オフィシャルブログ

「人間だもの」(氏家健太朗)

2022.10.04

平素より大変お世話になっております。慶應の範馬勇次郎こと、氏家健太朗です。インスタの写真をぜひ見てください。これが範馬と呼ばれる所以です。刃牙で好きなシーンは勇次郎の「強くなりたくば喰らえ!!!」の後に刃牙と梢江が、、、失礼。刃牙漫談はここら辺にしておきます。

そういえば真聖からバトンを預かりました。
真聖とは「伊藤です。健太朗です。2人合わせて伊藤健太朗です!」でお馴染みの、コンビ「伊藤健太朗」を組み、部室でお笑いをさせてもらっています。彼とはピッチ内外で数え切れない程の激闘を乗り越えて来ました。正直ピッチ内よりもピッチ外での連携の方が強いので、ピッチ内での連携も高めていきたいです。そして4年早慶戦で僕の絶妙な縦回転クロスを真聖がヘディングで決め、2人でニャブるという夢を叶えたいです。社会人になったら僕が八戸に飛ぶことを願っているとか言ってますが、僕が八戸に行ったら毎晩枕を濡らしそうなので、もう少し東京にいてやります。

さて、毎年先輩方の卒業ブログを楽しく読ませていただていたのですが、遂に自分が書く日がやってきたのかと思うと、いよいよ15年のサッカー人生も終わりに近づいているなぁと、 時の流れの儚さに虚しさを感じるばかりです。特にこの4年間は楽しいことも苦しいことも辛いこともたくさんあり非常に濃い4年間でした。訂正します。濃ゆ〜い4年間でした。そんな4年間を振り返りながら、アディショナルタイムに突入した残りのサッカー人生に懸ける思いを綴ろうと思います。

1年目、肩の手術をし、それからなかなか復帰できず、復帰してもIリーグの出番はほとんどなく出場したのは最終節のラスト15分のみ。(因みにこの試合でアシストをマークし、その年のアシスト率王に輝く。)

2年目、初めて自分以外のために本気になった。大好きな4年生を全国に連れていくために本気でサッカーに打ち込んだ。そしてチームの中心としてIリーグを優勝し、チャンピオンシップに出場することができた。しかしそのチャンピオンシップでTOPチームから落ちてきた選手にスタメンを取られた。試合も負けてしまい、4年生の引退が決まってしまった。試合後にはグラマネであった友己(R4卒)の「ごめんな」という言葉や、主将である高津(R3卒)の 「最後まで一緒に出たかったな」という言葉に帰り道で1人泣きそうになった。
チャンピオンシップでスタメンを外されたこと。大好きな4年生ともう一緒にサッカーができないこと。何よりも自分が出ていたら勝てていたと本気で思えなかったことが死ぬほど悔しかった。

3年目、2年目の悔しさを晴らすために顔色を変えて練習に取り組んだ。TOPチームに昇格するも、関東リーグメンバーに唯一選手登録されていないメンバーとして厳しいランメニューをこなす日々。精神的にも肉体的にも非常にキツかった。ただ憧れの早慶戦に出場するという思いで必死にTOPチームの練習に食らいついた。そしてようやく関東リーグメンバー入りを果たす。その週の関東リーグ立正大学戦でベンチ入りをした。ようやく報われたと思い、めちゃくちゃ嬉しかった。試合は点を取り合う激しい展開、後半3-2でリードする中ドログバが鮮やかなループシュートを決め、突き放す。2点差になり、正直出番が来ると思った。しかし結局監督から呼ばれることなく試合は終了し、西が丘のピッチに立つことはできなかった。
その後関東リーグに1度もベンチ入りすることなく3年目のシーズンが終わってしまった。

4年目、シーズンイン当初はTOPチームで活動するもパフォーマンスが悪く、B1チームに降格してしまう。牧野が慶應の中心選手として活躍する中で、不甲斐ないプレーでB1チームの足を引っ張り、テソンさんからは「1,2年で一緒に笑いを取っていた牧野は関東出てるぞ」と言わせてしまう始末。正直恥ずかしかったし情けなかった。その後もTOPチームに昇格するチャンスを掴むことができず、憧れであった早慶戦は 4年目も西が丘のスタンドで応援する側だった。

この4年間、目に見える結果を残すことができなかった。この4年間で残せたのはアシスト率王とショートスプリント王くらい。ただ後悔はない。どんなに苦しくてもやり切った。 ソッカー部でサッカーができたことを誇りに思う。唯一の後悔は両親に自分の晴れ姿を見せることができなかったことだ。

最後にこうすればもう少し結果を残すことができたんじゃないかなと思うこと。
それは「感情を出すこと」
今振り返ると自分に1番足りていなかったものだと思う。ピッチ外で感情をあまり表に出さない私は周りから人間味がないとよく言われる。ピッチ内でもこれは同じでほとんど感情を表に出さない。
しかしサッカーは感情のスポーツだと思う。点を取られた時にチームを鼓舞すること。スライディングでボールを奪いガッツポーズをすること。上手くいかない時は本気で悔しがること。勝ったら喜びを爆発させること。全てが感情を出すことだと思う。感情を出すことがチームの躍動感、一体感を産む。「感情を出すこと」それはサッカーの魅力の一つでもある。見ていて面白いサッカーは感情がコートに溢れている。今TOPチームで戦っている同期や後輩がこんなにも輝いて見えるのは、彼らが感情むき出しで戦っているからだと思う。
Iリーグで全く試合に絡めない時。チャンピオンシップでスタメンを外された時。TOPチームで唯一選手登録されていない時。4年目の早慶戦をスタンドで見た時。
悔しい時に笑顔でごまかさないこと。もちろん悔しさを押し殺してチームのために明るく振る舞うことも必要な時はあるけど、悔しいという感情から逃げないこと。この4年間、「本当の感情」をさらけ出すことができていれば、もう少し結果を残すことができた気がする。この先こんなにも本気で悔しく、本気で悩み、本気で喜ぶことはないと思う。残りのサッカー人生感情むき出しでいきます。

