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「最幸のサッカー人生」(田村祐二朗)

2022.11.11

平素より大変お世話になっております。

今年度、主将を務めさせていただきました、環境情報学部4年、田村祐二朗です。

 

秀太、紹介ありがとう。

サッカーを辞め、コーチに転身し、組織に尽くし続けてくれたこと、改めて、本当にありがとう。いつだって、秀太の存在が自分自身の原動力だった。

右膝の大怪我を患い、やっとのことでピッチに返り咲き、ステップやスプリントの度にハイタッチをしてくれたこと、正直めちゃくちゃ嬉しかった。またピッチで、秀太のために戦える。それだけで充分に、死ぬ気で走る理由になった。

本当に多忙で、気を抜く時もなかったと思う。お疲れ様、また今度、お酒でも飲みながら、怒涛のソッカー部生活を笑い話として語らおう。

 

卒業ブログのアンカー、重役。

毎年、偉大な4年生の生き様が、言葉として残るこの企画は最高に楽しみでした。先輩方の言葉に幾度となく救われ、苦境から這い上がる原動力としてきました。

仲間の繋いできたバトンを受け継ぎ、来年に引き継げるよう、本気でサッカーと組織に向き合い、もがき、苦しんできた、そのありのままの感情と想いを綴ります。

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ソッカー部人生も遂に、終焉の時——————。

文字として書き起こすには圧倒的に物足りない程、素晴らしい経験をさせていただいた。

最高の人々に囲まれ、最高の時間を過ごし、最幸の財産を手に入れた。

改めて思う。幸せな4年間だった。

振り返ると、まさに、あっという間。

それでも、当時の感情や葛藤を思い返せば、あまりにも濃密で、充実したソッカー部人生が蘇ってくる。

特に、主将として戦った今シーズンはやはり、特別だった。

様々な状況に直面し、悩み、考え抜いた一年間。

思えば、あの日から、激動のラストシーズンが幕を開けた。

 

2021年 10月30日 

関東一部残留に向け、絶対に勝たなければいけない、拓殖大学戦。

チームは早慶戦の逆転勝利から勝ち星を重ね、奇跡の大逆転残留へ、最高の雰囲気で最終節を迎えた。

何が何でも勝ちたかった試合、人生で最も勝ちたいゲームだったと言っても過言ではなかった。

しかし、結果は1-2での敗戦。試合終了のホイッスルと同時に、関東二部への降格が決定した。

大好きで仕方なかった4年生、一年間を通し、彼らには最後に笑う資格があったように思う。その力になれなかったこと、自分の無力さに涙が止まらなかった。

試合後の4年生の表情、雰囲気、監督の言動、全てが脳裏に焼き付いている。

降格という屈辱を受け止め、4年生から引き継いだ、ソッカー部の魂。

来年は必ず、自分がチームを最前線で引っ張り、関東一部の舞台へと帰ってこよう。そう心に強く誓った。

どんなに苦しくても、辛くても、あの感情だけは味わいたくない。

その一心で、どんな苦境に立たされようと、あの情景を思い返し、力強いリバウンドメンタリティの根源としてきた。

 

改めて、関東一部という舞台を経験できたこと、その過程に携わっていただいた全ての先輩方に、心から感謝しています。

 

新チーム始動。

徐々に学年内で始まった主将決め。

自分がやらなければいけない、それは分かっていた。降格という瞬間を、ピッチ上で迎え、痛感した、途轍もない悔しさを、あの場にいることができなかった大半の部員に伝え、組織を先導していかねばならない責任があった。

いざ、投票日。同期の全部員が自分に票を入れてくれた。

それだけでも、主将として、ソッカー部のために“全てを捧げる”、そう意気込むには、充分すぎる理由になった。

怪我だけはせず、一年間を通してピッチに立ち続け、絶対的な存在になる。

苦境こそ輝ける、そんな選手への変貌をし、伝統ある組織の将軍として、最前線を直走る覚悟を決めた。

 

監督からは、重責と期待が存分に詰まった、慶應の背番号「14」を託された。

昨年のエースが3年間背負った、重すぎる背番号。

それでも、こいつに「14」を託して良かった、はしけん(R4卒)には、そう思ってほしかった。だからこそ、ピッチ上で自身の価値を証明する。ただ、それだけだった。

 

リーグ開幕前には、大学入学時の目標であった、デンソーカップに関東選抜Bとして出場した。

ピッチ脇には、タッチラインを埋め尽くす程のスカウト陣。

プロサッカー選手という舞台が近づいた、その実感を強く持ったことを覚えている。失うものなどなく、限界への挑戦、まさに心躍る舞台だった。

だが、衝撃的だった。歯が立たなかった。

チームは優勝するも、圧倒的な劣等感と悔しさを抱いた。

しかし、この経験こそ、自分のプレーを劇的に変える原点となった。

相手にとって怖い選手を追求し、攻撃の選手として、徹底的にゴールへ向かう姿勢を磨いた。ボールを持てば、前へ、前へ。とことん仕掛ける。次第に自信も芽生え、目に見える結果でチームを救う選手になれつつあった。

これぞ主将、これぞ、慶應の「14」である。

このパフォーマンスが続けば、プロという夢が叶うかもしれない、そう信じて、一日一日を徹底的に拘り抜いた。

チームもリーグ開幕後、首位を快走し、雰囲気も最高だった。

そんな順風満帆の日々、コンディションは最高潮に達していた時だった—————。

 

2022年 6月5日 

物凄い衝撃と甲高いポストを弾く音。

手を添えた右膝は、原型を留めておらず、指がのめり込む感覚があった。一瞬で涙と叫び声が止まらなくなった。痛みなのか、動揺なのか、今でもよく思い出せない。ただ、鮮明に覚えているのは、自身の膝に何かが起きたことを悟り、引退の二文字が頭を過ったこと。

こんなにも、呆気なく、一瞬で終わるものなのか。

 

救急車に乗せられ、車の中から試合終了のホイッスルを聞いた。

直後、監督や仲間が真っ先に救急車に駆け寄ってきてくれた。あの時、なんて言ったら良いか、どんな顔をしたら良いか、正直、何も考えられなかった。皆には自分の姿がどう映ったのだろうか。

 

沈黙の救急車。

一番近くで支え続けてくれた母親や泣きながら側に寄り添ってくれた同期、仲間の姿が脳裏に浮かんだ。それでも、涙は出なかった。ただただ、情けなかった。ピッチに立てないことは、主将としての責務を全うできないことを意味し、主将失格だと考えていた。まさに、自分自身への失望だった。

 

病院に到着し、暫くして、右膝膝蓋骨の骨折を告げられた。

直後、監督との電話。涙は堪えられなかった。存分に期待され、チームを任された今シーズン。その期待を思いっきり裏切ってしまった。2019年に間近で見た、監督の胴上げを、自分の力で手繰り寄せられない。その事実が本当に辛かった。

 

手術成功後。

さらに重くのしかかる、膝蓋腱の部分断裂を言い渡された。

骨折だけでなく、腱の断裂は完全復活に半年以上を要する。紛れもなく、引退を意味するものであった。

 

この瞬間から、奇跡を起こすための長く、辛いリハビリが始まった。

曲がらない膝、日に日に細くなる太腿。光が見えなかった。もう一度、プレーしている姿は一向にイメージできなかった。

不意に溢れ出てくる涙を必死に隠しながら、電車に揺られたこともあった。

現実逃避して、全てを投げ出したくなる瞬間も多々あった。

本当に戻れるのか?もう、間に合わないかも。

受傷日から毎日のように書いている怪我レポートには、弱音が並んだ。

 

何度も立ち止まりかけた、何度も諦めかけた。

それでも、奇跡の復活を信じ、前に進むしかなかった。何があっても絶対に、諦める訳にはいかなかった。

 

自分には、絶対にピッチに戻らねばならない理由が二つあったから。

一つ目が、「プロサッカー選手」という幼少期から追い続けてきた夢に、半ば強制的でも、区切りをつけたかったから。

いつからだろうか。

プロサッカー選手になることを考えることから逃げるようになったのは。

度重なる怪我で、苦しみ続けた高校3年の時か。

慶應のソッカー部に入部した瞬間か。

幼少期から抱き続けてきた夢だったはずなのに、いつしかこの夢は、自分自身の中で野望ではなくなっていた。

ソッカー部に入部したことで、ある意味、将来の選択肢は無限大に広がったからこそ、追い続けていたものが見えなくなってしまっていた。

 

実際に就活をしている時には、プロは諦めたつもりだった。いや、無意識に考えないようにしていたのだと思う。

“そのレベルでやっていて、プロは考えないの?” 

