勢いに乗りたい所でしたが、後半には2失点し3ー2で試合が終了しました。勝利することが出来、自信は付いたものの、多くの課題を感じる試合となりました。
厳しい暑さの中でプロの方々と試合をさせていただき、疲労感以上に達成感を味わうことが出来ました。ありがとうございました。

試合後には松本山雅FCの反町監督、藤田選手、溝渕選手からお弁当、飲み物、スイカの差し入れを頂き、美味しくいただきました。ソッカー部の特徴であるOBの方々との縦の繋がりを感じました。

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(写真:お弁当をいただく部員の様子)

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(写真:スイカをいただく部員の様子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この貴重な経験を活かし、我々は今年必ず関東リーグ1部昇格を果たしたいと思います。今後共ご声援の程宜しくお願い致します。

文章:松岡瑠夢

「マイ・ウェイ」(古川勇輝)

2019.07.27

古川勇平素よりお世話になっております。今回部員ブログを担当させていただくことになりました総合政策学部1年の古川勇輝と申します。ソッカー部に入部して初めてのブログということで、私の今までのサッカー人生について書かせていただこうと思います。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

高校時代にゲキサカで私の特殊なキャリアを題材に「マイ・ウェイ」という記事を書いてもらったことがある。これはその記事の続きあるいはそこで話したことの詳細だと思って読んで欲しい。

私は今までのサッカー人生でチームの中心として活躍出来たことがない。チームの中心を任せられても、チームを勝利に導けるだけの力がない。私は「中途半端」なのだ。

小学校低学年まで千葉県の少年団とクラブチームを兼任していた私は、過去の栄光ではあるが県内敵なしといっても過言ではなかった。現在、FCTwenteに在籍する中村敬斗選手とは幼い頃からのライバル(本人にも確認済)で、お互いが所属していた少年団ではしのぎを削り、クラブチームでは同じチームメイトとして1学年、共に飛び級してプレーした。

人生における分岐点その1。柏レイソルジュニアのセレクション落選。絶対に受かると思い、臨んだセレクションだったが、結果はまさかの彼はパスし、私だけが最終選考で落選。ここでサッカーを辞めるかどうか迷った。しかし小さい頃からグアルディオラ元FCバルセロナ監督(現マンチェスターシティ監督)の創り出すサッカーが好きだったので(本当はこの理由以外にももっとあるがここではこの理由だけにしておく)小4から、スペイン・バルセロナへサッカー留学することを決断した。

この落選から私の「中途半端」なサッカー人生は始まる。

留学1年目にはバルサにもエスパニョールにもトライアウトを受けさせていただいた。しかし、どちらも最終選考で何かと理由を付けられて落とされてしまった。理由は付けられたが単純に入れるだけの実力がなかったのだ。結局、私はカタルーニャ州内ではバルサとエスパニョールに次ぐ実力を持つであろうコルネリャというチームで1年目を過ごすことになった。1年目のシーズンを、チームの主力として30試合28得点とまずまずな結果で終えた。しかしチームは16チーム中7位と奮わず、大事な試合で点を取るというよりも弱い相手に点を取る、所謂「雑魚専」的な選手だった。

留学2年目。同じコルネリャというチームでシーズンを迎えることになった。2年目のシーズンには同じリーグにバルサやエスパニョール、ジローナなど強豪揃いのグループで戦うことになった。シーズンを通してチームはバルサ、エスパニョールを退けて1位でフィニッシュした。自分としてもシーズン序盤は15試合16得点と納得のいくプレーが出来ていた。ただ、シーズン終盤。徐々に私の出場機会が減っていった。プレーするポジションも本職であったフォワードから左サイドバックに移され、全体的に見ると尻すぼみなシーズンを送った。

留学3年目。人生における分岐点その2。コルネリャからの移籍。チームをサンガブリエルという新天地に移し、飛び級して1つ上の学年に混ぜてもらってプレーすることになった。しかし、そこで待ち受けていたのは手首の開放骨折という奇しくも計画通りとは言い難いアクシデントだった。新チームになって今年こそはと息巻いていた私だったが、シーズンインして間もなく、4ヶ月近い離脱を余儀なくされた。結局、復帰後も1つ上のフィジカルに勝るだけの技術を発揮出来ず、このシーズンは棒に振ったと言ってもおかしくはない1年だった。チームはバルサ、エスパニョール、ともう1チームに次ぐリーグ4位と健闘したが、その好成績に全く貢献出来なかった。

