オフィシャルブログ

「金ピカ」(金子和樹)

2022.10.15

平素より大変お世話になっております。瀬賀凜太郎からバトンを受け継ぎました、環境情報学部4年、金子和樹です。
入学から多くの時間を過ごしている瀬賀ですが、彼の全てを理解するにはもう少し時間が必要です。それほど、不思議な男です。おそらく瀬賀自身、自分のことを理解しきれていないと思います。僕が知っているのは、義理人情に厚くて、何事にも真っ直ぐで、SEGAに預けりゃ心配いらなくて、サウナ・スパ健康アドバイザーの資格を持っていることくらいです。結構知ってました。やはり、彼なしでは僕の4年間を語ることはできません。辛い時、嬉しい時、色々な時間を共有してきました。卒業してからも長い付き合いになりそうです。 瀬賀との話はこの辺までにして、ブログの方に移りたいと思います。

普段ふざけている先輩が真面目に書く卒業ブログを楽しみにしていた僕ですが、いざ自分が書こうとすると、色々なことが頭を駆け巡って何を書けば良いのか困っている次第です。自分の4年間を振り返ってみると、常に「金ピカ」を探しながら、それを求める旅でした。僕はかなりの漫画・ アニメ好きなのですが、1番好きな作品は宇宙兄弟です。作中に出てくる言葉で、「今のあなたにとって、1番金ピカなことは何?」というものがあります。これは、自分がやりたいことに対して勇気が出ない主人公に向けられた言葉です。僕も、何故ソッカー部に入ったのか、何を成し遂げたいのか、色々な金ピカを探してきました。4年間を通して、何か大きなことを成し遂げられたわけでもなく、後輩たちに誇れるような先輩になれたわけでもないかなと思います。そこに明確な答えはないかもしれませんが、「金ピカ」を追い求めたその過程を、自分の言葉で綴らせていただきます。 大学の4年間で多くのことを経験させてもらいましたが、今回は、主に2つのことに触れながら4年間を振り返りたいと思います。自分勝手な文章になっているかと思いますが、どうかお付き合いください。

<Iチーム>
「金子和樹、明日からIで。」

2年の夏前、カテゴリー戦の後、全体集合で友峰さんが放ったこの言葉を今でも寸分の狂いもなく頭で再生することができる。当時4カテゴリー編成だったソッカー部において、Iチームは1番下のカテゴリーだった。頭が真っ白になり、どんなに降格の理由を聞いても納得することができなかった。高校で引退しようと考えていたサッカー、このままでは終われない、そんな思いでソッカー部の門を叩いた。TOPチームで活躍することを目標に活動していたが、なかなかTOPチームに上がれない状況に焦りを感じていた時、Iチームへの降格を告げられた。頑張るしかない、落ち込んでも仕方がないと頭では理解していても、その考えとは裏腹に自信を失っていく自分がいた。周りの同期や先輩が色々な言葉を掛けてくれたが、上を目指すモチベーションを失ったまま長い時間を過ごしてしまった。そして、いつしかTOPチームの試合で活躍する自分の姿を想像できなくなっていた。

自分への期待を失ったのはいつだろう。
Iチーム降格を告げられた時か。一緒に降格したましろが昇格した時か。この部活でお前は幸せになれないと先輩に言われた時か。自分が下手になっていることを自覚した時だろうか。

明確なタイミングなんてない。少しずつ、でも確実に僕は腐っていった。今思えば、本当に情けない。自分の評価を他人のせいにして、外にばかりベクトルを向けていた。当時、一緒にプレーしていた選手たちには本当に申し訳なく思う。選手としての評価を下げただけでなく、人としての振る舞いも間違っていた。
部活辞めようかな。そんな時だった。グラウンドマネージャーを決める時期が来た。
グラマネに選ばれれば、選手を辞めるという大きな決断をしなければならない。当時の僕たちは、ふさわしいと思う選手に投票していく形で決定することになった。自分でも覚悟していたが、案の定、僕には多くの票が集まった。12票。 ここでサッカーを辞めよう。引退してチームのために動こう。そんな思いが頭をよぎった。しかし、同期とのミーティング、対話でも選手を続けたいと言っている自分がいた。思い返してみても、なんで続けたいと宣言していたのかわからない。諦めきれない自分がどこかにいたのかもしれない。最初はなんとなくサッカーを続けたいと言っていたと思う。しかし、信頼する同期の前で宣言したことで、自分でも何かを変えなきゃいけないと思うきっかけになった。1対1で行われる対話で、お前が選手を続けたいならそれを応援したいと言ってもらった時、今からでもTOPチームを目指せると言ってもらった時、そして何より、秀太にグラマネをやると伝えられた時、絶対に諦めないと決意した。自分に期待してくれている人がいる、大きな決断をしてくれた人がいる。当時の自分にとっては、十分すぎる原動力となった。
そこで導き出した答えがフットサル部への入部だった。

<C2・フットサル>
2年の終わりにフットサルとの兼任を決めた。選手としてソッカー部に貢献するためにはもっとレベルアップしなくてはならない。そんな思いで入部した。しかし、3年生に上がってすぐにサッカーとフットサルのどちらかを選ばなければならない状況になった。サッカーを選べばフットサルはできない。フットサルを選べばサッカーはプレーできるが、1番下のカテゴリーで活動することになる。 めちゃくちゃ迷った。上を目指す決意をした手前、フットサルを選ぶことは正しい選択なのだろうか。サッカーを諦めることにならないだろうか。
悩んだ末、僕はC2・フットサルとして活動することに決めた。このままサッカーを続けていても、今までと同じことになってしまうかもしれないと考えたからだ。また、周りの人たちの力も大きい。瀬賀や天風はグラウンドで会う度に誘ってくれた。四戸さんには、絶対に後悔させないという言葉を頂いた。当時の僕にとっては、誰かに必要とされていることがとても嬉しかったのだと思う。たとえ遠回りだとしても、TOPチームへの道を諦めることにならないと考え、兼任を決意した。実際、C2・フットサルは僕を何倍も成長させてくれる環境にあった。サッカーでは、 学生コーチである横幕と自分たちらしい戦い方を模索する日々。フットサルでは、基礎の基礎から教えてもらい、毎日が新鮮だった。最初のフットサルの練習では、人が少なすぎて2対2すらできなかったことを覚えている。今までは、グラウンドに来れば練習を考えてくれる人がいて、言われたメニューに取り組んでいたが、与えてもらった環境の中で、最大限努力することの重要性と楽しさを学ぶことができた。これは、年間を通じて何度も友峰さんからご指摘を頂いた部分でもある。「サッカーとフットサル、どちらもできる環境は当たり前じゃない。多くの人の協力なしでは成り立たない。それに報いる義務がある。」カテゴリーや部を取り巻く環境にまで目を向けたことで、自分たちがいかに恵まれているのかを理解した。人間的にも大きく成長することができたと思う。 チームとして、Iリーグでは納得のいく結果が得られなかったが、関東大学フットサルリーグを制覇し、チャンピオンシップへの切符を掴んだ。最終的には全国準優勝という結果に終わってしまったが、全く悔いはなく、人生で最も充実した1年になった。負けてしまった全国大会決勝も、このメンバーで戦うことはもうないんだなと思うと、負けてしまった悔しさより、心に穴を開けられたような感覚があった。名残惜しいと思う程、僕たちは本気だったし、かけがえのない時間を過ごすことができた。
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Iチームでの経験、C2・フットサルでの経験から多くのことを学ぶことができた。4年になり、フットサルからは離れサッカーに専念することになった。B1で始まった最後のシーズン。B1のIリーグに2試合出場した段階で、TOPチームの練習試合に呼ばれ、翌週から関東メンバーに登録された。

