オフィシャルブログ

「決戦前夜」(宮澤開)

2022.10.22

平素より大変お世話になっております。経済学部4年の宮澤開です。
淨、紹介ありがとう。彼とは中学1年生の頃からの付き合いですが、正直中高6年間は何を話しても嚙み合わない部分や、時々場の空気をぶった切るような発言をする彼のことが苦手でした。しかし、大学に入ってからは2人きりでご飯や飲み、サウナにも行くようになりました。10年も一緒にいたことで彼のユニークなキャラが癖になっているのかもしれません。最近は彼女ばかりを優先して中々遊んでくれないので少し寂しくも感じています。淨、たまには俺とも遊ぼうな!

さて、毎日同期の素敵なブログが更新されていく中、いよいよ私の番が来てしまいました。何について書こうか迷いましたが、このブログはIリーグ最終節前日という絶好のタイミングで公開されるため、ソッカー部での4年間と明日の試合に懸ける思いを書こうと思います。書いているうちにどんどん思いが溢れてしまい、まとまりのない文章となってしまいましたが是非読んでください。

1年生
大学サッカーの厳しさを知った1年目。
小学生の頃に夢見た早慶戦への挑戦が始まることを楽しみに入部した。シーズン初めは1部目がサッカー、2部目がラントレとハードなメニューであったにも関わらず、2部練の合間には下田のジムで筋トレをする先輩方や同期。トレーニング後には栄養補給に米を食べられる合宿所。高校3年間を弱小校で過ごした私からしたら周りにこんなに真剣にサッカーに打ち込んでいる人たちは居なかったし、こんなに恵まれた環境はなかった。最初はこの環境が苦しくも楽しくて、自分磨きをひたすらに頑張った。
4月の初め頃までにはボランチとして何試合かDチームのスタメンを勝ち取ることができた。ところが、Iリーグ開幕までのたった1ヶ月で1番上から1番下まで序列が下がった。多分、4月までは感覚でやってきたプレーが当たっていただけで頭を使わなくてはいけない大学サッカーには通用しなくなったのだろう。考え込むうちにどこでパスを受けて良いかが分からなくなり次第にボールを貰うのが怖くなった。それまでは高校までのサッカー友達にサッカーのことを喜んで話していたが話さなくなった。がっかりされるのが怖かった。結局大学1年生の1年間は1度もIリーグのメンバーに入ることができなかった。

2年生
DFとして迎えたシーズン2年目。自分のキックという持ち味を見つけ、ようやく試合に沢山出してもらえるようになった。
ロングキックを乱用しすぎて同期の島田くんからは「ぶっぱなし大先生」というあだ名を貰った程だ。当時の私は相手の陣形をひっくり返すことに快感を覚えていたと言っても過言ではない。そんな私にTOPチームから落ちてきた柿沼さん(R3卒)は帰りの車でサッカーについて沢山教えてくれた。私が上に行けるように本気で向き合ってくれた。ちゃんとお礼を言ってなかったのでこの場を借りて言わせていただきます。ありがとうございました。そして笹・岡田・景、俺の蹴ったボールにいっぱい走らせてごめん。文句1つ言わずに走ってくれてありがとう。けど、岡田はもう1試合だけ走り回って!
そんなプレーでも時々良い方向に転び、何度か上のカテゴリーに参加したこともあった。ところが、Iリーグ開幕を1週間後に控えた練習試合で私は大きな怪我をした。この怪我でこの年に私がIリーグに出ることはなかった。悔しすぎた。悔しすぎて代わりに出ている仲間を素直に応援できなかった。大学2年生を終えた時点で同期の中で公式戦に出たことがないのは私だけになった。

3年生
腐ってサッカーに失礼を働いた3年目。やり直せるのならこの1年はやり直したい。
2年生の終わりに負った怪我に加え、新たな怪我を繰り返す最悪のシーズンだった。同期には、またパラなの?と日々言われる始末。上級生になりチームを牽引している同期の姿をただ見ていた。何試合かIリーグにも出たがフワフワした気持ちだった。試合中には何度も後輩に怒られた。当時の自分は今の自分からしても相当ムカつくと思う。サッカーに真剣に取り組む人たちに失礼だった。
4年早慶戦。応援に行った時、試合後に小学校時代共にプレーをした経験もあり、当時のグラマネであった長谷川さん(R4卒)に「頑張れ。」と言われた。
シーズンが終わって小・中学時代に所属していたチームそれぞれの初蹴りに行った。教わっていた指導者に「試合観に行かせてくれ!」「期待している!頑張れ!」と言われた。
これらの言葉を聞いて一気に情けない気持ちになったと同時にウジウジしている自分に対して無性に腹が立った。

4年生
シーズン初めのカテゴリー発表でCチームキャプテンを任された。キャプテンに選ばれたことでまだ他にも自分に期待している誰かがいる。勝手にそう捉えた。自分の中の何かが変わった。先日OBの橋本健人選手の話でどん底を味わった時にマインドが変わるのではないかという話があったが、私はどん底を味わった上で振り返り、立ち直るからこそ強くなるんだと思う。「麦は踏まれて強くなる。」元GKコーチの陳さんがシーズン中盤に口にしていたこの言葉は本当だったし今後の人生でも大切にしようと思う。
Cチームはここまでの試合1勝5分9敗。明日の最終節、相手は前期大敗した産業能率大学。格上の相手であることは間違いない。約17年間のサッカー人生で学んできた全てをぶつける。ヘディングやキックなどのサッカーの技術はもちろん、選手としてキャプテンとしての振る舞いをしてどんなに不格好でも良いから勝つ。今は正直そのことしか考えていない。

この4年間を通して強く感じたことは、多くの人に支えられ期待されて今があるということです。もう少し早く気が付いていればもっと良い結果だったかもしれないと思ったので、後輩に同じ思いをさせないように書いておきます。
サッカーを続けていれば、苦しくなることもあるかと思います。そういう時には1度自分のサッカー人生を振り返ってみてください。大学サッカーともなるとその挑戦はもはや1人だけのものではないはずです。少なくとも私の挑戦は私1人のものではありませんでした。高校の頃の友達、先輩、同期、後輩、恩師、両親。他にもこのブログには収まりきらない程多くの人が私の挑戦を支えてくれました。今の私に理想の形で期待に応えることはできませんが、せめて明日の試合は全力のプレーをすることで、今できる最大限の恩返しをしようと思います。

小森さん、宮川さん
忙しい合間を縫って真剣に向き合っていただきありがとうございました。また、ほとんどの試合においてスタメンで使っていただきありがとうございました。サッカーでは残り1試合、フットサルではシーズン終わりまで勝利という形で感謝を表せるよう頑張ります。