幾度となく投げかけられるこの質問に、“区切りを付けました”と、当たり前のように定型文で返す。これは絶対に、本心ではなかった。

その歯痒さ、違和感を感じながらも、社会人になるという現実が身近に感じられなかったからか、当時の自分を正当化するのに必死だった。

 

しかし、内定式にて、内定承諾書の記入の際、不意に涙が溢れ、自分でも驚く程ペンが進まなかった。

あの時から、本当にこれで良いのか、後悔しないのか、何度も自問自答した。サッカー選手ではなくて、ビジネスマンになる覚悟を固めていたはずなのに、いざ、その現実に直面した時、逃げていた本心と対峙せざるを得なかった。

サッカーが好きな気持ちは童心のままで、どんなに辛く、苦しい経験を経てもなお、その心境は18年間、一ミリたりとも揺らぐことはなかった。

まだまだサッカーがしたい、自分の限界に、可能性に挑戦したい、やっぱりその気持ちからは逃げたくなかった。

 

それでも、右膝に人工物が入り、前の感覚に戻ることが難しく、怪我と隣り合わせの毎日を過ごす中で、本気のプレーができない自分に出会った。

あぁ、もう戻れないだろうな。一歩が出てこない、止まれない、跳べない。

好調時のプレーを何度も見返しては、自分のはずなのに、まるで別人に見えた。

どう足掻いても、もがいても、自分の動きに嫌気が刺した。

そう、サッカー選手としての正真正銘の限界を感じたのだ。

 

呆気なく、儚すぎた。

唐突な大怪我だったからこそ、引退の実感なんて、湧くはずもなかった。やり残したことだらけで、ピッチ上には後悔が残っていた。

こんな状況では、プロサッカー選手としての夢を引きずることになってしまう。

 

だからこそ、もう一度、もう一度だけで良いから、ピッチに戻りたかった。

引退という瞬間まで、存分にサッカーを楽しみ、仲間と最高の瞬間を共有したかった。

たとえ身体が動かずとも、最後まで足掻く姿勢が、夢の引き際と考えるには残酷な程、相応しいものであり、第一線から退くべき瞬間だと考えた。

 

二つ目が、自分自身が苦しい状況の中、応援し、支え続けてくれた人々へ、もう一度、黄色のユニフォームを身に纏い、戦う姿を見せる、チームを勝たせることが、一番の恩返しであり、最大限の感謝の表しだと信じていたから。

 

手術直後、必死で痛みに耐えながら観戦した前期の中央大学戦、日本体育大学戦、立正大学戦。

どんなに痛くても、あの時間は至福の時間で、皆のサッカーが、立ち上がる勇気をくれた。真っ暗だった日常に、一筋の光を照らしてくれた。

 

夏は本当に苦しくて仕方なかった。

全く試合に勝てず、地面に突っ伏し、ピッチ上で涙を流す同期。

どれだけサポートしても、その努力が結果として報われないコーチ陣。

そんな仲間の姿を側で見ていながら、チームを救えない自分の無力さに苛まれる日々。

 

主将がピッチに居ないからこそ、太壱、滉、晋作には色んな重圧を背負わせてしまった。本当にごめん。俺が居たら、自由にプレーできるだろうな、何度そう思ったことか。苦しい時、同じピッチで、同じユニフォームを着て、共に苦しめなかった。今すぐ彼らの負担を減らしてあげたかった。どんな境遇だろうと、逃げずに、最前線で引っ張ってくれた、その背中には本当に感謝しているよ。

 

シーズン目標を“一部昇格”から“二部残留”へと下方修正。

正直、これだけはしたくなかった。一刻も早く、ピッチに帰り、チームを再び勝たせないといけない、より一層、その想いが強くなった瞬間だった。

 

そんな覚悟とは裏腹に、右膝は容赦なく悲鳴をあげる。

焦れば焦る程、復帰は遠のき、逆戻り。

前に進まない状況は焦りをさらに募らせ、気がつけば、10月の連戦が始まった。残された時間も少ない、もう、やるしかないと思った。

 

全治半年以上、完全復帰は4ヶ月半…怖さはあった。

翌日の筋肉痛に怯える日々。毎日が試練だった。それでも、とにかく毎練習が楽しくて、“普通”に練習している。それだけでも嬉しかった。いつ、もう一度腱が切れても、絶対に後悔しないような準備をした。このサッカー人生を締め括る3週間、この先の何十年の人生に変えてでも、本気で走り、慶應のために戦い抜きたかった。それくらいの覚悟と決意を持って、毎日を送っていた。

 

しかし、神様は残酷だった。

10月末、中央大学戦前、復帰戦となる紅白戦で再度負傷。

週末のメンバー入りを監督から示唆され、やっと、やっと皆の下に帰れると思っていた。

毎日が試練、覚悟していたはずなのに、いざ、事実に直面すると、耐えられなかった、悔しくて堪らなかった、所に帰って、馬鹿みたいに泣いた。

それでも、紅白戦前、監督をはじめとしたメンバーとグータッチをしたこと、試合前の円陣ができたこと、全てが新鮮で、鮮明に記憶に残っている。当たり前じゃなかった。全てが幸せな瞬間で、忘れることのない景色だと思う。

些細なことだったけど、こんなにも嬉しいものなのだと痛感した。

もう一度、そんな幸せな瞬間を味わい、チームを救いたい。

なんとか踏ん張った、ここまで来たのだ、諦める選択肢など、どこにもなかった。

 

2022年 11月6日

待ち侘びた舞台が訪れたのは、絶対に勝たなければいけない、東海大学戦。

ここぞ、という正念場で、帰って来られた。

ある意味、ストーリー性はあって、用意されているようなシナリオのような気さえした。

先制点を許し、迎えた85分、一点ビハインド。

残る交代枠は一枚、廣田と自分の名前が呼ばれた。

不思議な感情だった。

待ちに待った舞台で、嬉しくてたまらない気持ちと、何としても点を取らねばならない焦り。

それでも、ひっくり返す自信があった。

俺がいれば勝てる、点が取れる、雰囲気を一発で激変させられる。

 

名前が呼ばれ、スタッフやベンチメンバーが力強く送り出してくれた。

監督の言葉、自分を信じること。

その強い想いを胸に、ピッチへと足を踏み入れた。

 

平常心を装って、必死に涙を堪えていたけど、実は涙が止まらなくなりそうだった。

待ち侘びた舞台、また戻って来られた、それだけで感無量だった。

それでも、泣く訳にはいかなかった。

記念出場ではなく、主将として、チームを勝たせる役割を与えられていたから。

そんな痺れる戦況でも、自分を心から信じ、ピッチに送り出していただいた監督、グラマネ、学生コーチに恩返しがしたかった、自分の価値を証明したかった。

 

出場から僅か一分。揺れるスタンド、割れるような歓声。

これぞ、下田。これぞ、慶應。

 

サッカー人生で一番嬉しい瞬間だった。

この一瞬のためにサッカーをやっていた、最後にこんな最高の瞬間に出会えたこと、本当に幸せ者だった。

 

今年のチーム作りは上手くいっていたようで、上手くいっていなかった。

それでも、一体感は目を見張るものがあり、あの同点ゴールの瞬間の皆の喜び様を見た時、年間を通してのチーム作りが少しは肯定されたように感じた。

この一点にどんな意味があるか、全ての部員が、その“一”に大きな意味を感じていたように思う。

シーズンスローガン、For Oneとは、一瞬の歓喜のために、全てを捧げることで、全部員がその体現者となったような瞬間だった。

 

試合後に涙ぐんだ監督、蓮のアツイ涙を見た時、やってきたことは間違ってなかった、這い上がって来られたことを実感した。

そして何より、もう一試合、何としても、死ぬ気で。この仲間と本気で勝ちたい、そう強く決意した。

 

「一人の人間として、ソッカー部の先輩として、こんなに感動したことはない。」

試合後の監督からのメッセージ。監督とは4年間、本当に色々あった。何度も迷惑を掛けた。それでも何度もぶつかり、自分の人生を変えてくださった。

だからこそ、いつか監督が退任する時、真っ先に、“こんなやつを育てられた”と思われるような部員になりたいと考え、突き進んできた。

そんな、誰よりも組織に尽くす方に、感動を与えられたこと、嬉しくて仕方なかった。

あと一試合、必ず勝って、結果で4年間の恩返しをしてみせる。

 

 4年目にしての、この大怪我は総じて、不幸ではなかった、試練だった。

この怪我をしなければ見られない景色もあれば、体感できない感情も、築けない人間関係もあった。

苦しむことにも、やっぱり意味があった。

尊敬する大先輩の言葉は、決して間違っていなかった。

 

 結果的にプロにはなれなかった。その現実からは絶対に逃げない。

それでも、最後の瞬間まで、決して夢の実現を諦めなかった自分を誇るべきだと思う。18年間のプロを目指す過程は、本当に価値のあるものだった。

きっと、夢を掲げ、サッカーに明け暮れている幼少期の自分にも胸を張って、ビジネスの道へ進むことを報告できる。

もう、後悔は残っていない。サッカーよ、18年間、本当にありがとう。

 

奇しくも、勝てば残留決定は、去年と同様の状況である。

あの日味わった屈辱的な悔しさが、今年のチームの真髄にはある。

昨年の先輩方の想いも背負って、必ず借りを返してみせる。

 

思えば、3年半前、関東二部リーグの開幕戦、日体大グランドで、自分の大学サッカーの物語は幕を開けた。

偶然にも、サッカー人生最後の試合も日体大グランド。

あの地で始まった、激動の物語は、あの地で終わらせる。

 

俺が必ず、慶應を勝たせる。

主将としての生き様を、価値を必ず証明する。

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全部員へ

こんな怪我ばかりで、チームを救えない、情けない主将を信じ、一年間、共に戦ってくれたこと、本当にありがとう。

チームが、慶應が苦しい時こそ、俺が救うと意気込んでスタートしたラストイヤーも気が付けば、自分が皆に幾度となく助けられたシーズンになってしまった。本当にごめん。

仲間の笑顔が心の支えにあり、仲間の苦しみは自分の苦しみでもあった。

だからこそ、仲間の笑顔が見られない、怪我をしてからの数ヶ月は、本当に辛い日々だった。それでも、めげずに、前を向き、挑戦し続けてくれた姿には、本当に多くの勇気を貰ったよ。

今か今かと、自分の復帰を待ち侘び、大歓声の中、下田で迎えてくれたこと、あの瞬間は一生涯、忘れることはないと思う。

皆が自分を待ち続けてくれたように、実は誰よりも、自分が皆の下に帰れる事を楽しみにしていたよ。

皆の存在が、這い上がる活力だった。

欲を言えば、もっと皆とサッカーしたかった。喜びを共有したかった。

昇格という歓喜を、全員で味わいたかった。

皆が何を感じて、どうシーズンを振り返るのか。それは分からないけど、このチームの主将を務め、共に戦えたことは、人生における最大の財産です。

本当にありがとう。

 

愛しき後輩たちへ

3つだけ、伝えたい。

一瞬で、当たり前の日常は、消え去る可能性がある。

歩けることも、走れることも、仲間とサッカーすることも、部室で他愛のない話をすることも…全て。

今を、その一瞬一瞬を大切に、噛み締めて、時を過ごして。

いつ大怪我をしても、もうやりきったかな、と思える日々を送って。

毎日、自由にサッカーを楽しめることに感謝して、思いっきり楽しんで!