3年間。長かった。ようやくここまで来た。沈んだ時期もあったし、遠回りもした。やっと、やっと辿り着いた。

関東リーグ第8節、vs東京学芸大学、25分の出場。初めての関東リーグ。
不思議と緊張はなかった。自分ならできるという自信があった。
後半38分、クロスが上がる。ボールがこぼれる。無我夢中に右足を振り抜いた。
狙い澄ました僕のポテポテシュートがゴール左隅に吸い込まれていった。
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ありがたいことに現在でもTOPチームでプレーさせてもらっている。関東リーグの舞台でプレーするチャンスも何度も頂き、当初の目標を達成できる環境があることを嬉しく思う。それでも、現時点でチームの勝利に不可欠な選手にはなれていないと思う。メンバー外になったり、 ベンチを温める生活が続いている。でも、自分が試合に出ても出なくても、メンバーに入っても入らなくても、やることは変わらない。TOPサブでは敵役を全うし、チャンスが来たら勝利のためにプレーする。 何も諦めていない。残りの試合もスタメンで出場するために全力でプレーする。前線の後輩たち、僕はどこでもできるのでみんな最後までバチバチ宜しくお願いします。

まず、ここまで読んでいただきありがとうございます。僕がこの体育会ソッカー部で学んだことの1つが、歩み方や考え方の多様性です。ソッカー部には色々な人がいます。背景も異なれば、目指す場所が違う人もいます。多くのカテゴリーでプレーした経験や、サッカーとは違った視点でプレーした経験が、大勢の面白い人に引き合わせてくれました。みんな目標があって、成し遂げたいことがあって、それぞれの「金ピカ」を追い求めています。やはり、そこに正解はないし、色々な形があって良いと思います。苦しい時、投げ出したい時もあるでしょう。そんな時、自分が描く金色の輝きを見失わないことが重要だと思っています。最後に、この文章を読んでいる後輩たち、そして全ての人に問います。

今のあなたにとって、1番金ピカなことは何?

同期へ
まず、みんなの言葉がなかったら部活を続けていなかったと思います。いつもはかなり際どいイジリをしてきますが、優しい同期たちには本当に感謝しています。人に興味がない。みんなは僕にそう言いますが、そんなことないです。みんなのこと、大好きです。みんなと部室でふざけるのが好きです。風呂で盛り上がるのが好きです。一緒にプレーするのが好きです。抱きつかれるのはちょっと嫌いです。普段感情をあまり表に出さない僕の言葉に涙する同期たちが思い浮かびます。 残り少ないですが、全力で走り切ろう。

両親へ
色々なことで本当にお世話になりました。書けば書く程伝えたいことがまとまりそうにないので、これだけ。
2人のおかげでここまで続けることができました。ありがとう。

次の担当は岡田舜立(4年・North Shore Mariners U20/Redlands)です。出会った頃は日本語の使い方で散々な目に遭っていましたが、今ではその話術で多くの女性を口説き落としているとか、いないとか。今のところ、部室でそのコミュニケーション能力は発揮されてませんが、同期から指摘されることはそろそろなくなるんじゃないかなと思います。1番好きなプレーは前線からのプレスとかいうかなり変わった男ですが、1人では帰れないかわいい一面もあります。寂しがり屋で仲間思いな岡田が書くブログ、どんな想いが綴られているのか楽しみです。乞うご期待!

《NEXT GAME》
10月16日(日)関東リーグ戦 第18節vs 城西大学 @非公開 11:00キックオフ

「偶然」(瀬賀凜太郎)

2022.10.14

平素よりお世話になっております。総合政策学部4年の瀬賀凜太郎です。
テルからバトンを受け取ることは、やはり腐れ縁を感じます。テルのブログにもあった通り、出会いは幼稚園に遡ります。長い髪の毛、太い眉毛、かつてのテルはロック・リーでした。(ナルトから失礼します) 今の風貌はほとんどマイト・ガイですが、中3の時点で貫禄が凄まじく、無口かつ険しい顔から、厳しい店の寿司職人とあだ名をつけたことも今となっては良い思い出です。大学生になって、テルがはま寿司でアルバイトを始めた時は少々驚きましたが、どことなく安心感がありました。

1年生の頃から一緒にいることが多すぎて3兄弟と呼ばれていた輝、私、金子もついに最終学年を迎え、ついに卒業ブログを書く立場になってしまいました。いや正確にはお父さんと兄弟でしたね。そろそろ本題に移ります。

「個人のキャリアの8割は、偶然の出来事によって決定される。これを計画的偶発性と言う。多分今君たちがCチームにいるのも、ここでフットサルを経験するのも、計画していたものではない。でもこの偶然を活かすのか活かさないのかで君たちのキャリアは大きく変わると思う」
今年のシーズンインでフットサル部門の監督である宮川さんがおっしゃった言葉。
私は2022シーズンを一番下のカテゴリーでスタートした。

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大学1,2年次はただサッカーをすることに必死だった。苦しくても死ぬ気で食らいついた。チャンスは掴みきれなかったものの、何度かTOPチームでプレーする機会も頂いた。
迎えた3年目、TOPチームに入ることができた。これからの活躍への決意とどことなく安堵感を抱え、毎日練習に行くことが楽しみだったことを覚えている。しかし、徐々に歯車が狂い始める。できるはずのプレーができない。練習のハードさとレベルの高さに「自分のしたいサッカーじゃない」と正当化を始める始末。神様は見ているのか、そんな時ちょうど脳震盪になり、しばらくプレーができなくなる。

私の繋いできた思いはここで完全に切れた。自分の弱さを受け入れることができず、向き合うことを避け、個人の利益しか考えられない弱さが出た。大きな挫折を味わい、部に自分自身の存在価値を見出せなくなった時、思い出したのは、1年生の頃から私の可能性を信じ続けてくれた当時のフットサル部門監督の四戸さんだった。