横幕、蓮
普通部やTOPチームの練習も見ながらあれだけの考え尽された練習メニューを組む2人には本当に感謝している。中々結果で答えることができなくてごめん。いくら言葉にしても仕方ないと思うので感謝は明日の試合の結果で伝えようと思います。

Cチームのみんな
1年間こんなにも頼りないキャプテンを支えてくれてありがとう。特に山中合宿はみんなの頑張っている姿とキャプテンとしての意地なしには完走できなかったです。初勝利を掴んだ国士舘大学戦。試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、みんなで勝利の写真を撮る時間。最高だったね。明日も必ず味わおう。この1年間は、チームとしてやってきたことが結果に伴わなかった苦しいシーズンだったと思う。でも明日の試合、「勝てばすべて肯定される」と俺は思っている。だから勝とう。勝って笑おう。

同期
4年間ありがとう。最初の印象はこれまで絡んできたことのないようなやばい奴らで、まあ今でも審判登録もろくに出来ない奴とかばっかりですごいイラつくこともあるけど、それをチャラにするくらいユーモアある面白い同期が好きです。特に部室のあの空間。最高に居心地が良いです。残り少ない日数ですがしっかり楽しみましょう。これからも宜しく。

両親
約17年間、何不自由なくサッカーをさせてくれてありがとう。
まず父。高い治療費や備品代、部費等のお金を払ってくれてありがとう。
そして母。練習や試合の後、栄養満点の美味しいご飯を作ってくれてありがとう。お陰でまともに当たり負けしたことがないです。
小学校以来大きな舞台でサッカーするところを見せられなかったことは非常に悔しいですが、明日の試合はサッカー人生全てをぶつけるので応援してください。

次回のブログは元気いっぱい竹本海人(4年・FCトリプレッタユース/慶應義塾志木高)です。とにかく体力のあり余っている彼は練習で1番声を出すのは勿論、カラオケに行けば1番マイクを握っています。その体力が裏目に出て何度か失敗してしまったことも、、、一体どこからそんな元気が湧くのでしょうか。少し分けて欲しいものです。そんな彼と大学2年生ぶりにDFラインを組める最近の試合はとても楽しいです。明日の試合のセットプレー、決めるから良いボール上げてくれ!シーズン初めは上のカテゴリーにいるのに終盤には毎年最下位カテゴリーにいる海人。この4年間様々な思いや経験を積んだ彼のブログに乞うご期待!!

《NEXT GAME》
10月25日(火)関東リーグ戦 第14節(延期分) vs 立正大学 @非公開 18:00キックオフ

「情熱」(齊藤淨)

2022.10.21

平素よりお世話になっております。経済学部4年の齊藤淨です。
カトショー、愛のある紹介ありがとう。講義の情報諸々人任せにせず、何事もまずは自分で頑張れるようになれるといいね。
他人に迷惑を掛けない系問題児の彼は、ソッカー部随一のドリブラーであり愛論者です。ボールを持てばキレのあるドリブルで相手を置き去りにし、グラウンドを出ると愛やら価値観やら難しい悩みを考えています。
そんな彼といつか愛談議ができるように精進したいと思います。

カトショーの話はこのくらいにして、そろそろ本題に入りたいと思います。このブログでは、私が4年間どのような思いでサッカーをしてきたかを綴らせていただきたいと思います。長く纏まりのない文章ですが最後まで読んでいただけると幸いです。

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2年生の冬、私はサッカーをやめる覚悟ができていた。

1年生の頃の私は、試合に出られないながらもやる気に満ち溢れていた。6半練が終わると急いでキャンパスへ行き、講義が終わると下田に帰って自主練と筋トレをする日々。1番下のカテゴリーでも、どれだけ下手と言われようとそれを巻き返せるだけの努力をしている自信があった。試合に出るためか、周りを見返すためか、今思えば一体何のために努力していたのかはっきりと思い出せないが、いつかTOPチームに上がって慶應を背負って戦うのだろうと、ぼんやりと思い描きながら毎日をサッカーに捧げていた。あの頃の、毎日サッカーのことだけを考えて、がむしゃらに突き進んでいた時間がどれだけ幸せだったか、今になって身に滲みて感じる。
そんな日々は2年生になっても変わらなかった。コロナ禍で全体練習ができなくても、毎日公園に行ってランメニューをこなし、ボールを蹴る。グラウンドが解放されると40分以上かけて自転車を漕いで下田に通った。全く苦じゃなかった。諸事情あってTOPチームから落ちてきた先輩に守備対応やドリブルを教わり、周りから使わないと馬鹿にされたカットインシュートもひたすら練習した。上手な先輩や、高い志を持つ同期や後輩たちとサッカーをすること、上手くなっていると実感することが楽しくてしょうがなかった。そしてその年は、ありがたいことにIリーグ2試合のスタメン出場と1試合の途中出場を果たすことができた。満足はできなかったが、3年目を戦い抜く良い助走になった。と思っていた。

そんな中、ついにグラウンドマネージャーを決めるミーティングが始まった。始まる前から嫌な予感はしていた。TOPチームから1番遠いカテゴリーでプレーする私に、推薦の票は当然のように集まった。気付いたら候補者は残り6人。そう、巻き返せなかったのだ。2年間という長い時間を与えられて、私は選手として活躍するよりサポートに回った方が良いと判断された。同期との対話で「理想のグラマネ像に近い」「サッカーに対する熱量がある」「お前のためなら頑張れる」など今では支えになっている言葉も、当時はそのほとんどをプラスに捉えることができなかった。全部私にグラマネをさせるための説得文句かのように感じていた。候補者内でもやる意思のある人はおらず、このまま平行線だったらどうなるのだろうと考えるようになった。自分よりも周りを優先しがちな私は、口では絶対にやらないと言いつつも、心のどこかで自分が折れてグラマネにならなければいけないと思うようになった。「誰もやらなかったら自分がやろう」と。この時、私はサッカーをやめる覚悟ができてしまった。
それからはただただ無気力だった。今まで支えてきてくれた仲間や両親にどう伝えれば良いのか、考える度に申し訳ない気持ちになった。サッカーには打ち込み切れず、シーズンオフ中のランメニューもこなしたフリをした。練習しても走ってもサッカーをやめてしまえば意味がない。私が努力してきたこの2年間も意味がない。そう考えると自分が情けなくて悔しくて涙が止まらなかった。私のサッカーへの情熱はここで一度消えてしまった。