それが後悔のない、最高の4年間を作り出すと思うよ。

特に、大怪我を経験し、痛い程、この感情が理解できる天風、春哉。塩や雄大を支えてあげてね。

 

学年で選出する、学生スタッフ、そして学生コーチ陣。

彼らは思ったよりも、組織に尽くし続けています。

自分の時間を削り、ソッカー部や皆のために身を粉にしています。

これだけは忘れないで欲しいのは、彼らにとっての一番の喜びを選手自身が作り出せること。試合に勝つこと、努力してカテゴリーを昇格することなど、各々の努力と奮闘次第で、彼らが報われる。そんなやりがいは中々ないと思う。

誰かのために戦える漢は何倍も、何十倍も強いはずだよ。

 

最後に、納得いかないことも、理不尽なこともあるかもしれない。

ただ、一回受け入れて、自分の中で落とし込んで考えて欲しい。

その姿勢が今後、全ての方との出会いに意味を見出せるきっかけになるから。

自分に強く働きかけてくれる人は貴重な存在であり、色んなことを気付かせてくれる。相手に強く言えるのは、自分が誰よりもやっているから。

その背景が見える人も見えにくい人もいるけど、その背景に目を向けようとすることは凄く大切で、その人の奮闘が知れれば、自ずとそういう人への感謝はもちろん、存在の重要性に気付くと思う。

全ての方にリスペクトを持って接し、どんな立場でも、相手から学ぶ姿勢を忘れないこと、これが大切だと思う。

ソッカー部にはそういう事象が数多く転がっている。

早慶戦や日々の関東リーグやIリーグなど、自分が見えないところで、必死になって働いている人が大勢いる。これを当たり前にせず、彼らの貢献を知りにいこう、目を向けよう。これが、自身の最大のパワーの根源になるはずで、学生主体を掲げるソッカー部において、土台となるような側面だと思う。

俺らで必ず、関東二部は残すから。

来年こそ、今年果たせなかった目標を、俺らの分まで成し遂げてね。

皆のことが大好きだよ。自称可愛い後輩、柳瀬を筆頭に、本当は全員の名前を挙げたいけど、大変なことになるから辞めておくね。レフティー勢には特に期待してる!悪魔の左足、継承よろしく。

 

同期へ

主将決めの時、満場一致で票を入れてもらったこと。

物凄く嬉しかったし、この同期のために尽くし、この同期と共に、ソッカー部を背負おう、そう強く思えた。

頼りない学年のリーダーだったと思う。それでも最後まで共に歩めて、心から幸せだった。これからもずっと、よろしくね。

 

未来の学生スタッフへ

“学生の中のトップダウンが組織のボトムアップを築き上げる”

監督の言葉に、探し求めていたマネジメントの根源が集約されているような気がする。

何も言わないこと、厳しく接しないことは、彼らが主体的に変わる契機を奪うことであり、新しく組織を良い方向に持っていける、そんな可能性を潰すことであると思う。

嫌われてもなんでも良い、そこを拘らない限り、組織は変革していかない。

 

俺はこれが、絶望的にできなかった。

ボトムアップを追求するあまり、組織の緩さに気付けなかった。

嫌われることを恐れ、強くぶつかれなかった。

 

何も言わないで、背中で感じられる人はそう多くない。

引っ張るなら、言動と背中で、双方向から示さないといけない。

そして何より、スタッフが示しをつけること、そこだけは絶対にぶらすな。

ソッカー部の価値は、学生スタッフの価値と言っても過言じゃない。

皆に選ばれ、後押しされた役職。自信を持って、頑張って!

 

マネージャーのみんなへ

練習後には、何度もマネ部屋にお邪魔しました。ごめんね。

今思えば、あの時間が、自分にとっては息抜きになっていて、大切な時間だったように思う。

一見、地味だけど、組織の根幹を支え続ける役割。

やらないと組織が回らない、必要不可欠な存在。

そんな大役を背負い、プレイヤーズファーストを掲げ、サッカーに存分に没頭できる環境を整え続けてくれたこと、本当にありがとう。

胸を張って、楽しんで。ずっと、応援してるよ!

 

景、秀太、横幕、三浦、蓮、健翔、笹、創太へ

スポットライトを当てるべき存在こそ、このメンバーだと思う。

日の目を見ずとも、ただひたすら、勝利だけを追い求め、行動し続けてくれた。

その勇姿は自分だけでなく、多くの部員にとって、凄まじい力になっていたと思う。ラスト、全てが報われるよう、ピッチに立つ選手は全力を尽くす。

最後まで、力強く後押ししてくれ。必ず、笑って終わろう。

 

テツさん、宮内先生、島先生、内藤さん

全治半年以上の大怪我、その怪我を乗り越え、再びピッチに帰ることができたのは、紛れもなく、4人の方々の存在が側にあったからです。

何度も弱音を吐きました。その度に受け止め、力強く背中を押してくださいました。感謝してもしきれない程、お世話になりました。

最後に本気で戦う姿を見せることができたこと、本当に良かったです。

心から、ありがとうございました。

 

社会人スタッフの方々

本当にお世話になりました。

上手くいかない時、苦しい時、どんな時も支えてくださいました。

期待を上回るような活躍ができず、申し訳なく思っています。

それでも、全ての方々との出会いが、貴重なものであり、自分の財産です。

特に、淺海監督。最後に点を決めて、監督の下へ走っていきたい、一部に昇格して監督を胴上げしたいと思って、復帰を目指してきました。何度も立ち止まりかけ、その度に復帰が危ぶまれる地獄のリハビリも、お前の躍動がもう一度見たい、その言葉を胸に、乗り越えられました。

東海大学戦、監督の涙ぐむ姿を見た時、復帰を諦めないで良かった、監督の記憶に残るような選手になれたのかなと思い、言葉では表せない程、幸せな気持ちになりました。

色んな苦悩を共に乗り越え、人として成長する契機を与え続けていただいたこと。今の自分があるのは、紛れもなく、監督の存在あってこそだと考えています。淺海監督に出会えたこと、その素晴らしい縁に心から感謝します。

4年間、本当にありがとうございました。

 

家族、そして何より、母さん 

ありがとうの言葉では伝えきれない程、お世話になりました。

12歳で親元を離れてから、親の偉大さを痛感し、僅かな時間でも一緒にいられる時間は自分にとって、宝物でした。

大怪我を患い、即座に駆けつけ、看病してくれて、入院時には病院の外から見守り続けてくれて、この期間を一番近くで乗り越えてくれたこと、本当にありがとう。走る姿を見られるだけで充分、そんな風に語る母さんに、最後にもう一度、ピッチに立つ姿を見せたい、それが恩返しになると信じていたから、ここまで踏ん張れました。いつだって、母さんの存在が、自分の一番の原動力です。長いサッカー人生を一番近くで支え、応援し続けてくれて、本当にありがとうございました。母さんが母親で、心から良かった。

これからは、多くの方々に幸せや笑顔を与え続けられる、そんなビジネスマンに成長します。ずっと、見守っていてください。

 

最後に。

体育会ソッカー部、人生を変えてくれた部活、このエンブレム、黄色のユニフォームを纏い、戦えた4年間を誇りに思います。

本気でサッカーと組織に向き合い、心血を注いだこの4年間、サッカー人生の集大成をこの部活で、この仲間と過ごせたこと、最高に幸せでした。

慶應に来て、本当に良かった。

 

華の大学生活ではなかったかもしれない。

それでも、もう一度人生をやり直せるとしたら、私は再び、この組織と心中したい。

組織をこよなく愛し、仲間を切実に想い、サッカーに没頭した4年間。

まさに、18年間のサッカー人生の締め括りに相応しい幕切れだった。

 

ありがとう、慶應義塾体育会ソッカー部。

 

改めて、どんな時も自分は一人じゃなかった。

素晴らしい人々に囲まれた、幸せなサッカー人生でした。

この場を借りて、18年間、自分のサッカー人生に携わっていただいた全ての方々へ、心より敬意を表します。本当にありがとうございました。

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遂に、最終節。

正真正銘の総力戦。

勝つためには、皆の力が必要不可欠だと思う。

各々の立場で役割を全うし、全部員の本気を見せて欲しい。

ピッチに立つ選手は、その一瞬に全てを捧げよう。

この痺れる戦いを、心から楽しもう。

苦しい時は、スタンドを見よう。声を枯らす、愛すべき仲間の姿がある。

今の俺たちなら、絶対に勝てる。

どんな状況になっても、自分たちを信じ続けよう。

慶應の誇りとプライドに懸けて。

 

全員で、感動の景色を見に行こう。

必ず勝つぞ!

《NEXT GAME》

11月12日(土)関東リーグ戦 最終節 vs 日本体育大学 @日本体育大学横浜・健志台キャンパスサッカー場 11:00キックオフ

「最後は勝って笑おう」(下谷秀太)

2022.11.10

いつも熱い応援をありがとうございます。
今回ブログを担当します、グラウンドマネージャーの下谷秀太です。

たいち、紹介ありがとう。あと少し塾高ソッカー部動物園の園長は任せてください、今後は入江に引き継ぐのでよろしく。試合中ベンチから観るたいちのプレーにはいつも魅了されています。最終節も頼んだぞ!