留学4年目。サンガブリエルでは出場機会を得ることは出来ないと感じた私は、チームに移籍を要求し、新天地をガバというチームに移した。このチームでの今年の目標はリーグ1部昇格。同じリーグにはバルサのその年代のBやかつて所属したコルネリャなども所属していた。このシーズンは開幕から得点を挙げ、スタメンで出場する機会も多く上手くいってチームの優勝にも貢献出来る…はずだった。シーズン中盤から徐々に調子を落とし、終わってみればリーグ終盤はほとんどがベンチスタート。チームも最終節でバルサに1位を奪われると言う結果に終わった。

人生の分岐点その3。バルサのFIFAからの移籍禁止処分、外国人選手の出場禁止。その時期その処分がバルサ以外の周囲のチームにも適応されるかも知れないという可能性が出た。この処分により久保建英選手が帰国した様に私も次のシーズンが始まる前に日本に帰国することになった。ここで問題が発生。帰国後のチームだ。スペインが1年毎に移籍があるのに対し、日本ではジュニアユースという3年間そのチームに在籍するのが一般的であるのは周知の事実だと思う。しかし運が良かったのか、丁度私が帰国する間際に大宮アルディージャジュニアユースがスペイン遠征を行っており、奇跡的にそこに帯同する許可を得ることが出来た(ここで許可が下りていなかったら私は日本で路頭に迷うこととなっていただろう)。

中学2年から中学卒業までの1年半はアルディージャジュニアユースで過ごすことになった。3年での関東リーグでも序盤はスタメンで出ることもあったが、夏のクラブユースを関東予選で敗退してから、夏のアンケートで私はユースに上がることを拒否して(そもそも上がりたいと言っていても上がれなかったが)関東リーグの後期、高円宮杯の全国大会での出場はベンチからだった。

高校は埼玉県の昌平高校に進学した。高校1年の入学の頃はJ下部を嫌うコーチの影響もあり、1年の中のAチームにいるのもやっとという立ち位置だったが、私のことをよく見ていただいた先生の抜擢でボランチにコンバートされ、そこから早い段階でBチームに昇格し県リーグの2部で戦わせてもらった数少ない1年の1人になることが出来た。選手権の県準決勝で敗退した後、発足した新チームでは新人戦の直前に怪我をしたものの、今後の成長が期待されている選手が付ける14番を頂き、スーパーサブとして新人戦優勝、関東予選優勝に貢献し、関東大会ではチームの主力として優秀選手に選ばれた。インターハイでは優勝候補としてチームは注目され、個人としても注目される程だった。結果、2回戦で準優勝の日本大学藤沢高等学校に敗れはしたものの、チームの主力になって今までの中途半端な人生からの脱出も近いのかなと思っていた。この考えが甘かった。慢心していたのかも知れない。選手権予選ではスタメンとして出場してはいたが、パッとしたプレーは出来ず全国大会では怪我もありベンチスタートとなった。この年も有終の美は飾れない。3年に進級し、自分達の代の昌平は昨年から出場していた選手が多かった為、とてつもなく期待されていた。その中で、チームの中心選手が代々付けてきた7番を貰った。背番号のプレッシャーは果てしなく重かった。自分がなんとかしなければ。とその重圧に負け(元々自分に7番を付けるだけの技量が無かった)新人戦、関東予選ではベスト8止まり、県リーグも開幕3戦勝ち無しと泥沼のスタートを切った。そのプレッシャーを言い訳にはしたくないが、歴代の7番と自分とでは雲泥の差を感じた。中々チームとしても個人としても結果を出せず、膝の怪我もあり私は7番をシーズン途中で剥奪されるという醜体を晒した。その後、14番に戻りインターハイ第3位の一員として一応貢献したが、卒業まで再び2年時のあの注目を浴びる輝きを取り戻すことは出来なかった。

今までの人生は山あり谷ありと言うが、私の人生の谷は深い。しかも周期が早い。今まで書いてきた私のサッカー人生を見てもらえば分かると思うが、とことん「中途半端」なのだ。有終の美を飾ったことがない。いつも途中までは良いのだが最後まで続かない。いつも「惜しい」で終わるのだ。良いとこ止まりの選手なのだ。

この人生を変える可能性のあるきっかけ的な出来事が起きた。大学生活でも大事な所で結果の出せない可もなく不可もない無難な選手と思われながら送ってきたが、先日、私が現在所属しているBチームのIリーグで筑波大学と対戦した時、後半43分に投入されファーストタッチで勝ち越しゴールを決め、これが決勝点となった。初めて自分がチームという神輿を担ぐ舁夫の一員になれた気がした。やっと勝利に直接的に貢献出来たと感じた。これが果たして私の「中途半端」な人生のトンネルを抜け出すきっかけになるのか。それは分からない。ただするしかない。そうでなければ、大学生活でもまた有終の美を飾れず、「中途半端」な尻すぼみな残念な結果に終わってしまうのだから。