そんな状況を変えたのは、忘れもしない、2月1日の学年ミーティングでの秀太の一言だった。「やる気はある。」こんなに短くはなかったかもしれないが、今でも鮮明に覚えている。救われたと思うと同時に、自分の中にもう一度火がついたような感覚になった。一度諦めた選手生命、プレーヤーをやめるという大きな決断をしてくれた秀太のためにも、あと2年全力でプレーすることを誓った。
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決意を新たにした3年目は、1試合を除いて全てのIリーグにスタメン出場させてもらい、選手として大きく飛躍できた年になった。その要因として1番大きかったのは、当時C1を指導していたグラマネの友己くん(R4卒)の存在だ。がむしゃらに頑張るだけの私にサッカーを教えてくれた。プレスのかけ方、裏対応、ボールの動かし方など、一から丁寧に指導し、試合で使い続けてくれた。そんなサッカーの本質的な面白さと、友己くんの冷静な言葉に込められた情熱に触れ、1,2年生の頃のようなギラついた姿勢でサッカーと向き合うことができた。また、同じようにサッカーと向き合う仲間にも恵まれ、C1での1年間は本当の意味でサッカーを楽しめたシーズンになった。
そしてシーズン終盤には、TOPチームの練習や試合にも何度か呼ばれるようになり、「TOPチーム昇格」という目標が、段々とリアリティを増していく手応えを感じた。素直に嬉しかった。1年生の頃から思い描いていた自分はもうそこまで来ている。選手の道を選んでよかった。一度情熱を失ってしまった私でも、4年目の自分に期待せざるを得なかった。

そして迎えた4年目。
残念なことに未だ目標は達成できていない。TOPチームはおろか、1番遠いカテゴリーに逆戻りしている。人生そう上手くはいかない。今シーズンを振り返ると後悔ばかりだ。Iリーグが始まる前のBチームでは、コンディションを自ら下げてしまいB2へ。B2では出場機会に恵まれないながらも自分なりにアピールし続けたが、努力が足りなかった。シンプルに選手として欠点が多かった。山中合宿・金沢遠征を経てCチーム降格を告げられた。Cチームではスタメンを掴み取り、これからというところで、一瞬の気の緩みから怪我をしてしまった。今ではベンチ外からCチームの試合を応援することしかできない。もっと華々しい4年目を想像していたし、正直自分でも期待はずれの1年だったと思う。
ただ、こうも思う。まだ終わってない。サッカーへの情熱はあの時失って以来ずっと持ち続けている。まだ上手くなれるし、試合にだって出られる。未だに1つでも上のカテゴリーに行きたいし、TOPチームに昇格することも可能性は0じゃない。まだ仲間と切磋琢磨しながらサッカーの練習をすることが楽しくてしょうがない。Iリーグはラスト1試合、関東リーグはあと5試合ある。全くもって諦めていない。まずは滑り出しに、明日のフットサルの試合で得点を決めたい。良いアピールになるはず。

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ここまで思い出話のように長々と書いてきてしまいましたが、何を言いたいかというと、サッカーへの情熱はアチアチくらいがちょうど良いということです。こんなこと言われなくても当たり前だと思うかもしれませんが、何かマイナスなことが起きた時や上手くいかない時、サッカーに懸ける思いを保ち続けるのは難しいことです。私の場合、カテゴリー降格と怪我が良い例でした。毎日練習して上達することは楽しいですか?目標に対して全力で努力できていますか?サッカーは楽しいですか?私自身、はいと答えられない日々を過ごした記憶が少なからずあります。あって良いと思います。ただ、その瞬間成長が止まってしまっていることを忘れないでほしいです。もし今、学校が忙しかったり怪我をしていたりしてサッカーが疎かになっている人がいるのなら、サッカーを続ける理由やソッカー部での目標を見つめ直し、サッカーへの情熱、日々のモチベーションを持ち続けてほしいと思っています。

そして最後になりますが、この場をお借りして感謝の思いを綴らせていただこうと思います。

秀太、蓮、横幕、三浦、創太、笹へ
今まで組織のマネジメントをしながら、毎日練習を創ってくれてありがとう。リサーチとして少し近くで見ていた身としては、それ以外にも数々のミーティングや仕事で大忙しなのは分かっているけど、まずは選手としてこんなに成長させてくれたことに本当に感謝しています。自分がグラマネをしていたらと考えると、こんな立派にはできていないと思います。残り少ないですが、選手を全うするので宜しくお願いします。

リサーチファミリーへ
頼りない部門長でごめん。空気読めずにお土産リマインドしたり、最後までやらせてもらえなかったり、今年のリサーチがここまで変革したのは自分の責任だと思っています。新しい体制、分析方法になってもここまでやって来られたのは、みんなの協力があったからです。本当にありがとう。残り5試合頑張っていこう!

後輩へ
いつも気さくに声を掛けてくれてありがとう。
あまり自分から話し掛けたりするのはしないけど、話したことある人みんな大好きです。
特に慶人、誰彼かまわず毒を吐くのはやめましょう。
春哉も、スタッフになったことを良いことに職権濫用しないか不安です。
的井と今西は、いつも非日常な体験談を話してくれて楽しかったです。
あとちょっと付き合って。

同期へ
グラマネにされそうになったみたいな書き方をしてしまったけど、今はそんなこと1ミリも思っていません。あのくそ長いミーティングや対話が、自分の良さを見つける良い機会になりました。時間を作って色々な意見を伝えてくれて本当にありがとう。今では財産です。また落ち込んだ時声を掛けてくれたのも、いつも同期の誰かでした。サイコパスだと囃し立てる時はほんとウザったいですが、そんな仲間思いで優しい令和元年慶應が大好きです。

両親へ
このブログもきっと読んでないと思いますが、今まで18年近く1番近くで見守って支えてくれて本当にありがとう。僕がサッカーを続けられたのは、美味しく健康的な食事の他、沢山のサポートがあったからです。社会人になって恩返しするので、待っててください。

次回のブログはCチームキャプテン、宮澤開(4年・慶應義塾湘南藤沢高等部)が担当します。開と一緒にプレーし始めたのは高校からですが、中学から数えると10年間の付き合いになります。高校時代から顔のデカさを活かしたヘディングを武器に、数々のゴールを生み出し、ピンチを救い、部屋の気温を少しだけ上げてきました。そして現在は、キャプテンとしてCチームを牽引しながら、チーム得点王の座を狙っているとかいないとか。今週末のセットプレーに期待ですね。そんな彼にバトンを繋げることができてとても感慨深いです。真実の多くを語らない彼がどんなブログを書くのかとても楽しみです。乞うご期待!