さて、卒業ブログを書く出番がとうとうやってきました。それも1番忙しい最終節の週にです。何を書こうか迷いましたが、素直に今の気持ちを書こうと思います。
最後まで読んでいただけたら幸いです。

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「これまでの人生で1番難しい意思決定は何でしたか」
この問いに対して、私は迷わずグラマネに転向したことと答えます。

当時の私にとっては非常に難しい決断でした。
大学まで続けたサッカー選手を明日から急に辞めるという難しい決断だったけれど、今はこの選択をして良かったと胸を張って言えます。それはグラマネになってからの2年間、自分で決めた道を正解にするために必死にやったからだと思っています。そうやって必死にやってこられたのは、紛れもなく多くの人の支えがあったからです。

今シーズンは、TOPチームとB2チームを担当させてもらいました。TOPチームは昨シーズンから担当させてもらっていましたが、アンダーカテゴリーを指導することは初めてで、最初の頃は次の日の練習メニューが上手くいくか毎日不安に感じる程でした。今でもそんなに変わってないかもしれないです。指導者として、価値観を押し付けないようにしながらも選手に伝えたいことは沢山ありました。今もあります。しかし、選手に伝えたいことを上手く言語化して伝えることができない。選手の課題や悩みを解決させてあげられない。なかなか戦術を浸透させることができない。そもそも練習のオーガナイズが上手くいかないなど、挙げればキリがない程にできないことだらけで、自分が情けなかったです。サッカーを指導するということとプレーすることは全く別次元の話で、プレー経験などはほとんど役に立たないものであり、想像の何倍も難しいということを身に染みて感じました。指導する場がこのソッカー部じゃなかったら、続けられていないと思うし、そもそもグラマネになっていないと思います。サッカーが好きだから、ソッカー部が好きだから、ソッカー部を勝たせたいから、私にとって新しい挑戦をすることができました。
いつになっても失敗するし落ち込むけど、それでもチャレンジして、少し成果が出て、そうやって少しずつ成長できることが嬉しかったです。こんなにも貴重な経験をさせてくれた環境、関わってくれた人たちには感謝しかありません、ありがとうございます。

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「どんなシーズンが待ってるのかな、明日から不安だな」
昨年の4年早慶戦後の帰り道、部車を運転しながら景と2人で翌日からの新チーム始動を前に、こんな話をしながら下田に戻った記憶があります。確かガストで夕飯食べたよね。
長いシーズンが終盤に差し掛かった今、振り返ると色々なことがありました。前期は好調を維持していたチームも次第に調子を落としていき、後期は試合に勝てない時期が続きました。必死に準備したつもりなのに今日も勝てない、、、そんな週末の気分は最悪でした。しかも今は残留争いの真只中です。特に夏の中断期間に何とかチームを立て直そうとするも思うようにいかない日々は本当に苦しかった。正直どうすれば良いのか分からなかった。それでも前を向いてやってこれたのは、ソッカー部のために必死に最前線で戦っている選手がいて、すぐ隣には自分よりもっとキツいけど頑張ってるコーチ陣がいて、常に支えてくれるマネージャーがいて、本当に全員からパワーもらえたし、自分も腹括ってやらなきゃいけないと思わせてくれました。ありがとう。
未だチームが苦しい状態なのは変わりないけど、みんな今日も必死にもがいています。
だから私も最後の1日までソッカー部の勝利のために突っ走ります。

シーズン前の弱気な自分に言いたい。
残留争いをする苦しいシーズンが待ってるよ、でも俺は今のチームに自信を持っているから不安はない、選手を信じている。もはや試合が楽しみだ、と。

残留するためにあと1勝、部員全員の力が必要だ。この試合に全てを懸けよう。
11/12(土)最終節 vs日本体育大学11:00koに向けて全員が最高の準備をしよう。
昨年、拓殖大学に負けて2部降格が決まったあの悔しさを絶対に繰り返さないために。
このチームで勝利して喜び合うあの瞬間をあと1回で良いから味わうために。
4年は絶対に2部の舞台を残そう。やるしかない。
最後は勝って笑おう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

長くなってしまいますが、最後に伝えたいことを書きます。

後輩のみんな
まずは自分を指導者として受け入れてくれてありがとう。
伝えたいことは2つあります。
1つ目は、常に「アンテナを張り続けろ」ということ。4年間は短いと耳にすることがあるかもしれませんが、私は案外長いと思っています。毎日サッカーに100%向き合っていれば、いくらでもサッカーが上手くなるチャンス、成長するチャンス、上に上がるチャンスは転がってます。しかしこの短いようで長い4年間で、チャンスは誰にでも平等に与えられる訳ではありません。シーズン通して1回の人もいれば、複数回ある人もいるかもしれません。そのチャンスは自分の行動によって多く手繰り寄せることは可能だからこそ、チャンスを手繰り寄せるためにアンテナを張り続けて欲しいと思っています。今チームはどんな選手を求めているのか、監督やコーチの話を一言一句聞き逃さないようにしてみる、力の入れどころはどこか、ピッチ外のくだらないミスが自分の評価の足を引っ張っていないかなど、色々な視点から考えてみてください。目標達成のために必要なことは全部やって、不必要なものは全て取り払うくらいの拘りを持ってみてください。そもそもこのチャンスを手にできなければ、そのチャンスを活かすことも殺すこともできなくなり、自分の成長機会を失うことになります。だからこそどんなにきつくても、気持ちが切れちゃいそうになっても、何とか踏ん張ってみてください。周りにはみんなをサポートしてくれる仲間がいて、隣にはもっと頑張っている仲間がいるから。
2つ目は、目標は大きく掲げてなんぼだが、それに見合う努力と覚悟が絶対に必要ということ。当たり前のことですね。この組織の良い部分でもあるが、今B1/B2/Cに所属している選手の中から確実に2、3年後のソッカー部を背負う選手が出てきます。そういう点では多くの選手が掲げている目標であるTOPチーム昇格や関東リーグ、早慶戦への道のりはそんなに遠くないと思います。ただそれは、それ相応の努力をした人にとってはの話です。厳しいことを言うかもしれませんが、今シーズン指導させていただいた限り、その振る舞いで本当に目標達成できるのか?と感じる選手が多かったです。
本気でTOPチームに上がりたいなら、
早慶戦に出場したいなら、
慶應を勝たせたいなら、
もっともっとサッカーに真摯に向き合うべきだ。
時には自分の理想を捨てなくてはならない場面が来るかもしれない。自分の理想より目標達成の方が大切ならば、その理想はすぐにでも捨てるという選択肢も必要になってくると思います。ソッカー部人生では、どんなに努力しても厳しい状況に立たされることもあるだろう。そんな時は最終的に笑顔になれるようにサッカーを楽しむことも忘れないでください。
最後に、本気で熱くなれるサッカーはこの大学サッカーが最後の人がほとんどだと思います。みんなならもっとやれます。
1回の練習、1つのプレー、1つの勝負に魂を込めろ。
本気で自分とチームに向き合え。
やるなら今しかない、状況を変えるなら今しかない。
自分で自分に火をつけ、その火を絶対に絶やすな。
結果を追い求めろ。
みんなのこと応援してます、頑張ってください。特にB2だった選手には期待してます。

スタッフ部屋のみんな
俺がグラマネ部屋に仲間入りした時、そこには誰よりもチームの勝利と選手の成長に力を注いでる人たちがいた。俺はそんな環境で良かったと思ったし、選択は正しかったとはっきり分かった。本当に色んな意味でこの2年間はこの部屋の人たちに救われました。みんなのこと本気で尊敬してます。ありがとう。
グラマネ転向を決断した裏には、長い付き合いの横幕と三浦の存在が大きかった。
横幕は普段マジでつまらないけど、それがまた面白いです。そろそろアウディの中綺麗にしないとパパに怒られるよ。最近叔父である自覚が芽生えたらしく、やたらと可愛い映像を見せてくる三浦ですが、厳しくも愛のある言葉を選手に伝えられるところすごいです。ぜひ名言カレンダー作ってください、買います。蓮、実は蓮のコーチングを結構観察してました、俺のお手本です。だけど車のスピードの出し過ぎには注意して。景、いつも支えてくれてありがとう。ここでは書ききれないので今度話そう。目玉焼きトッピングはずっと使わせてもらいます。創太、一緒にB2担当できて本当に楽しかったけど、練習メニューの打ち合わせが21:30からはちょっとだけキツかった。なんか優秀すぎてあんまり言うことはないけど、笹を支えてあげてほしい。笹、1年間ありがとう。笹がいなかったらチームが回っていなかったことが多くあった。笹の苦しみは重々理解できる。でも最高に嬉しくて楽しい瞬間があることも分かったと思う。そんな瞬間のために、来年のチームを引っ張っていってくれ。何かあったら連絡してね、部車ぶつけるのはまずいけど、部車動かして欲しいくらいのことだったら行きません。それ以外のことなら沖縄食堂くらいまでなら助けに行きます。
もし叶うなら、横幕と三浦と蓮のもとでサッカーしてみたかったな。
最終節日体に勝利して、愛車である日産キャラバンに乗って下田に戻ろう。

マネージャーのみんな
いつも書類の確認LINE遅くてごめんなさい。
今年、マネージャーのみんなも変革期だったと思いますが、より近い距離で選手をサポートしてくれて、選手を練習に集中させることができて助かりました。ありがとう。

両親へ
最初の質問には続きがあります。
「その意思決定をすることで誰かを傷つけましたか」
この問いに対しては、2人を少し傷つけたかもしれないと感じています。少しです。それだけは後悔しています。幼い頃からサッカーのサポートをしてくれてありがとう。
本当に感謝しています。

長く拙い文章に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
次回のブログは主将の田村祐二朗(4年・藤枝東高)です。
牧野から始まったブログリレーもジロウで最後になります。このソッカー部をピッチ内外から支えてきた主将が長期離脱から遂に関東リーグの舞台に返り咲いた。
ソッカー部に対する想いが人一倍強い彼が、最後のブログで何を語るのかお楽しみに!