B1チームのみんなへ
自分がかっこいい先輩、憧れるような先輩じゃないことは分かっています。牧野のように 「みんなの見本でヒーローです。」なんてLINEは来ません。来るのは「うじー、オススメのエアビ教えて」くらいなもんです。
キャプテンマークを巻くことができる順番はB1の中で上から18番目、ちょうど藤平と柳瀬の間、しんのの3つ前あたりです。
こんな僕ですが、まだ最後に成し遂げたいことがあります。
それは西が丘のピッチに立つことです。Iリーグの全国決勝は西が丘で行われる。関東で、早慶戦で立つことができなかった西が丘のピッチに立ち、有終の美を飾りたい。そして自分たちのために毎日寝不足で練習メニューを考えてきて、「ボール保持」もまともに言えない三浦を胴上げしよう。
B1らしく最後は笑って終わろう。

愛すべき同期へ
個性豊かなみんなと共にソッカー部で過ごしたことは、僕の一生の財産です。尊敬できるたくさんの面白い仲間に出会えました。この代で良かった。ありがとう。ここに書きたくても書き切れない程の思いがあるので、ゆっくりお酒の場で話しましょう。オススメのエアビあるんで。

両親へ
一発ギャガーよしこ。朝4時半の「おぱよう」には少々イラつくこともありましたが、朝早く起きて作ってくれる梅入り昆布ゆかりおにぎりは絶品でした。下田に応援に来てくれる時は必ず迷彩柄の服を着ていて、みんなから自衛隊関係の人だと思われているので、なるべく迷彩柄は避けてください。
戸田さんよりもサッカーを見ている、空飛ぶたかし。毎週のように下田に来て私の一番のファンでいてくれて嬉しかったです。 失礼、フアンでしたね。
私がサッカーをしている姿を見るのが、家族の楽しみで、サッカーをする自分に期待してくれていることは知っています。最後にサッカーで活躍する姿を見せたいと思います。 本当にここまで育ててくれてありがとう。

社会人スタッフの皆様、本当にどうしようもないふざけた奴でしたが、最後まで向き合い続けてくれてありがとうございました。支えてくれた全ての人にこの場をお借りして感謝を述べさせてください。本当にありがとうございました。

最後に。
サッカーを通じて本当に色々な経験をさせてもらい、多くのかけがえのない出会いがありました。サッカーなしの人生は考えられません。サッカー、今まで本当にありがとう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。今後共ソッカー部へのご支援、ご声援の程宜しくお願い致します。

♪兵庫県生まれNY育ち下品な奴は大体友達♪
慶應のゴロニャンキーパー坂巻颯梧(4年・New York Soccer Club/慶應義塾NY学院)。
彼も部室を盛り上げる芸人さんの1人で得意ジャンルはモノマネ。彼のアーニャは鳥肌もん。
僕が思うに彼はこの4年間で最も成長した選手です。1年の練習試合では自陣ゴールにシュートを突き刺していた坂巻が今やTOPチームのGKとして絶妙なロブパスを出していることが信じられません。
4年間で大きく変わった男が何を書くのか注目です。坂巻、是非上品なブログをよろろすお願いするます!

《NEXT GAME》
10月8日(土)関東リーグ戦 第16節vs 青山学院大学 @非公開 11:00キックオフ

「世界一尊敬できない私から」(伊藤真聖)

2022.10.03

西くん、紹介ありがとう。
何気に1番長い時間を過ごしているかも知れません。2人だけの独特なノリはいつも後輩から冷たい目を感じますね。
西くんも愛想は悪いので、「気になっちゃうわ〜」と近づいてみてください。すぐ仲良くなれます。
そんな可愛い西くん、これからも宜しくお願いするます!

私がこの部活に入部した訳。それは、ただ単純なものでした。
『ましろ−サッカー=』
この答えを見つけられる自信がなかったからです。

初めてボールを蹴った瞬間。はっきり言って覚えていない。それくらい前のこと。
両親は覚えているだろうか。習い事を始めさせてもらう時、色々な教室を回った。何か1つを続けなさい、そう言われてあらゆる体験をさせてもらった。
「なんでも卒なくこなせる」でお馴染みの私だが、それは小さな頃から一線を画していた。初めてスカッシュをやらされて、「えーっと、、うんっ、この空間にずっといるのはなし!」と感じたのははっきりと覚えている。
小さな頃から目立ちたがり屋だった私は、サッカーをしている時が1番注目されているような気がした。
結局のところ、ませていたのか何なのか、ただカッコ良いという理由だけでサッカーを始めた。

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中学、高校は弱小校。SFCのサッカー部は、選手権予選も上に進めず今も苦しんでいる。悔しいが、事実である。
私が高校1年生の頃に3年生で一緒にプレーしていた、立石修也(R3卒)という先輩がいる。
先輩の引退試合に出場させて貰った私は、引退の悔しさに涙を流しすぎてコンタクトを探していた。立石修也はそんな私にニヤニヤしながら歩み寄り、「何でましろ泣いてるの?これからもサッカーできるじゃん。俺は大学で続けるから泣けないよ。」と笑っていた。
「いや、いいからコンタクト探してくれ。」とは言えずに、ただ泣くことしかできなかった。そんな男気溢れる立石修也に感化されて、俺は大学でもサッカーを続けるのだろうな、と漠然と思わされた。

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「私は尊敬される人間ではない。」

ずっとそう感じている。

人の弱みを見て、自分と比べて、安心した。
他人の努力に目を瞑り、自分には必要のないものと言い聞かせた。
嫌なものは嫌、好きなものは好き。
そんな人間を誰がリスペクトするだろうか。