《NEXT GAME》
10月22日(土)関東リーグ戦 第19節 vs明治学院大学 @非公開 11:00キックオフ

「他生の縁」(加藤翔生太)

2022.10.20

平素より大変お世話になっております、経済学部4年の加藤翔生太です。

雄大、紹介ありがとう。
うじが銀ベンチでえぐいメガネを掛け、微笑みながらミニゲームを眺めていたあの日、角刈りの宅野に「あのピンクの靴のチビもまあまあやるよ」と言われ、見てみるとまんまガキ大将みたいな奴がいてドン引きした、あの日から約7年、本当に楽しかったよ、これからも俺の世話役宜しく。あ、でも渋谷のスタバで心に深い傷を負った時、駆け付けてくれなかったことだけは一生根に持ちます。あと、俺の人生狂わせたこと。

さて、本題に入りたいと思いますが先に2つ言わせてください。1つ、「実は1番楽しみにしているブログ」「どんなやばいブログが出てくるのか気になる」と後輩からも言われていますが、圧倒的な文章力の無さと根は真面目な性格により、みんなの期待を裏切る面白くないブログになってしまうことをお許しください。2つ、4年ブログが始まった10/1から毎日やろうと思ってはいたのですが、気付けば締め切りまで残り5時間。バックれてしまおうかとも思いましたが、4年ブログだけはマジで出してって言っていた真恋の顔を思い出し、なんとかパソコンと向き合うことができている状況なので、どうか優しい目でこのブログを読んでください。

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「きっとあのとき、私はスポーツマンとして死んでしまった。」 引用:R3年卒 鶴田隆人

大学2年の夏に前十字靭帯を断裂した。プロになれると信じて疑わなかった自分がもうプロにはなれないと悟らされた出来事だった。これまでの人生の中心だったサッカーを1年ごときの怪我で辞められるわけもなく、TOPチームで活躍することが目標になった。
大学3年の10月、Iリーグ1部専修大学戦、約1年ぶりの復帰戦、コロナの影響もあり、公式戦でいうと約2年ぶり。復帰戦でとんでもない活躍をして周りを驚かしてやろうと思っていたが、武器であるドリブルが全く通用しなかった。正直、練習ではBチームの中で1番上手いと思っていたのに、試合になると自分が1番使えない選手になってしまっていた。十数年のサッカー人生の中で1番無力感を味わった試合だった。一昨日の講演会でハシケン(R4卒)や惠風が言っていたような、悔しさはどこにもなかった。「サッカーおもしろくねーな」「怪我さえなけりゃIリーグ1部なんか余裕だったんだろうな」自分の実力不足を怪我のせいにし、数週間、サッカーから距離を置いた。私は怪我に負けた。
ラストシーズン、初期はTOPチームの選手として試合に出場させてもらったこともあったが、些細な怪我で練習を休んだことや素行不良が原因でCチーム、1番下のカテゴリーでサッカーをすることになった。正直、サッカー人生で1番レベルが低く、サッカー部と呼んでいいのか?と愚痴をこぼす程だった。しかし、サッカーの上手さにあぐらをかく自分と違い、下手くそなりに練習後走る選手、コーチにアドバイスを貰いに行く選手、どれだけ足が痛くても全力でプレーし続ける選手など沢山の尊敬できる選手の存在に気付いた。サッカーの上手さなんか関係ない。全力でサッカーに向き合い、努力してる奴の方がかっこいいし、すごいと心の底から思った。そんなCチームにいる沢山の尊敬できる選手たちに、こんな自分ができることはサッカーを教えること。試合を通じてその姿勢を見せることしかなかった。いつしかそれが自分の目標になった。

スポーツマンとして死んだ私を救ってくれたのは、仲間だった。

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Zチームのみんな。お久しぶりです。問題児の加藤です。マシロと仲良しで、てるとギコギコの加藤です。3,4年生しかいないチームにてると二人でぶちこまれて、「問題児が来たよ(ニヤニヤ)」とみんなに言われたのを覚えています。てるやマシロと違って、そうは思われてなさそうですが、本当にみんなのことが大好きでした。今でも、怪我で途中離脱し何の力にもなれなかったこと、最後に一緒にサッカーができなかったことを思い出し、泣きそうになってしまうことがあります。大好きだったから、希望制の4年早慶戦の応援にももちろん行ったし。「こんなとこに来るような奴だったっけ」と馬鹿にされたけど。怪我をした時、励ましてくれるみんながいなければリハビリを頑張れなかったと思います。本当にありがとう。ちなみにIリーグの最終節に行かなかったのは本当に扁桃炎でした。

Cチームのみんな。まずはこんな4年生と仲良くしてくれてありがとう。しつこくちょっかい出しても「4年生とは思えない」、とんでもないやらかしをしても「さすが」と笑ってくれるみんなには本当に救われました。それから、本当にみんなのことを尊敬しています。尊敬できるみんながいたから、なんとか力になりたいと思えたし、それがモチベーションとなって最後までサッカーを頑張り続けられています。こんな4年だけど、少しでも多くのものを残せるように練習と試合は頑張っています。ドリブルだけのイメージだったと思うけど、泥臭いディフェンスもすること、実はそのディフェンスがめちゃくちゃ上手いこと、ドリブルが上手すぎること。「カトショーさんみたいになりたい」と、みんなに思って貰えていたら、記憶に残る選手になれていれば幸いです。「カトショーさんみたいになりたい」なんてこの部じゃ絶対に口に出しちゃいかんけどな。真面目な話、自分がいなければ本来試合に出られていた選手もいるだろうし、そこは本当に申し訳なく思っています。
小森さん、横幕、蓮、非常に扱いにくい選手だったと思いますが起用し続けてくれてありがとうございます。
長くなったけどとにかく、俺はCチームで勝ちたい。みんなと喜びを分かち合いたい。最終節産能戦、不恰好でも良いから、今までで1番頑張るから、絶対に勝とう。笑おう。

両親へ。
まずはヒロコ。よく「加藤のお母さんは本当に加藤のことが好きだよね」と言われます。さすがに恥ずかしくてやめろやめろ、とはなるけど、そんなヒロコの下で育ったからこそ、いっぱい人を好きになって、仲間を大切に思える性格になったんだと思っています。感情的になって口出ししてくるなと怒ってしまうこともあるけど、許してね。
次にノブ。ヒロコみたいに表面的に好きを出してくることはないけれど、本当に愛してくれているんだなと人生を振り返って思います。週末の試合は欠かさず応援に来てくれたし、仕事終わりに練習を見に来てくれたこともあったよね。その後2人で公園でサッカーをしたり。毎日サッカーのことLINEしてきてくれたり、いつの間にか俺よりサッカーに詳しくなっていたり、敵わないなと常々思っています。
大きな舞台で活躍する姿を見せられなかったことは心残りだけれど、2人のお陰でここまで大きくなることができました。感謝してもしきれません。本当にありがとう。