思えば、ただ逃げ出したかったのかもしれない。
弱い自分に存在価値を見出せなくなった末に出した答えは、誰かのためにプレーをすること。
TOPチームの選手がソッカー部という大きな組織のためにプレーしている手前、非常に情けないが、大学生活で初めて四戸さんのために本気で戦いたいと強く思った。
自分のサッカー人生を懸けて、四戸さんと共に悲願の日本一を達成したいと思った。
そんな思いから、フットサルとサッカーの二刀流を選択した。

序盤こそ上手く行かなかったものの、徐々に軌道に乗り、スタイルを確立し始めた。サッカーではフットサルでの感覚を活かした狭いエリアの崩しやビルドアップで優位性を作る。フットサルではサッカーの感覚を活かした大胆な仕掛け。自分たちなりの二刀流の答えを出せるようになった。チームとしても、大将、輝、金子が背中で見せ、夏輝や天風、雄介、今西が声を出し、晴はバテて、快は舐められる。守護神隆の存在感。(石川は速い。)過去最強だと密かに思っていた。

そして最後の全国大会、決勝の舞台に立つことができた。相手は過去に1度も勝ったことのない大阪成蹊大学。結果は残り25秒で失点し、4-5の敗戦。試合後、ひたすら泣いた。普段感情を表に出さない輝や金子が泣き、決勝戦に絡むことができていなかった下級生も泣いていた。ホテルの前で四戸さんや宮川コーチ、当時のメンバーと名残惜しさにみんなで残って話し続けたあの時間は一生忘れない。勝ち負けと同じくらい大切なものを手に入れた。

その時感じたことは、この選択をして良かったということ。結局サッカー人生を懸けて挑んだ挑戦の最後の一歩は届かなかった。だけど、自分の中で明確に変化があった。

それは、誰かのために戦うことの大切さを痛感できたこと。

最初は四戸さんのためにという思いでプレーしていた。しかし、本気でサッカーに、フットサルに取り組む中で、みんなのことが大好きになり、できる限り長くこのチームでプレーしたいと思った。そう思えば思うほど、周囲の選手と密接にコミュニケーションを取るようになり、強く要求できるようになった。いつの間にか、みんなのために戦うことが自分の糧になった。訳あって早めに始めさせてもらっていた就活でたくさん迷惑も掛けたけど、みんなのおかげで変わることができた。

今まで足りないと言われ続けた組織への犠牲心は、チームへの強い思いが源。そしてそのチームへの強い思いは、個人として本気で働きかけ、チームの良いところを探し、悪いところを修正しようとすることで醸成される。

かなり遠回りしたけど、気付けて本当に良かった。

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ここで今年の甲子園で、元プロ野球選手の斎藤佑樹選手が綴った言葉を紹介したい。

「これから先、グラウンドでもグラウンド以外でも、君をいろんな出来事が待ち受けています。僕のように、不安だらけの時期を過ごし、挫折を味わうこともあるかもしれません。それでもなんとか前を向くために必要なもの。それは、記憶だと思います。過去の栄光、だなんて言われることもあるけれど。最後まで闘い抜いた記憶は、未来を生きる大きな力になります。なんて、大舞台がすぐそこだって時に、先の話なんてされたくないか。この夏、いちばん速い球を投げるのは、君じゃない。いちばん熱い球を投げるのが、いちばん強い球を投げるのが、なんだかいちばん凄い球を投げるのが、君であってほしいと思っています」

挫折だらけの大学生活だった。サッカー人生を懸けて叶えたかった全国制覇も叶わず、早慶戦や関東リーグで活躍する理想とは程遠い現実になってしまった。現在所属するB2でのIリーグ昇格も選手としてTOPチームで活躍することも厳しくなってきた。
だけど、挫折してフットサルを選択したことでチームへの貢献の仕方を知った。足りないと言われ続けた犠牲心を見つけることができた。

多分色々な偶然が重なってこれからの自分を作る。挫折したことも、フットサルを選択したことも、思い描いた理想とかけ離れていた現実も、シーズンインをCチームで過ごしたことも、もしかしたら偶然なのかもしれない。苦しんだ自分が報われる方法はただ1つ。この偶然から未来の必然を作り出すこと。

大学サッカーで花を咲かせられなかった自分だからこそ、もうこんな思いはしたくないと一歩踏ん張れる自分に。
挫折して良かったと言える自分に。
目立たないし、全然かっこよくないけど、なんだか瀬賀にしか届けられない言葉だよねって言ってもらえる伝え手になるために。
もがいた4年間の記憶を信じて走り抜けます。

B2のみんなへ
もっとみんなとサッカーがしたい。でも俺らで戦えるリーグ戦は残り2試合。
練習を作ってくれている創太のために、支えてくれている秀太のために、全員でやろう。絶対に勝って終わろう。
雄大、テル、こーろー、最後4年の意地見せようね。
高校の時敬語だったのに、今となっては「せが、黙れ」と言ってくるようになってしまった竹内。鈴木家の意思を継ぐたか、年上なんだか年下なんだか分からないナナサ、モアイ像古川、3年はこんなもんかな。あ、足が速い石川。(石川には人を惹きつける魅力がある。スタッフとしても選手としても輝けるから自信持って!)
来年どんな立場になってもチームを優先して引っ張れる存在になってください。

1,2年生は未来の慶應を作る存在になる。そんな自覚と責任を持ってプレーしてね。ギーマチや鬼丸から、「え、瀬賀くんがそんなこと言うの?」なんて声が聞こえてきそうなのは置いといて。
みんななら大丈夫。俺が耐えきれなかったものは、みんななら軽く乗り越えてしまうかな。
特にトモキ!本当に悩める天才なんだから。尖ってないでちゃんと声出しなさい。個人的にすごく好きな選手だから、これからの活躍を楽しみにしています。
みんなずっとずっと応援してます!残り少し、走り抜けましょう!

同期へ
いつもいつも迷惑を掛けてすみませんでした。特に就活。練習を休んでしまっても頑張れと言ってくれるみんなの声が本当に支えでした。本当にありがとう。会食禁止でなかなかご飯に行けず寂しいです。いつか必ずみんなでご飯行きましょうね。

次の担当は金子和樹(4年・國學院大學久我山高)です。
ワシャワシャとカピバラのように笑うドロの横で、何故彼は高3の2月にこんなに日焼けしているのだろうと疑問を抱いていたのがつい最近のようです。そんな金子とすぐに仲良くなり、僕の4年間は彼とテルなしでは語れない程の仲になってしまいました。君は2人で取った伝説の授業を覚えていますか?睡魔に負けてしまっている私に、小テストの存在をテスト終了の10秒前に知らせ、焦る私を見て爆笑していたことを。とんでもない難易度の授業から離脱したテルの悲しそうな目を。すみません、内輪ネタが過ぎました。
炎タイプ、弱点は風。好きな食べ物はくるくるバタースコッチ。車の運転と笑いのセンス◎。捻くれているように見えて、誰よりも仲間思いな彼の熱いブログ、楽しみで仕方がありません!