純粋に何かに向き合える人間を羨む自分がいた。
本気になる自分を一歩引いて見ている自分が何処かにいた。

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「何故、この部活に入部したのか。」
先輩たちの卒業ブログでは、いつもこの問いに直面していた。
そして、今、直面した。

逃げてきたのだろう。

「ましろと言えば、サッカー」
このレッテルは自分で作り上げたもの。別に悪い気はしないが、いつもどこか悔しかった。自分に在るもの。サッカーを取り上げれば、何も残らない気がした。今まで自分が積み上げてきたレッテルを外されることに怯えて、逃げてきたのだろう。

よく思う。
現状を大きく変えて、自分のやりたいことと純粋に向き合えることがどれだけ難しいことか。
休学して自分のやりたいことをできる人。部活動をやめて、イタリアでフットサル選手として生きる人。将来を見据えて、学部変更をする人。ワイン造りに興味を持ち、辞めていった同期。
そんな確固たる自分を持つ人がとにかく羨ましかった。

私は、私からサッカーを失くした時の私と向き合いたくなかったのだろう。
私はこの4年間で何かに向き合うつもりで、ソッカー部の扉を叩いたのだと思う。

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大学2年生、Zチーム。

誰かのためにサッカーをすると言うことがこんなにも楽しいことなのか、そう初めて知った。

当たり前のように幼い頃からサッカーを続けてきた。
自分がサッカーをしたいから、自分が楽しいから、自分、自分、と自分のためにサッカーを続けてきた。

Zチームは3,4年生が中心となったチームで、1,2年は私を含めて4人。何もかもが吸収できるような環境で、サッカーはもちろんのこと、ピッチ内外で学びが多かった。特に、ピッチ外では何度も4年生にお世話になっている。それは今でも変わらない。
これからも生意気な後輩をいつでも誘ってやってください。

そんな大好きな4年生のIリーグ最終節、引退試合。
それまでのIリーグでは、運良く全ての試合でメンバー入りをすることが出来ていた。

全国の賭かった最終節、国士舘大学戦。
メンバー発表に、「伊藤」の文字は無かった。
もちろん、メンバーに外れたことへの悔しさはあった。ただ、与えられた場所・与えられた役割を全うし、全国に出るという気持ちは全くブレなかった。

だが、私に与えられた場所は無慈悲にも副審。私情を乗せて試合を観られない。気合の入った円陣に加われない。Zチームのために何もできない。積み上げてきた努力をぶつける最終節に圧倒的な疎外感を感じた。

結果は延長戦の激闘の末、2-3。敗北。
すなわち、4年生の引退である。

延長戦にもつれた瞬間、なぜか私は本部で号泣していた。分からない。やっぱり悔しかったんだな。試合出たかったんだな、試合中に号泣している審判は見たことがない。そんな姿を同期の若月輝に見られたことがもっと悔しい。

悔し涙を流せる程、俺はサッカーが好きなんだな、と思えた。
誰かのために、本気になれるんだな、と安心した。
誰かのためにサッカーをするということがこんなにも楽しいことなのか。そう初めて知った。

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大学4年生。
何かと「意地で」、「背中で」、が付き纏うようになった。自分には、その「意地」が無かったと思う。「意地」の意味を分かっていなかったからである。

Bチームキャプテン。私の最終学年に与えられたポジション。
監督には何度もお前には務まらないとご指摘をいただいた。「そんなことないですよ。僕にしかできないです!」と強く言い返せる程の自信が無かった。悔しかったが、「意地」がないことを見透かされていたのだろう。
プロIリーガーとして名高い私だが、何度もTOPへのチャンスはあった。
新人戦の時もZの時も、3年の時も。幾度となく訪れたチャンスを自分の手で握りつぶしていた。

強がるように、Bで満足したフリをした。逃げていた。どこかで関東に憧れている自分を偽り、キャプテンマークを巻いていた。

あるIリーグの試合前の円陣で三浦が口を開いた。
「俺は選手を辞めて、高校サッカーに未練を残して来た。今はコーチとしてしかサッカーに携われない。ただお前らにはまだサッカーがある。この1試合に命を懸けてきてくれ。」
こんなかっこいいこと言ってないかも。ニュアンスは合っている。その言葉に震えたのも確かである。
最後の1年くらい逃げずに向き合うか。純粋にそう思えた。

チャンスは一瞬である。チーム状況の変化でTOPに加わり、トントン拍子で関東リーグに出場できた。目まぐるしく環境が変わる。一瞬の出来事だった。出場時間はわずか20数分のこと。それは、余りにもリアルで、刺激的で、あっという間であった。
交代したのは、私の憧れである立石修也の弟、宗悟。何かの縁を感じるとか感じないとか。

こうして最終学年で初めて、訪れたチャンスを自らの手で掴むことができた。
出場の瞬間、三浦はニヤニヤしていたらしい。

まさしく、関東出場を本気で目指した「4年の意地」を見た。

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山中湖合宿。
TOPチームとして帯同した山中湖では、もちろん楽な練習など待っていない。
心の底から泣き叫びたい程しんどかった。
4時30分に目を覚まし、洗濯物に着替えて5時30分から山の起伏を駆け回る。
本当に泣きたかった。いや、泣いていた。
今すぐにでも、この山道にダイブしてズタボロになった方がましなのではないかと本気で考えた。

毎練習前にテーピングをぐるぐる巻きにして、移動中は足を引き摺って、就寝前にはGReeeeNを聴いて、合宿後に控える早慶戦を目指した。

Bチームが先に山中湖を去る時に「まし君、まじで早慶戦出てね。」と左貫が私を激励した。

Bチームにとって私はどんな存在になれているのだろう。
少なからず、早慶戦に出られたら少しは勇気付けられて、自分にもやれると感じてくれるだろうか。
三浦は、飛び跳ねて喜んでくれるだろうか。
景は、いつにも増した笑顔でグータッチをしてくれるだろうか。
坂巻は、声を枯らして応援してくれるだろうか。
西川は、私についての資料を作ってくれるだろうか。
氏家は、んー、そうだな、、特に変わらないか。