同期へ。
「罪を憎んで人を憎まず」 1年生の時、島田くんのガム事件によって緊急開催されたミーティングで晋作が言っていたこと。みんなよく覚えていると思う。「一樹の陰一河の流れも他生の縁」 この言葉は1年生の時部員プロフィールにモットーを書かなければいけなくて諺ランキングで適当に調べたら出てきたものであり、今も俺のプロフィールに載り続けている。よく雄大と話すけど、生まれも育ちも全く別の地の俺らが慶應に入って、そこからソッカー部に入る選択をしてこうして巡り合ったのは少し照れくさいけど、本当に運命だと思う。一人ひとりに大切にしたいことがあって、正義があるから対立することも少なからずあるけれど、俺は「令和元年慶應」が大好き。言動に対して思うことはあってもその人を憎んだりはしていない。ソッカー部で出会ったこの縁を一生大切にしたい。そう考えています。

男子校からの解放。青春のキャンパスライフに希望を抱き入学するも、キャンパス内で女性と会話をしたのは1分にも満たない。経済学部で同じクラスの天田くんといつも一緒にいたから。一緒に授業に出て、一緒に寝て、一緒にお昼ご飯を食べる毎日。空きコマは空き教室でpktk、あるいはメディアか食堂でトランプ、授業が終われば平和島、夜はカジスタでnoaになり、マックでバケヤシとその同胞たちやニシくんやうじとpktk、週末は決まって新宿か渋谷。箱根の橋を沈めてやろうとするも撃沈。こーろーやカイトらと渋谷の街を練り歩いたり。またこーろーと公園行きたいな。大雨の中ダッシュしてカイトの家まで帰りたいな。部室で罵倒し合いたいな。愛や価値観について語り合いたいな。振り返ればキリがないけど、ちょっと振り返っただけでも分かる程とんでもない大学生活だったけど、みんなと過ごした時間は間違いなく、宝物です。

「もう一度大学生活を送れるなら間違いなく、サークル。サーピーとして、畳に敷かれたブルーシートの上で大活躍するんだ。」とふざけて話したりもしたけど、やっぱり俺はソッカー部に入り、みんなとサッカーがしたい。もう一度、みんなと最高の大学生活を送りたい。

次回のブログは、みんなからサイコパスと言われすぎたせいでサイコパスなのではないかという自己認識が芽生え始めた齊藤淨(4年・慶應義塾湘南藤沢高等部)です。講義の情報提供を求め齊藤くんに連絡をしたものの、ナチュラルに自分が売られていた時は鳥肌が立ちました。そんな淨がどんな思いをブログで綴るのか、楽しみで仕方ありません。皆さん乞うご期待!

《NEXT GAME》
10月22日(土)関東リーグ戦 第19節 vs 明治学院大学 @非公開 11:00キックオフ

「悪ガキの最後の悪あがき」(島田雄大)

2022.10.18

舜立、紹介ありがとう。彼とは本当にいつも一緒にいたと思う。買い物する時も、遊ぶ時も。どんな時も。そんな「弟」のような存在である彼は最近、1人の女性に沼ってしまい、大変だった。既読ついたのに連絡が来ない。電話したけど出ない。あーまじで可愛い。沼ったことは過去に1度もないのに自分から沼ったわーってカッコつけて言っている姿は本当に滑稽でした。まあ舜立の恥ずかしい話はここまでにして、本題のブログの方に入ろうと思います。普段読書を全くしない私の文章は本当に拙いと思いますが、是非読んでいただけると嬉しいです。

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いつからだろうか。自分に期待しなくなったのは。
1年の夏に大粗相を起こしてみんなに迷惑を掛けた時か。カテゴリー落ちを経験し、サッカーを辞めようか本気で考えた時か。同期の多くが上のチームで活躍する姿を見た時か。それぞれの事象において私は自身に期待をしたが、全て裏切ってきた。その度に自分が嫌になる。嫌いになりそうになる。あの時ああしていれば。いつも思ってきた。きついことや苦しいことから無意識に逃げてしまう。私は弱い人間である。もう本当に自分に期待はしたくない。期待したところで良いことない。そう思っていた。

何故ソッカー部に入ったのか。
私の場合それは簡単で、サッカーが好きだから。好きすぎるあまり、高校でサッカーを辞めることすら考えられなかったから。もちろん早慶戦に出たいし、関東リーグにも出たい。だが、それよりもサッカーを第一に考えた生活をまだまだ続けたかった。そしてしっかりとこの4年間でサッカー人生に終止符を打つためにソッカー部に入部することを決意した。
しかし、どうだろう。この4年間でサッカーとお別れできるだろうか。

私は本当に周りの人に迷惑を掛けてしまう。

「雄大ってほんと前向きだよなぁ」

よく周りの人から言われる。自分はポジティブで過去を引きずらず、前進していく前向きな人間。と言いたいところだが、過去を振り返ると後悔することばかりなので振り返れないだけである。ここでは自分の後悔の4年間について少し綴らせていただきます。

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1年目。学年の半数以上がDチームで自分もその内の1人だった。周りに流されやすく、意志の弱い性格である私は、練習を終えた後はキャンパスで友達と談笑したり、ゲームをしたりし、高校の時に取り組んでいた筋トレは辞め、駄菓子を食べ、炭酸を飲むクソみたいな生活を過ごしていた。そんな「本当にサッカー選手か?」と思われるような生活を送っていた私は「楽しければ良い」という思考に至り、とうとうサッカーに対する情熱さえ、失いかけてしまった。そんな心も体も腐敗しまくっている私はその年の夏に大粗相を起こした。大好きで入部したはずのサッカーができなくなった。何よりも自分のせいで多くの人たちに迷惑を掛けてしまった。本当にバカだった。そんなバカな自分を同期のみんなは辞めさせないで部に残してくれた。更正することに少しの期待をしてくれた人たちのためにもう迷惑は掛けないと誓った。はずだった。

2年目。Sチームで練習についていくのがやっとだったが、日に日に自分が上手くなっているのを肌で感じることができていたので本当に充実していた。しかし、Iリーグが始まる直前でカテゴリー落ちを告げられた。それもそうだ。試合に絡めないだけではなく、素行が良くない自分は全国を目指すチームに必要であるはずがない。言われた時は頭が真っ白になり、拓海くん(R2卒)に「すぐ戻ってこれますか?」と意味が分からない質問をしていたのを覚えている。また、その時期からグラマネ決めのミーティングが始まり、自分がソッカー部にいる意味を少しずつ考えるようになった。素行も悪く、1番下のカテゴリーに落ちてしまった自分が選手としてこの部に居ても良いのか。こんな自分のために選手を辞めなくてはいけない人に申し訳ない。などと考えているとサッカーを辞める時が来たのかなと感じ、涙が止まらなかった。そして覚悟を決めて投票に1票でも入ったらグラマネに立候補しようと覚悟を決めてミーティングに臨んだ。まあ、そりゃ1票も入らないよね。本当に1票も入らず、何の決心だったんだとも思ったが、それから心機一転、サッカーをやらせてもらえていることに感謝し、選手を辞めて、グラマネになってくれた秀太のためにプレーすることを誓った。はずだった。