《NEXT GAME》
11月12日(土)関東リーグ戦 最終節 vs 日本体育大学 @日本体育大学横浜・健志台キャンパスサッカー場 11:00キックオフ

「恩返し」(川野太壱)

2022.11.09

平素より大変お世話になっております。今年度副将を務めました、法学部政治学科4年の川野太壱です。

景紹介ありがとう。京都と笑いに誇りを持つ彼が度々部室に来て、笑いをかっさらっていく姿は非常にかっこ良いです。つい先日も彼のギャグにまんまと笑わされてしまいました。どんなギャグかは言えませんが。

早速本題に入りたいと思います。サッカー人生の終わりが近づき、過去を振り返りながら今思うことを書きたいと思います。少し遡った話から始まりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

「何でサッカーやっているの?」
「プロサッカー選手になりたいから。」

「何でプロサッカー選手になりたいの?」
「恩返し。」

私の人生は常にサッカーと共にあった。4歳頃からサッカーを始め、ジュニアユースに入るまでは父がコーチで私が選手、親子二人三脚で研鑽を続けていた。さすがに家族から「左足を掴んでぶん回して、物心付く前に左足利きに矯正した。」と聞いた時には驚いたが、それだけサッカー愛を注いでくれたからこそ、私もサッカーが大好きになったのだと思う。そんな嘘のような本当の話から始まったサッカー人生。この頃から漠然と、プロサッカー選手になって世界で輝くという夢を抱いていた。

無名チームを1期生として卒団し、J下部組織のジュニアユースに入団した私は、選抜や大会を通して全国トップクラスの選手たちとの圧倒的な差に驚愕した。しかしそんな中、
「プロになって輝くことが1番の恩返しだ。」
ミーティングでコーチが放った言葉に心が揺さぶられた。プロになる。そして今までお世話になった方々に恩返しをする。これが全てのモチベーションになった。自分より上手い選手が自分より努力してたら勝てるわけがない。周りの選手の技を盗み、自主練習で自分の物にする。週末には家の横の公園で父と基礎練習。ユース昇格を告げられた時は心の底から嬉しかった。

ユースになると3学年で30人程度の1チーム。先輩という高い壁を前に試合に出られない日々が続く中、SBへのポジション転向を決断した。転向後は慣れないポジションで周りとの差を埋めるために、1日200分近く試合をこなすこともあった。おかげで新しいポジションでチャンスを掴み取り、高校2年生の頃にはTOPチームへの練習参加までたどり着くことができた。幼少期から目指し続けた「プロサッカー選手」という夢。あと少しで手が届く。期待と興奮で胸が高鳴る。そんな中、忘れられない試合がある。3年秋、TOPチームとの練習試合、実質、プロへの最終セレクション。この試合で私のサイドをぶち破られ2失点、今でも忘れられない最悪のプレーだった。今までの努力が全てこの1試合で消し飛んだ気がする。
「4年後、戻ってこいよ。」
試合後、1人で涙を流す私にコーチが掛けてくれた言葉。この言葉を聞いて、ソッカー部の門を叩くことを決意した。

「1年生から関東リーグで活躍して、プロになる。」
そう意気込んで入部した。今思うと、その頃の自分は何を勘違いしていたのだろう。同じユース出身の先輩たちは1年生から関東リーグに出場していたから、自分も出場できる。なんて思っていた。1年目は夏頃にTOPチーム昇格するも、ベンチ入り1回、出場0分。ボールボーイをしながら、同期で1年生から出場する祐二朗やドロの姿を眺める日々が続く。年末にはBチームに落とされ、サッカーにおいて挫折続きだった1年目。良い思い出と言えば長らくお世話になる高津くん(R3卒)や雄太くん(R4卒)、友己くん(R4卒)、快くん(R4卒)との出会いくらいだろう。それでも心のどこかで「まだ1年、2年目こそは。」と次のシーズンに期待を馳せる自分がいた。

2年目が始まってすぐにTOPチームに戻るも、1年目と変わらない状況が続く。その頃の私に入部当初の自信なんてない。私がベンチに入っても入らなくても応援しにくる両親は、いつも試合後に「太壱が出ていればね。」なんて声を掛けてくれるが、自信を持って「そうだ。」と答えられない。監督にも「ハシケンがいなくなったらお前がやるしかないんだ。」と励まされるが、「それじゃ4年目からしか出られない」と落ち込む。この頃から、「プロサッカー選手になりたい」と口に出すことに後ろめたさを感じていた。恩返しなんて頭にない。上手くいかない日々に打ちのめされ、自信も出場機会も失った私は自らBチーム(Zチーム)降格を志願した。こんな私を受け入れてくれた当時のZチームには本当に感謝しかない。その後、TOPチームに戻って関東デビューを果たし何試合か出場機会があったが、プロに近付く感覚はなかった。この状況が3年生の秋頃まで続き、挙句の果てに上手くいかないことを周りのせいにしてチーム戦術や練習方針に異議を唱える始末。昨年の2部リーグ降格の瞬間、私はC2+Fとしてフットサル部門のユニフォームを着て体育館で試合をしていた。

3年秋、私たちの就職活動が始まった。就職活動でよく聞かれる質問、あなたが頑張ってきたこと、挫折、嬉しかったこと、将来について、私の答えは全て「サッカー」。企業の人事も「プロサッカー選手にならないの?」と問いかけてくる。「なりたいです。けど、、、。」言葉が続かないことも多々あった。1番聞かれたくない質問だった。過去を振り返ると、自分がプロになるために必死になっていた記憶が蘇る。就職活動をせずにもう1年サッカーに注力するという選択肢がある中、その選択ができない自分が情けない。この3年間で積み上げてきたものが少なすぎる。周りに迷惑を掛けてまで自分勝手な決断をしたり、自分なりに自主練習を工夫したつもりだが、結局レギュラーになれたのは4年生になってから。もっと何かできなかったか。踏ん張れなかったか。就職活動を通してこの大学3年間をひたすらに反省した。そして、ラスト1年何をモチベーションに頑張るのかを考えた。
「恩返し」
プロになることは叶わない。ならば、ラスト1年で最大限の恩返しをしようと心に決めた。プロになるために自分さえ輝けば良いという考えを捨てる。自分の良し悪しではなく、チームが喜ぶ時に自分も喜び、苦しむ時に苦しめるようになろう。チームに多大な迷惑を掛け続けた私にとって、このチームへは計り知れない恩がある。「チームを勝利に導く存在になる」。これがソッカー部にも、仲間たちにも、応援に来てくれる家族にも、お世話になった方々にも今できる精一杯の恩返しになるはずだ。
今シーズンは有り難いことに副将という役職をいただいた。同期のみんな、こんな私を副将に推薦してくれてありがとう。副将として、自分の目標ではなく、チームの目標のために戦おう。「関東1部リーグ昇格」というチーム目標を掲げ、私にとって最後のシーズンを迎える。

今シーズンはチームとして新しいことにチャレンジしてきた。それはフォーメーションを3バックから4バックへと変更しただけでなく、攻守における戦術やセットプレーにおいても学生主体でチャレンジすることが格段に増えた。しかし、パスや動きがずれる。マークがバラバラ。新しいチャレンジは上手くいかないことの方が多い。スタッフや学生コーチが必死に考えてくれた戦術も、選手たちで寝る間を惜しんで考えた戦術も、実行するのはピッチ上の11人。あらゆる問題が起きる中、1歩前進するためにはピッチ上で修正するしかない。だからこそ、その問題を修正し、チームを前へと引っ張るのは私の役目だと考えた。今までだったら、自分のことで精一杯になってチーム戦術が上手くいこうがいかまいが関係ないと思っていた。しかし、今シーズンはチームのために尽くすと覚悟を決めた。私がプレイングコーチのように、ピッチ上の問題を解決に導く。そのためにピッチ上の現象に逐一指摘を行った。「それで良いの?」「この方が良いんじゃない?」実際は、根津が私の指摘に恐怖するくらいなので、こんなに優しくなかったかもしれない。でもこれが、私がチームのためにできる数少ない恩返しだった。

関東2部リーグ開幕。チームは良いスタートを切り、前期終盤まで首位争いをできる程に好調だった。私は自分のプレーに満足いかないことも多々あったが、何よりもチームが勝ち続けていることが幸せだった。入部してから降格争いしか知らない後輩たちを、2部ではあるが優勝争いという楽しい舞台に導けていることが本当に嬉しかった。チームが喜ぶ時に喜べる。なんて気持ちの良いことだろう。そう思える日々が続いていた。

主将の怪我、自分の怪我。前期残り3試合を残して主将が大怪我を負ってチームを離脱した。チームの大黒柱を失った苦しい状況下、副将である私がチームを支えなければならない。しかしそんな中、私の膝も痛みだした。開幕当初から傷んでいた膝が、大事な時に悲鳴をあげる。どう診断されるか怖くて病院には行きたくなかった。でも、早く治療しないと悪化するかもしれない。病院に行くことを何度も考えたが、残り3試合、チームのために戦い切ることを決断した。リーグ戦で主将・副将が同時に不在になることだけは避けたかった。
前期を終えて診察を受けると復帰まで1ヶ月程だと伝えられ、後期開幕には間に合うと意気込んだ。
「痛みがある中、歯を食いしばって頑張ってくれて感謝しています。」
診察後に監督からいただいたこのメッセージだけでも、この選択をして良かったと思えた。これもまた、恩返しなのだと。

後期が開幕してもメンバー表に私の名前はない。治ると思っていた怪我が1ヶ月半経っても治らない。そして、居ても立っても居られなくなり、無理やり復帰しようとして悪化。手術が決まった。パス&コントロール中に膝が動かなくなる。絶望の瞬間だった。サッカー人生の終わりを悟った。今までのサッカー人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。これは今までの罰なのだと思った。でも、考えれば考える程復帰したくなる。まだ恩返しの道半ば、こんな終わり方があってたまるか。絶対に復帰する。なんとかして復帰できるよう先生にお願いするしかできないが、引退後の再手術まで覚悟していた。

宮内先生やテツさん、シマさんのご尽力のおかげで手術後3週間での復帰を果たした。本当にありがとうございました。それでも、後期リーグ戦2試合、合宿、早慶戦には間に合うことができなかった。それに加え、これだけご尽力いただいたのに、合宿を走りたい、早慶戦に出たいなどと我儘ばかり言ってしまった。情けない。またチームのことを考えられない私に戻ってしまった。早慶戦をスタンドで応援しながら、「過去に、4年間どんな形であれ1度も早慶戦のピッチを踏んだことがない副将がいたかな、、、。」と悔やんだが、それ以上に、これは試練だと自分を奮い立たせた。あのまま早慶戦に出ていたら、過去の私と何も変わらなかったのだろう。出たかったが、どこか出なくて良かったと思える自分がいた。そして、チームの連敗が続く中、私が戻ることでチームに何をもたらせるのか。私の声でまたチームを活性化させる。私のプレーで、背中でチームに落ち着きを与える。そして、チームを勝利に導く。そう意気込んだ。だからこそ、みんなからの「太壱がいるとボールがまわる」とか、「復帰してから負けなし継続中」とかいう言葉は素直に嬉しかった。