《NEXT GAME》
10月16日(日)関東リーグ戦 第18節vs 城西大学 @非公開 11:00キックオフ

「距離感」(若月輝)

2022.10.13

平素より大変お世話になっております、総合政策学部4年の若月輝です。

ナツキ紹介ありがとう。少し訂正させていただきます。22歳独身です。
現在はB1で奮闘する彼ですが、シーズン当初はB2でキャプテンを務めておりました。試合後の締めの言葉をどうしようかと相談されていたのが懐かしいです。キャプテンという役割がナツキの普段見せない真面目な部分を引き出していた気がします。ですが、リスク管理能力は是非見習ってください。

入部当初から4年生いじり、おじさんいじりを受け、毎年この時期になると先輩方から「卒業ブログ楽しみにしているよ」「一緒に卒業だな」と声を掛けられていた私が、本当に卒業ブログを書く側になっているということに時の流れの速さを感じます。いじっていただいた先輩方、元気にしているでしょうか。本当に卒業する番になりました。

私の大学4年間で起きた出来事とその時の感情、ありのままの私が伝わる内容になればと思います。興味のある方は是非最後までお付き合いください。

幼い頃から周囲が何を考えているかを気にするタイプだった。
友人と親しくなっても、一定の距離感を保って接していることが多かった気がする。
4人兄弟の4番目、歳の離れた姉と兄がいたことも影響しているのか、子供っぽくなかったのかもしれない。

サッカーを始めた理由は兄の影響と単純に好きだったから。けれど得点をしたり試合に勝ったりすることよりも、それを見て喜ぶ両親の姿を見るのが好きだった。誰かの期待に応えることが嬉しかった。

自分のために頑張ることよりも誰かのために頑張ることを好む、私はそういう人間だった。

大学2年・Zチーム

「4年生のために頑張る」まさにこれに尽きるシーズンだった。

チームを牽引する4年生の姿は偉大だった。先輩後輩の距離を全く感じさせず、ピッチ内の雰囲気からピッチ外のコミュニケーションまで、非常にお世話になった。チーム一体となって勝利に向かう、全員がチームのために動く、サッカーの中で最も必要で難しいことが体現されていた気がする。そんな先輩方の姿を見て頑張れないわけがなかった。

このチームで私は多くのIリーグをスタメンで出場させてもらった。ひたむきに練習に取り組む先輩を見ていると、「俺が出ていいのか?」と思うことも沢山あったが、そういう先輩に限って「頼むぞ」と試合前に声を掛けてくれる。本心だったのか悔しさを抑え込んでいたのかはわからないが、先輩のこの言葉は気合いを入れるスイッチになっていた。

Zチームとして最後となった公式戦、その日も私はスタメンで出場させてもらった。とにかくチームのために、4年生のために走った。自分にできることを最大限出し続けた。延長戦に入り、試合中に副審で泣いている真聖を見て気付かないふりをした。

しかし結果は虚しくも敗戦。号泣する4年生を前に言葉が出なかった。泣いてはいけないと感じた。もっと自分にできることがあったかもしれない。しかしそんな私の気持ちに気付いたかのように「お疲れ様、ナイス」と声を掛けられた。最初から最後まで4年生の背中は大きかった。

誰かのために頑張ることの楽しさ、難しさを改めて感じたこのシーズン。4年生の先輩方ありがとうございました。そしてこれからも宜しくお願いします。

2021年1月18日〜2021年5月7日。

私が大学生活でサッカーから離れた期間だ。コロナとは関係なく自ら距離を置いた。
理由は様々あるが「自分にとってサッカーとは何か」を考えた末に出た決断だった。

きっかけは姉からの電話。コロナが蔓延していたこともあり年末年始の帰省は控え、1人で年越しをしていた時のこと。今年は会えないからと電話をくれた姉と話していると何故か涙が溢れてきた。1人で抱え込んでいた不安や悩みが吐き出されるかのように話す自分に、姉は落ち着いて聞いてくれた。
「一度サッカーから離れてみたらどう?」
私の気持ちを察するかのようなこの言葉がサッカーと距離を置くきっかけになった。

監督に話を伝えにいくと快く承諾していただき、しばらくの間チームを離れ実家の方に戻った。
離れて1ヶ月は全くサッカーに触れなかった。というか触れたくなかったのが本音である。朝起きてダラダラとテレビを見たりフラーっと外を歩いたり、家でボーッとする生活は精神的に自分自身と向き合い、心を落ち着かせる時間になった。同期からの連絡にそっけない返信をし、「俺ってサッカー辞めるのかな」と他人事のように考えていた。まさに無気力であった。

「やりたくないことはやらなくて良いよ、自分がやりたいことをすればいいさ。まあ俺はもったいない気もするけどね」

実家にいる私に父親が掛けてきた言葉だ。直接は言わないものの辞めて欲しくないという気持ちが十分に伝わる言葉だった。幼い頃から応援し続けてきてくれた親からの言葉。3歳から始めたサッカー、誰かのために頑張り続けることで満足していた自分に対して、自分自身の楽しさを見失っているのでは?と気付かされたような気がした。
自分の頑張りで両親が喜ぶ姿を見ることが好きだった私は「サッカーで誰かのために」と変な使命感を感じていたのかもしれない。ただひたすらに頑張り続けることで生まれたこの使命感がサッカーと自分を引き離さないようにしていた気がする。それも自分の勝手な思い込みで。

大切なものは失ってから気付くと言うが、私は距離を置いたことで気付いた。

私には誰かのためだけでなく、自分のためにも頑張れるものが必要であり、それがサッカーであること。
これまでに全力で打ち込んできたもの、それはサッカーしかなく、そのサッカーから離れるわけにはいかないこと。幼少期からサッカー一筋で、サッカーから離れた自分に他の選択肢は考えられなかった。
あの時、私はサッカーから「離れなかった」のではなく、「離れられなかった」と今でも思う。

私はまたサッカーに戻ると決めたものの、なかなか行動に移せなかった。
再開してもまた以前みたいに楽しさを感じることができないかもしれない、この選択は果たして正しいのか。
極度の心配性な私は先のわからない不安を考える天才であると自覚している。もしかしたら〜と考えたらキリがない。そんな自分が自ら行動を起こすことは簡単ではなかった。
いつ戻ろう。どんな顔をして戻ろう。サッカーから離れる期間が伸びれば伸びる程心配は増えていくばかりであった。

そして迎えた4月。関東リーグが開幕し、チームは本格的にシーズンが始まっていた。
その頃の私はというと、授業開始に伴って実家から戻ることになっていた。そう、戻らざるを得なかったのだ。学校という強制的な理由によって私は行動を起こすしかなかった。今考えれば授業に感謝である。