3年目。この1年間は本当にサッカーが楽しかった。C1で高校からお世話になっているともきさん(R4卒)にいろんなことを教えてもらった。毎日グランドに行くのが楽しみだったし、人生で初めて、人のため、チームのために頑張るという気持ちになれた。チームとしてもIリーグ1部昇格まであと一歩のところまで行くことができたが、私が大事な試合でPKを外してしまったがために勝ち点を取りこぼしてしまった。C1のみんな、出しゃばってごめん。しかし、本当に充実していた1年だったと感じている。自身としてもサッカー選手として一回り成長できたと感じた。1年間自分に多くのことを教えてくれたともきさんのために来年はTOPチームに上がって活躍してやると強く思った。はずだった。

4年目。信頼を失う行為を連発していた私は、自分の大きなミスのせいで1番下のカテゴリーからスタートした。本気でサッカーができる最後の年に自分は、自分が犯した今までの過ちでTOPチームから1番遠いところでサッカーをすることになった。何をどうすれば上に行けるのか自分の乏しい頭で考えたが、全然分からなかった。ピッチ内であれば、自分が活躍し、チームを勝たせられれば評価をしてくれるが、ピッチ外で失った信頼はどう取り戻せば良いのか本当に分からなかった。とりあえず、当たり前だけどサッカーは全力で取り組み、ピッチ外のことに関しては自分だけではなくCチームでミスが起きないように行動した。多分急にキャラが変わったからなのか後輩の的井らへんからは「しまくんが生まれ変わった」と言われていたが、そうではない。「自分が上に上がるために演じた」だけだった。ありがたいことにもう1度上のカテゴリーでプレーをするチャンスを頂いた。自分がまた楽しいサッカーをするために、1つでも上のカテゴリーに上がるために頑張ろうと思った。そうすると今度は4年の「意地」、「背中」という言葉が付き纏った。私はその意味を深くは理解できていなかった。4年だから人より声出せば良いんでしょくらいの軽い気持ちでいたため、意地もなければ背中もない。ただの一部員であったと思う。しかし、山中合宿や金沢遠征で共に生活をしていた夏輝の言動を見て、自分の情けなさに気付かされた。彼は走りすぎで足の裏の皮がなくなろうとも、古傷の膝が痛もうとも決して離脱することはなかった。試合中は誰よりも声を出し、誰よりも闘志みなぎるプレーをしていた。「なんでそんなに無理してるの?」と聞いたら「キャプテンやらせてもらってるからなぁ〜」と気持ち悪い声で言われたが、ものすごく自分には響いた。今まで私は「自分が何をしたいか」を判断基準において生活してきた。しかし同じレベルにいると思っていた夏輝は自身が頑張ることでチームがどうなるかまで考え、その行動がチームの原動力となっていた。その時は「カックイィ〜」と茶化してしまったが、夏輝のその言葉で自分は大きく変われたと感じている。それからは試合でどんなに泥臭くても良いからみんなのために走りまくろうと誓った。それが私なりの「意地」であり、「背中」なんだなとやっと理解することができた。

4年目にしてやっと「はずだった」と書かずに済んだ。しかし、自分は気を抜いた時に何かやらかすので、もしそんな時があれば、いつも一緒にいる石川くんと竹内くん、ご指導ご鞭撻の程お願いねっ

ソッカー部の4年間は本当に楽しかったし、辛かった。そしてたくさん迷惑を掛けた。なんかごめんなさいしか言ってない気がする。だけど最後に、本当の最後に1度だけ、ラスト数週間みんなに「島田雄大の意地を示せる」と信じて、自分に期待してみようかな。

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最後にこの場を借りて感謝の気持ちを述べさせてください。

B2のみんなへ
頼りなく、情けない4年で迷惑もたくさん掛けたと思いますが、本当にみんなが大好きです。一人ひとり個性が豊かで、毎日ピッチ内外で楽しい思いをたくさんさせてもらいました。あと1試合。絶対に勝とう。昇格することはできないけど、この1試合で勝てるかどうかは来年に大きく関係してくると思うから。竹内に人生初めてのクリーンシートを、石川に人生初めてのゴールを期待しています。

岡田、天田へ
この場で書くのはどうかとも思ったけど、直接言うのも違うし、なんか照れくさいからここに書かせてください。2人とは4年間多くの時間を共にしてきて、自分が本当に辛い時、支えてくれてありがとう。2人がいなかったら、部活を続けられているかも分からないし、こんなに楽しかったかも分からない。本当に感謝しています。3人でちゃんと引退したかったけど、なんか1人いなくなっちゃったから、岡田と2人で後のソッカー部ライフを駆け抜けます。もう1人は彼女とお幸せに。

同期へ
こんな悪ガキのせいでたくさん迷惑を掛けたと思います。本当にすみません。みんなと出会えたことは自分の人生の宝物です。引退したらみんなと話せなくなると思うとすんごい悲しいので、定期的に会いましょ

両親、姉へ
18年間本当にありがとう。みんなの応援があったから頑張れたし、ここまでやってこられた。期待に応えられているかは分からないけど、何不自由なくサッカーができて本当に恵まれているなと感じています。最後の数週間、感謝の気持ちを胸に全力で走り抜けたいと思います。

次回のブログは残念なイケメンこと加藤翔生太(4年・慶應義塾高)です。彼は高校から含めて7年間、どんな試練も共に乗り越えてきた親友です。そんな彼ですが、少しだけ、ほんの少しだけ社会不適合な部分があります。時間を守れなかったり、集団行動が苦手だったり、ホウレンソウができなかったりとまあ少しだけそういう部分があるので来年からちゃんと働けるのか本当に心配です。そんな集合時間にどんな時でも遅れてくる彼は、このブログの期日までにちゃんと提出することができるのか!乞うご期待。

《NEXT GAME》
10月22日(土)関東リーグ戦 第19節 vs 明治学院大学 @非公開 11:00キックオフ

「間違いじゃなかった」(岡田舜立)

2022.10.16

金子紹介ありがとう。なんか色々と褒めて?くれてて嬉しくなりました。

金子とは学部も研究会も一緒で、一緒のカテゴリーでプレーした経験もあり、とても仲が良いと勝手に思っています。最初は全力の笑顔で話しかけてもそっけなく返事をされてしまい、嫌われてるのかなーと思っていた時期もありました。今でも相変わらずそっけないのは変わりませんが、内心私のことが大好きだということを知っているので安心して好き放題話すことができています。ちなみにこれからも抱きつくことは辞めません。

先週の研究会は金子が欠席していたため、1人で寂しく電車に乗り、悲しい思いをしながら家に帰りました。今週は絶対一緒に帰ろうね!!