つづく

最後までお読みいただきありがとうございました。今後共、ご支援ご声援の程宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
8月4日(日) 関東リーグ戦 第9節 vs東海大学
@RKUフットボールフィールド 18:00キックオフ

「ファインセーブ」(新居俊介)

2019.07.24

新居平素よりお世話になっております。
「エビフライの尻尾って雑巾より汚いらしいよ」
関俊太朗(3年・グラウンドマネージャー)の口から驚きのセリフが飛び出した。高校生の時の話である。それ以降、私はエビの尻尾が食べられません。すみません、申し遅れました。法学部法律学科3年の新居俊介です。テスト勉強のせいで少し頭がおかしくなっているのかも知れません。今回ブログを担当させていただくことになり、何について書こうか大変迷っていましたが、僕のポジションであるゴールキーパーについて書かせていただきます。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

「つまり根本的に、彼はアンチ・フットボーラーなのだ。ゴールを止めることに全力を注ぐゴールキーパーは、サッカーの真髄に反する」
こんな言葉があります。サッカーとは、お互いにゴールにボールを運んで点を取り合う競技です。それを妨害するゴールキーパーは、それを阻む存在です。願いを一つにする集団からの逸脱者であると言えます。その名の通り、ゴールキーパーはアンチ・フットボーラーなのです。
また、ブラジルでは、「ゴールキーパーはゲイかバカがやるポジションだ」と言われているそうです。僕はゲイの方でしょうか。どちらにせよ、ゴールキーパーがいかに特殊なポジションであるかが分かります。
ゴールキーパーの歴史を遡ると、1865年にまで及びます。その当時はチームの中で、バックスが3人(「ゴールキーパー」・「ゴールカバー」・「バック」)で、残り9人はフォワードという様に分かれていました。
そして1871年、その「ゴールキーパー」のみが手を使うことが出来る、と決められました。
その後、1909年からゴールキーパーが他のフィールドプレーヤーと違うユニフォームを着用することになり、1912年にゴールキーパーの手を使うことが出来る範囲がペナルティエリアのみ、と定められました。この様に、現代のゴールキーパーの基礎は100年も前の時代から出来ていたのです。
ここで1937年に起きた「スタンフォード・ブリッジの幽霊」というエピソードを紹介したいと思います。この年のクリスマスに、チャールトン・アスレチックFC対チェルシーの試合が行われていました。後半15分、チャールトンのGKサム・バートラムは霧の中から現れた警官に突然職務質問されます。
「お前はここで何をやっている?」
サム・バートラムは大変驚きます。
実は、この試合は濃霧の為中止になっていたのです。他の選手はさっさとピッチからあがったにも関わらず、ゴールキーパーは一人取り残されていたのでした。
「いやお前なんでそこ突っ立ってんねん」、「何を守っとんねん」とツッコミたくなりますが、、、どれだけゴールキーパーが孤独であるかが分かる嘘の様な本当の象徴的なエピソードです。
1990年、イタリアW杯でGKとDFの時間稼ぎが問題となります。それを受けて1992年、バックパスをゴールキーパーが手で処理をすることが禁止されました。ゴールキーパーに関する一番革新的なルール変更だと思うのですが、このルールが出来てから意外にもまだ30年も経っていません。
そこから4歩ルールや6秒ルールなどを経て、現代サッカーへと繋がっていきます。
この様に、サッカーの進化に伴いゴールキーパーの役割もルールと共に変わってきています。結局僕が何が言いたいかというとゴールキーパーとは特殊で特別なポジションなのです。
一試合で訪れるピンチはせいぜい5回位です。ただ我々は試合中に来る1本のシュートを止める為、毎日10本、100本、200本とシュートを受けます。
試合前のアップでは、まるでミュージシャンがリハーサルで声の調子や音響を確かめる様に、自分の構えの重心やロングキックの調子、そして何より重要なキーパーグローブのグリップ力まで神経を使いながら確かめます。
自分の限界の1cm先のシュートが届く様に毎日苦しみながらも跳び続けます。
チームに何人キーパーがいても、試合に出られるのは1人です。ただそこに向かってみんながそれぞれの立場で悪戦苦闘します。
こんなポジションだからこそ、ゴールキーパーにはクセのある奴しかいません。ただそのライバル達と共に切磋琢磨してしのぎを削ること程楽しいものはありません。ここにゴールキーパーの真髄があると私は感じます。