しかし、戻ったもののまだチームには帰らなかった。場所が変わっても感情の揺らぎに変化はなく、グラウンドが近くにありながらもサッカーとは距離を置いた状況となっていた。
戻ってからしばらくして監督の方から連絡があり、「話をしたいから一度下田に来てほしい」と言われた。久しぶりに行く下田には変な緊張感があり、みんなに会うのが怖かったことを今でも覚えている。
監督には、戻る意思はあること、まだ決断できていないことなどを正直に話し、再度時間をもらった。

数ヶ月ぶりにグラウンドで会ったみんなに言われた言葉は「え、太った?」「え、輝じゃん」がほとんど。驚くわけでもなく、この絶妙な距離感がその時の私には嬉しかった。入部したての1年生には変な目で見られたが、みんなの変わらない接し方はサッカーに戻る自分の背中を後押ししてくれたと感じる。

そして久しぶりの下田から約2週間後、私はチームに戻ることになる。
きっかけをくれたのはまさかのマネージャー、同期の大嶽真恋。確か授業に必要な教科書かプリントかを受け取りに行った時のこと。軽く立ち話をしていた時に言われた「どうせ戻るなら、とりあえず戻っちゃえばいいじゃん」この一言だった。

見えない先のことを心配していても意味はない、今できることをやってみよう。ただそれだけのことが私には足りなかったのだ。自分のために今できること、それはいち早くサッカーを再開することだったと今ならわかる。
決断した翌日、監督に復帰の意思を伝え、時間を掛けながらではあるがチームに戻ることの許可を頂いた。
こうして、私は一度距離を置いたサッカーに戻ることになった。

長期間サッカーから離れたにも関わらず、またサッカーに戻ることができたのは様々な人のお陰であると身を染みて感じます。この場を借りて感謝を伝えさせてください。本当にありがとうございました。

サッカーから離れて良かったかと言われれば正直わからない。しかし自分にとってサッカーがどういう存在であるのかを認識することができたと捉えれば、サッカーと距離を置いたあの時間は良い期間だったと言える。
誰かのためだけでなく、少しでも自分のためにも頑張れるようになっている今の自分があるとすれば、あの期間は無駄ではなかったと信じたい。

4年目の現在、私はB2に所属している。
正直、入学当初に思い描いていた4年目ではない。しかしサッカーと距離を置いていたあの時から考えれば、またサッカーと向き合い、楽しみながら打ち込めていることは嬉しい要素だ。

さらに、B2の4年としての役割もある。
私はB2の後輩から見て、どのように見えているだろう。どのような距離感に位置するだろう。
あと残りの期間でB2に何を残せるだろうか。思考か。プレーか。はたまた姿勢か。
まだ間違うこともあるけど間違いなく良い変化をしている雄大、最近疲労が取れないと嘆く瀬賀、B2の愛され浪人こーろー、頼りない4年かもしれないけど、残りの期間必死に頑張ろう。
B2には生意気だけど向上心のある後輩(ブログに、名前を出してとうるさいタカとか石川とか竹内とか)が沢山いる。何でも良い。少しでもみんなのプラスになることをしよう。
きっとそれが誰かのためにも、自分のためにもなるはずだから。

同期のみんな
個性的な同期のお陰で世界の広さを知りました。副務決めでの出来事、長期間の休部などがあった自分が4年間やり続けられたのは少なからずみんなのお陰だと思います。本当にありがとう。

日記のようなブログになってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。後輩に何か伝えられるような立場でもないので、このブログを読んで何か感じてくれる人が少しでもいたら嬉しい限りです。まとまりのない文章でしたが、感想のある方は是非自分まで。

これまでとは違う経験をした大学サッカー。全ての出来事をひっくるめて最後全力でやり切りたいと思います。

明日のブログ担当は、瀬賀凜太郎(4年・桐蔭学園高)です。
彼にバトンを渡すことになるとは感慨深いです。私と彼の出会いは幼稚園。小・中と同じチームに所属した彼と大学で再会するとは非常に驚きました。長い付き合いの私から見るに「常にギリギリを攻める」そんな男です。起床時間、課題提出はもちろんギリギリがベースで、何度も私のリスク管理によって防いできました。決まって言うセリフは「まあいけるっしょ」。つい最近、2年以上在籍しているゼミの教授に「サセくん」と呼ばれていました。「瀬賀」を超えるクセの強さでした。きっと私のことを可笑しくいじっているブログ期待しています。

《NEXT GAME》
10月16日(日)関東リーグ戦 第18節vs 城西大学 @非公開 11:00キックオフ

「本気のガッツポーズ」(藤井夏輝)

2022.10.12

平素より大変お世話になっております。
学習院が産んだボスゴリラ、大学に入り何皮も剥けまくった古川紘平からご紹介に預かりました、商学部4年の藤井夏輝です。
彼とはお互い浪人生だったため、身体を取り戻すために練習終わりによく2人で筋トレをして高め合っていました。また、彼はいじられ好きなので、これからもいじられて喜んでいる紘平を引き出していきたいと思います。
早く怪我を治してください。また一緒に試合に出ること、そしてどんなボールも収める頼もしい紘平の姿を見られることを楽しみにしています。

紘平の話はこの辺にして、とうとう卒業ブログを書く側になってしまいました。パソコンを目の前にして、とても感慨深い気持ちで胸がいっぱいになっています。
普段、自分自身が考えていることや想いを周りに伝えることはあまりないので、18年間のサッカー人生を締め括るブログとして目一杯綴ろうと思います。
長く纏まりのない文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

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高校時代、私は練習中に敵の股を抜いてグラウンド中に笑い声を響かせていました。身体を張るなんてダサい、サッカーは上手さ、技術でしょと思い、毎日の練習を楽しんでいました。しかし、やり切ったという感情は全くなく、サッカー人生をこんな気持ちで終わらせたくないと思いました。高校時代の悔しさを晴らすため、そして憧れの早慶戦に出場することと、大学フットサルで全国制覇を成し遂げるという目標を掲げ、1年間の浪人を経て、ソッカー部の門を叩きました。

1年生。
浪人1年間のブランクはかなりの衰えでした。入部当初、練習後の自主練でシュートが枠に1本も行かず、一緒に練習していた同期に笑われていました。内心、自分がこんなにもできないことと同期の一部の人たちのいじりにムカついていました。(笑)ただ、衰えが戻ってから、ようやく公式戦で活躍できるようになり、毎試合がとても楽しみでした。

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2年生。
人生初のCBにコンバートされ、ロングボールの供給が上手くいきすぎて、白ファンダイクというあだ名を同期から頂きました。
しかし、2度の粗相と怪我でカテゴリー降格を告げられました。Sチームが勝っても心から喜べていませんでした。あの時はチームや周りのことに興味がなく、本当に幼稚だったと思います。