そんなことを考えながら、Bチームと同部屋だった私には広すぎる10人部屋で、1人置き去りになったGReeeeN Boyが泣いていた。

生きて新宿に着いた時、
「あっ、人ってこんなにいるんだ」
驚くほどに新宿には人がいる。息が詰まるほどの人の量だったが、その時の私には空気が美味しく感じた。

まさしく、最後の早慶戦を目指した「4年の意地」を見た。

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そんな私は今、幾度となくカテゴリー変動を繰り返し、再びBの主将としてキャプテンマークを巻いている。
自分のためでも、偽るわけでも、映えるわけでもなく、チームのために巻いている。
いつかのZチームのように、私は今のチームが大好きだ。例えベンチでも、メンバー外でも、副審でも、チームの勝利を願える。

Bは後輩育成、未来のソッカー部を創る選手を育てるカテゴリー。残りの数ヶ月の4年生のための選手枠は部にとってはもったいないかもしれない。ただ、最後までチームのために戦うからこそ、「背中」が広く見えると思う。足首が破壊されても、最後まで出場を諦めない紘平が金鶴に極意を教え込んでいるからこそ、その「背中」について行くのだと思う。そんな姿をあと少し見せていくつもりだ。

今なら、強く言い返せるだろう。「僕にしか出来ないです!」

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ソッカー部の活動は、楽しい経験ばかりではない。苦しい経験をたくさんしてたくさんして、ようやく喜べる。それくらいの頻度だった。本当に多くの挫折経験が出来たと思う。

『ましろ−サッカー=』
この答えは、まだ分からない。今ならその答えから逃げずに向き合えると思う。
ただ1つ言えることは、1人の人間のアイデンティティを構成するほどサッカーと向き合えたなら、これから先、何からも逃げ出さない気がする。

間違いなく、もう一度人生をやり直しても、またこの部に入るだろう。
そんな気がする。

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最後になりますが、この場をお借りして感謝を述べさせていただきます。

社会人コーチの皆様。
ピッチ内外での慶應生としての在り方、先輩としての在り方をご教授してくださりありがとうございました。あと少しお世話になります。どうぞ宜しく御願い致します。

後輩たちへ。
全くボケていない文章をここまで読んでくれてありがとう。

「ましろ、めちゃくちゃ逃げてるじゃん。」そう思った人も少なくないかと思います。
伝えたいのはそこです。逃げることって案外簡単だし、気が付いたら選んでいる選択肢かもしれない。俺だけか。
序列が1つ落ちた、カテゴリーが下がった、ビルドアップが下手で相手校に穴だって言われた、そんなこともあるかもしれません。4年間もあれば一喜一憂することももちろんあります。
こんな真剣に同じ志を持った人が集まれるのは最後。(引用元:Iリーグ前の三浦)
何かに真剣に取り組むことはめちゃくちゃにカッコいいことです。ソッカー部の扉を叩いたからには、この歴史ある組織を背負って欲しいと思います。
世界一尊敬できない私からのメッセージです。
だから、藤平、俺の分まであと3回!山中湖、真剣に取り組んでくれ。頼んだ。

三浦へ。
三浦には一番ピッチ内でお世話になっています。練習前、いつもメニューを聞いてごめん。試合中1番冷静さを欠いて、熱くなっている漢・三浦が好きです。全く褒めてくれないけど、横幕にはBのゴールを自慢しているのは知っています。いつもありがとう。
最後にみんなで、三浦を胴上げしよう。

同期へ。
私にとって夢の国とは、ディズニーではありません。部室です。
意味もなくお互いをけなし合い、何も生み出さない会話が1番好きです。網越しに聞こえる後輩の笑い声が心地よいです。そんな空間をあと少し作っていこう。
仲良い代だと勝手に思ってるし、みんなのこと結構好きです。また開催しようかね。

両親へ。
いつも応援してくれてありがとう。
母は私の一番のファンです。というより、フアンです。いつも試合速報は確認しており、誰も買わないであろうLINEスタンプをくれますね、あれはやめましょう。母親の誕生日にゴールを決められて、最高のフアンサービスが出来たかと思います。
父は私の二番目のフアンです。以前Iリーグを観に来ていた際、試合中に目が合い、咄嗟に電信柱に隠れていましたね。バレています。常に気にかけてくれてありがとう。あと少し頑張ります。

両親には多くのサッカーの試合に連れて行ってもらいました。車でNACK5まで向かったり、浦和レッズの旗を買わせてしまったり、大雨の日本代表の試合中カップラーメンも食べていました。高校サッカーは必ず2人でトーナメントをなぞりながら予想して観ていたね。全てが私のサッカー人生です。約18年、本当にありがとう。
何不自由のない生活を送らせてくれたことに感謝します。

もうどこかへ行くかのようなブログを書きましたが、まだ引退する気はありません。1枚でも多く、集合写真を撮れるように駆け抜けたいと思います。

明日のブログ担当は、氏家健太朗(4年・慶應義塾高)です。
私の大学生活を語るのに、氏家なしでは不可能です。何をするにも隣にいた気がします。
誰からも好かれる!わけもなく、いつもなんか、ありがとう。
普段は感情を出しませんが、裏で僕のこと褒めちぎってるらしいです。そんなところもピンクのTシャツも可愛いですよ。
うじは人生で出会った人の中で一番おもろいです。そんな人のブログですよ?間違いないですね。楽しみにしておきます。