私は今、キャプテンマークを巻いていない。主将不在の中、2年生にゲームキャプテンという責任を背負わせてしまっている。正直、4年目もまた「こんなはずではなかった」と後悔している。しかし、大学サッカーは4年間の積み重ねが大事。3年間自分勝手にプレーしてきた私には本来、この伝統あるマークを巻く資格はない。4年目にしても垣間見える自分本位な振る舞い。プロを諦めきれず、ドロを見に来たスカウトにアピールするため監督にSB起用をお願いしたり、緊張をほぐすためにスタッフが気を遣っているのに「首位攻防戦、絶対1位になりたい」なんて言ったり、緊張感ある練習試合前に副将である私が1番はしゃいでいたり、数え切れない程副将として不適切な振る舞いをしてしまっている。その度に見捨てず、ご指摘くださるスタッフの方々の優しさに今になって気付けた。3年の最後、TOPチームとして共に降格を味わっていれば変われただろうか。2部残留の瀬戸際を戦う今なら、当時の4年生、スタッフ陣の苦しみが分かる。

今週末の関東2部リーグ最終節。プロサッカー選手の夢も、1部昇格の目標も叶わない今、2部残留だけは何としても果たしたい。自分の目標とチームの目標が一致している今、これが今できる精一杯の恩返し。そのために、私が言えたことではないが、スタッフの方々含めソッカー部のみんなにはあと少しだけ力を貸してほしい。みんなで残留を掴み取ろう。

「プロサッカー選手」

この夢に何度励まされ、何度心を打ち砕かれたことだろう。
プロサッカー選手になれないと思うと自然と流れる悔し涙、自分への怒り。ここまで目指し続けなければ苦しむこともなかったのかもしれない。
それでも、目指し続けて良かったと思う。
この18年間のサッカー人生は何にも代えがたい大切な宝物になる。サッカーのおかげで素晴らしい出会い、感動を味わえた。そしてソッカー部のみんなに出会えた。
もう本気でプロ目指す程熱くサッカーに打ち込むことはないのかもしれない。サッカーで返せなかった恩を、この先の人生で少しずつ返していきたい。

「恩返し」

まずは最終節。自分の全てを捧げよう。

社会人スタッフの皆様へ
4年間、ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。見捨てることなくご指導くださったこと、本当に感謝しております。あと少し、最後まで頑張ります。よろしくお願いいたします。

後輩へ
まずはこんな私含めた4年生についてきてくれてありがとう。このブログでは私の反省や心の変化を多く綴りました。読んでくれていたら分かると思いますが、私から君たちへこうしろ、ああしろという権利はありません。今の君たちのほうが断然立派です。それでも教訓にしてくれるのであれば、「この4年間は積み重ねが大事」だということだけ覚えておいてください。それは、ピッチ内外共に。ピッチ内は日々の練習に全力を注ぎ、大いに悩みながらも前へ前へと進んでください。「現状維持は退化」日々の成長を楽しんで。ピッチ外は自分視点だけでなく、チーム視点も大切に。チームのために行動してきた積み重ねは自信となり、いつか報われると思います。そして、慈英。勝手ながら同じような境遇を味わっているのではないかなと思っています。メンバー発表で外れる度に悔しそうな顔をしていること、それでもセットプレーの資料を必死に作っていること、俺はそんな姿を見る度に頑張ろうと思えている。早慶戦は慈英が出てくれて良かった。その左足でまだまだ切り開ける、頑張れ。今シーズンは譲らないけど。茅野、監督から俺と茅野は一心同体だって言われてるけど、ほとんど俺がメンタルケア係だったよね。来年は俺みたいに自分のことで精一杯にならないように頑張れ。あと少し、慶應の左サイドを輝かせような。塩と雄大と堀溝は頑張れ。

同期へ
4年間本当にありがとう。そして、みんなが推薦してくれたのにキャプテンマークも巻かせてもらえない副将でごめん。色々問題を起こしがちな学年だけど、関東リーグを全力で応援してくれる姿を見ると、本当にみんなが同期で良かったなと思います。あと少し、一緒に頑張ろう。

両親へ
どんな時も私の1番のサポーターであってくれてありがとう。全国どこまでも試合を応援しに来てくれてありがとう。色々なチームを経験しましたが、父の愛情ある指導と家の横の公園が私を1番上手くしてくれたと思っています。ソッカー部で大食いだっていじられることがありますが、それは母の料理が美味しくて日頃からついつい食べすぎてしまうからだと思います。2人のサポートがなければここまで頑張ることはできませんでした。本当にありがとう。クラブワールドカップにも、早慶戦にも招待できなかったことが悔しくてならないです。この恩は人生懸けて返していきます。

長く拙い文章に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
次回のブログはグラウンドマネージャーの下谷秀太(4年・慶應義塾高)です。
私の彼に対する第1印象は、塾高ソッカー部動物園の長。その冷静な思考と的確な判断でここぞという時にみんなを導いてくれます。普段は多くを語らない彼がこのブログで何を語ってくれるのか、乞うご期待!

《NEXT GAME》
11月12日(土)関東リーグ戦 最終節 vs 日本体育大学 @日本体育大学横浜・健志台キャンパスサッカー場 11:00キックオフ

「必死のパッチ」(宮本景)

2022.11.08

平素より大変お世話になっております。今年度主務を務めました、法学部法律学科4年の宮本景です。

森紹介ありがとう。入部当初の彼はサイドを刈り上げたトサカヘアーで、上京したばかりの私には近寄り難い存在でした。しかし、「人は見かけにはよらない」とはまさにこのことで、実際に森と話すと、いつのまにかその優しさの虜になっていました。今は大好きです。(人としても漢としても)

さて本題に移ります。いよいよ卒業ブログを書く時期がやってきました。最近色んな後輩から「景くんおもしろいブログ書くんだろうな〜」と言われ、非常に焦りながら今このブログを書いています。振り返ってみると、私のソッカー部生活は激動の4年間でした。特に面白い話はないので、自分の想いを精一杯書こうと思います。最後まで読んでいただけたら幸いです。

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2020年10月26日。
副務(次年度の主務)決めミーティングで立候補したその日から、僕の大学生活はソッカー部一色に染まった。これまで2時間の練習をして帰るだけだった生活が一変し、毎日下田にいる日常になった。

平日は自分の所属するカテゴリーの練習とTOPチームの練習に参加。週末は関東リーグのチーム付き。練習以外では合宿所宿泊、早慶戦の運営、様々な会議への出席、問題発生時の対処などなど。自分を取り巻く環境、タスク量、責任が大きくのしかかった。

正直に言って本当に毎日体が限界だった。毎日の2部練、精神的な疲労が積み重なり、いつまで経っても体は軽くならなかった。
サッカーには大きな支障が出ていた。思っているように足が動かない。頭が働かない。プレースピードについていけない。毎試合足が攣ってしまう。一歩が出ない。

自分の不調とは裏腹に、同期はどんどんカテゴリー昇格をしていく。1年の時はDチームで一緒にプレーしていたのに、そこまで差はなかったはずなのに、焦る気持ちがさらにプレーを悪くしていく。明日こそは、次こそは、と自分に言い聞かせる毎日。どれだけもがいても状況は変わらなかった。

それでももがくことをやめなかった。
同期のために選手を辞めてグラマネになってくれた秀太、
毎日素晴らしいメニューを考えてくれるコーチ陣、
見えないところで数々の仕事をしてくれているマネージャー、
ミスが許されない中で毎試合運営をしてくれる学連、
選手のために身を粉にして働くマネジメント部門の仲間の存在があったから頑張れた。

特に、1年の頃から一緒にいることが多かった三浦と横幕の存在は大きかった。
TOP練、担当カテゴリーの練習、普通部(附属中学)の指導をしている彼らはまさにスーパーマンで、1日3部練を毎週こなしていた。自分の全てをソッカー部に捧げていた。
毎日限界まで追い込んでいる2人が隣にいたからこそ頑張れたのだと思う。

副務として迎えた3年目は選手として全く結果を残すことはできなかった。
しかし、ソッカー部を支える仲間の存在を知ることができた。
これが本当に自分を強くしてくれたと思う。キツい時に立ち返る場所となった。

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主務として迎えた4年目。シーズンインで運良くBチーム(3カテゴリー制)に所属することとなった。これまでとは違い、すぐ上にTOPチームがある状況だった。
やっとここまで来られたと思ったのも束の間、Iリーグに3チームをエントリーする関係でBチームをB1とB2に分けることとなった。B1への生き残りをかけたサバイバルが始まった。

とにかく必死で練習に取り組んだ。これまでにないチャンスをものにするため、とにかく食らい付いた。相変わらず体の疲労はあったが、必死のパッチで一歩を出した。

4月3日。カテゴリー分けが発表された。
横幕から全体ラインにカテゴリーの割り振りが送られた。めちゃくちゃ緊張しながらそのラインを開いたのを覚えている。
B1
村井、古川、伊藤、直井、、、下にスクロールしていくとそこに宮本の文字があった。
なんとか生き残った。ソッカー部入部して以降、初めて自分の力でカテゴリー昇格(今回の場合を昇格と呼んでいいのかは分からないが)を掴み取った瞬間だった。

TOPチームを目指すべき選手がB1に残留しただけでこんなに喜ぶのは恥ずかしい話だが、自分にとってはやっとTOPチームを目指せる立ち位置に行けたことが本当に嬉しかった。
4年目にして一花咲かせる千載一遇のチャンスに気持ちが昂った。

そして、B1の担当学生コーチは三浦だった。
どん底にあった3年目の救いの光だった三浦に、選手として恩返しができる。そんな状況が本当に嬉しかった。

B1チームの練習は本当にハードだった。火曜日は三浦のラン、水曜日はテソンさんの対人、と週の立ち上げから鬼強度のメニューが続いた。特に火曜日のランメニューは毎週キツかった。選手をいじめ抜くために三浦が考案したランメニューの数々。練習後に「選手がキツそうにしてるところ見るの楽しいんだよね」と笑いながら言ってくる時の三浦は悪魔そのものだった。