最後にドイツで言われている有名な言葉を紹介します。
「一つの試合を決めるのはFW。マイスターシャーレ(リーグ優勝)を決めるのはDFとGK」

必ず、1部に昇格します。

最後までお読みいただきありがとうございました。今後共、ご支援ご声援の程宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
8月4日(日) 関東リーグ戦 第9節 vs東海大学
@RKUフットボールフィールド 18:00キックオフ

「フットボール二刀流を目指して」(森本怜太郎)

2019.07.21

森本平素より大変お世話になっております。経済学部1年の森本怜太郎です。初ブログということで、拙い文章ではございますが、最後までお読みいただけると幸いです。

高校時代にサッカーをしていなかったのって、俺だけ?

———そりゃそうか。皆んな上手い。全国の舞台で活躍してきた選手達を見てそう思った。コートの広さもボールの大きさも違う。トラップをしようとしてもボールが浮いてしまう、離れていく。ヘディングってこんなに痛かったっけ。

3年間サッカーを離れていた私がソッカー部入部初日に感じたことです。高校時代フットサル一筋でやってきた私にとっては驚きの連続でした。小中学校時代サッカー漬けの毎日だった私は、高校入学前に初めて海外に短期留学しました。異国の地でのコミュニケーションツールはフットボール。フットサル好き一家だったホストファミリーに誘われ、いきなりオーストラリア、メルボルンのフットサルリーグに出場することになりました。サッカーとのルールの違いに戸惑いつつも、目指すはゴール。言葉が通じなくても年齢が違っても(社会人リーグでした)ボールを持ったら素早くゴールに向かう姿勢は同じ。限られた時間の中、全員攻撃・全員守備というフットサルの試合展開の早さに魅了され、帰国してすぐにフットサルチームに加入しました。

しかし、いざフットサルを始めると予想以上に難しかったのを覚えています。切り替えの早さ、球際の勝負の多さ、戦術など慣れるだけでも大変でした。一方で、今までほとんど打ってこなかったシュートや失うことを恐れて避けていたドリブル等が成功して、とても嬉しかったのも覚えています。ゼロからのスタート。それは吸収出来ることが多く、刺激的でした。高校2年の時、U-18県選抜の大会で今はソッカー部で先輩の保田大将君(2年)と共に全国優勝を経験することが出来ました。この経験は、自分のモチベーションを更に高め、社会人チームやU-23県選抜の活動でも主体的に取り組める様になりました。

高校を卒業してもフットサルを続けて、日本代表を目指して頑張ろう。そう思っていた矢先、ソッカー部フットサル部門の活動を知りました。全国大会準優勝の活躍を耳にし、自分もこのチームで上手くなりたい、そして今度は優勝に貢献したいと思いました。
そして、いざソッカー部入部。フットサル部門でプレーする為にサッカーに再挑戦することになりました。自分のフットサルの経験が果たして何処まで通用するのか。

———しかし、ここでも3年振りのサッカーはまるで初めてボールに触った小学生の頃の様。ボールすらコントロール出来ない状態。でも1ヶ月2ヶ月と両方のボールに慣れてくるとサッカーの中で少しずつフットサルの動きを取り入れられる様になりました。毎日何かを得て帰るという日々は新鮮で、充実していて、素直に楽しいです。出来ないことが一つずつ出来る様になっていく喜びは小学生の頃と同じ。このまま両方続けていたら、きっと上達する———そう思いました。

そして今月、等々力陸上競技場で行われた早慶戦。大歓声の中、迫力あるプレーを魅せてくれた先輩の姿に感動し、一つ新たな目標が出来ました。
———早慶クラシコに自分が出場して勝利に貢献したい。

その為に全国から集まった選手と共に切磋琢磨し、自分を磨き、まずはリーグ優勝を目指したい。

一方、フットサル部門で先輩は既にサッカーとフットサルの二刀流。サッカーで培われたフィジカルや当たりの強さ、強烈なシュート力に驚きました。
私もサッカーとフットサルの相乗効果で全国優勝を目指し、目下フットボール二刀流に挑戦中です。皆さんにもサッカーとフットサル、似て非なる試合の雰囲気を知って楽しんでいただきたいです。スピード感溢れる迫力あるプレーにご期待下さい!

最後まで読んでいただきありがとうございました。今後共、ご支援ご声援の程宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
8月4日(日) 関東リーグ戦 第9節 vs東海大学
@RKUフットボールフィールド 18:00キックオフ

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