《NEXT GAME》
10月8日(土)関東リーグ戦 第16節vs 青山学院大学 @非公開 11:00キックオフ

「迷惑客」(西川陸斗)

2022.10.02

平素よりお世話になっております。法学部政治学科4年の西川陸斗です。

晋作、紹介ありがとう。芯を持っていてかつ誰にでも優しく驕らない晋作を高校の時から尊敬しているし頼りにしています。高校で上手くなった晋作の足元が大学で逆戻りしてしまったかのように思えるのが寂しいです。段ボールは言われるまで記憶から抹消されていました。四戸さん、本当に迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。

特に最初に書くことを決めずに、思ったことを書いたのでまとまりのない文章になっていますが、興味があれば読んでいただけると嬉しいです。

4年ブログを書くにあたって、自分でソッカー部員人生を振り返ってみました。入部当初に描いていた早慶戦の出場や関東リーグで大活躍するという夢は夢でしかなく、自分の力不足に情けなく感じるとともに後輩のことを少し羨ましく思いながら書いています。

つい先日、B1のボスである三浦が 「自分が高校の時はなかなか試合に出られず、その後引退した時に不完全燃焼のまま終わってしまったという実感があった。だけど、日々の練習に100%で取り組めていなかったから具体的な事象に後悔するということができなかった。だから皆には目の前のプレーに全力で取り組んで後から後悔できるようになって欲しい(要旨)」 と、毎日の練習後の総括に話していました。
この言葉は自分にとってかなり刺さって、1年目は100%出せた日なんてないんじゃないかと三浦同様の漠然とした後悔をしてしまいました。優秀な後輩たちは大丈夫だと思いますが、限られた4年間を全力で生きて欲しいです。

初っ端から話が逸れてしまいましたが、そんな堕落した1年の時の懺悔から少しは成長できた4年までを少し振り返ります。

1年目、Dチームからのスタート。今思い返すと本当に舐めた部員生活をしていたな、と恥ずかしい思いです。
まず、練習は死ぬ気でやれていなかったです。6:30からの練習に寝ぼけまなこで向かい、1年生が20人ほどいるDチームで皆と仲良しサッカーをしていました。そして自主練もせずに学校へ向かい、空きコマは同期と遊んでいました。さらには高校まで続けていたランニングや体幹トレーニングもいつからかやらなくなってしまいました。そんな生活では成長なんてするわけもなく、むしろ下手になっていく恐怖を味わったのを覚えています。
何よりもちゃんと取り組んでいる同期や先輩に申し訳ないし、メニューを作ってDチームをまとめてくれるタジくん(R3卒)に申し訳ないことをしたなと、それほどにひどい1年生だったと思います。タジくんごめんなさい。

サッカー以外の仕事でも、1年生がやるべき仕事を率先してやらず、基本他人任せ。シビアな雰囲気となった夏の学年ミーティングでコーローに名指しで吊し上げられるくらいには迷惑をかけてしまいました。(今では反省しています。ですが彼は感謝の気持ちが依然足りていないので、今では私から口うるさく指導してあげている次第です。)

きっと当時の自分に総じて言えるのは組織の一員である自覚が足りなかったことだと思います。
私は組織に属する人間は、持つ視座に応じて大まかに3段階に分けられると考えています。まずは組織がどうあるべきかという組織大の視座を持つ人、次に組織の中で自分がどうあるべきかを考えられる人、最後に組織のこと、組織に与える影響を考えられない人です。学生主体を掲げ、自分たち学生で組織を作っていくソッカー部では、最初の組織レベルでの経営者視点を持つべきだと思います。しかしながら当時の私は3つ目の「組織にいらない部類の人間」だったでしょう。

1年春の最初の鹿島遠征の時、私は紘平とともに試合前の集合に遅刻しました。その晩、副務でありDチームのキャプテンである亮平君(R3卒)に呼び出されてこう言われました。
「お前たちが遅刻したことでチーム全体に迷惑かかるんだぞ。この遅刻の報告を監督やスタッフにしたらどう思われるか分かる?新しく入ってきたどこの誰かも分からないような1年生がミスをしたとなると、そいついらねえなって思われるんだよ。俺はお前たちを見捨てたくないから監督にも謝るし、こうやって説教まがいのことをしていて、憎くてやってるわけじゃないんだ。」
これを聞いた時に本当に迷惑をかけてしまっているのだなと、ようやく実感したし、同時に亮平君は同じ学生という立場にも関わらず自分たちより何個も上の視座を持っているのだなと、自分たちの未熟さを痛感した出来事になりました。

もうまとまりない文章ですが、とにかく後輩は慶應ソッカー部を作る一部員であることを自覚して全力で駆け抜けてください。頑張れ。

話は飛んで4年生になった時、何とかTOPチームに所属することができました。所属した当初はなんかもう色々な感情が渦巻いていたように記憶しています。
落ちないように頑張らないと、死ぬほど走ったり死ぬほど怒られたりするのかな、偉大な4年生がいなくなって心配だな、などなど。色々複雑な気持ちでしたが、結局まだ自分本位だったわけです。
しかし、新4年になったばかりの時は自分のことで精一杯だったのですが、次第に余裕が生まれ、段々と見えてくる景色が変わってきました。そこで見えたのはチームのために身を粉にする同期の姿です。特に学生スタッフの仲間がどれだけ日頃チームのため、選手のために行動しているか、それまであまり見えていなかった部分も見られるようになり、勝手に(今更ながら?)重い責任を感じるようになりました。
具体的にどれだけチームのために貢献しているかを書こうと思ったのですが、あまりにも文章量が膨大になりそうなのと、抜け漏れがあった場合にヘイトを買いそうなので割愛します。景が「ブログに書いてあったこと、あれ俺らの仕事のほんの一部ね?」などとボヤきそうなので。
そんな同期の働きを見て感化されないほど薄情な人間ではなかったので、次第に行動が変わっていきました。食事に気を遣う、睡眠時間をしっかり取るといったアタリマエなことから改善され、練習に対しても100%で取り組めるようになりました。
その中でも自分が変わったなと思う出来事は、プレゼン・未来創造部門の立ち上げに関わったことだと思います。
なぜこの部門をやろう、取り組もうと思ったかと言われればチームのために何かしたかった、後世にも生きる何かを残したかったという思いからです。そしてその思いは先述の同期の姿に影響されたのだと思います。ここでようやく3つ目のチームに必要としない人間から一歩成長できたわけです。