これ以上金子の話をすると愛が溢れて長くなりそうなので、本題のブログの方に移りたいと思います。最後のブログということで何を書こうか迷いましたが、ありきたりのことを書いてもしょうがないので4年間の出来事や感じたことを素直に書きたいと思います。坂巻のように本当にまとまりのない拙い文章になると思いますが、日本語検定「外国人上級者」レベルの人間が頑張って書いたんだなと思いながら読んでいただければ幸いです。

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よく私は色々な人に「しゅんたは悩み事とかなさそうで毎日楽しそう」と言われる。流石に考えたり、悩んだりすることはあるけど、確かに毎日楽しい。基本的に自分の感情のまま、自由に行動して生きてきたし、高校までの人生を振り返ってみると何かで悩む回数も多くなかったような気がする。でもソッカー部での4年間は、人生で1番苦労して悩んで考えた期間だったと自信を持って言える。

まず私がソッカー部に入ろうと思った理由はシンプルにサッカーがしたかったからだ。大学にサッカーチームがあると聞き、Googleで「慶應 サッカー」と検索すると一番上に「KEIO UNIV. SOCCER TEAM」と出てきた。私は大学でもサッカーがやりたいと考えていたので、ここならサッカーができるとあまり深く考えず入部することにした。

サッカーは人生において必要不可欠な存在であったため、あまり考えずに決断ができたのだと思う。私は人生のほとんどを海外で過ごし、転校を何度も繰り返した。何度も友達や慣れている環境から離れ、新しい環境に放り込まれたが、いつもサッカーだけは隣にいてくれた。サッカーのお陰で友達もすぐできたし、環境にも馴染むことができた。楽しいからサッカーをやっていたが、コミュニケーション手段の1つとしてやっていた部分も大きかった。

とにかく大学でもサッカーを続けることを決めた私は、入部条件であった3050mを12分以内という条件を死にそうになりながらも全力で走り、なんとか入部が許可された。やっとサッカーができる!と考え、ウキウキしながら初回の練習に向かったが、待っていたのは厳しい現実だった。

まず、私は敬語が話せなかった。一応敬語の存在は知っていたが、何が敬語なのかわからなかったし、どのように目上の人に話せば良いのかわからなかった。今になって考えると、人生で敬語を使う機会がほとんどなかったのに敬語なんて話せるわけがなく、入部して1週間目で社会人コーチの方に「え、ゴールここ?」とタメ口で話しかけるという失態を犯してしまった(読んでいるかわかりませんが、髙橋さんあの時は本当にすみませんでした)。最初は怒られている理由がわからなかったが、話し方で怒られていたということを先輩が丁寧に説明してくれたお陰で理解することができた。

その日から日本語を勉強しよう!と考え、大学の語学選択を母国語であるはずの日本語にしたり、先輩に社会人とのLINEの仕方を教えてもらったり、社会人の方と話す時、自信が付くまでは「はい」「いいえ」「わかりません」の3択のみで会話をしようと決めたり、日本語のYouTubeを見まくった。他にも工夫したことは色々あるが、こうした工夫のお陰で今は問題なく話せているのだと思う。

他にも、高校時代のオーストラリアのコーチに「Looking sharp Shunts, love the quiff son!(シュンツ、イカした髪型だね!良い髪型だ!)」と絶賛された髪型がソッカー部に相応しくないと注意されたりと、多くのカルチャーショックを受けた。様々な国で生活をしたことがある私だが、体育会で1番カルチャーショックを受けたと思う。それ程までにピッチ外では本当に悩まされた1年だった。

また、ピッチ外だけではなくピッチ内でも本当に厳しい現実を見た。一応高校ではオーストラリアのセミプロチームで飛び級という形で年上の人たちとサッカーをしていて、それなりに自信があった。しかし、慶應の練習に行くと自分がいかに下手だったのか思い知った。1番下のカテゴリーでプレーをしていたが、とにかく練習についていくのが必死で、毎日全力で食らい付いていた。全力で毎日の練習に取り組んだものの、結果としては1年目公式戦出場0回。メンバーに入ることも1度もなく、人生で初めて1年間公式戦に出られないという経験を味わった。

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2年目はサッカー面で大きく変化を遂げた年だった。今年こそはIリーグ(公式戦)に出ると決心し、変化が必要だと感じた私は中高でプレーしていたボランチを辞めてシャドー(攻撃の選手)にポジションを変えた。私は攻撃のセンスが全くなく、シュートも壊滅的に下手だが、前線でボールを追い回し守備に貢献することで試合に出られるのではないかと考え、シャドーでボールを永遠に追い回した。

その結果、1番下のカテゴリーではあるが、公式戦全試合出場を果たし、チームにプレーで貢献することができた。試合ではボールにほとんど触っておらず、「岡田守備良かったけど走っただけじゃね」と言われたり、途中でサッカーをやっているのか、マラソンをしているのかがわからなくなったこともあったが、とにかく試合に出られることが嬉しかった。当時の4年生やグラマネのあべしんさん(R4卒)、社会人コーチの塩木さんが自由にやらせてくれたお陰で本当に充実した1年間を送ることができた。

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3年目は1番悩み苦しんだ1年間だった。
2年目で試合に出られるようになっていたため、「このまま上のカテゴリーまで行ってやる!」と考えていたが、怪我を繰り返してしまい試合どころか練習もあまりできていなかった。この時初めて「なんで部活/サッカーをやっているんだろう?」と本気で考えてしまった。他にも本当に色々なことが積み重なり、「部活に入ってる意味はあるんだろうか」「日本の大学に入って正解だったのかな」「なんで毎日練習に来てるんだろう」などと本気で毎日色々なことを考えた。自分の今までの行動や選択に急に自信が持てなくなり、部活を辞めようと真剣に考え始めた。そして気が付くと、部活やサッカーのことを考えると体調が悪くなる体になってしまい、社会人コーチやグラマネのともきさん(R4卒)と相談して部活を休むこととなった。

部活から離れていた時期は1日中家にいた。特に何かをするというわけでもなく、寝たり食べたりもせずただ永遠とベットでボーッとしていた。当時はなんでそうなってしまったのかわからず、本当に頭がおかしくなりそうだった。