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3年生。1番変化のある年でした。
まず、サッカーとフットサルのどちらかを選ぶことになり、昨年度、日本一まであと一歩の舞台に立てない悔しさと先輩方に託された全国制覇への想いを胸に、フットサルを選択しました。絶対全国優勝してやると心に誓いました。
それから下田で5人+3ゴレイロで夜練習をし、週末はOBの方々と紅白戦をする日々。これからどうなっていくのだろうという不安と期待を胸に日々を過ごしていました。

2021年5月29日のIリーグ。
右膝前十字靭帯を断裂。全治8ヶ月以上、完全に復帰できるまで最低8ヶ月と診断されました。

診断された瞬間、言葉を失い、涙が出てきました。涙でぼやけた目で、お医者さんと看護師さんが言葉に詰まり可哀想という表情で私を見ていたのを今でもハッキリと覚えています。
インカレ都予選まであと1週間なのに、全国制覇するための第一歩なのに、怪我で1年無駄にするのかよ、、、
現実を受け入れられなかったし、フットサルを選択しなければ良かったとまで思いました。
今まで常にボールと共に過ごしてきて、フットボールの目標が人生の目標でもあった私にとって、人生を生きる意味が分からなくなってしまいました。

それでも日を追うごとに、徐々に復帰に向けて頑張ろうと思えてきました。
フットサルを選択し、全国大会出場に向けて必死に頑張るフットサルメンバーの姿、
試合に出場し、活躍する同期の姿、
「絶対に全国に連れていきます。」
と熱いリーダーシップを示す四戸さん、
常に冷静沈着にアドバイスをする大史コーチ、
裏方を経験したことでチームを引きで見れるようになり、試合のために陰で色々な準備をするマネージャー、グラマネ陣の姿、
憧れのプロサッカー選手である久我山のレジェンドが同じ病院でリハビリしている姿、
ちょっとした進歩でも褒めてくれるリハビリの先生、
様々な人の一生懸命な姿、優しい心に触れることで、沢山の人に力をもらいました。
だからこそ、自分が復帰して、またサッカーとフットサルをすることで、支えてくれている人、苦しんでいる人の力になりたい。
その一心で、復帰に向けてリハビリを頑張ることができました。

そして、チームは関東大学フットサルリーグを無敗優勝。全国大会出場権を得た。
2022年3月2日の東京フェスティバル。2021年6月に東京大学相手に大敗を喫し、本来であれば出場することのできないインカレであったが、コロナの影響で延期された代替大会。
1回戦、立命館大学との試合でようやく復帰することができました。
久々に感じるゾクゾクする感情、再発への不安感はあったものの、試合ができるという楽しみや喜び、地道にリハビリを積み重ねた自信の方が大きかったです。
前半は思うようにいかず、チームは0-2で前半を折り返す。後半、逆転の狼煙となる得点を決めることができた。さらには勝ち越しゴールをアシストし、3-2で逆転勝利。
思わず感情が爆発した。これが久々の「本気のガッツポーズ」。気持ち良すぎた。このために本気で部活をしていたんだと実感しました。
フットサルを選択した過去、地道なリハビリをした過去、試合に出ているプレイヤーを羨ましく思いながらも、チームを必死にサポートした過去が頭に浮かび上がり、ここまで頑張ってきて良かったと感情が爆発してしまいました。
結果は4位。チームとして悔しさが残る大会となったけど、運良くもう1度全国制覇ができる舞台がありました。

2022年3月26日。2度目の全国大会。
順調に駒を進め、決勝は大阪成蹊大学。去年の全国大会決勝で先輩たちが敗れた相手。先輩たちから託された日本一を実現する絶好の機会。
しかし、後半残り約20秒で逆転されてしまい、目の前の光景が歪んだ。それから試合終了までの記憶はほとんどないです。

覚えているのは、最後の集合で四戸さんやフットサルメンバーが永遠と泣いていた姿。
自分自身もフットサルを選んだあの時からの1年間の苦労が頭の中で沢山湧き出て、ひたすら泣いていました。
昨年の神戸カップで、先輩たちから託された日本一を実現できなかった。全国優勝をして勝利の部歌を歌い、四戸さんを胴上げして、日本一の漢にすることができなかった。
またしても準優勝という悔しさ。応援してくれた人や支えてくれた人たちの期待に応えられなかったという悔しさ。色んな悔しさが混ざり合っていた。あの時の感情を言葉にできない。あの日は一生分の涙が出ました。

とはいえ、下田で5人+3ゴレイロで夜練習をし、6月に東京大学相手に大敗を喫したあの時から、関東大学フットサルリーグ無敗優勝、全国準優勝。
本当に素晴らしい。1年間やり切った。達成感、というか満たされた感が1番大きい出来事でした。何物にも変えられないプライスレスな経験になりました。

想いを背負って戦うからこそ、限界を超えることができると、身をもって体感できました。怪我やフットサルを通じて、いつの間にかチームへの犠牲心、身体を張ってボールを奪いに行き、球際に強く行くことができるようになっていました。高校時代の幼稚だった自分は消え、いつの間にか高校時代にダサいと思っていたプレイヤーになった気がしました。

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4年生。
B2チームのキャプテンに任命されました。今までキャプテンをやったことがない私が選ばれたことに不安感しかありませんでした。
それでもやるしかないと思い、私はピッチ内で誰よりも体を張ってプレーすることを心に誓いました。そして、私はみんなを和ませつつ、プレーで引っ張るキャラを買われたのだと思い込み、気負いすぎずいつも通りにしようと思いました。
しかし、自分1人では何もできませんでした。何か問題が起きた時に寄り添ってくれる同期を積極的に頼りました。山中合宿から徐々に4年生から良い雰囲気を作れるようになってきました。頼りないキャプテンだからこそ、4年生一人ひとりに自覚が生まれたのだろうと今は思っています。
特に学年一のガキ、島田のゆーくんがチーム全体のことを考えてくれるようになったことは、かなり嬉しかったです。雄大が変わってから、チームの雰囲気は明らかに良くなっていきました。
B2を通して、貴重な経験を沢山させていただきました。
雄大、輝、瀬賀、こーろー、淨、ダル絡みに付き合いつつ、相談に乗ってくれてありがとう。
ベンチでどっしり構えていて心強く、相談するとまるでお父さんのように寄り添ってくださる杉さん、TOPチームとB2の二足の草鞋で練習を作ってくれて、秀太が喜ぶ姿のために頑張ろうと思わせてくれる我らのグラマネ、戦術を考えつつ冷静沈着に対処し、的確なアドバイスをくれる創太。
そしてやんちゃで個性豊かな後輩たち。
そんなB2がとても誇らしい。良い「人」たちに恵まれていることをつくづく感じました。