多分4年間の収穫はこのマインドセットなんだと思います。ただ、それをウォッシュではなく、本当の意味で持つのが遅かったのが心残りです。1年生からその気持ちで部活に取り組めていればどれだけ成長できたろうか。ピッチ内外で活躍できただろうか。

残り1ヶ月半の現役人生ですが、まだまだ成し遂げられることはたくさんあります。
部門の活動に満足しているわけでもないので来年以降後輩が運営しやすいような環境を整備すること。
B1としてチャンピオンシップに進み、後輩に全国の舞台を味わわせてやりたい。
老害なりにまだまだ関東で活躍したい。
コーローに感謝の心を教えてあげたい。

幼稚園の時に親に連れて行ってもらって始めたサッカー。16年間のサッカー人生を締めくくるため、後悔しないために全力でプレーします。B1のみんな、チャンピオンシップに行こう。三浦を胴上げしよう。

次の担当は伊藤真聖(4年・慶應義塾湘南藤沢高等部)です。部室をとにかくうるさく爆笑の渦に巻き込む彼は令和元年慶應の幹事長。B1を引っ張るキャプテンで、ピッチ内外で頼りがいのある男です。特技は2歳から英才教育を受けて叩き込まれた麻雀。苦手なことは素走り(1644,8816,1025,5秒2往復,7秒3往復,12分3200m etc…)。彼と仲良くなるのはなかなか大変ですが、「麻雀特化ゾーン見ました!」といえば仲良くなれます。ふざけているイメージが強いましろですが、熱い情熱を持った漢なのでめっちゃ良いブログ書いてくれるでしょう。乞うご期待!

《NEXT GAME》
10月8日(土)関東リーグ戦 第16節vs 青山学院大学 @非公開 11:00キックオフ

「想いを背負う」(牧野晋作)

2022.10.01

平素より大変お世話になっております。卒業ブログのトップバッターを務めさせていただくことになりました、経済学部4年の牧野晋作です。

初めに、ソッカー部での4年間を通じて、大変貴重な経験を数多くさせていただきました。日頃より温かいご支援、ご声援をくださったOBの方々、社会人スタッフの方々、ソッカー部に関わる全ての方々に心より感謝申し上げます。

さて、とうとう卒業ブログを書く時が来てしまいました。読む側だった僕が書く側にまわり、非常に感慨深いです。どんなことを書こうか色々と思案しましたが、大層なことは書けそうもないので、背伸びせずにありのままの4年間を綴らせていただきます。ぜひ最後までお付き合いください。

「下手くそ」

僕が14年間のサッカー人生でずっと浴びせられてきた言葉である。14年間もサッカーをやってきて、今もなお「下手くそ」である。もはや愛着さえ湧いてくるくらいずっと言われ続けてきた。部員の皆なら知っていると思うし、自分でもそう思う。残念ながら認めざるを得ない。それでも、ありがたいことに今はTOPチームに所属し、慶應の看板を背負って戦うチャンスを掴める状況にある。本当にありがたいことだ。

「下手くそ」な僕がなぜここまで成長することができたのだろうかと4年間を振り返ってみると、人の想いを背負い、人の想いに応えようとがむしゃらにやってきたことが一番成長に繋がったのかなと感じる。

2019年、1年目。
文武両道を志してソッカー部の門を叩いた。1番下のカテゴリーであるDチームに所属し、仕事、練習、授業に忙殺される日々の中で必死にもがいた。授業との兼ね合いで毎日のように4時に起きて始発で練習に向かい、40人近く選手がいる中で激しいレギュラー争いを繰り広げた。シーズン後半になってようやく試合に絡めるようになったが、それも先輩方がカテゴリー昇格を果たし、その空席を埋める形での出場だった。一向に変わらない現状に途方もない無力感を覚え、同期がBチームやCチームで活躍しているのをどこか遠くの世界の話のように思っていたのを覚えている。

2年目。
Sチーム(当時はTOP>Z=S>Iという構成)でグラマネの友己くん(R4卒)に守備力を買われ、試合に出させていただく機会が増えた。大躍進だった。この年の経験は自分の中で大きな礎となったと思う。SチームでIリーグ優勝を経験し、全国まであと少しのところまで行くことができた。

「微差にこだわれ、1つのパス、1対1の局面、1つの声掛け全てにこだわれ。お前なら絶対できる。」

僕の可能性を信じて丁寧に熱い指導をくれた友己くんのおかげで、下手くそなりにもチームに貢献できるようになった。この年の“Sの五か条“は今でも試合中に立ち返る場所として大切にしている。
また、この年はテソンコーチにソッカー部において1番大切なことを教えていただいた。それはIリーグ最終節のこと。その試合前の1週間はかなり調子が良く、それまでもスタメンで出場し続けていたため、絶対にスタメンで試合に出場できると思っていた。しかし、スタメンで試合に出たのは当時の1つ上の先輩のカズくん(R4卒)だった。その先輩はピッチ外でリサーチやスクールコーチを通してチームに貢献し、ピッチ内では誰よりも泥臭く走り、球際で闘い、きつい時にチームを鼓舞できる、まさに慶應らしい選手だった。試合は彼のセットプレーからのゴールもあり見事勝利を収めた。試合後、皆が控え室に戻る中、出場できなかったことに納得いかず不貞腐れていた僕と氏家(4年・慶應義塾高)はテソンコーチに呼んでいただき、このようなお話を伺った。