どのくらいその状態だったのかは思い出せないが、ある時ソッカー部で兄弟のように仲の良い天田と島田に話したいと思い、それがきっかけとなり地獄のような状況から抜け出すことができた。人生の中で人に悩みを打ち明けることはなかったが、その時の感情や状況を包み隠さずに話すと、島田と天田は驚きながらもちゃんと聞いてくれた。話したことで特に何かが解決したわけではなかったが、肩から荷が降りたような気がした。前を向く元気をもらえた。

天田とゆーだい、あの時は本当にありがとう。恥ずかしくてあんまり言ってないけど本当に感謝しています。

すぐに元通りというわけにはいかなかったが、少しずつ前を向くことができ、自分の決めたことを信じようという気持ちになれた。練習に行く頻度を週1、週2と徐々に増やしていき、家に引きこもり真っ白になっていた肌が少しずつ元の黒さを取り戻していった。

最終的に部活を続けようと決心できたのも同期のお陰だった。それは学生コーチ、横幕の言葉だった。横幕は覚えてないかもしれないが、「岡田、復帰してC2(当時横幕が担当していたカテゴリー)に来てよ。C2にお前が必要だ」と言ってくれたことで復帰する理由、目標が生まれた。純粋に仲の良い横幕がそう思ってくれていたことが嬉しくて、横幕の下でサッカーがしたいと思うようになった。復帰しようと本気で思うようになり、復帰に向けて自分なりに頑張った。C2で力になれたかはわからないが、Iリーグ後期に少しだけ絡むことができて、微弱ながらも貢献できたのではないかと思う。

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部活に残ることを決心したが、4年目になり悩みが減るわけではなかった。

1番下のカテゴリーでシーズンを始め、とりあえず上のカテゴリーに上がるという目標で目の前の試合に全力で取り組んだ。その結果、1つ上のカテゴリーに昇格することができた。しかし、横幕に「もう落ちてくるなよ」とカッコ良く見送られたのにも関わらず、あっけなく元のカテゴリーに戻ることになってしまった。

落とされてしまい、目標を見失ってしまった私は何を目標にサッカーをしているのかわからなくなってしまった。落とされたのは自分の実力なわけだが、何をどうすれば良いのか本当にわからなくなった。

けれど自分には前線でボールを追うことしかできないと思ったし、それでしかチームに本当に貢献できるとしか思えなかった。本当に自分のプレーで勝てるのか、チームのためになっているのか正直わからなかったが信じて走ることにした。

Cチームは、チームとしては本当に良いチームだったが、1試合も勝つことができていなかった。合宿やサーキットなど身体的に厳しい練習を重ね、個人としてもチームとしても強くなったものの、チームとしての勝利はゼロ。本当に意味あるんだろうかと思うこともあったけれど、それでも辞めずに試合では全力でボールを追い回すことを続けた。正しいと信じて走り続けるしかなかった。

悩み続けながらも10月8日に首位の国士舘との試合を迎えた。相手はIリーグ1部昇格を狙っているチーム。自分たちはリーグ戦初勝利を狙っているチーム。試合内容は本当に厳しく、私自身もいつも通り走り守備をすることしかできていなかった。厳しい試合ではあったが、少ないチャンスをものにし、最後までチームとして守り切った結果2-1で試合終了。シーズン初勝利だった。試合終了の笛が鳴り、ベンチの喜びの声、横幕の笑顔が見えた時、4年間の苦しい瞬間や悩んでいたことが全て肯定されたような気がした。

悩みながらもボールを追った日々。毎回吐きそうになりながらも走ったラン。永遠に走った山中合宿。嵐の中自転車で部活へ行き、自転車が転倒し手足が血だらけになった日。試合に出られなくて悩んだ時期。部活を辞めようと本気で考えた時期。本当に色々な大変なこと、苦しいことがあったが辞めずにここまで続けて良かった。信じて走って良かった。自分の選択は正しかった。間違いじゃなかった。心の底から本気でそう思えた瞬間であった。

この感情は4年間辞めずに続けていたからこそ味わえた感情で、今後人生で同じ感情を味わうことはないと思う。この感情を体験できたことが部活に入った意味だと思うし、4年間の報酬なんだと私は思う。

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長くなってしまい、引退したかのような文章を書いてしまいましたが、まだIリーグは終わっていません。残りの試合を全勝できるよう、最後まで走り切りたいと思います。

横幕とレンへ
いつも迷惑かけて弱音吐いてばかりでメンタルの弱い頼りない4年だけど、それでも信じて試合に使ってくれてありがとう。横幕がいなかったら最後まで部活に残れた自信がないし、レンが後期もCチームを見てくれたからここまでチームとして成長することができたのだと思います。メニューを毎日考えてくれたり、毎日試合に勝つために全力で考えてくれていることに本当に感謝しています。2人とも本当にありがとう。

Cチームのみんなへ
おれはCチームのみんなが大好きです。キツい時、みんなには本当に何度も助けられて最後までやり切ろうと思えました。最後にこんな良いチームでプレーできて本当に恵まれています。残りのIリーグ1試合でも多く勝ってぶち上げましょう。最後まで宜しくね。

同期へ
こんなわけのわからない日本語が下手な日本人を受け入れてくれてありがとう。この代じゃなかったら多分無理だったし、この代で本当に良かったです。部室で話せなくなるのが本当に悲しいからみんなもっと話そーね。

両親へ
ブログの最初の方に「いつもサッカーだけは隣にいてくれた」と書きましたが、そう思えるのも何不自由なく自由にサッカーをやらせてくれた2人のお陰だと思っています。引越しをする度、新しい家と同じくらいのスピードで新しいチームを見つけてくれてありがとう。色々な試合に連れて行ってくれたり、スパイクを買ってくれたり、試合を観に来て応援してくれたり、感謝することが多すぎて書き切れません。ここまで育ててくれて本当にありがとう。

次の担当は慶應の永遠のガキ大将、島田雄大(4年・慶應義塾高)です。彼と天田とはこの4年間ずっと一緒にいるような気がします。よく後輩から「怖い」という印象を持たれがちな島田ですが、ずっと一緒にいる私からしてみれば、本当は悪いことや目立つことが大好きなただの可愛い奴です。「エンターテイナー魂」を掲げている彼はド派手な服装やイカついサングラスで遊びに来たり、急に嬉しさのあまり道のド真ん中で踊り出したり、一緒にいて飽きることがありません。最近はお腹が緩いことが悩みのようで、何度か恥ずかしい思いをしたそうです。そんな周りを楽しませることが大好きな雄大がどんなブログを書いてくれるのか、みんなお楽しみに!!!

《NEXT GAME》
10月22日(土)関東リーグ戦 第19節vs 明治学院大学 @非公開 11:00キックオフ

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