その後、B1昇格。
週2~3回の走りはとてもキツく、毎日身体は重いけど、さらにタフなメンタルになれました。徐々にチームの中でも信頼を勝ち得て、試合に出場する機会も増え始めました。
10月9日、東海大学とのIリーグ、ミドルシュートで点を取り、「本気のガッツポーズ」ができた。気持ち良すぎて嬉しすぎたが、チームはまだ負けていたので、すぐ自陣に戻って、頭を切り替えた。
カテゴリー昇格後で若干居づらく、試合に出場する機会がなくて立場もなく、ランが沢山あって苦しかったあの時を腐らずに頑張って良かった。

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これまでのソッカー部人生を振り返ってみて、2つの大切なことを学びました。なので、これをそのまま後輩たちへのメッセージにしたいと思います。

①「本気のガッツポーズ」を追い求めること
何か事を成し遂げるには、色々な障壁がやって来ます。大概のチャレンジはそれにぶつかって跳ね返されて、諦めることも多いと思いますが、そのチャレンジすらも楽しんで、設定した目標やガッツポーズのために一歩一歩近付いていく。困難があってもやり遂げ、そしてその過程、ステップを楽しむこと。
苦しい時期の方が圧倒的に多いが、そのもがき苦しむことを本気でやるからこそ、それが報われた時に、言葉で言い表せない程感情が高まり、気が付いたら思いっきり叫んでガッツポーズしている。だから苦しくても、その喜びを知っているから耐えられる。この感情が辞められないからこそ、フットボールを18年間続けていたのだと思います。
さらにその姿は必ず誰かの支えになっています。高校時代、ソッカー部員は憧れの存在であり、入院、リハビリ中のソッカー部員は元気をもらえる存在でした。

「本気のガッツポーズをソッカー部生活4年間で何回できるか」
このことに拘ってサッカーと本気で向き合ってみてほしい。

②自分が決めた道を自分自身の行動によって成功に導くこと
本当に悩みに悩んで決めたことに対して、周りの人から「なんでこっちなの?」とか、自分自身の中でも「あっちにすれば良かった」と思う瞬間が少なからず来ると思います。
そんな時でも、自分自身が決めた決断に責任を持って、自分が決めた道を信じて、自分自身の努力と行動で成功に導いていくという気概を持って、日々過ごしていってほしいと思っています。そうすれば、いずれ「こっちの道を選んで良かった」と思える日が来るはずです。来なくても来るまでもがき苦しめば、いつかそんな日が突然訪れます。

今もがいている人、苦しんでいる人の力に少しでもなれたら嬉しいです。

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そして最後になりますが、私のソッカー部生活は数え切れない程多くの方に支えていただきました。その感謝の気持ちをこの場で述べさせていただきます。

社会人スタッフの方々へ。
こんなにも幼稚な私をご指導いただきありがとうございました。人として大切なことを沢山教えていただきました。まだまだ至らない点も多々あるとは思いますが、残り1ヶ月、最後まで責任とプライドを持って戦い続けます。今後共宜しくお願い致します。

大将、快、晴、隆、金子、瀬賀、輝、雄介、天風、勝又、あゆむ、今西、(石川)。
改めてフットサルを選択してくれてありがとう。そして全国の舞台に連れて行ってくれてありがとう。苦しい決断をして、そこに責任を持ってプレーしている姿が本当にリハビリ中の心の支えになりました。

同期へ。
こんな僕と仲良くしてくれて、ありがとう。みんなと話すと元気が出ます。熱いことを書くと部室で茶化される気がするので、このくらいにします。(笑)とにかくこれからも宜しく。

両親へ。
毎週、マリノスの試合を観て、七夕で「サッカー選手になりたい。」と書き、サッカー人生がスタートしました。
小学生時代は毎日駅までの送り迎えをしてくれて、高校時代は久我山に通わせてもらって、それに加えて毎朝5時に起きてお弁当を作ってくれて本当にありがとうございます。
この大学4年間は、本当に充実していました。残り1ヶ月、感謝の気持ちを持ってサッカー人生を終えたいと思います。本当にここまで育ててくれてありがとう。

最後に。
まだまだ成長を追い求めています。この時期に今までの4年生が成長している姿を沢山見てきました。だから関東リーグ出場を目指して引退まで全力でやっていきたいと思います。

「関東リーグに出場する」
これを成し遂げ、サッカー人生最後の「本気のガッツポーズ」をしたいと思います。

長く、拙い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回のブログは40歳独身男性の若月輝(4年・前橋育英高)が担当します。
とても思考が深く、前橋育英高校でのキツイ練習を乗り越えた猛者であるため、非常に近寄りがたいですが、山中合宿で後輩におじさんいじりをされ始めた輝を見て、少しだけ安心していました。B2キャプテンを引き継いでくれた彼がどんなことを語るのか、とても楽しみです。

《NEXT GAME》
10月16日(日)関東リーグ戦 第18節vs 城西大学 @非公開 11:00キックオフ

「ありのままの自分」(古川紘平)

2022.10.11

溝口、紹介をありがとう。
溝口はいつもボーッと一点を見つめていて何を考えているのか分からないので、とりあえず挨拶代わりにその質問をしておけば正気に戻ると思っていました。きっと貧しい子供たちを救う術を考えていたのでしょう。社会貢献部門、陰ながら応援しています。今度会う時までには違った絡み方を考えておきます。

さて、長いようで短かったソッカー部での生活も残すとこ約1ヶ月となり、毎年楽しみにしていた卒業ブログが自分にまで回ってきました。既にリリースされた同期の卒業ブログはどれも笑いあり、落ちありで面白いものばかりでしたが、僕は4年間で感じた素直な思いを書かせていただきます。
この4年間、あまりに色んなことがありすぎて支離滅裂な内容となってしまっているかもしれませんが、お時間がある方は是非最後まで読んでみてください。

「なぜソッカー部に入ったのか。ソッカー部でなくてはいけなかったのか。」

ソッカー部員なら誰しもが持っているであろうこの問いに対する答え。
私の場合は自分の可能性を試し、限界を知りたかったからだ。1年冬に書いたブログ「冗談だよ冗談」にてその詳細は書いているが、高校時代東京都6部に相当する底辺リーグで得点王だった私は、まだまだ上のレベルでできるという自分への期待と、当時観に行った早慶戦の魅力に惹かれ、大学でもサッカーを続けることを決意した。俺ならもしかしたらこの舞台に立てるかもしれない…根拠のない自信だが、なんとなく自分がピッチに立っている想像はできた。浪人生活が終わり、早稲田と慶應で迷っていた中で参加した早稲田の体験練習で全く歯が立たず相手にされなかったことから、慶應でのプレーを迷うことなく決めた。俺に入部の勧誘をしてこなかった早稲田を絶対に見返してやる。俺が点を決めて早慶戦でぶっ潰してやる。それが私のモチベーションだった。