「実は、今日の試合で2人を出さないことは前から決めていました。なぜだと思う?それは慶應を背負って戦うということがどういうことなのか、ピッチの外から見てもらいたかったから。カズが誰よりも慶應の選手らしく闘っていて、どれだけ悔しさを押し殺してチームのために動いているか、それを2人に知ってもらいたかったから。今後、2人には慶應を代表してTOPチームで活躍してもらいたいし、そうなると信じているからこそ、そういった選手の想いを理解して、背負って、闘える選手になって欲しいと思っています。」

この時のことは今でも鮮明に覚えている。この話を聞いて控え室に戻る時の気持ちは今でも忘れられない。出られない選手の悔しさ、それを押し殺し、サブに回ってチームのために動く先輩の器の大きさ、またそれらを理解せずに試合に出ていた自分の浅はかさを知った。慶應を背負って闘うことの重みと責任を知った。そして何より、自分の成長に期待してくれる人がいることを知った。人の想いに応えるために、人の想いを背負って戦うために、もっと頑張らなければいけない、そんなモチベーションが芽生えたとても大切な1日だった。

3年目。
Bチームでスタメンを張り続けた。慶應らしく、ピッチ内外でチームに貢献しながら、誰よりも走り、誰よりも闘い、きつい時にチームを鼓舞し続けることをひたすら意識した。シーズンの初めは勝てない時期が続いたが、後期は無敗という結果で終えることができた。主将が怪我で離脱し、ゲームキャプテンを務めるという貴重な経験もさせていただいた。4年生がいる中で3年生の自分がキャプテンマークを巻くということの重みを噛み締めながら、次第に芽生える上級生としての自覚と共に、日々成長を繰り返した。シーズン中、何度かTOPチームの練習に参加させていただいたが、定着することはなく、Bチームでシーズンを終えた。

そして、4年目。
念願のTOPチーム昇格を果たした。長かった。4年目にしてやっとだった。リサーチで、関東応援で、早慶戦で、3年間外から見ていたピッチに今度は自分が立つ。そのチャンスを手にすることができた。そう考えると感無量だった。そして激しいスタメン争いを経て、関東リーグを迎えた。ありがたいことに前期はかなりの試合に出場させてもらった。前期は勝ち点を順調に積み重ね、首位の期間がしばらく続いた。

しかし、主将と副将の離脱によって状況は急変した。勝てない時期が続いた。自分は代理キャプテンとして、法政大学戦、日本大学戦、東京学芸大学戦、神戸定期戦の4試合でキャプテンマークを巻いた。全敗だった。恥ずかしかったし、不甲斐なかった。もっと実力があれば結果で示すことができるのになぁ、などと思いながら、自分のミスで攻撃が止まる現実にやり切れなさを感じていた。こんなに自分の下手さを呪ったことはない。こんなに同期の”下手くそ“いじりが煩わしく思えたことはない。この時期は自分の得意な守備さえも上手くいかず、試合中の声掛け1つ取っても何が正解か分からなくなっていた。自分の力不足が最悪のチーム状況を招いていることに憤りを感じていた。

そんな中、迎えた早慶戦。当然といった流れだろうか、僕はスタメンを外れた。覚悟もしていたし、心の準備もできていた。ただ、やっぱり悔しかった。死ぬほど悔しかった。慶應らしい選手になるために、ピッチ内外の行動、準備、規律、自分が気を配れるところは常に気を配ってきた。出来るプレー、出来ないプレー、1つずつ整理して武器を磨いてきた。早慶戦当日も悔しさを押し殺し、控えの選手としてできることは最大限にやった。それでも、あの憧れの舞台に立つことは叶わなかった。試合終了のホイッスルがなった時、膝から崩れ落ちて人目も憚らず泣いた。4年として見せるべき姿ではなかったかもしれないが、耐えられなかった。労いの言葉を真っ先に掛けに行くべきだったのかもしれないが、言葉が出なかった。そうして最初で最後の早慶戦は、幕を閉じた。

ただ、僕は早慶戦を経て強くなった自信がある。
それは闘う理由が増えたから。人の想いを背負っていることを実感できたから。

早慶戦当日、1人の後輩がラインをくれた。

「Dチームからコツコツ這い上がって早慶戦のベンチに入る晋作くんの姿はみんなの見本であり、ヒーローです。」

不器用だけど誰よりも熱い心を持っている、そんな彼の想いも背負って後期リーグも戦わなければいけない。この感情は責任や重圧ではなく、もっと切迫した、欲求のようなものだと思う。僕たちはこの「誰かの想いに応えたい」という欲求をピッチ上で表現する必要があるのだ。

今、チーム状況は少しずつ上向きになってきている。僕はスタメンを外れているが、自分の立場でできることを精一杯やろうと思っている。スタメンを取るために必死でアピールするし、サブに回ったら全力で仮想敵役を演じる。試合に出ればチームのために球際で闘い、きつい時にポジティブな声を出し、アップの一歩ですら手を抜かない。なぜなら、それが慶應らしい選手の姿だと思うから。それが「誰か」の想いに報いるための唯一の方法だから。

後輩達へ。
今どんな想いでサッカーをしていますか?評価されず悶々としている人や、ひたむきに努力し続ける人、怪我に苦しむ人や、やる気に満ち溢れている人、色々な人がいると思います。それでもこれだけは忘れないでください。