心が折れそうになったことは数知れず、毎週自分の限界との戦いだった。キツい時にはマネジメント部門のみんなの顔を思い出した。そうすれば一歩が出た。三浦に悪魔のような笑顔をさせないために、自分に打ち勝つために、必死のパッチで走り続けた。

いつしか疲労があっても走り続けられる体になっていた。足が攣ることはなくなり、キツくても一歩を出せるようになっていた。
「走力」が自分だけの武器になっていた。

初めてのIリーグ1部の舞台。これまでIリーグ2部でも全く結果を残せなかった自分が通用するのだろうか。どれくらいの強度なのだろうか。下級生が多いB1で勝つことができるのだろうか。不安は山ほどあったが、自分たちがどのチームよりも走れる自信があった。三浦にいじめられ、テソンさんに鍛え上げられたB1の戦士たちであれば戦い抜くことができる自信があった。必死のパッチで食らい付いた日々は揺るぎない自信となっていた。

ほとんどの対戦相手に技術レベルでは負けていた。メンバー表の前所属チームで絶対に勝つことはできなかった。それでも最後まで上位争いをすることができた。絶対に走り負けることはなかった。その根幹となっていたのは間違いなく火曜、水曜の「フィジカルフェスティバル2days」だった。三浦とテソンさんを信じてきて本当によかったと思っている。

自分はというものの、B1での出場機会はかなりあったが、結局一度もTOPチームに昇格することはできなかった。
埋め合わせのために呼ばれた練習試合、急遽TOP練で出場することとなった紅白戦、TOPとB1合同での山中合宿等、何度もあったチャンスをものにすることはできなかった。

しかし、まだ諦めていない。今シーズン最後の追加登録が明日にある。
最後の最後で一花咲かせて無名校出身の自分でも通用することを証明したい。これまで自分を支えてくれた人たちに恩返しをしたい。のぞみは薄いかも知れないけど、廣田に追加登録をしてもらう準備はできている。

このブログを通して伝えたいことは「必死のパッチでやること」です。
必死のパッチとは、「必死」という語を強調した最上級とされ、主に関西地方で用いられる表現です。僕の母親がよく使います。

とくかく必死で食らい付いてください。どれだけキツくてももがき続けてください。
その先には絶対に成長があります。必死のパッチでやった者にしかたどり着けない境地があります。
「必死のパッチ」でやりましょう。

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最後にこの場を借りて感謝を伝えさせてください。

社会人スタッフの皆様へ
お忙しい中日々ソッカー部のために尽力してくださり、本当にありがとうございます。未熟な私を時には優しく、時には厳しく指導してくださりありがとうございました。
ソッカー部を通して培った学びをこれからも忘れず精進して参ります。

両親へ
これまで何不自由なくサッカーを続けさせてくれてありがとう。サッカーを通してたくさんの大切な仲間に出会うことができました。本当に感謝しています。
かあさん、丈夫な身体に産んでくれてありがとう。おかげで多忙な毎日でも大きな怪我なくここまで来ることができました。主務と選手の両立はこの体なくしては不可能だったと思います。
とうさん、いつも熱烈応援してくれてありがとう。仕事の合間を縫って京都から夜行バスで試合を観にきてくれたこと、すごく嬉しかったです。土砂降りの中傘もささずレインコートで写真を撮ってくれている姿に感動しました。
2人がB1の試合を毎試合チェックしては「スタメンおめでとう」とか「次は頑張って」とか言ってくれたことが心の支えになりました。TOPチームで活躍する姿を見せられなくてごめん。ラスト悔いのないよう駆け抜けます。

B1のみんなへ
1年間よく走りきった。特に山中は本当にしんどかったね。(来年もがんばれ)
頼りない4年ばかりでごめん。こんな4年に最後まで付いてきてくれてありがとう。
いつもはふざけているけど、根は真面目で、サッカーに真摯に向き合うみんなが大好きです。
またみんなでご飯行こう。(氏家の奢り)

マネ部屋のみんなへ
いつもいつも助けてもらってばかりでした。本当にありがとう。
どんな仕事を頼んでも嫌な顔一つせずに引き受けてくれるみんなのおかげで主務をやり抜くことができました。
これからも色々引き受けてもらうかもしれないけど、その時はよろしくね。

スタッフ部屋の住人へ

秀太
グラマネになってくれてありがとう。いつも味方でいてくれてありがとう。
秀太の運転で関東に行くのももう1回しかないと思うと寂しいな。
最終節何がなんでも勝とう。最後までよろしく。


学生コーチとして途中入部してくれてありがとう。蓮のおかげで確実にソッカー部も学年も強くなった。
あと、屁ばっかりこいでごめん。もうおれの屁を聞くのも数日だから我慢してください。

横幕
いつも滑り役に回ってみんなを笑わせてくれてありがとう。横幕がいると場が和むような気がする、知らんけど。
めちゃくちゃ忙しい中でも自分の夢を追いかける横幕はおれの誇りだよ。

三浦
B1のコーチをしてくれてありがとう。
今年はまじでずっと三浦といた気がする。どれだけ辛くても三浦といたから乗り越えられた。
アリガート。


学生トレーナーになってくれてありがとう。
森の優しさに何度も救われた。色々あったけど4年が最後までやってこれたのは森のおかげだと思う。
社会人になったらピチピチのノンスリーブ着るのはやめてね。

廣田
学連引き受けてくれてありがとう。
話は相変わらず長いけど、ミーティング中にすぐ上裸になるけど、なんやかんや廣田の独特な感性が好きだよ。
最終節相撲で慶應を勝たせてくれ。

次回のブログは副将の川野太壱(4年・横浜FCユース/慶應義塾高)です。
副将としてチーム内外でソッカー部のために尽力してくれています。彼がいるといないとではチームがガラッと変わってしまいます。
冷静に状況を見てチームを勝利に導く慶應の頭脳・タイチがどんなブログを書くのか楽しみです。

《NEXT GAME》
11月12日(土)関東リーグ戦 最終節 vs 日本体育大学 @日本体育大学横浜・健志台キャンパスサッカー場 11:00キックオフ

「虎の巻 “森友紀編”」(森友紀)

2022.11.07

平素より大変お世話になっております。今年度、選手兼学生トレーナーを務めさせていただきました、環境情報学部4年の森友紀です。

廣田紹介ありがとう。1年生の時からSFCで彼だけ自分たちと群れることなく独自のコミュニティを創り上げています。相当尖っているんだな、というのが第一印象です。そんな彼とは今ではピッチ内外を共にする良き友です。巷では話が長い、余計な質問をするなどと噂されていますが、私はそうは思っていません。この話、この質問にはきっとこういう意図があるんだな、と自分なりに解釈をして聞いています。廣田節、すごく良いと思います。
あ、ブログは長かったです。

さあ、本題に移りましょう。ソッカー部の卒業ブログです。ついに自分が書く時がやってきてしまいました。毎年先輩方が書いてくださった文章は、どれもユーモアがあり面白く、今までの熱い想いや私たちへのメッセージが記されています。言わばソッカー部の虎の巻です。私はこの虎の巻を大いに参考にして4年間やってきました。私もこの文章を読んでくださる方々に、何かを伝えられたら良いなという思いで精一杯書きたいと思います。最後までお付き合いいただけますと幸いです。

この4年間を振り返ると、様々な出来事や感情が走馬灯のように蘇ってくる。それだけ濃密な4年間だった。総じてこれからも自分の人生の土台となるであろう学びがとにかく多かった。今回は、選手としてと、1人の組織の人員、学生スタッフとして考えていたことを書こうと思う。

まずは選手として。最も大事にしていたことは、目標を持ち続け、毎日それをお風呂の中で唱え、そして、目標を達成している自分を想像し、それを達成するまで絶対に諦めないことだった。

入部当初、1番下のカテゴリーであるDチームに所属していた。みんなのような強豪チームでサッカーをしたことはなく、幼稚園、小中高とそれなりのチームでサッカーをしてきた。その中で常に1つ2つ上の学年の試合に出させてもらい、主将や副将を務めるなどの良い経験を、特に努力や苦労もせずにしてきた。そんな自分にとって、1番下のカテゴリーでサッカーをすることは今思えば当然のことだが、当時は受け入れ難かった。本当にTOPチームに上がれるのかと思う反面、どうせすぐ上がれるだろうという慢心もあった。そんな中初めて早慶戦を見た。大声援の中、必死に戦う選手たちを見て憧れを感じた。いつか自分もTOPチームに上がって早慶戦に出場し、自分がゴールを決めて勝利する、という目標ができた。それからはより一層、強い気持ちでサッカーに取り組んだ。

1年生の夏にCチームに上がることはできたが、それからカテゴリーが上がることはなく、1年目はCチームでシーズンを終えた。

もっと早くCチームに上がれたなとか、Cチームに上がってからもほとんどスタメンだったから、もしかしたら来年にはTOPチームまでいけるかも、なんて安易な思いを持っていた。と同時に、1つの不安もあった。それは、大学サッカーでは高校まで通用していた自分のフィジカルが通用しないということだった。当たり負けするし、体力も落ちているように感じたし、足も遅くなった気がした。自分の武器だと思っていたものが全て通用しないことに焦りを感じていた。

そこで1年目が終わってから、ジムに通うことにした。これが今の自分にとって非常に大切なターニングポイントだった。

筋トレは高校生の時もやっていたが、その時はサッカーに必要な筋肉などは考えず、とにかく見せる筋肉だけを我流でトレーニングした。その結果、身体はどんどんでかくなり、足がどんどん遅くなった。すごく後悔した。みんなも気を付けて。
そんな失敗もあり、ちゃんとしたジムに通い出してからは毎日が楽しかった。プロのトレーナーの方がメニューを個別に組んでくださり、それをこなしていく日々。どんどん扱う重量が重くなっていくと同時に、強くなったんだと実感する日々。1週間毎日通い、2部練の間の時間にも行っていた時もあった。