2019年、憧れのソッカー部員としての生活はDチームから始まり、TOPチームを目指してとにかくサッカーに打ち込んだ。
入部初日の練習は周りのレベルに圧倒され、同期の中で自分が一番下手なのではないかと思ったが、環境には慣れるもので数ヶ月経てば「俺TOPチームに上がるから」という冗談を言える程にまでになった。真聖、大地との熾烈なポジション争いのお陰で自分の強みとは何かを追求する1年間にすることができた。2人共ありがとう。シーズン終盤にはDチームの公式戦に数試合出場することができ、さらには代替わりの時期に目標としていたTOPチームへの昇格をいきなり果たした。冗談が現実のものとなり、飛躍への一歩を踏み出した気がした。

TOPチーム初挑戦となった2020年、サッカー中心の生活は今までにない程充実していた。
練習が終わり、午後にはトレーニングで腹回り、ケツ周りをひたすら追い込む。間食では鯖缶と炭水化物を。お風呂上がりにはアダマ・トラオレのプレー集を観ながら全身のストレッチに30分は掛ける。万全の状態で練習に臨むために一切の疲労は残さない。体は見る見る大きくなり、TOPチームでもフィジカルでは誰にも負けないという自信が付いてきた。監督からはレスラーと揶揄され、風呂場ではラグビー部の1年生に挨拶されるようになった。
今週の練習では何を意識してみよう。ボールを受ける前の背後の状況を確認しよう。とにかく誰よりも毎日の練習を意味あるものにしてやろう。そんなことを考えていると夜はワクワクで寝られなかったし、朝、アラームが鳴れば5秒もしないうちに起き上がり、1分後には朝食を摂り始めていた。これこそが俺が求めていた環境、仲間。ハイレベルな中での練習はとにかく楽しかった。そして終わってみれば関東リーグ5ゴール。夢の早慶戦にもスタメンで出させていただいた。最低限の結果と大学最高峰のリーグで活躍できるという自信が付いた。どんな相手が来ても負ける気がしない。プロの選手と対峙しても通用する部分はある。課題を克服して来年は10ゴール、再来年は15ゴールで得点王。継続して頑張ればプロになれるかもしれない。サッカーへの熱はどんどん増し、自分への期待は膨れ上がった。

しかし、現実はそんなに甘くなかった。プロへの思いが少しずつ強くなってきた2021年のある朝練の行き、駅の狭い階段を塞ぐ2人の酔っ払いの間をくぐり抜けようと一段飛ばして降りた瞬間、着地した足首はグニャりと曲がり今まで感じたことがないような激痛が走った。捻挫は過去に何度もしたことがあったが、今回のは何かが違うことくらいすぐに分かった。そこからなかなか消えない痛みとの戦いが始まった。MRIで見ても明確な原因は見つからない。何よりもサッカー外でしょうもない怪我をしたことが情けなかった。一瞬の気の緩み、軽率な行動が大きな分岐点となった。その後の早慶戦にはなんとか間に合ったが、決して良いパフォーマンスとは言えなかった。監督からは「お前が出たということは誰かが出られなかったということだ。分かってるのか。」という厳しいお言葉をいただいた。「はい。すみません。」としか言えなかった。結局、3年目のシーズンは2ゴールのみでチームは2部に降格。残留が懸かった大事な試合では前日にメンバーを外され、不甲斐ないシーズンを送った。プロなんて夢のまた夢。来年こそはチームを勝たせられる存在になる。そう誓ったはずだった…
迎えた最終学年、足首の怪我から解放されることはなかった。何度も怪我を繰り返し、出場できたのは序盤の数試合のみで、現時点で0得点。憧れの早慶戦は場内警備という形でスタンドからの応援だった。思い描いていた成長曲線からあまりに逸れすぎていて悔しい以外の言葉が浮かばないのが正直なところだ。そして恥ずかしいことに肝心な4年目はこれ以上書くことがない。

こうして振り返ってみると、私の4年間は見事なまでの転落劇だったかもしれない。2年時の成績をピークに出場試合数、得点数は年々減っていき、夢に見た早慶戦MVPはスタンドから拍手をして見届けることしかできなかった。こんな先輩のようにはなりたくない…入江、我空あたりからそんな声が聞こえてくるような気がします。
しかし、こんなにも自分自身に期待し、失望した転落劇だったからこそいろんな「自分」を知ることができたのもまた事実だ。負けず嫌いで目の前の敵に負けまいとがむしゃらにサッカーに向き合う「自分」 期待を背負いきれない「自分」 どんなに悔しくても笑って誤魔化してしまう「自分」
全てが自分なりにやり切った結果の「自分」であり、現状だ。後悔はない。いろんなことを学び、自分を見つめ直すきっかけを与えてくれた。ありがとうソッカー部。結果は伴わなかったが、結果以上に得るものは大きかった。
私はこの4年間で決して輝かしい成績を残せたわけでもなければ、模範的な先輩になれたわけでもない。けれども、ソッカー部での4年間は長い目で見れば間違いなく今後数十年にわたる社会人生活を送る自分にとって大きな糧になる。

最後にこの場をお借りして4年間、自分を支えてくださった方々に感謝を述べ締め括らせていただきたいと思います。

友峰さん
本当にお世話になり、ありがとうございました。そしてごめんなさい。
高校時代では想像もできなかった世界を経験させていただき、色々なことを学びました。一生の財産です。
こんな生意気な自分に期待して何度もチャンスをくださったにも関わらず、度重なる怪我でそれを裏切る形になってしまい申し訳ございませんでした。最終学年くらいは結果を出して恩返しをするはずでしたが、できなかったのでなんらかの形でさせてください。
他にも太郎さん、テソンさん、宮内さんを始め、多くの社会人スタッフの方々にお世話になりました。ありがとうございました。

同期へ
時には応援してくれて、時にはいじり倒してくれて、ありがとう。これからもお世話になるだろうから長々とは書かないが、みんなのお陰で楽しい充実した4年間を過ごすことができました。過度ないじりは部内で留めておいてください。一生のお願いです。

両親へ
6歳からの17年間、どんな時もサポートしてくれ、味方でいてくれてありがとう。
毎朝ご飯を準備してくれた母、何不自由なくサッカーができるよう金銭的にサポートしてくれた父。本当に感謝しています。
お陰様で最高に楽しいサッカー人生を送ることができました。少しずつ恩返ししていきます。

次の担当は藤井夏輝(4年・國學院大學久我山高)です。
いつも他人を小馬鹿にし、ニコニコしている慶應のまっしろしろすけ。根は真面目なのがブログでは垣間見えるでしょう。乞うご期待。

《NEXT GAME》
10月16日(日)関東リーグ戦 第18節vs 城西大学 @非公開 11:00キックオフ

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