どんな立場にいようとも、黄色いユニに袖を通したのなら、誰かの想いに応えるために慶應の選手らしく闘ってください。

どのカテゴリーでも、何番手でも、与えられた立場で最善を尽くして努力し続ける姿が、いつか必ず誰かの目に留まるはずです。そして、その姿が誰かに勇気を与え、その人のモチベーションや喜びに変わります。そうやって慶應の伝統や想いは繋がれていくのだと、僕は思っています。先輩達がそうしてきたように、僕らもそうしていく義務があると思うのです。

想いを背負う覚悟を決めて、走り続けてください。

最後になりますが、この場をお借りして感謝を述べさせていただきます。
ここまでの道のりは決して楽なものではありませんでしたが、多くの方々の支えがあって今の自分があると思っています。

友峰さんにはセンターバックとしての考え方から、1人の大人としての立ち振る舞いまで、多くのことを教えていただきました。テソンコーチには慶應の選手としての心構えを教わりました。伊藤トレーナーにはテーピングと治療で何度もお世話になりました。他にも多くの社会人スタッフの方々にサポートしていただきました。本当にありがとうございました。

後輩へ。
早慶戦で僕らの想いを背負って闘ってくれた後輩達、ありがとう。授業も忙しい中で関東リーグの派遣を手伝ってくれた後輩達、ありがとう。尊敬していますって伝えてくれる後輩、大好きです。下手くそっていじってくる後輩、大好きです。ボケたらツッコんでくれる後輩、大好きです。KSSの後輩達、大好きです。センターバック陣、大好きです。びっくりするくらい適当な挨拶してくる後輩、まぁ嫌いじゃないです。井の頭線ユーザー、大好きです。麻婆炒飯、1番好きです。

同期へ。
苦しんでいる時や悩んでいる時に一緒に悩んでくれたり、全部忘れるくらい笑わせてくれたり、なんだかんだ優しい同期には感謝しています。特に、範馬、テレビマン、一浪一留、ジャンピングゴリラ、ビクト、加藤翔生太、ジンマ、カピパラ、ワンショット、「すりすり」ニキ、コックさん、シーザークラウンら辺にはお世話になりました。こうやって見ると問題児ばかりですね。最後1ヶ月半やり切りましょう。

両親へ。
14年間自由にサッカーをやらせてくれて本当にありがとう。
母さん。サッカーで落ち込んだ時はいつも「生きていてくれればそれで十分。」とよく分からない慰めをしてくれたけど、しぶとく生きているので安心してください。雨の日の送り迎えをしてくれたり、朝練がある度に毎回起きてくれたり、本当にありがとう。
父さん。気にかけてないようでめちゃくちゃ気にかけてくれていて嬉しかったです。ありがとう。

さて、もう引退かのようなブログを書きましたが、あと1ヶ月半弱、8節分の試合が残っています。最後に笑えるように、一歩に拘って悔いなく走り抜けたいと思います。

明日のブログ担当は西川陸斗(4年・東京武蔵野シティFC U-18/慶應義塾高)です。何をさせても周りに天才と言わしめる程の才能を持ち合わせ、誰からも好かれる気さくな性格の持ち主の彼。脛当て代わりにダンボールを使って怒られちゃうようなお茶目な一面も持ち合わせていますが、そんな愛くるしい陸斗にバトンを繋げることができて嬉しいです。最近は何かと忙しそうであまり深い話が出来ていないので、ブログでどんな想いを綴ってくれるのかとても楽しみです。乞うご期待!

《NEXT GAME》
10月8日(土)関東リーグ戦 第16節vs 青山学院大学 @非公開 11:00キックオフ

山中合宿を終えて(TOPチーム)

2022.09.06

こんばんは。

日増しに秋の深まる気配を感じます。皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。

9月3日を持ちまして、TOPチームは4泊5日の山中合宿を終えました。
本ブログでは、4日目以降の様子をお伝えさせていただきます。TOPチームの3日目までの山中合宿の様子につきましては、こちらをご覧ください。

4日目は、朝から天候に恵まれず肌寒い一日となりました。午前はB1チームとの紅白戦を行い、廣田尚(4年・暁星高)のゴールによって1-0と勝利を収めました。また、2日目に行った紅白戦よりも両チーム共に意地とプライドをかけた試合のように感じられ、山中合宿を経て成長した個々の忍耐力やチーム力が存分に発揮された試合となりました。

午後のサーキット練習でもチーム全体で声をかけ合いながらハードなメニューにも取り組み、練習の最後には自主練習を行いました。

最終日は早朝に山中合宿3回目のクロスカントリーを行いました。合宿の疲労も溜まってきている中でも大半の選手が2回目のタイムを上回る結果となり、選手の顔には達成感と自信も見られました。合宿最後の練習ではセットプレーの確認や自主練習を行いました。

早朝練・午前練・午後練の3部練を全員でこなす日々は想像以上にハードなものでしたが、チーム全員で乗り越えたこの山中合宿は今後のソッカー部が慶早戦、後期リーグを勝ち抜いていくための確実な糧となったことと思います。
小室会長をはじめとするOB・OGの皆様、社会人スタッフの皆様のご支援の下行われた本合宿は、競技力向上のみならず環境への感謝やチーム・仲間を互いに鼓舞し高め合う姿勢など部員全員にとっての新たな成長の機会となりました。
山中合宿にご尽力いただいた全ての関係者の皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

今週末に迫った慶早戦では2連覇を目指し、関東リーグでは1部復帰に向けチーム一丸となり、強いソッカー部を体現出来るよう精進して参ります。山中での厳しい練習を乗り越え、競技力・チーム力共に大きな成長を見せた選手たちに温かいご声援の程何卒宜しくお願い致します。

今後共、ソッカー部へのご支援ご声援の程宜しくお願い申し上げます。

文責 大嶽真恋

《NEXT GAME》
9月10日(土) 第73回早慶サッカー定期戦-早慶クラシコ-presented by アミノバイタル®︎
@味の素フィールド西が丘 18:00キックオフ


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