しかし、全てのIリーグにスタメンで出場しながらも、思うような結果を出すことができなかった。当時はFWやシャドーをやっていたが、得点することはもちろん、チャンスを作ることもできなかった。Bチームで迎えた3年目も同じような状況だった。試合には出させてもらえたが、結果が出せない。しかし、2年目と大きく違うところは、周りの選手がTOPチームに上がったり、頻繁にTOPチームの練習参加をしていたということだ。いつか自分にもチャンスが来ると思いながらも、どうしてあいつが、俺の方が良いだろ、と思うことがあった。邪念だ。

しかし、そんな邪念はすぐに取り除いた。ベクトルを自分に向け、自分を信じた。
Everything happens for a reason.
「何事にも理由がある」
この言葉が頭をよぎる。
何故自分は選ばれないのか、足りないところはどこだ、チーム、自分に求められていることは何か、必死に考え行動した。
自分を信じられたことにも理由があった。それはジムに通い続けていたことだった。俺はジムに行って身体作りをしている。それだけは誰にも負けない、他の人より追い込んで、強くなっている。継続していたからこそ思えた。これはいつか結果として表れてくれると。だから結果が出ない時や調子の悪い時にこそ、ジムに行くようにした。自己肯定感が高まるからだ。気付けば自分にとってジムが、憩いの場のようなものになっていた。

すると、3年生も終わりに近づいてきた頃に、初めて参加したTOPチームの練習でチャンスを掴み、その後関東リーグに出場することができた。中継ぎの廣田に代わり、抑えとして2分間の出場だけだったがすごく嬉しかった。

それから、早慶戦に出場し、自分がゴールを決めて勝利するという目標がより現実的になったことで、お風呂の時間が少し長引くようになった。何度ゴールした自分の姿を想像したことか。何度鏡の前でゴールパフォーマンスの練習をしたことか。。

結局4年目の早慶戦はメンバーには入ることができたが、出場することなく試合終了のホイッスルを聞いた。この瞬間、自分の大きな目標は達成できずに終わってしまう。4年間、このために頑張ってきたからすごく悔しかった。しかしそれと同時に、自分の努力が足りなかったんだ、もう2度とこのような経験がないように、次は抜かりない努力をしようと切り替えていた自分もいた。あのお風呂での時間、サッカーの練習をしていたら早慶戦に出られたかな、、?

冒頭に書いた選手として最も大事にしていたことを実行して、目標達成できてないやん、と思った人がいるはず。そう。今になって、もっと他に大事にするべきことがあったと思っている。ただ、この4年間で調子の良し悪しはあったが、調子を落とし続けるとか、モチベーションが下がるとか、そのようなことは一切なかった。それは間違いなく、これのおかげだ。自分のなりたい姿、憧れの姿を毎日思い浮かべることは、自分を大きく助けてくれたんだと改めて思う。

次に、この組織の一員、そして学生スタッフとして考えていたことを書く。
組織をより良くしようと考え続けること。そして、これは監督がよくおっしゃっていることだが、経営者視点を持つこと。これらが非常に重要なことだ。このソッカー部は学生主体であるし、学生一人ひとりが組織を構成している。そんな学生主体の組織にも監督をはじめとする、社会人スタッフの方々がいらっしゃるが、誰がリーダーなのか。主将か、主務か、グラマネか、学生スタッフか。私はこの組織に属する一人ひとりがリーダーだと思う。というより、リーダーにならなければならないと思う。いくら主将や主務などが、経営者視点を持って様々な施策を組織に対して講じても、経営者視点を持たない人にとってはその施策の真意が分からず、結局組織としてあらぬ方向に行ってしまう可能性があるからだ。

例えば、今年で言うとコロナ禍において、学生スタッフ中心に様々なルールを設けた。それはこのソッカー部が特に問題なく活動が続けられるようにするためであったり、大きく言えば慶應という看板に泥を塗らないためのものでもある。経営者視点を持たない人は、このルール設定に隠れた背景や狙いが分からず、不満をこぼしたり、さらにはルールを破ったりしてしまう。経営者視点を持っていればそんなことにはならないはず。

では、実際に組織をより良くしようとした時に、私が考えていたことは、伝統と改革についてだ。組織をより良くするためには、現状維持は衰退というように、成長し続けなければならない。そこで出てくるのが、伝統と改革。伝統とは、あるコミュニティで受け継がれてきた風習、技術、思考などのこと。つまり偉大な先代の方々が残してくださった、選りすぐりの知恵だ。受け継がれてきたことには理由があるし、重要だから残っている。
ただ一方で、組織をより良くするには時代や環境、属する人たちによって変化させなければならない。これが変革にあたる。例えば、昨今ハラスメント系にはより一層敏感になってきているが、それでも先輩が後輩に強く接するとか、仕事を一方的にさせたりする組織が良い組織と言えるだろうか。緊急事態宣言中などのコロナ禍のピーク時において、会食や外出を許している組織が良い組織と言えるだろうか。

大切にしてきた伝統を残しつつ、変革も行う、その塩梅が非常に難しい。私たちが1年生の時には、仕事集中のルールがもっと厳しかったし、4年生とのキョリはもっとあったと思う。決してこれらが良くない慣習だ、と言っているわけではない。しかし現実として、今そのようなルールはないし、そんな慣習も格段に薄れてきている。仕事集でのこのルールは本当に必要か、下級生と上級生とのキョリはもっと近い方が良いのではないか、そんなことを私たち含め、ここ数年の先輩方が感じてきたからこそ変わってきているものだと思う。まさに時代や環境に合わせて変革している素晴らしい事例だ。しかし、この変革が良い影響しか与えない完璧なものではなかったと思う。先輩とのキョリが近くなり、コミュニケーションも取りやすい。縦の繋がりもより一層見えてきたことは非常に良いことだが、それ故どこか厳しさは感じなくなってきた。だから今年で言うと、粗相が頻発してしまったり、組織としての綻びが出てきたのだと思う。偏にこれにもっと早く気付いて行動することができなかった私や4年生の責任だと思う。

そして組織を構成している人たちを知るために、私は人の思いを大切にしてきた。特に130人程、大人数が在籍しているソッカー部のような組織では、人の思いを大切にすることは難しい。十人十色でそれぞれが個別具体的な感情、背景を持っている。それを1つにまとめて組織として同じ方向を向かせて活動していくことは当たり前のように見えて、至難の業だ。しかし実際問題として、組織として何か1つに決めなくてはいけないことは沢山ある。目標決めや、学生スタッフの選出などはまさにそれだ。そこで用いられる方法として民主主義的な多数決がある。この多数決で決めることは果たして良いことなのかと常々思う。例えば主将を決める時に、Aさん派が50人、Bさん派が49人で多数決によりAさんを主将することに決まったとする。ではBさん派の49人が今後の活動において同じ方向を向いてくれるだろうか。中にはいるだろうが、全員がそのようになることは難しい。そこで大切にしていたことが「納得感」である。多数決である程度決めるのは仕方ないが、しっかり反対派の人たちとも話をして、彼らの話を聞き、解決策を見つけたり、落とし所を考えたりすることが重要だ。この行動そのものが全員で同じ方向を向いて進もうという意思表示でもあり、それが納得感を生む。そして一体感を生む。この話し合いなしに進めていくと、いつか大きな亀裂が生まれるだろう。大所帯になればなる程、人の思いを大切にすることが難しくなってくるが、このソッカー部なら絶対にできる。最も一体感のある強い組織をこれからも創り上げていってほしい。

長々と書きましたが、要は選手としても組織の一員としても、ベクトルを自分に向け続け、自分が何をするべきか、何ができるのか、思考を止めないでほしいということです。ソッカー部には、サッカーをする環境だけでなく、多くの人との関わりや伝統など、学べるものは多岐に渡って存在します。もちろんサッカーでプロになっていった偉大な先輩方も多くいらっしゃるこのソッカー部では、とにかく刺激が多いです。この4年間で何を学ぶかは人それぞれで良いと思います。後輩たちには存分にソッカー部を味わってもらいたいです。

こんな堅苦しい文章を書いて驚いている人がいるかもしれません笑
沢山考えました。普段は普段で嘘偽りないです。笑
こんな一面もあったんだと思っておいてください!

最後になりましたが、この場をお借りして感謝を伝えさせていただきたいです。

社会人スタッフの方々へ
非常にお忙しい中、誰よりもソッカー部にご尽力いただき、また私たちと真剣に向き合ってくださり、ありがとうございます。未熟だった私も、社会人スタッフの方々のお陰で少しは成長できたと思います。ソッカー部での学びや感謝を忘れず、これからも成長していきたいと思います。

同期へ
沢山笑わせてくれてありがとう。刺激を沢山くれてありがとう。色々あったけど、同期であることを忘れないでほしい、なんて言ってないけど、大好きです。必ず残留させよう。

後輩へ
僕からのメッセージは散りばめました。全て僕個人の思いなので鵜呑みにせず、残りのソッカー部生活を実りあるものにしていってください。

両親へ
まずは3歳の時から今まで、何不自由なくサッカーを続けさせてくれてありがとう。年々両親の偉大さを感じてきています。サッカーの応援に来れば、もっと走ってとか、もっと強いシュート打てないの?とか、すぐには変えられない能力的なところを言われ、苛立ちを隠せない時がありましたが、後々冷静になってから、第3者から見るとそこが足りないところなのかと内省し、貴重な意見として参考にしていました。もっと成長しようと思えた原動力でした。少しずつ恩返ししていきます。

サッカー人生の大きな区切りです。今まで関わってくださった方々に感謝を申し上げます。ただ、これからの人生はまだまだ続きます。新しい夢に向かって、さらに頑張っていきます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

次回のブログは主務の宮本景(4年・同志社高)です。
この部活の心臓です。彼なしにこの部活は成り立っていません。普段は面白い?ギャグで笑いをドッカンドッカン取っていきます。そんな彼が抱いてきた思いや苦悩の一角を私は見てきました。その全てを、得意の関西弁で赤裸々にこのブログで熱く語ってくれると思うと、非常に楽しみです。

《NEXT GAME》
11月12日(土)関東リーグ戦 最終節 vs 日本体育大学 @日本体育大学横浜・健志台キャンパスサッカー場 11:00キックオフ

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